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2012/11/26
フランスのきゃりーぱみゅぱみゅ
ぼくの最近の音楽活動といえばもっぱら、YouTubeできゃりーぱみゅぱみゅのJapan Expoの動画を見て、それからPsyのPVやライブをみて、AKB48の『ギンガムチェック』のPVをみたりすることに時間を費やしているのです。とはいえ、少々だけど金銭が発生するような依頼をうけてお仕事として音楽活動をすることもたまにはあるのです。
もしくはmacaroomという自分自身のユニットでの音楽も続けていて、そのアルバムを制作しているのですが、なにせどんなレーベルにも所属しておらず金銭的なバックアップもないぼくらは、自由の身ではあるものの、とことん貧困にあえぎながら創作活動を続けていくしかありません。
その中できゃりーぱみゅぱみゅという5歳も歳下だけど素晴らしいアーティストをみると、苦虫を噛み潰したような表情で彼女が売れた理由などを考えているしかないのです。
彼女が海外でPerfumeやCapsuleよりも売れてしまった理由というのを考えると、ぼくもmacaroomで曲をつくるにあたって、揺らいでいたところが何かふっきれてしまったというよりはあきらめたというかひとつの信念が固く決まってしまったような気がするのです。その一番重要なところは歌詞です。ぼくはここ最近ずっと歌詞の響きについて考えていて、大好きな哲学の本を読むよりも音声学や言語学の本を読み、PAFFYの歌詞を音響分析したりしていたのだけど、それがこと創作となると、ぼくの中ではある二者択一の道に立ち尽くししまって、そこから先をずいぶんと悩んだものです。その二者択一というのは、ぼくが考えている歌詞の音響的機能を歌詞の中に計算して入れ込む際に、きくときにはそうとは気づかないような程度で実践するか、もしくはラディカルな形で主張していくか、というものでした。ラディカルなものというのは、歌詞を作る際にその手法や主張が最優先されるので、二つの点で問題があります。一つ目は、曲としての良さがおざなりにされる危険があるということ、そして二つ目は曲が難解になってしまうということです。
きゃりーぱみゅぱみゅの場合は、ぼくはラディカルなものになるための架け橋となるような流れのひとつの結果だと思っています。海外からみた日本のストリートカルチャー、とりわけ原宿のファッションカルチャーのラディカルな形でのアイコンとしての彼女自身の魅力がまずひとつあります。これはレディ・ガガのヒットと同じく色ものとして非常に優れているアイドルの根本的魅力だと思います。歌詞においては、それほどではありませんが、人によってはきゃりーぱみゅぱみゅの歌詞を色ものとして、つまり奇抜なものとして好きになるひとはいるかもしれません。しかし音響的機能からみれば非常にまとまっているし、日本語という言語においては、CapsuleやPerfumeよりも自由な印象をぼくは受けました。日本語の意味という点において、Perfumeはクラブ文化、もしくはコンピュータやインターネットの文化を恋愛の物語の中のメタファーとして徹底して使用しています。「視線はまるでレイザービーム」というフレーズや「ワンルームディスコ」というキーワードです。かつて四畳半のワンルームとフォークソングが意図的に結び付けられたものと似ています。インターネットやクラブ(ディスコ)文化と恋愛の融合は、サイバーパンク小説などにみられるもの、最近ではスプツニ子!というアーティストがハイヒールと東北復興マシーンを合わせたようなことと似ています。
しかしきゃりーぱみゅぱみゅの場合はあまり徹底しておらず、「つけま」など最低限のファッションのキーワードがあるだけで、その他は音響的側面に徹した歌詞になっています。つまりより意味のわからない詞、ということです。歌詞は振り付けにも影響を与えますが、『PON PON PON』という歌の中で「PON PON出してしまえばいいの」というとき、彼女はお腹(ぽんぽん)を二回おさえる動きをします。しかしフランスのJapan Expoにおいてはその動きはたとえ同じであっても、お腹という意味での「ぽんぽん」は無意味になり、太鼓のようにお腹を「ぽんぽんたたく」という擬音に変化します。もちろん日本人がそれをみたときも、お腹という意味の「ぽんぽん」と擬音としての「ぽんぽん」は同時に理解される可能性が高いのですが、フランスではそれは擬音としての意味が優先されるのです。音響が言語のもともとの意味を変化させてしまうというのは、その言語の通じない国に行けば当たり前におこるし、たとえその言語の通じる人においてでさえ、それはおこります。しかしその変化を予測して作詞なり振り付けを考えたりするということは、容易ではありません。とくにこの歌はあきらかに「PON PON」という音の響きを優先させながら、「お腹」と擬音の「ぽんぽん」を意味的に解決させないままにしているところが、音響的機能に徹している証拠だとぼくは思います。
なのでぼくは最近はラディカルな形で歌詞を創作していくことを良しとするように考えています。先ほど言った問題点のひとつで、たとえばシェーンベルクの曲が大変つまらないのは、ある種仕方ないことだと思うのです。もしくはマルセル・デュシャンの便器が決して作品そのものについては語られず、それができるまでの経緯や後にどれだけの影響をあたえたかということばかりが話題になるというのは、仕方ないことなのです。もちろんきゃりーぱみゅぱみゅは手法としても主張としてもラディカルかものではなくて、だんだんとできあがっていった流れの中である意味自然に出てきたものであるので、それをつまらない曲だとはまったく思いません。曲としては難解だと感じる人はおそらくほとんどいないでしょうから。
2012/10/30
小顔にみせる方法(モダンホラー編)
女の子はよくプリクラやデジカメなんかで写真を撮る時に、より小顔にみせるために顔に手をそえたりするでしょう。あごがでかい女性はあごに手を添え、顔がまるい女性は頬に手を添える。
そのテクニックをもっとも実践しているのが、アメリカのモダンホラーの巨匠にしてとてつもなく大きな顔を持つ、スティーヴン・キングだろう。
そのテクニックをもっとも実践しているのが、アメリカのモダンホラーの巨匠にしてとてつもなく大きな顔を持つ、スティーヴン・キングだろう。
ぼくと君の国歌論
一人称や二人称を含むネーミングについて考えていた。
YouTubeやMySpaceやUstreamについてを。ひょっとしたらこういったネーミングセンスはみうらじゅんの「マイブーム」に始まるのではないかと思っていた。いや、そんなわけはない。もっと始まりがあるはずだ、そう思っていろいろ考えていると、当然かもしれないが、ある歌のタイトルが浮かんできた。
『君が代』である。これこそがYouTubeやMySpaceやUstream、マイブームといった一人称二人称ネーミングの根源である、という風にぼくの方で勝手に決めてしまった。
『君が代』の「君」が「you」ではなくて「天皇」のことだというのはなんとなく知っていたが、それでもこの歌を英語にするなら絶対に『Your Generation』にするべきだろう。これはThe Whoの『My Generation』に匹敵する一人称二人称ソングの予感だ。
「千代に八千代に」の部分は「for ever and ever」で間違いはないだろう。これはベタなポップソングだ。そうなると続きの部分も訳してみたくなるものだが、「さざれ石の巌となりて、こけのむすまて」は急激に堅苦しくなってしまってぼくには手に負えない。ここは大胆に、The Whoの歌につなげてみるというのはどうだろうか。
Your Generation
Your generation is
For ever and ever, baby
People try to put us d-down (Talkin' 'bout your generation)
Just because we g-g-get around (Talkin' 'bout your generation)
Things they do look awful c-c-cold (Talkin' 'bout your generation)
Yeah, I hope I die before I get old (Talkin' 'bout your generation)
英語だとYouは「あなたたち」という複数代名詞として認識されてしまう。それを「baby」をつけたことで「お前」という単数代名詞だとわかるようにした。
しかし、ロッカーたちにとって国歌というのは体制を皮肉るいい材料になる。
セックス・ピストルズはエリザベス女王在位25周年の祝典のとき、テムズ川で『ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン』を歌った。この曲は国家と同名の彼らの代表曲なのだ。
おもしろいことに、エリザベス女王在位50周年の祝典ではブライアン・メイがバッキンガム宮殿の屋上で一人で『ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン』を演奏したのだ。この滑稽な動画をYouTubeでみたときぼくは「なにやってるんだこいつは!!」と手を叩いて歓喜した。この国歌アレンジのインスト曲は、クイーンのアルバムにも収録されていて、発売時はパンク全盛期だったからクイーンはパンクの連中に批判されまくっていた。クイーンとピストルズは同じスタジオでレコーディングしていたこともあるようで、そのさいにシド・ヴィシャスがクイーンのレコーディングを邪魔してきたらしい。当然ながらフレディー・マーキュリーがぶちぎれてシドの胸ぐらをつかんで外にぶん投げたらしい。ブライアンはインタビューで「パンクはファッションだ」と言っていた。
そんなブライアンがバッキンガム宮殿屋上で演奏する国歌はもう思想とか通り越してマグロ一本釣りの漁師のような立ち振る舞いで、わけもわからずかっこ良いのだ。
一人称二人称の話に戻ろう。
「自慰」という言葉もなかなか素晴らしい一人称二人称表現だ。英語で「Fuck you」とか「Fuck yourself」という言い方があるが、これは自慰にすごく似ている。ちなみに英語では自慰は「Hand's wife」という愛すべく表現がある。
ウディ・アレンの『アニー・ホール』という映画で、次のようなセリフが出てくる。
Masturbation is sex with the person you love the most.
(自慰とは、あなたが最も愛する人とのセックスです。)
これを一言でいうなら「自他愛」だろう。自分という他人を愛する行為なのだ。
ウディ・アレンはアメリカという国で(それもほとんどニューヨークを舞台に)映画をつくっているけど、アメリカでは自慰行為の市民権はいまだに肩身の狭いものみたいだ。それは聖書のせいでありキリスト原理主義のせいであるという話はよくきくから、それを考えるとウディ・アレンのこの発言は相当にインパクトのあるものだろう。
アメリカの性事情はどんなものだろうか。
先日『ブロークバック・マウンテン』という映画をみた。アン・リーという人が監督で、今はなきヒース・レジャーが出ていたりする。
町山智浩という映画評論家がこの映画について語っていたのをきいて、「みてみるか」という気になったのだ。
この映画は60年代のワイオミング州が舞台で、カウボーイ二人が恋をするという、ゲイをテーマにした静かな映画。町山智浩曰く「カウボーイはアメリカ人にとって《男》の象徴で、日本でいう侍のようなもの」らしい。その男の象徴カウボーイがゲイというのは、アメリカではあってはならないことだと。
劇中、恋する相手がヒースに「一緒に牧場を経営しよう」と言い寄るが、ヒースは「馬鹿を言うな。この国でそんなことが知られたら殺されちまう」という。ワイオミング州は実際にゲイのカウボーイが撲殺されたりしているところなのだ。
ここでぼくは日本人として大島渚の映画『御法度』を思い出してしまう。なんせカウボーイは日本でいう侍なので。
この映画は新撰組に加納惣三郎という美青年が入隊して、そっから男色沙汰が始まるというフィクション。原作は司馬遼太郎の『前髪の惣三郎』だ。実際、新撰組は男色が流行っていたということがあったらしい。原作では土方歳三は隊内の男色流行に気づいてはいるが、「そんな個人の趣味で除隊にするのもなあ」という感じ悩んでいる。沖田総司は「男が男を追いかけるなんてぼくには理解できません」という。
みな、のんきなもんだ。別にゲイというだけで撲殺したりなんかしない。あの荒くれ者の新撰組であってもだ。
アメリカと日本で、こんなにも違うものか、と思う。
どれもこれもすべてキリスト教のせいなのだろうか。
ここで今度はアメリカ国歌『星条旗』に立ち向かわねばならない。
トマス・ピンチョンというアメリカの作家の『メイスン&ディクスン』という小説がある。独立前のアメリカが舞台で、後に南北戦争の境界線となる「メイスン&ディクスン線」という境界線をひいた測量士の物語だ。
この中で、酒を飲みながらギターを弾き、歌うシーンがある。いずれ自由になれば、こんな下品な歌でも、国歌として歌われる日がくるかもしれんしぜえ、といって笑い合う。そのとき彼らが歌っていた下品な歌というのは、『天国のアナクレオンへ』という歌だ。当時は酒飲みが歌う歌として英米で流行していた。しかしこれは後に歌詞がかえられて『星条旗』というタイトルで本当に国歌になるのだ。
では『星条旗』の元ネタである『天国のアナクレオンへ』とはどういう歌なのか。
アナクレオンというのはギリシアの伝説的詩人で、飲んだくれで、下品な詩ばかりかいていた。この歌は酒飲みの憧れである詩人アナクレオンに捧げた歌なのだ。そしてなにより、このアナクレオンがよく詩にしていたのが「少年愛」なのだ。ギリシア時代、少年愛はおかしなことではなかった。
同性愛の精神を受け継いだ酒飲みの歌が、後に国家になり、その後長い時を経てゲイのカウボーイが撲殺される国になってしまった。
日本では四十八手なんていうものがあるが、西洋では色んな体位が認められたのは実存主義時代、とりわけボーヴォワールの主張に始まる。
ウィリアム・バロウズはそのものズバリ「おかま」という小説を書いているが、発禁になったのはむしろ当然だろう。
グレフェンベルグがいわゆる「Gスポット」についての論文を発表し、始めてクリトリスではなく膣内でオーガズムにいたることが発見されたのも、ボーヴォワールの体位解放と同じ頃だ。それよりはるか以前にフロイトが同じことを主張したが、全く相手にされなかった。
ぼくは、大きな課題を前に、ブログのまとめ方がわからなくなってしまった。
時代は流れていくが、決して進化するというのは良くなるということではない。何かが原因で、どっかでゲイの歌が国家になり、何かが原因でゲイが殺されるようになる。
ところでこんな絶望的な歴史観のなかで、唯一永遠に変わらないといわれている「愛」を、歌にして君に贈ろうと思う。届け、この思い、ってなもんだ。ラヴソングを、君に贈ろうと思う。それが締めだ。はい、ほう、レッツゴー!
細石が巌となって
苔が生えるまで、
君は永遠に、ベイビー
2012/10/22
なぜブリリアント・グリーンは英語にきこえないか
先日、久しぶりにバンドでライブをした。友人のバンドメンバーが結婚して、その二次会、三次会をライブハウスでやるということだった。
結婚した主催者は、当初ぼくに二次会にmacaroomで出てくれといったが、それは断った。メンバーの予定が合わず、なにより主催者がなぜmacaroomを選んだのかが曖昧だったからだ。
かわりに友人と三次会でブリリアント・グリーンというバンドのコピーバンドをやることになった。ほとんどきいたこともないバンドだが、曲は簡単だったので問題なかった。2曲やるうちの一曲は英語の曲だったが、それが酷い曲だった。歌詞カードをみれば英語が書いてあるのだが、歌は英語にきこえない。『Greenwood Diary』という曲。ネットで色んな人の批評を読んだが、そこでの結論はボーカルの発音が悪いということだった。確かにボーカルの発音は間違っているところもあるが、問題はそうじゃないとぼくは思った。問題は詞の作り方そのものだった。彼女は英語の歌詞を、日本語のリズムで切り刻んで歌っていた。具体的にいうと、音節(Syllable)という英語のリズムではなく、モーラという日本語の単位で詞をつくっていた。たとえば、「diary」という、その歌のキーワードとなる単語があるが、ブリリアント・グリーンはこの単語を4音符に当てはめて歌っている。「dai.a.ri.i」だ。最初の「dai」は音節をおもわせるが、後半はあきらかにモーラのリズムだ。英語であれば「diary」は3音節で、3音符ないし2音符に当てはめるのが普通だろう。アリシア・キーズの『Diary』、ブリトニー・スピアーズの『Dear Diary』もともに3音符だ。さらにこの2曲とも、前半の音節にアクセントがくるように、音程が下がっている。ブリリアント・グリーンの曲は4音符目が音程が高くなり、アクセントとは一致しない。
J-Popにも英語の歌詞は多いけど、とかくみんなボーカルの発音ばかり気にして、良いとかわるいとか言いたがるけど、歌詞の作りが英語的でなければ英語の発音はできない。
そういえば、阿久悠が対談の中で、カタカナで表記された『ウォンテッド』という曲についてこんなことをいっていた。
「だからこれ、英語でなきゃだめなんですよ。ところが、どうしてもこの時点まではね、通らなかったです。片仮名でウォンテッドと書いたものには一回もお目にかかってない。だから嫌これ、英語でなきゃだめなんだ、さんざん言ったんですけどね。」
阿久悠『A面B面』
彼は感覚的に、この曲はカタカナのウォンテッドではなく英語のwantedであると感じているが、本人はその理由まではわかっていない。なぜ「ウォンテッド」じゃなく英語の「Wanted」でないとダメなのか、というのは、簡単なことだ。
「ウォンテッド」をモーラで区切ると
「ウォ・ン・テ・ッ・ド」
となり、
英語の「wanted」を音節で区切ると、
「wan.ted」
となる。
これは曲の音符数と一致しているので、違和感なく歌唱できる。
さらにアクセントに注意してみると、両者は
「《ウォ》ンテッド」(《》がアクセント)
「WANted」(大文字がアクセント)
となり、これも英語が曲と一致しているといえる。
英語的なイメージで阿久悠はこの詞をつけたから、カタカナではどうしてもつじつまが合わなくなってしまう、ということ。
今日は短いけどそういう話。みんな、発音の話もいいけど詞はリズムとアクセントも大事だよ、という話。
2012/10/19
メトロポリス
初めてフリッツ・ラングの『メトロポリス』という映画を観た。フィルムがかなり紛失しているみたいで、1割くらいはただの説明なんだけど、すごく面白かった。とりわけ労働者たちのデモのシーンはすごかった。国というのがあればいつだってこういうことは起こるかもしれないんだとよくわかる。
ところでツイッターでこんな文章をみた。
「世界」の駅乗降車数ランキング
1位・新宿駅
2位・池袋駅
3位・渋谷駅
4位・大阪駅(梅田駅含む)
5位・横浜駅
6位・北千住駅
7位・名古屋駅(名鉄・近鉄含む)
8位・東京駅
9位・品川駅
10位・高田馬場駅”
たとえばK-POPがオリコンランキングに入れば「作られたブーム」だとかいうのに、なぜこのランキングには疑問を抱かないのだろう。
これが作られた真っ赤な嘘だということがわからないのは、本当にしょうもない愛国心だと思う。
『ホテル・ルワンダ』という映画をみた。ルワンダの虐殺のころ、ぼくはとっくに生まれているはずだけど、最近までほとんど知らなかった。
ぼくはウィリアム・ヴォルマンという作家の『蝶の物語たち』という小説を読んで、虐殺というものに興味を持った。「虐殺というものに興味を持った」というとしょうもないサブカル女みたいだけど、そういうこっちゃない。『蝶の物語たち』はカンボジアのクメール・ルージュによる虐殺のお話だった。
ぼくは世界の虐殺について調べて、その中に当然ルワンダのことものっていた。
ルワンダではフツ族がツチ族を虐殺した、ということがあって、9.11テロでは3000人の人が亡くなったけど、ルワンダでは一日8000人が殺され、それが百日間続いた、というような次第だった。
それをきくと「なんて野蛮な民族だ」と思うけど、『ホテル・ルワンダ』をみるとそのへんの事情がよくわかる。まず最初にルワンダという国は非常に発展しているということ。舞台となるホテルもぼくは今まで泊まったこともないようなゴージャスなものだった。それからツチ・フツという民族に外見的な違いはなく、お互いに友人だったり家族だったりする。事実上ツチが支配していたけど、社会的差別のようなものは感じられなかった。
しかしあるとき、民族的な意識が急に生まれる。きっかけはフツの大統領の暗殺。ここから一気に虐殺の流れになって、民間人が民間人を殺し始めるが、もしこれを完全なフィクションだとしてみるなら、あまりに唐突なストーリーだと思うだろう。でも事実、唐突に虐殺は始まった。80万人が死んだ。これは、外見的にも全く意味などなさない民族意識が起こしたものなのだ。なにがツチとフツをわけるかというと、身分証明書にかかれてある文字だけだ。
中国や朝鮮半島との問題は、ツイッターをみているとびっくりするほど変動的に情報があふれだす。前日にはなかった中国批判でタイムラインが埋め尽くされる。
国があって、ぼくらのような人間がある。その二つをつなぐものは何か。
その答えは、『メトロポリス』においては明確にしめされている。
「頭と手をつなぐものは、心でなければならない」
この映画で頭とは知識層や権力者で、手とは労働者を意味している。
この映画では、労働者を暴動にけしかけるリーダーのような存在が出てくるが、実はそれは科学者がつくりだしたべっぴんのアンドロイドなのだ。アンドロイドに心はない。こいつはびっくりするほど動きがアシモにそっくりなのだ。ところでアシモってのはアイザック・アシモフから?だったらフリッツ・ラングに因んでラングにしたほうがいいね。
様々なことについて考え、よく検討する。でも一旦火がつけばどこだって暴動になり、どこだって戦争になる。この二つをつなぐ心というものを、果たして持ち合わせているだろうか。
ここで、高杉晋作の最後のうたの下の句を思い出す。有名な、アレンジド・バイ・DJ望東尼
「すみなすものは心なりけり」
うん。非常に良い。ひょっとすると高杉晋作先生の上の句よりもいいんじゃあなかろうかという気がしてこないでもない。
ところでツイッターでこんな文章をみた。
「世界」の駅乗降車数ランキング
1位・新宿駅
2位・池袋駅
3位・渋谷駅
4位・大阪駅(梅田駅含む)
5位・横浜駅
6位・北千住駅
7位・名古屋駅(名鉄・近鉄含む)
8位・東京駅
9位・品川駅
10位・高田馬場駅”
たとえばK-POPがオリコンランキングに入れば「作られたブーム」だとかいうのに、なぜこのランキングには疑問を抱かないのだろう。
これが作られた真っ赤な嘘だということがわからないのは、本当にしょうもない愛国心だと思う。
『ホテル・ルワンダ』という映画をみた。ルワンダの虐殺のころ、ぼくはとっくに生まれているはずだけど、最近までほとんど知らなかった。
ぼくはウィリアム・ヴォルマンという作家の『蝶の物語たち』という小説を読んで、虐殺というものに興味を持った。「虐殺というものに興味を持った」というとしょうもないサブカル女みたいだけど、そういうこっちゃない。『蝶の物語たち』はカンボジアのクメール・ルージュによる虐殺のお話だった。
ぼくは世界の虐殺について調べて、その中に当然ルワンダのことものっていた。
ルワンダではフツ族がツチ族を虐殺した、ということがあって、9.11テロでは3000人の人が亡くなったけど、ルワンダでは一日8000人が殺され、それが百日間続いた、というような次第だった。
それをきくと「なんて野蛮な民族だ」と思うけど、『ホテル・ルワンダ』をみるとそのへんの事情がよくわかる。まず最初にルワンダという国は非常に発展しているということ。舞台となるホテルもぼくは今まで泊まったこともないようなゴージャスなものだった。それからツチ・フツという民族に外見的な違いはなく、お互いに友人だったり家族だったりする。事実上ツチが支配していたけど、社会的差別のようなものは感じられなかった。
しかしあるとき、民族的な意識が急に生まれる。きっかけはフツの大統領の暗殺。ここから一気に虐殺の流れになって、民間人が民間人を殺し始めるが、もしこれを完全なフィクションだとしてみるなら、あまりに唐突なストーリーだと思うだろう。でも事実、唐突に虐殺は始まった。80万人が死んだ。これは、外見的にも全く意味などなさない民族意識が起こしたものなのだ。なにがツチとフツをわけるかというと、身分証明書にかかれてある文字だけだ。
国があって、ぼくらのような人間がある。その二つをつなぐものは何か。
その答えは、『メトロポリス』においては明確にしめされている。
「頭と手をつなぐものは、心でなければならない」
この映画で頭とは知識層や権力者で、手とは労働者を意味している。
この映画では、労働者を暴動にけしかけるリーダーのような存在が出てくるが、実はそれは科学者がつくりだしたべっぴんのアンドロイドなのだ。アンドロイドに心はない。こいつはびっくりするほど動きがアシモにそっくりなのだ。ところでアシモってのはアイザック・アシモフから?だったらフリッツ・ラングに因んでラングにしたほうがいいね。
様々なことについて考え、よく検討する。でも一旦火がつけばどこだって暴動になり、どこだって戦争になる。この二つをつなぐ心というものを、果たして持ち合わせているだろうか。
ここで、高杉晋作の最後のうたの下の句を思い出す。有名な、アレンジド・バイ・DJ望東尼
「すみなすものは心なりけり」
うん。非常に良い。ひょっとすると高杉晋作先生の上の句よりもいいんじゃあなかろうかという気がしてこないでもない。
2012/10/11
わしは魚類をみながらサンドイッチを頬張った
穂村弘の短歌に次のようなものがある。
オール5の転校生がやってきて弁当がサンドイッチって噂
ぼくはこの短歌をよんで、転校生とサンドイッチという安直な組み合わせに思わず立ち上がってからまた座る。居ても立ってもいられないという良い表現がある。
中学生の頃は給食だったが、修学旅行かなにか、体験学習とでもいうものだろうか、どこかの水族館に行ったことがあるが、そのときの弁当がサンドイッチだった。いや、小学生のころだった。弁当というのは楽しみなもので、箱を開けてみるまで中身がわからない。ロバート・ゼメキスの『フォレスト・ガンプ』という映画の中にこんな感じの台詞がある。
人生は箱入りチョコレートのようなもの。開けてみるまでわからない。
ぼくは弁当箱を開けた。中は真っ白だった。ぎっしりと白いソフトなパン(縦横2:1の長方形)が並んでいた。手にとって横からみるとそれはサンドイッチで、具はすべてハムとキュウリだった。ぼくは愕然とした。一口食べた。この一口目の味が、弁当を食べ終える最後の一口まで全く変わることなく続くのだ。口直しになるものは何もない。永遠にハムとキュウリ。他の人の弁当をみれば、文字通り色とりどりだ。ぼくの弁当は白紙だった。真っ白なのだ。
ぼくは恥ずかしさのあまり、友人と中身を交換するということさえしなかった。
このトラウマは兄も全く同じように体験したということを後で知った。
後にコーマック・マッカーシーの『すべての美しい馬』を読んだ時、主人公がトルティーヤを持って馬でメキシコを旅するのをみて、あの頃のぼくはカウボーイだったんだ、と思うようにした。
転校生についても、小学生時分のことはなぜかよく憶えている。
夏姫とかいてナツキと読む女の子が大阪から転校してきた。ぼくはその子を漱石と呼んでいた。その子は金髪だった。その頃の僕には髪を染めるという発想自体がなかったので、ほとんどイノセントな顔で「なぜ金髪なのか」ということを彼女にきいた。すると彼女は「大阪じゃみんな金髪やからうちも目立てへんように金髪にしてんねん」と可愛い大阪弁で言った。目立てへんように金髪にするというこの発想のあまりの衝撃に、ぼくは脳髄までやられてしまって「それならこっちじゃみんな黒髪なのになんで黒染めせえへんねん」ということは全く考えもしなかった。
とにかくぼくはこのサンドイッチと転校生という組み合わせがトンチンカンなものにしか思えないのだけど、それはたぶんぼくだけだろうし、もしかしたら兄くらいはわかってくれるかもしれない。弁当がサンドイッチなんて糞くらえなのだ。
たとえばぼくが、自分の小学生時代の思い出の話をして、これこれこういう理由により、この短歌はクソである、と言ったなら、たちまちショートカットやボブヘアーの女子たちに叩かれるだろうし、一部のおかまっぽい男にも批判されるかもしれない。でも、これが、ぼくの思い出じゃなくて、たとえば聖書やシェイクスピアの作品を引用するのだったらどうだろう。
人はただ突っ立って生きているわけじゃなくて、考える葦なわけで、今までに少しはまともなことを考えたりすることも何度かあったりする。だからどんな作品だろうと人は自分の思い出と比べながら読む以外に方法はない。ただの葦、考えない葦に読ませれば話は違うんだろうけど、そんなやつがいるとしたら生まれてこのかた植物状態だろうし、いや、植物状態でも葦状態ってわけじゃないから、耳できいたり、考えたりはするんだろう。
ただ、ぼくが個人的な思い出でもって作品を良いとか悪いとか言うことができないっていうのに、批評家たちはなぜ堂々とシェイクスピアや聖書の話をするんだ?ということを考える。
映画や小説の新作が出る度に、みんなこぞって「これは明らかに『ゴドーを待ちながら』のシチュエーションを……」だとか「この二人はカインとアベルにおける……」とか言うのだが、確かに、作品をみたときに思い出したことっていうのは人に言いたくなるものだ。だがしかし、「明らかにこれは~の引用である」と言われたところで、もしぼくが黒人のサックスプレイヤーならこう言うだろう。
ーーSo what?
もうプレッシャーが酷い。どこまで教養の裾を拡げるのだろう。
ニュートンが「巨人の肩に乗って見ている」と言ったのは、「過去に色んな人がいろんなことをやったおかげで楽だった」ということだろう。だったらなぜ、読む人が苦労して巨人の足元までおりていかなけりゃならないんだろう。
しょうもない恋愛小説を読んで、たとえばそれがニーチェの思想と似ているからと言って、その小説が素晴らしい!と手放しで喜ぶのはニーチェファンだけだろう。オマージュっていうのはそういうものだ。オマージュはファンがやることだし、ファンに対してやるものだ。ファンサービスなんだからファンは喜ぶだろうし、確か本谷由紀子の小説で、彼氏の安部公房全集をぶん投げるシーンがあって、そこでぼくはイエーイ!ってな感じで喜んだ。安部公房は大好きだけど、安部公房好きの男はなんか腹立つからだと思う。それからケルアックの小説で、セックスの後にジェイムズ・ジョイスを朗読して解説するというシーンがあって、そこでもぼくはイエーイ!っていう感じだった。とにかくそういうファンサービスはファンにとっては嬉しいもんだ。たまにアヴリル・ラヴィーンとかがボブ・ディランの曲を歌ったりして全く何がしたいかわからないけど、でもやっぱりファンにとってはイエーイ!ってなるもんなのだ。
でもそれがどうなんだって言われると、どうってこともないだろう。みんなそれぞれ色んな思い出があるから、作品を見て好き勝手に興奮したり憤慨したりするのだ。巨人の肩にせっかく乗ってるのに、わざわざそこからおりていくもんなのだ。
だから、ぼくもこの穂村弘の短歌をよんで、好き勝手に苛立ったりしてみたのだ。こんな個人的な思い出だけで批評なんかできないって思うかもしれないけど、批評なんて結局そんなものだと思う。ただ、ぼくの思い出とシェイクスピアじゃあ共有される可能性が全然違うんだけど。
2012/09/26
macaroom - homephone TE
macaroom『homephone TE』の解説
作者が自分の曲の解説をするということは恥ずかしいことで、本来ならカウチにどかんと腰掛けて「作品については何も語らぬ」と言うのがかっこ良い在り方だと思います。あまり言いたがるのは、ダメなアーティストというレッテルを貼られるのが最近の常識のようですので。しかし今回は喜んで(率先して)曲の解説をしたいと思います。
【A】
重力を足し暮らすと いくつの数と数が
休日くらい食いつくし ずるくぬるく週末に
【B】
絵を描いてみた いつものよう
【C】
【D】
【A2】
美しくするとして いくもの苦痛と疲労
無力と感じるくらい いつも九割そうでしょう
【B2】
目を開いた 明るいの
【C】
【D】
※CとDは表記不可のため省略
homephone TEという曲ですが、この曲の歌詞について解説をします。
私は詞の音響的機能に着目しましたが、それは詞の文学的な「内容」とは関係ありません。この詞が何について書かれているか、というものは全く興味がないのです。では私が唯一興味がある「詞の音響的機能」とは何なのか、それはこの歌詞の構造を解説すれば理解していただけると思います。
この曲の歌詞は、【A】【B】【C】【D】という小さな四つのパートに別れていて、それが繰り返されて一番と二番を形成しています。【A】と【D】は八小節、【B】と【C】は四小節あります。
この曲の歌詞は「革命」という音響的メタファーを孕んでいます。これは音響的なサブリミナルということですが、もちろん、文字としての詞を読んでも、そこに革命を匂わせるようなものは発見できないと思います。しかし、この曲を聴いたときに革命を無意識的に想起させることがこの詞の音響的機能なのです。
【A】の部分では、詞がつまっている印象をうけます。日本語であることはわかりますが、はっきりとすべての単語を聴き取ることは困難です。
具体的には、一音符に対して2モーラもしくは2音節以上の音を詰め込んでいます。モーラとは日本語のリズムの最小単位で、俳句を思い浮かべればモーラが何かは理解できると思います。俳句は5モーラ+7モーラ+5モーラで構成されています。音節(Syllable)とはもっと広い範囲をひとつのまとまりとして考える単位で、英語などは音節を最小単位としています。日本語の歌詞は一音符に一モーラ、英語の歌詞は一音符に一音節、という歌詞構造が普通です。
しかし【A】では一音符に二モーラないし二音節になっています。しかしこれは単に早口というわけではありません。母音を無声音化させることで子音をぶつけています。母音を無声音化させるというのは実質的にその母音を発音しない(声帯を振動させない)ことになりますが、日本語では[u]が、ついで[i]が、無声音化しやすい傾向があります。
たとえば「くつした」と言うときに、私たちは「Kutsuʃita」ではなく「ktsuʃta」と発音し、最初の[u]や「i」は発音しない傾向があります。これが母音の無声音化です。母音が無声音化する傾向がある単語や、「じゅ」などのように子音の重なる音を重ねることで、細やかな響きを持った詞を形成しています。この部分の問題点は「聴き取りづらい」ということです。音符に対してモーラが多いので、アクセントが判別しづらく、さらに選べる単語も限られるので、つくられる物語も豊かではありません。これは子音を優先させて母音を抑圧する完全管理体制であり、非常に堅苦しい機械的なものです。いうならば音響的な「独裁体制」です。この部分は「音声詞」とよばれ、「言語詞」と対立関係にあります。
【B】になると、母音が開放されます。この部分は「普通の歌もの」という印象を受けると思います。詞の内容は聴き取り安くなります。一音符に対して一モーラの構造であり、一音符に対して二音節以上になる部分はありません。これは古くからの日本語の詞に特有の構造で、さらにアクセントが旋律と一致している場合は「言語詞」とよばれます。この部分の問題点は、音響的に響きがよくないということです。音響よりも詞の内容そのものや聴き取り安さが重要視されています。発音は自由度が増します。言うならば音響的な民主主義という部分です。
【C】には詞がありません。クラシックではヴォカリーズといい、ジャズではスキャットに似ていますが、詞無しにメロディーを口ずさむ状態です。ここでは言語からは完全に開放されますが、音響的な印象は残りません。自由ですが統制された美しさはありません。この部分は音響的な無政府状態にたとえることができます。体制は崩れて、フォーカスするべき対象が見当たりません。
そして【D】ですが、ここははっきりと歌詞がありますが、表記はできません。架空の言語だからです。この言語は、音響を最優先させてつくられたもので、リズムの最小単位がモーラになったり音節になったりします。なので日本語のようでもあり英語的にもきこえますが、どちらでもない印象をうけるでしょう。これで完全に「言語」から開放され、「音響」にだけ頼ることになります。しかしヴォカリーズとは違うので無政府状態ではありません。たとえるなら無政府主義的なものが奇跡的になにかの秩序を生み出している状態です。この部分は音声詞学的には「パーフェクト・フォーンリリック(perfect phonelyric)」とよばれます。
【A】から【D】までの流れは、独裁体制が崩れて民主主義になり、その後無政府主義的無秩序が続いた後、秩序を生み出してゆく、という音響的なサブリミナルになっています。これは「言語」でそれをしているわけではないので、社会体制にそれをあてはめたのはあくまで「喩え」としてです。
私はこの曲のタイトルを『homephone TE』と名付けました。home phone は家の電話で、TEはtest equipment の略なので「家電試験装置」という風に解釈ができます。homephoneという造語は、一見するとhomophone(同音異義語)に見間違えます。しかしhomephoneとhomophoneは同音ではなく「書かれたもの」として似ているに過ぎません。同音異義語は音声詞学的には重要な言葉です。歌詞に同音異義語がある場合、人は歌詞カードを見てそれを決定させるからです。しかし歌詞とは「書かれたもの」ではなく「歌われるもの」です。なので聴いてそれを判断しなければなりません。アクセントや文脈などからです。しかし判断が不可能が場合もあります。そうなるとその言葉は二つの意味を同時に兼ね備えることになります。その決定不可能な状態が、「書かれたもの」に対抗する強みなのです。つまり私は同音異義語というものを試験装置としてこの曲に託しました。この曲は歌詞音響の試験装置なのです。また、このタイトルを反対から読めば「ET phone home」となります。これは『E.T.』という映画の中で、宇宙人が初めて覚えたての英語を喋る場面の台詞です。文脈から判断すると、文法的に誤っています。音声詞学は、歌詞を「書かれたもの」ではなく「歌われるもの」であると認めることから出発します。最終的には言語を超えた音響による詞を作らなければなりません。それが、英語をほとんどしらない宇宙人の台詞の引用によって代弁させています。
私はこの解説を、批評家に対するアンチテーゼとしてかいています。歌詞をそこに書かれてある「文学」として批評することの限界に気づいて欲しいためです。彼らは内心ではそれに気づいていますが、隠しています。歌詞が「歌われるもの」であることは誰でも知っていますが、その真の意味を知らないふりをして批評しています。歌詞は歌詞カードをみて論じてはなりません。ただ曲を聴いて、その音響的機能と、そこから読み取れるものだけを論じるべきです。
最後に歌詞以外のことも少し話しておきます。この曲ではコードは二つしか使っていません。他のmacaroomの曲と同様、コード進行という方法論をあまりあてにしていません。メロディも他の曲と同様7thを多く使用しています。リズムトラックはRoyksoppのRoyksopp Forevereという曲を少し真似ています。それからストリングスも。
emaruのボーカルはウィスパーに近い、息を極端に吐く歌い方をしています。この歌い方の問題点は、倍音構成が非常に複雑になることです。倍音構成が複雑になると、音程が認識しづらくなるので、音程補正ができません。しかし補正をせずともあまり気にならないのも、この歌い方の特徴です。
声のサンプルはスタジオで遊びながら録音したものなので、私やemaruだけでなくエンジニアの声も入っています。二番の【D】でボーカルと掛け合いになる音はemaruの声を加工したものです。もともとは同一のものなので、親和性が高いのでここに挿入しました。
【D】で無政府状態が何らかの原因で秩序を保っているというのは、トマス・ピンチョンの『競売ナンバー49の叫び』という小説から着想を得ました。他にも音響変化によるサブリミナルという発想は、ロマーン・ヤーコブソンとレヴィ=ストロースのボードレール分析から影響を受けました。
実はこの曲にはもっと重要な音響的サブリミナルを潜ませていますが、これ以上は解説しません。このあたりで私も「かっこ良いアーティスト」にならって、沈黙しようと思います。今の時代、沈黙している方が褒められるからです。私は褒められたいのです。とてつもなく褒められたいのです。なのでもう黙ります。
2012/08/30
あの頃ぼくはオカマだった。
高校デビューとか、そういうものがあって、中学校から高校にあがるときに、人は悩みあぐねた末に自爆してしまうのだ。高校デビューで失敗した人間について、いままで色んなミュージシャンたちが「桜舞い散る」などというたとえで馬鹿にしてうたってきた。私たちは入学と共に舞い散るのだ。
ぼくの場合も真剣そのものだった。高校デビューの指南本など知らない。ノウハウ、メセッドなど知らないから、野生の勘でもって、髪を染めたりしたのだ。ぼくは入学式で金髪のままクイーンのボヘミアンラプソディを歌い、クラスで一番強そうな坊主を探し、金持ちそうなやつを探した。あの頃ぼくはオカマ野郎だったのだ。
ぼくはクイーンの影響で絶対にバンドをしなければならないと思っていたから、メンバーを探した。軽音楽部が存在しなかったから、使用されていないスペースを使って、勝手に「軽音楽部」という札をたてた。なめられてはいけないから、強そうなでかい坊主と仲良くなり、そいつと一緒に他のクラスに乗り込んだりした。乗り込んで教卓の上に立ち、またボヘミアンラプソディを歌った。拍手喝采で、アンコールがきて、慌てて逃げたりした。あとでわかったのだが、そのいかつい坊主はアメリカからの帰国子女で、身体はでかいが、人一倍気の小さい男だった。もう名前も忘れた。そいつは帰国子女で、ぼくはといえば前年に英語弁論大会で全国八位になっていたから、強制的に英語クラブに入部させられ、アメリカからレスリングの交流試合があったときなどに、ぼくら二人は無理やり通訳にまわされたのだ。
ぼくは英語クラブの先生と、音楽の話などをした。その先生は英語教師らしくイギリス音楽かぶれで、デヴィッド・ボウイのサインなどを持っていた。ぼくは清水義範の『イマジン』を先生にかした。ジョン・レノン暗殺にまつわる小説だった。
後にその先生が転勤するときに、お別れ会のようなものがあったが、華麗な高校デビューを遂げたぼくはもちろんそんなものには行かなかった。後日、担任から呼び出されて、転勤した英語の先生から手紙を預かっているといわれた。受け取った封筒の中には五千円の図書カードとともに、「ありがとう。楽しませてもらいました」という手紙、それから貸していた本が入っていた。あの頃ぼくはオカマ野郎だったのだ。
ぼくは高杉晋作に憧れていたから、彼の命日には学校を休んで墓参りにいった。
翌日に生徒指導の先生に呼び出され、言い合いになるのだ。そして言い合った最後に生徒指導の先生は「規律と義務」なる新書をぼくにくれた。
生徒指導室から出てきたぼくを、知らない女の先生が呼んだ。彼女は職員室にぼくを案内し、大量の高杉晋作関連の書籍をぼくにくれた。「あたしが持っていても意味がないから」と彼女はいう。ぼくはそのころオカマ野郎だったから、何も言わず、大量の本を抱えて職員室を出ていった。
そんなぼくの田舎の高校にも、ついに「カウンセリングルーム」なるものができた。カウンセラーがそこにいるらしい。カウンセリングルームができた初日に、担任から呼び出された。
「カウンセラーがお呼びだ。カウンセリングルームに行きなさい」
初日になぜ見ず知らずのカウンセラーがぼくを呼び出すのかはわからなかった。ぼくは友人をつれてカウンセリングルームにむかった。カウンセリングルームの扉を開けると、中には生徒指導と担任とカウンセラーの女がいた。ぼくはとっさに「騙された!」と思った。ぼくの指導に悩んでいた生徒指導と担任が、カウンセラーを利用してぼくを罠にはめたのだ。担任はぼくの友人を捕まえて外に出し、生徒指導はぼくを捕まえて中に入れる。このままでは友人と生き別れになってしまう。ぼくは生徒指導の手を振りほどき、「騙しやがったな!」と叫んで逃げていった。遠くで生徒指導の雄叫びがきこえる中、ぼくと友人は涙の再会を果たした。
翌日になって、ぼくはカウンセラーの不意をついてやろうと思いたち、急にカウンセリングルームを訪れた。
カウンセラーの女とぼくは心理学的談義をした。彼女は自分の仕事に自信がもてないといった。この仕事には意味がないかもしれないと言った。気づけばぼくが彼女をカウンセリングしていた。最後に彼女はぼくに本をくれた。「私には難しすぎるから」と彼女は言った。ユングの講義録だった。「でも、やっぱり、ユングは素晴らしいと思う」と彼女は言う。ぼくはやはりその頃オカマ野郎だったので、黙ってカウンセリングルームを後にした。
みな思春期の一時期にはオカマ野郎になるのだろう。そのころ患ったもののなかで何割かは大人になっても治らないのだろう。ぼくもその頃患ったうちのいくつかはいまだに治っていない。たとえば、いまだに髪を染めたりしている。もう10年ちかく黒髪にはなっていない。それから、いまだに本を読み、音楽を作ったりしている。いまだにボヘミアンラプソディのピアノを弾くことができる。ただなるべくオカマ野郎にはならないように心がけているつもりで、あの頃の自分を恥ずべきオカマ野郎だったと自覚している。
久しぶりにクイーンをきいたりしている。確か山田かまちが、クイーンのことを「たまに聴くとたまらなく良い」といっていた。山田かまちは思春期のオカマとの葛藤の最中に死んだ。彼の詩は素晴らしい。
Let Me Liveというクイーンの曲は、フレディが死んでから発表された。そのタイトルは皮肉すぎて、感動する。あの頃オカマ野郎だった自分を思い出すのにはうってつけの曲なのだ。
2012/08/26
勉強し、立派な大人になりなさい。
macaroomのボーカルemaruがぼくに連絡してきた。話は、ぼくらが参加した同人音楽サークルのCDについてで、その中に「パクリ曲」があるというのだった。
ぼくはパクリ曲など板野友美整形疑惑程度にしか興味はなかったが、とりあえずぼくの名前もクレジットされてるCDなので聴いてみた。
聴くとすぐにその曲がわかった。アレンジ曲なのだが、それはぼくがよく知っている曲に瓜二つだった。アレンジしたのはすみじゅんというぼくの友人で、emaruもぼくも、macaroomのみならずプライベートでも大変お世話になっている人だ。
すみじゅんがパクった曲はBritney Spearsの『I Wanna Go』という、わりと最近の有名な曲だった。
すぐにすみじゅんに電話してきいてみると、「うん参考にしたよ」という感じだった。きくと、彼はアルバムの構成を考える際に「こういう曲があったらいいなあ」と思ってこの曲を参考にしたらしい。「まあ、みんな同じようなことしてるしな」と彼は言う。なるほど、これほど瓜二つなパクリをするとは、なかなかの度胸だ。
しかし彼は重要なことをひとつ忘れていた。
それは、Britneyのその曲を選んだのは、すみじゅんではない、ということだ。
それは、ぼくなのだ。
遡ること一年前だ。ぼくは台湾に中国武術の大会に出て、台北のしょぼいスーパーの本屋でBritneyのCDを買ったのだ。
ぼくはBritneyのCDを買うのは中学生以来だったが、帰国して聴いてみると、そのサウンドの変化に驚いた。
興奮したぼくは様々な友人にこのアルバムのデータを送りつけ、すすめまくった。その一人がすみじゅんである。
ぼくはSkypeでのすみじゅんとの会話をおぼえている。
「いいか、すみじゅん、おれは今後お前がどういう活動をしていくかは知らん。同人CDを続けるのか、違うことに手を出す気なのか知らん。しかしな、少なくともポップスとクラブサウンドと密接に関連した音楽を作っているんだろう。このBritneyのアルバムをきいてみなさい。すべてが詰まっている。文字通り、すべてだ。このアルバムはポップスの未来だ。そして、クラブサウンドの未来だ。このアルバムを今きかないでどうする?確かに、今の時代、あまりにも音楽が溢れている。人が生まれるよりも多く曲が誕生している。人が死ぬよりも多くの曲が忘れ去られる。その中で名曲とそうでない曲を判断することは非常に難しいだろう。いや、そうすること自体意味はないのかもしれん。しかしな、このアルバムをきいてみなさい。これはポップスの未来であり、おまえの未来なんだ。おい、いいか?きいてるのか?ん、まあいい。とにかく、このBritneyのアルバムがお前の助けになるだろう。このアルバムに感謝するときがくるだろう。そのときがきたら、Britneyに感謝し、そして少しばかりぼくにも感謝しなさい。いや、感謝しなくてもいい。少しお金を貸しなさい。いや、ギャラを上げるだけでもいい。とにかくいまはこのアルバムをきいて、勉強しなさい。いいか、ちゃんと勉強するんだよ」
それから一年がたち、そのときがきたのだ。すみじゅんはBritneyのアルバムをぼくがあげたことや力説したこともすっかり忘れていて、自分の意思でパクリ曲の元を選んだと思っていた。しかしそれは違う。あの曲を選んだのはぼくなのだ。
ぼくは、ジョンという友人にも、一年前にBritneyのアルバムを送って「勉強しなさい」といっていたので、今回のパクリ騒動についてジョンと電話をした。
ジョンはすみじゅんのことを「ガリ勉か」と言った。
うん。そうだ。すみじゅんはガリ勉だった。少しばかり勉強しすぎたのだ。ぼくは勉強しろと言ったが、ここまで糞真面目に回答を丸暗記して試験を受けるとは思わなかった。試験と模擬試験とは回答が違うぞ、すみじゅん。回答を暗記するんじゃない、それを応用しなけりゃならん。
ぼくはヘミングウェイの小説を思い出した。それは、パクリ疑惑で訴えられた小説家と、それを真っ先に見抜いた父親の話だった。父親は息子に、お前の小説はすごくいい、お前の小説を読んでると昔の何かを思い出すようだ、と言う。すると息子は「父さんは何をみても何かを思い出すんだ」という。
そして父親は後に気がつく。息子がパクった小説は、自分が昔好きだった作家の小説だったことを。息子にパクり元の小説を選んだのは、自分だったのだ。
そしてすべてのことをemaruに伝えた。すると彼女は、「なんか、面白いね。なんかガクが書く小説を思い出すね」と言った。
違うぞemaru。
お前は何をみても何かを思い出すんだ。決してぼくの小説はパクリなんかじゃない。違うんだ。絶対に違うんだぞう!
2012/07/09
ミルク(紅茶抜き)
私は日頃からグローバルな活動を行っているが、先日あるイギリス人の知り合いが「イギリスではミルクがないと朝が始まらない」ということを言っていた。「ああそうなのか」と思ったが、確かにイギリスでは紅茶には普通はあたりまえのようにミルクをいれるから、「紅茶=ミルクティー」という話をきいたことがある。これは普段ストレートの紅茶を楽しむ私としては信じられない愚弄な行いに思えるが、なにもイギリスだけでなく、ここ日本においても「紅茶=ミルクティー」の文化を持つ場所が存在する。
それがバーガーショップだ。バーガーショップというと洒落たオニオンフライや50sロカビリーの流れる粋なお店を想像するかもしれないが、そうではなくてマクドナルドやファーストキッチンやロッテリアやモスバーガーやフレッシュネスバーガーやバーガーキングなどのファーストフード店のことをいっている。
すくなくともマクドナルドは、レジで紅茶を注文した際に、ミルクを添えるかストレートかに関わらず「ミルクティー」というボタンを押す。アイスティーを注文すればアイスミルクティーであり、ホットティーを注文すればホットミルクティーというボタンを押す。そして「ミルクや砂糖はご利用になられますか?」のようなセリフをいう。その理由はいまだに謎のままであるが、ともかくそういう業界用語のような使い方がある。
だからマックで注文の際に、牛乳を頼むつもりで「アイスミルクください」といえば、「かしこまりました」と言って、アイスティーが出されるのだ。店員たちはアイスティーのことを「アイスミルクティー」とよんでおり、それを略して「アイスミルク」とよぶのだ。
だから「アイスミルクください」と注文すれば、「かしこまりました。ミルクはご利用になられますか?」と続くのだ。
この矛盾に気づいた数年前、私は大規模な調査を開始した。対象はマクドナルド、ロッテリア、モスバーガー、ファーストキッチンで、様々な店舗を渡り歩いて勢力的に調査した。
調査のルールは一つだけである。すなわち、注文するドリンクの名前は「アイスミルク」である、ということだ。つまりこちらからは「牛乳」や「ミルク」とは言わない。
店に入り、例えば何かのセットを注文する。「ドリンクはいかがなさいますか?」と問われるので、「アイスミルクで」とこたえる。
調査をした結果、すべての店舗で冷たい紅茶が出てきた。すべての店舗でだ。
冷たい紅茶が出てきたとき、私はまず控えめに「いや、アイスミルクと注文したんですけど……」と言う。
ここでほとんどすべての店舗で店員は「はい、こちらアイスミルクティーです」とこたえる。
続いて私は「いや、だから、アイスミルクなんですけど」という。
店員は困った顔をして、「ええ。ですからこちらアイスミルクティー」ですけど」という。
「いやいや、だからアイスミルクだって」
この時点で気づいて、牛乳を出す店舗もあったが、全く気づかない店舗もあった。
私はルール上、「牛乳」や「ミルク」とはいえない。
あるファーストキッチンではこの会話のやり取りが何往復も続き、半ば私がブチ切れかけたころに店員は、
「あ!あの、普通の牛乳のことですか?」と言った。
なるほど。「普通の牛乳」という発想はなかった。
物事には無標と有標がある。ヘビと言えば海ヘビのことではなく陸のヘビのことであり、豚といえば海豚でも河豚でもなく陸上のブヒブヒ言ってるやつのことであり、女優といえばAV女優ではなくサマンサ・マシスやウーピー・ゴールドバーグのことであり、キャバレーといえばキャバレークラブ略してキャバクラではなくムーランルージュとかそういうもののことだ。それを陸ヘビや陸豚や非エロ女優や大型キャバレーなどとは言わない。ミルクとはミルクであり、普通のミルクなどとはいわない。
さらに私は、ファーストキッチンのメニューをみて驚愕した。そこには、「アイス」という欄があり、「ミルク」と表記されていたのだ。つまり少なくともメニューの上では、「普通」でもなく「牛乳」でもなく、「アイス」の「ミルク」なのだ。
私はこの調査の結果を深刻に受け止め、友人たちに報告した。友人は「それは嫌な客だ」や「普通に注文しろよ」や「ノイローゼ気味」や「なんで牛乳飲みたいんや」というような感想を言い、あまりぼくに共感する人はいなかった。
その後何人かの友人からメールで「あたしも実験してみたけど、普通に牛乳でてきたよ♡」というような報告があった。私は「注文の仕方が悪いんだ!そんな報告は認めん!」と怒り狂ったが、最近は調査を怠っているので、この頃の事情はわからない。
皆さんもぜひ一度調査をしてみていただきたい。
それがバーガーショップだ。バーガーショップというと洒落たオニオンフライや50sロカビリーの流れる粋なお店を想像するかもしれないが、そうではなくてマクドナルドやファーストキッチンやロッテリアやモスバーガーやフレッシュネスバーガーやバーガーキングなどのファーストフード店のことをいっている。
すくなくともマクドナルドは、レジで紅茶を注文した際に、ミルクを添えるかストレートかに関わらず「ミルクティー」というボタンを押す。アイスティーを注文すればアイスミルクティーであり、ホットティーを注文すればホットミルクティーというボタンを押す。そして「ミルクや砂糖はご利用になられますか?」のようなセリフをいう。その理由はいまだに謎のままであるが、ともかくそういう業界用語のような使い方がある。
だからマックで注文の際に、牛乳を頼むつもりで「アイスミルクください」といえば、「かしこまりました」と言って、アイスティーが出されるのだ。店員たちはアイスティーのことを「アイスミルクティー」とよんでおり、それを略して「アイスミルク」とよぶのだ。
だから「アイスミルクください」と注文すれば、「かしこまりました。ミルクはご利用になられますか?」と続くのだ。
この矛盾に気づいた数年前、私は大規模な調査を開始した。対象はマクドナルド、ロッテリア、モスバーガー、ファーストキッチンで、様々な店舗を渡り歩いて勢力的に調査した。
調査のルールは一つだけである。すなわち、注文するドリンクの名前は「アイスミルク」である、ということだ。つまりこちらからは「牛乳」や「ミルク」とは言わない。
店に入り、例えば何かのセットを注文する。「ドリンクはいかがなさいますか?」と問われるので、「アイスミルクで」とこたえる。
調査をした結果、すべての店舗で冷たい紅茶が出てきた。すべての店舗でだ。
冷たい紅茶が出てきたとき、私はまず控えめに「いや、アイスミルクと注文したんですけど……」と言う。
ここでほとんどすべての店舗で店員は「はい、こちらアイスミルクティーです」とこたえる。
続いて私は「いや、だから、アイスミルクなんですけど」という。
店員は困った顔をして、「ええ。ですからこちらアイスミルクティー」ですけど」という。
「いやいや、だからアイスミルクだって」
この時点で気づいて、牛乳を出す店舗もあったが、全く気づかない店舗もあった。
私はルール上、「牛乳」や「ミルク」とはいえない。
あるファーストキッチンではこの会話のやり取りが何往復も続き、半ば私がブチ切れかけたころに店員は、
「あ!あの、普通の牛乳のことですか?」と言った。
なるほど。「普通の牛乳」という発想はなかった。
物事には無標と有標がある。ヘビと言えば海ヘビのことではなく陸のヘビのことであり、豚といえば海豚でも河豚でもなく陸上のブヒブヒ言ってるやつのことであり、女優といえばAV女優ではなくサマンサ・マシスやウーピー・ゴールドバーグのことであり、キャバレーといえばキャバレークラブ略してキャバクラではなくムーランルージュとかそういうもののことだ。それを陸ヘビや陸豚や非エロ女優や大型キャバレーなどとは言わない。ミルクとはミルクであり、普通のミルクなどとはいわない。
さらに私は、ファーストキッチンのメニューをみて驚愕した。そこには、「アイス」という欄があり、「ミルク」と表記されていたのだ。つまり少なくともメニューの上では、「普通」でもなく「牛乳」でもなく、「アイス」の「ミルク」なのだ。
私はこの調査の結果を深刻に受け止め、友人たちに報告した。友人は「それは嫌な客だ」や「普通に注文しろよ」や「ノイローゼ気味」や「なんで牛乳飲みたいんや」というような感想を言い、あまりぼくに共感する人はいなかった。
その後何人かの友人からメールで「あたしも実験してみたけど、普通に牛乳でてきたよ♡」というような報告があった。私は「注文の仕方が悪いんだ!そんな報告は認めん!」と怒り狂ったが、最近は調査を怠っているので、この頃の事情はわからない。
皆さんもぜひ一度調査をしてみていただきたい。
2012/06/27
What does it MEAN?
歌詞についての記事を読んで、いくつか言いたいことがでてきたので、ここに載せてみようと思う。
その記事というのは、増田聡という方が書いたもの。
http://tenplusone-db.inax.co.jp/backnumber/article/articleid/1075/
内容は鳥賀陽弘道とボニーピンクの論争に始まり、歌詞とは何かを問うものだ。
普段雑誌など読まないぼくはボニーピンク論争なんか知らなかったから、ああこんなアホな論争があったんやあ、という風に楽しく読んでいた。著者の語り口もなかなかよろしい。
しかし話が歌詞そのものの役割についての話になり始めたあたりから、雲行きは怪しくなった。怪しい程度で、決して大降りの雨ではない。この増田さんとは、話せばうまが合いそうだなとは思うけれど、「こいつ何言ってんの?」と思うところもある。もとより好きな人ほど欠点が気になってしまうものだ。ということでぼくが彼の主張の中で完全に誤っていると思う部分をここに書くことにした。
歌詞について話す時になにかと話をややこしくさせてしまう「意味」というやつ。
意味とはなんぞや、とぼくは思ってしまうが…
そういえば、以前は教職をしていた父親が、何の科目だか知らないが小学校でQueenのBohemian Rhapsodyを流したらしい。
小学生たちは英語などわかるわけない。英語はわからないが、わからない言語の詞を体験するのだ。
そして父親は生徒たちに、この曲の感想をきいてゆく。
そして全員の感想を聞き終えたところで、この曲の歌詞の翻訳したものを配るのだ。そこで初めて生徒たちは「死にたくない。ときどき生まれなければよかったと思う」というような詞だったということを「知る」のだ。
生徒たちが最初に感じたものと、翻訳された詞の間には大きなギャップがあった。生徒たちが最初に感じたものは「感受」であり、翻訳された詞が「意味」である。意味というものは、曲とはあまり関係ない。曲、つまり作品とは遠く離れた、全く別の場所にあるものなのだ。
ところで、この記事ではサイモン・フリスの主張が援用されているが、これは歌詞の意味を三つの層に分解したものらしい。
「ひとつはことばとしての「歌詞」である。それは読まれるものとしての詞であり、言語的な水準で意味作用を行なうことになる。次に「レトリック」であり、それは歌唱という言語行為が行なう、音楽的発話の特性に関わる。語調や修辞法、あるいは音楽とのマッチングや摩擦などが、単に歌詞を読むのとは異なる意味形成を生じさせる。最後に挙げられるのが「声」である。声はポップの文脈ではそれ自体が個人を指し示し、意味形成を行なう。」
この三つの層が一見もっともらしいが誤っている点は、それがリスナーにとってのどの段階で経験されることなのかが曖昧であることだ。
そもそも、作品を体験するということがどういうことかを勘違いしている。
歌を聞く時、わたしたちはなにをしているのかというと、「歌をきいている」のだ。だから第一の「ことば」と第二の「レトリック」はわけて考えられない。歌詞カードに記載された文字がリスナーに聞き取れるかどうかは歌唱に関わっている場合があるからだ。もちろん第三の層もわけられない。
とりわけ第二の「レトリック」は、全く釈然としない。ぼくはフリスのいう「レトリック」と(たぶん)近い意味で「スティル」という言葉を使っている(面白いことにどちらも文学理論からの盗用)が、「レトリック」と「スティル」の違いは、後者はフリスのいう第三の「声」がすでに内包されているという点だ。
ここで先ほどの授業(Queen)の例に戻って、如何にフリスの主張が歌詞の「意味」と感受の「過程」を無視して考えられたものか説明しよう。
ある英語の曲をきいて、その言葉の意味はわからないが、なんとなく心が動かされる状態になることがある。それは無理やり言葉で言い表すなら、例えば「感動」である。風景で言い表すなら「霧がかかった草原で少女が笑顔で……」とかそういう感じだ。
ここまでで感受過程は終了。ここで、なぜこの曲をきいて草原の絵が浮かんだのか、ということを分析しなければならない。
しかし、後に歌詞カードをみて、その曲の邦訳を読むことがあるだろう。すると、この曲は一人の少年の死への恐怖を描いたものだと判明した。(あくまでそのリスナーにとっては)
これが「意味」だ。意味とはそもそもが、あらかじめ用意された模範回答のようなもので、何者かによって求められているものなのだ。感受過程においては作品とリスナーが存在するだけだが、意味を考えるときには別の第三者が登場する。例えば「作者」とか「時代」とかだ。
とかく意味なんか考えてたらわけがわからなくなる。小学生たちはSex PistolsのAnarchy In The U.K.をきいて「これは福島復興ソングにしよう」と言うかもしれない。そうすれば大人たちは「それはおかしいだろう。これは無政府主義を歌ったもので、無政府主義というのはつまり……」という感じで「意味」によって応酬する。「意味」によって論理的に指摘されたら、生徒たちは何も言えない。反撃する余地がないのだ。
そうやって「意味」を求めたければ求めればいい。答えが知りたければ調べればいい。しかしそれは音楽を聴く、歌詞を聴く、ということとは別次元の行為だ。増田自身がいうように歌詞は「読むもの」ではなく「歌われるもの」だからだ。
作品はコミュニケーションの道具ではない。作者が作品において何かを論ずることを目的として創作したとしても、それをリスナーが感受する段階には壊れてしまう。
音楽記号学のジャン=ジャック・ナティエは次のように言っている。
「創出過程と感受過程とは必ずしも一致するわけではない。モリノが言うように「創出過程は必ずしもコミュニケーションを目的とはしていない」。つまり、人は象徴形式の痕跡を残さないことができるし、また仮に残したとしてもその痕跡に気がつかないでいることもできるのである。明らかに、音楽におけるそのような例はヴェーベルンやブーレーズの構造はむろんのことシェーンベルクの十二音列のうちに見られる。フランセス(Frances,1958)の実験はフーガ主題とその対位旋律のごときはっきりとした創出的な事実ですら聞き手に必ずしもはっきりとは伝わらない事実を大変見事に証明している」
これはもちろん当たり前のことで、そもそも何かメッセージを伝えたいのであれば音楽なんかやらずにスピーチでもした方がマシで、そういった意味付けやなんやで安心したければ後から一人ですればいいのだ。
増田、鳥賀陽弘道、ボニーピンクらのこうした話は、歌詞というものが「意味」無しには論ずることができないという前提にある。
もちろん詞は意味抜きに批評することができる。つまり書かれてある言葉の意味抜きに、ということだ。だから例え火星人が火星語でつくった詞であっても分析することができるのだ。というかできなきゃだめなのだ。
言葉の音響的機能は分析可能なものであるし、詩においてはそれは半世紀以上前に実践されている(レヴィ=ストロースとヤーコブソンにおいて)。歌詞においては旋律とアクセントやイントネーション、モーラとリズム、発声と音韻という風に、言葉と音楽の中に歌詞カードを打ち崩す要素が無数に同居する中で、それを「意味」なんかに囚われずに音響的機能という側面に徹して分析されるべきなのだ。著者はその可能性についておそらく、想像できなかったのだろう。
歌詞が「書かれたもの」でなく「歌われるもの」というようなことは別に文学者や言語学者でなくとも、作詞者にとってはごく当たり前のことなのだ。それはノーベル文学賞候補に名を連ねるボブ・ディランの「私は詩人ではない」という発言や、世に出回る歌詞本を「服のないマネキン」と揶揄したスティングの発言に如実に現れている。
リスナーはボニーピンクの曲を聞いて個人(Person)・演者(Performer)・登場人物(Character)のいずれかを想定して支持しているわけではない。ボニーピンクのその曲の、意味はわからないがかっこいい、音響的機能を支持しているのだ。ただなんとなく、かっこいいからだ。しかし批評家は、なぜこのわけのわからない似非英語を聴いて「かっこいい」と感じるのかを、「意味」抜きに考えなければならない。それが誠意ある分析というものだ。
その記事というのは、増田聡という方が書いたもの。
http://tenplusone-db.inax.co.jp/backnumber/article/articleid/1075/
内容は鳥賀陽弘道とボニーピンクの論争に始まり、歌詞とは何かを問うものだ。
普段雑誌など読まないぼくはボニーピンク論争なんか知らなかったから、ああこんなアホな論争があったんやあ、という風に楽しく読んでいた。著者の語り口もなかなかよろしい。
しかし話が歌詞そのものの役割についての話になり始めたあたりから、雲行きは怪しくなった。怪しい程度で、決して大降りの雨ではない。この増田さんとは、話せばうまが合いそうだなとは思うけれど、「こいつ何言ってんの?」と思うところもある。もとより好きな人ほど欠点が気になってしまうものだ。ということでぼくが彼の主張の中で完全に誤っていると思う部分をここに書くことにした。
歌詞について話す時になにかと話をややこしくさせてしまう「意味」というやつ。
意味とはなんぞや、とぼくは思ってしまうが…
そういえば、以前は教職をしていた父親が、何の科目だか知らないが小学校でQueenのBohemian Rhapsodyを流したらしい。
小学生たちは英語などわかるわけない。英語はわからないが、わからない言語の詞を体験するのだ。
そして父親は生徒たちに、この曲の感想をきいてゆく。
そして全員の感想を聞き終えたところで、この曲の歌詞の翻訳したものを配るのだ。そこで初めて生徒たちは「死にたくない。ときどき生まれなければよかったと思う」というような詞だったということを「知る」のだ。
生徒たちが最初に感じたものと、翻訳された詞の間には大きなギャップがあった。生徒たちが最初に感じたものは「感受」であり、翻訳された詞が「意味」である。意味というものは、曲とはあまり関係ない。曲、つまり作品とは遠く離れた、全く別の場所にあるものなのだ。
ところで、この記事ではサイモン・フリスの主張が援用されているが、これは歌詞の意味を三つの層に分解したものらしい。
「ひとつはことばとしての「歌詞」である。それは読まれるものとしての詞であり、言語的な水準で意味作用を行なうことになる。次に「レトリック」であり、それは歌唱という言語行為が行なう、音楽的発話の特性に関わる。語調や修辞法、あるいは音楽とのマッチングや摩擦などが、単に歌詞を読むのとは異なる意味形成を生じさせる。最後に挙げられるのが「声」である。声はポップの文脈ではそれ自体が個人を指し示し、意味形成を行なう。」
この三つの層が一見もっともらしいが誤っている点は、それがリスナーにとってのどの段階で経験されることなのかが曖昧であることだ。
そもそも、作品を体験するということがどういうことかを勘違いしている。
歌を聞く時、わたしたちはなにをしているのかというと、「歌をきいている」のだ。だから第一の「ことば」と第二の「レトリック」はわけて考えられない。歌詞カードに記載された文字がリスナーに聞き取れるかどうかは歌唱に関わっている場合があるからだ。もちろん第三の層もわけられない。
とりわけ第二の「レトリック」は、全く釈然としない。ぼくはフリスのいう「レトリック」と(たぶん)近い意味で「スティル」という言葉を使っている(面白いことにどちらも文学理論からの盗用)が、「レトリック」と「スティル」の違いは、後者はフリスのいう第三の「声」がすでに内包されているという点だ。
ここで先ほどの授業(Queen)の例に戻って、如何にフリスの主張が歌詞の「意味」と感受の「過程」を無視して考えられたものか説明しよう。
ある英語の曲をきいて、その言葉の意味はわからないが、なんとなく心が動かされる状態になることがある。それは無理やり言葉で言い表すなら、例えば「感動」である。風景で言い表すなら「霧がかかった草原で少女が笑顔で……」とかそういう感じだ。
ここまでで感受過程は終了。ここで、なぜこの曲をきいて草原の絵が浮かんだのか、ということを分析しなければならない。
しかし、後に歌詞カードをみて、その曲の邦訳を読むことがあるだろう。すると、この曲は一人の少年の死への恐怖を描いたものだと判明した。(あくまでそのリスナーにとっては)
これが「意味」だ。意味とはそもそもが、あらかじめ用意された模範回答のようなもので、何者かによって求められているものなのだ。感受過程においては作品とリスナーが存在するだけだが、意味を考えるときには別の第三者が登場する。例えば「作者」とか「時代」とかだ。
とかく意味なんか考えてたらわけがわからなくなる。小学生たちはSex PistolsのAnarchy In The U.K.をきいて「これは福島復興ソングにしよう」と言うかもしれない。そうすれば大人たちは「それはおかしいだろう。これは無政府主義を歌ったもので、無政府主義というのはつまり……」という感じで「意味」によって応酬する。「意味」によって論理的に指摘されたら、生徒たちは何も言えない。反撃する余地がないのだ。
そうやって「意味」を求めたければ求めればいい。答えが知りたければ調べればいい。しかしそれは音楽を聴く、歌詞を聴く、ということとは別次元の行為だ。増田自身がいうように歌詞は「読むもの」ではなく「歌われるもの」だからだ。
作品はコミュニケーションの道具ではない。作者が作品において何かを論ずることを目的として創作したとしても、それをリスナーが感受する段階には壊れてしまう。
音楽記号学のジャン=ジャック・ナティエは次のように言っている。
「創出過程と感受過程とは必ずしも一致するわけではない。モリノが言うように「創出過程は必ずしもコミュニケーションを目的とはしていない」。つまり、人は象徴形式の痕跡を残さないことができるし、また仮に残したとしてもその痕跡に気がつかないでいることもできるのである。明らかに、音楽におけるそのような例はヴェーベルンやブーレーズの構造はむろんのことシェーンベルクの十二音列のうちに見られる。フランセス(Frances,1958)の実験はフーガ主題とその対位旋律のごときはっきりとした創出的な事実ですら聞き手に必ずしもはっきりとは伝わらない事実を大変見事に証明している」
これはもちろん当たり前のことで、そもそも何かメッセージを伝えたいのであれば音楽なんかやらずにスピーチでもした方がマシで、そういった意味付けやなんやで安心したければ後から一人ですればいいのだ。
増田、鳥賀陽弘道、ボニーピンクらのこうした話は、歌詞というものが「意味」無しには論ずることができないという前提にある。
もちろん詞は意味抜きに批評することができる。つまり書かれてある言葉の意味抜きに、ということだ。だから例え火星人が火星語でつくった詞であっても分析することができるのだ。というかできなきゃだめなのだ。
言葉の音響的機能は分析可能なものであるし、詩においてはそれは半世紀以上前に実践されている(レヴィ=ストロースとヤーコブソンにおいて)。歌詞においては旋律とアクセントやイントネーション、モーラとリズム、発声と音韻という風に、言葉と音楽の中に歌詞カードを打ち崩す要素が無数に同居する中で、それを「意味」なんかに囚われずに音響的機能という側面に徹して分析されるべきなのだ。著者はその可能性についておそらく、想像できなかったのだろう。
歌詞が「書かれたもの」でなく「歌われるもの」というようなことは別に文学者や言語学者でなくとも、作詞者にとってはごく当たり前のことなのだ。それはノーベル文学賞候補に名を連ねるボブ・ディランの「私は詩人ではない」という発言や、世に出回る歌詞本を「服のないマネキン」と揶揄したスティングの発言に如実に現れている。
リスナーはボニーピンクの曲を聞いて個人(Person)・演者(Performer)・登場人物(Character)のいずれかを想定して支持しているわけではない。ボニーピンクのその曲の、意味はわからないがかっこいい、音響的機能を支持しているのだ。ただなんとなく、かっこいいからだ。しかし批評家は、なぜこのわけのわからない似非英語を聴いて「かっこいい」と感じるのかを、「意味」抜きに考えなければならない。それが誠意ある分析というものだ。
2012/06/08
こども喫煙クライシス
ぼくは最近、喘息の発作に悩まされていて、それでも喫煙の習慣をやめていない。何人かの方に「喫煙は控えた方がいいのでは?」というありがたい意見をいただいたが、それでも喫煙量は減っていない。
しかし、そういう事実を知ったところで、誰もぼくに文句はいわないだろう。余計に税金を払って買い、合法的にドラッグを楽しんでいるからだ。まあまともに働いてもないのに嗜好品だけは一丁前にしやがってと言われるかもしれないが、人間誰しもリラックスや逃避やセンス・オブ・ワンダーなものがないと生きてゆけないのだ。それが女遊びであったり、酒であったり、韓流スターであったり、カラオケであったり、ショッピングであったり、体に毒だろうが財布に毒だろうが、とにかく人にはゆとりがいる。
ぼくは高校生の頃から雑草やハーブを集めてパイプで吸ったりしていたが、それに関しても誰も文句は言わないだろう。未成年者喫煙禁止法には、喫煙とはすなわち煙草のことだとかいてあるからだ。法的に何もおかしくはない。
しかし、実をいうと、ぼくは、もしかしたら未成年者喫煙禁止法に反することをしていたのではないかと最近気がついた。というのは、ぼくは高校生といわず、可愛い赤ん坊のころから受動喫煙者だったからだ。それで未成年者喫煙禁止法について調べてみたのだが、この法律がなんとまあおかしいもので、急激に怒り心頭、危うく喘息の発作になりかねないほどの興奮を覚えたのだ。
未成年者喫煙禁止法には、以下のように明記してある。
第1条
満20歳未満の者の喫煙を禁止している。
第2条
満20歳未満の者が喫煙のために所持する煙草およびその器具について、行政処分としての没収のみが行われる。
第3条
未成年者の喫煙を知りつつも制止しなかった親権者やその代わりの監督者は、刑事罰である科料(1万円以下)に処せられる。
第4条
煙草又は器具の販売者は満20歳未満の者の喫煙の防止に資するために年齢の確認その他必要な措置を講ずるものとされている。努力義務という規定のされ方である。
第5条
満20歳未満の者が自分自身で喫煙することを知りながらたばこや器具を販売した者は、50万円以下の罰金に処せられる。
第6条
法人の代表者や営業者の代理人、使用人その他の従業者が、法人ないし営業者の業務に関して満20歳未満の者に煙草を販売した場合には、行為者とともに法人ないし営業者を前条と同様に罰する(両罰規定)。
この法律は簡単に言うと、「タバコを吸いたい未成年」のための法律である。タバコを自ら買い、おしゃれなジッポを手に入れ、ワックスで髪を無造作にし、シャツのボタンを開け、ピアスを開けた、そんな未成年者たちのための法律である。タバコは健康によろしくないらしいので、たとえ未成年者本人が「健康に悪いとは知ってるが、それでも吸いてえぜ!!」と思っているとしても未成年者には「判断能力が欠陥している」とみなされ、違法になってしまうのだ。「君たち未成年者にはポルノも喫煙も飲酒もだめさ。判断能力も責任能力もありゃしないのだから。ニコチンの過剰摂取で暴力的な人間になったらどうするんだね。ご近所の飼い犬を妊娠させちまったらどうやって責任とるんだい?」と、こういうことなのだろう。
ところで、彼らは「タバコを吸いたい未成年者」である。
一方で「喫煙する意思のない未成年者」もいる。
それが受動喫煙だ。受動喫煙は吸う意思がない人が半ば強制的にニコチンを摂取する状態だ。両親が喫煙者なら、子供は幼いころから副流煙の圏内で生活することになる。
なぜ未成年者の喫煙がだめか?
もちろん健康のためだろう。
火が危ないから?
だったらライターを規制すればいいだろう。「未成年者火気厳禁法」にすればいい。そうすれば全国の小学校で調理室は立ち入り禁止になり、線香花火は「大人のオモチャ」と呼ばれ、特撮ヒーローは消防隊員がモデルになるだろう。
ともかく、未成年者の喫煙は健康のために禁止されている。火のためなんかじゃない。
なのになぜ、受動喫煙が含まれない?
喫茶店入れば、タバコの煙が嫌な人は禁煙席に座ればいい。
しかし喫煙者の両親をもつ子供は、禁煙席を選ぶことはできない。赤ん坊だけ禁煙席にひとり座らせるわけにはいかない。両親と一緒に、喫煙席に座らせるのだ。この喫茶店の店員や両親、そして子供が、なぜ未成年者喫煙禁止法の違反にならないのだろう。この場合の子供は「タバコが体に悪いとか知ったことかね。一生の健康よりもぼくはひと時のリラックスを選ぶね。断然」と言ったわけではない。吸いたいとも吸いたくないとも判断していない状態なのだ。
ぼくはこの未成年者喫煙禁止法の意図が、目的が少しみえてきた。
この法律の目的は、「未成年者のニコチン摂取を防ぐ」ことではない。真の目的は、「未成年者の《ああ吸いてー》という意思を大人が阻害する」ということなのである。未成年者に決定権はなく、未成年者がニコチンを摂取するかどうかは「親の意思」に委ねられているのだ。
だって、「喫煙」という言葉がそもそもいい加減だ。「煙草」でも「ニコチン」でも「タール」でもない。嗅ぎタバコや受動喫煙やニコチンガムなどではない。巻かれたタバコを口に咥え、火をつけ、煙を吸い、そして吐きながらエスプレッソを一口、名刺を整理してそれから午後のプレゼンの準備をし、夜のキャバクラ接待について思案する、そういう「喫煙」のことなのだ。
ようするにだな、
「大人のマネをするな!!」
ということであり、
「ガキはおっぱい吸って寝んねしな!!」
であり、
タバコによる子供の健康被害など、もともとどうでもいいのだ。
おわかりかな?
2012/06/06
これからどうすればいい
最近喘息がひどいので、病院に行った。ぼくは物心ついたときから喘息になやまされているものの、緊急用の吸入器を持っているので、ここ何年かは病院にお世話にはなっていなかった。たまに地元に帰った時に掛かりつけの呼吸器内科にいって吸入器を手に入れればそれですんだ。しかしここ一週間は発作がひどく、緊急用の吸入器が全く効かなかった。
なので上京して初めて呼吸器内科に行くことになった。
インターネットで調べた総合病院に入ると、看護婦から、今日は呼吸器内科は休みなので内科でいいかときかれた。そんなことはホームページにはかいてなかったが、まあいい、とりあえず受診することにきめたのだ。
きいてみると、呼吸器内科は月曜日の13:30~16:30の3時間しかやっていないそうだ。一週間に3時間。ぼくは計算してみた。年間8760時間の内、144時間しか呼吸器内科が存在しない。人生の8760時間分の144時間を見計らって来院しなければならない。
出された薬は、最新のステロイド吸入器と、それから気管支を拡げる飲み薬。
ぼくは医者に「発作がおきたときはどうすればいいんですか?」ときいた。医者は、「この吸入器と飲み薬をのんでいれば、発作はおきない」といった。
「でも、でたら?」とぼくはいう。
「出た時は、君が持っている緊急用の吸入器を使えばいい」
「しかし先生、緊急用の吸入器が、効かなかったんですよ、この一週間」
「いや、このステロイド吸入器と組み合わせれば、おそらくおさまるはずだ」
(こいつ適当やな)
ぼくは診察を終え、処方箋を持って薬局にいった。
薬局では薬の説明をうける。
「この薬は、気管支を拡げる効果があり……」
「この薬を一週間のめば、ずっと気管支がひろがった状態になるんですか?」
「いや、飲むのをやめれば、気管支はもとに戻ります」
「じゃあこの薬を一生飲み続けろって言うんですか?」
「いや、一週間飲んで喘息が治る患者さんもいますから……」
「いやこっちは幼少期からずっと喘息で悩んでるんですよ。一週間で治るわけないでしょう」
「まあでもとりあえずは、発作がおきないようにした方が……」
「発作がもし起きたら?」
「もし起きたら、あなたがお使いになってる吸入器をお使いください」
「だからぼくが持ってる吸入器が効かなかったんだって」
「この薬と組み合わせれば、おそらくおさまるだろうと……」
(こいつ適当やな)
ぼくは20年悩まされている喘息の、たった一週間分の予防薬をもらい、緊急時の改善は全くなされぬまま、帰宅することになった。それなら一生分の薬をくれればいいが、そんなことはしない。
ぼくは緊急時にどうするかという対策が全くわからないまま、病院を出た。それからおいしい巻きタバコを買った。
なので上京して初めて呼吸器内科に行くことになった。
インターネットで調べた総合病院に入ると、看護婦から、今日は呼吸器内科は休みなので内科でいいかときかれた。そんなことはホームページにはかいてなかったが、まあいい、とりあえず受診することにきめたのだ。
きいてみると、呼吸器内科は月曜日の13:30~16:30の3時間しかやっていないそうだ。一週間に3時間。ぼくは計算してみた。年間8760時間の内、144時間しか呼吸器内科が存在しない。人生の8760時間分の144時間を見計らって来院しなければならない。
出された薬は、最新のステロイド吸入器と、それから気管支を拡げる飲み薬。
ぼくは医者に「発作がおきたときはどうすればいいんですか?」ときいた。医者は、「この吸入器と飲み薬をのんでいれば、発作はおきない」といった。
「でも、でたら?」とぼくはいう。
「出た時は、君が持っている緊急用の吸入器を使えばいい」
「しかし先生、緊急用の吸入器が、効かなかったんですよ、この一週間」
「いや、このステロイド吸入器と組み合わせれば、おそらくおさまるはずだ」
(こいつ適当やな)
ぼくは診察を終え、処方箋を持って薬局にいった。
薬局では薬の説明をうける。
「この薬は、気管支を拡げる効果があり……」
「この薬を一週間のめば、ずっと気管支がひろがった状態になるんですか?」
「いや、飲むのをやめれば、気管支はもとに戻ります」
「じゃあこの薬を一生飲み続けろって言うんですか?」
「いや、一週間飲んで喘息が治る患者さんもいますから……」
「いやこっちは幼少期からずっと喘息で悩んでるんですよ。一週間で治るわけないでしょう」
「まあでもとりあえずは、発作がおきないようにした方が……」
「発作がもし起きたら?」
「もし起きたら、あなたがお使いになってる吸入器をお使いください」
「だからぼくが持ってる吸入器が効かなかったんだって」
「この薬と組み合わせれば、おそらくおさまるだろうと……」
(こいつ適当やな)
ぼくは20年悩まされている喘息の、たった一週間分の予防薬をもらい、緊急時の改善は全くなされぬまま、帰宅することになった。それなら一生分の薬をくれればいいが、そんなことはしない。
ぼくは緊急時にどうするかという対策が全くわからないまま、病院を出た。それからおいしい巻きタバコを買った。
2012/05/18
いかれた遺伝子
金がなさすぎる。
近頃はどうも金がなさすぎる、と真剣に悩んでいたのだが、空腹に耐えてじっと考えていると、金がないというのは何も今に始まったことではないことに気がついた。とはいえ自慢できるほどの貧困であったわけでもない。貧困と平穏のちょうど中間あたりに、昔からずっといたのだ。ジャン・ジュネとサルトルの中間あたりに。
ぼくは高校生のころ、家の所有する車が一台ずつ姿を消え、ついに一台もなくなってしまったとき、「これはまずい」と思ったのだ。母親は家の電話がなっても出ないようになり、やがて電話線をきってしまった。このころぼくと兄は両親に『貧乏すごろく』というすごろくを手作りしてプレゼントし、本気で怒られたりしていたから、よほど精神的にまいっていて、(悪い意味で)開放的になっていたんだろう。
とにかく最近も負けじと金はなく、①おばさんに体を売る、②おじさんに体を売る、③誰にもかれにも体を売る、というくらいしか性急に金を手に入れる方法が想像できなかったので(金がないと心の余裕もなくなる)、心をリフレッシュさせるために母親に電話してみた。
(電話してみたというかぼくは家族とはほとんど毎日電話をしているんだが)
母親はいつにもまして上機嫌だった。きくと、執筆していた小説が完成したらしい。
「あんたより先に新人賞とるよ」と母親は言った。ぼくは母親がなぜ小説を書き、新人賞をとるつもりなのか全くわからない。母親がひっそりと小説を書いているという事実を知ったのもつい数週間前だった。
「最近の芥川賞なんかさあ、『きことわ』とか『苦役列車』とか、『共喰い』とかさあ……全っ然おもしろくない。ほんならおかんが書いたるわあ!」という理由で書き始めたらしい。
たとえ芥川賞受賞作品がおもしろくないにしても、なぜド素人のただのおばさんがかわりに作品を書くことになるのだろうか。その責任感は一体なんだろう。
「まあぼくの方が先に新人賞とるけど」とぼくが言うと
「いやあ、それはどうやろう」
「こっちは受賞のスピーチまで考えてるからね」
「それはおかんもや」と母親は言う。
こいつマジやな。授賞式のスピーチまで考えていやがる。
このおばさんは、キチガイのような発言をするが、その内容はどれもぼくそっくりだった。
ぼくはその後、兄に電話した。
電話で兄は、最近の短歌界を憂いていた。
曰く、最近の若手の短歌はびっくりするくらいおもんないらしい。
「やから急遽、新人賞に応募することになったわ。締切まで2週間で60首つくらんといけん」
兄は堕落した歌壇に一石を投じるべく、今から(かなり急いで)短歌をつくり始めるらしい。
母親も兄もぼくも、なぜか仕事とは関係なく文学活動を(絶対的な自信のもとに)やっているわけだ。
母親は6月に、兄は5月中に、そしてぼくも近々、新人賞に応募する。
全員が同時期に受賞し、それぞれ思い思いのスピーチをすることになるとしたら、世の中の文学少年たちはそれをみて「とんだ茶番だ」と思うことだろう。
思えば祖父もそうだった。
祖父も小説をかき、俳句をつくり、同人誌を主催していた。
まだ祖父が生きているころ、祖父の家に遊びに行くと、祖父はいつも必ず、文章を書いていた。小説と俳句を書いては、自らが主催する同人誌に載せていた。文学賞や出版社に送ったという話はきいたことがない。
ぼくのいっていた大学の教授が、『金が無くても、誰にもみられていなくても、誰からも応援されていなくても、もしくは仮に技術が全くなくても、それでもなぜか創作し続けてしまう、そういう頭のいかれた人が芸術家なんです」と言っていたし、村上隆は、自身のつくった会社で働く学生が、厳しさのあまり「ぼくには芸術は合っていないことがわかったのでやめる」といったときに、「芸術はやめるとか始めるとかいうものなのか?合うとか合わないとかいうものなのか?」ということを言っていた。
そういう意味でいえば、ぼくら三代の4名は、よほどいかれた遺伝子を受け継いでいることだろう。
芸術に携わる人が「何のためにつくるか」ということを自問自答するのは常だが、ぼくはそれに自信を持って「遺伝子のせいだ」とこたえることができる。
祖父が亡くなる一年ほど前に、一人暮らしのぼくのところへ母親から電話がきた。ちなみにそのときぼくは(本当に)カフェで小説をかいていた。
開口一番に母は
「歴史上最も強い侍ってだれかわかる?」
「は?」
「いや、歴史上最も強い……」
「は?」
「いや、じいちゃんが、がくならわかるっていうから」
なるほど、とぼくは独りごちた。
「ああ、男谷精一郎やわ」
「オタニセイイチロウ??」
その二人のシュルレアリスティックな通話からさること10年くらい前に、ぼくは祖父の家でその名前を初めてきいたのだ。
ぼくは祖父の家のこたつでごろごろしていて、祖父はこたつで(もちろん)文章を書いていた。
「がくぅ」と急に祖父がいう。本当に唐突に。
「えっ?」
「歴史上、一番、強かった、侍っちゅうのが、誰か、知らんやろう」
ぼくは当時から歴史小説が好きだったので(宮本武蔵かなあ)などと思いながらも、「知らん」と言った。
すると祖父は嬉しそうに口をひろげて笑い、
「男谷精一郎」と言った。
「オタニセイイチロウ??」
全く初耳であったし、会話はそれで終わったし、それ以降二度とその名をきくことはなかったのだが、なぜか、ぼくはそのときのことをはっきりと憶えていた。
そして祖父もそのときのことをなぜか憶えていて、なおかつぼくもそれを憶えているだろうと思ったのだ。
母親曰く、そのとき祖父はボケ始めていて、どうしてもその侍の名前を思い出せなかったらしい。そして「がくなら知っている」と言い、電話させたのだ。
そのときぼくは、カフェで小説を書きながら電話をしながら、ぼくと祖父がぴったりと重なったのを感じた。おそらくその瞬間も、祖父は何か文章を書いていたに違いない。文学者のいかれた遺伝子を持った祖父と孫が、よくわからない侍の名前でつながったのだ。
ほどなく祖父は自然死した。最後に書いた文章は一言、「サイダー」だったらしい。なんてクレイジーなんだ、おじいさん。
そんないかれた遺伝子を撒き散らした震源である祖父をよく言い表すには、彼の書いた俳句を引用する以外には方法がないだろう。
大初日
無神論者も
見て居たり
近頃はどうも金がなさすぎる、と真剣に悩んでいたのだが、空腹に耐えてじっと考えていると、金がないというのは何も今に始まったことではないことに気がついた。とはいえ自慢できるほどの貧困であったわけでもない。貧困と平穏のちょうど中間あたりに、昔からずっといたのだ。ジャン・ジュネとサルトルの中間あたりに。
ぼくは高校生のころ、家の所有する車が一台ずつ姿を消え、ついに一台もなくなってしまったとき、「これはまずい」と思ったのだ。母親は家の電話がなっても出ないようになり、やがて電話線をきってしまった。このころぼくと兄は両親に『貧乏すごろく』というすごろくを手作りしてプレゼントし、本気で怒られたりしていたから、よほど精神的にまいっていて、(悪い意味で)開放的になっていたんだろう。
とにかく最近も負けじと金はなく、①おばさんに体を売る、②おじさんに体を売る、③誰にもかれにも体を売る、というくらいしか性急に金を手に入れる方法が想像できなかったので(金がないと心の余裕もなくなる)、心をリフレッシュさせるために母親に電話してみた。
(電話してみたというかぼくは家族とはほとんど毎日電話をしているんだが)
母親はいつにもまして上機嫌だった。きくと、執筆していた小説が完成したらしい。
「あんたより先に新人賞とるよ」と母親は言った。ぼくは母親がなぜ小説を書き、新人賞をとるつもりなのか全くわからない。母親がひっそりと小説を書いているという事実を知ったのもつい数週間前だった。
「最近の芥川賞なんかさあ、『きことわ』とか『苦役列車』とか、『共喰い』とかさあ……全っ然おもしろくない。ほんならおかんが書いたるわあ!」という理由で書き始めたらしい。
たとえ芥川賞受賞作品がおもしろくないにしても、なぜド素人のただのおばさんがかわりに作品を書くことになるのだろうか。その責任感は一体なんだろう。
「まあぼくの方が先に新人賞とるけど」とぼくが言うと
「いやあ、それはどうやろう」
「こっちは受賞のスピーチまで考えてるからね」
「それはおかんもや」と母親は言う。
こいつマジやな。授賞式のスピーチまで考えていやがる。
このおばさんは、キチガイのような発言をするが、その内容はどれもぼくそっくりだった。
ぼくはその後、兄に電話した。
電話で兄は、最近の短歌界を憂いていた。
曰く、最近の若手の短歌はびっくりするくらいおもんないらしい。
「やから急遽、新人賞に応募することになったわ。締切まで2週間で60首つくらんといけん」
兄は堕落した歌壇に一石を投じるべく、今から(かなり急いで)短歌をつくり始めるらしい。
母親も兄もぼくも、なぜか仕事とは関係なく文学活動を(絶対的な自信のもとに)やっているわけだ。
母親は6月に、兄は5月中に、そしてぼくも近々、新人賞に応募する。
全員が同時期に受賞し、それぞれ思い思いのスピーチをすることになるとしたら、世の中の文学少年たちはそれをみて「とんだ茶番だ」と思うことだろう。
思えば祖父もそうだった。
祖父も小説をかき、俳句をつくり、同人誌を主催していた。
まだ祖父が生きているころ、祖父の家に遊びに行くと、祖父はいつも必ず、文章を書いていた。小説と俳句を書いては、自らが主催する同人誌に載せていた。文学賞や出版社に送ったという話はきいたことがない。
ぼくのいっていた大学の教授が、『金が無くても、誰にもみられていなくても、誰からも応援されていなくても、もしくは仮に技術が全くなくても、それでもなぜか創作し続けてしまう、そういう頭のいかれた人が芸術家なんです」と言っていたし、村上隆は、自身のつくった会社で働く学生が、厳しさのあまり「ぼくには芸術は合っていないことがわかったのでやめる」といったときに、「芸術はやめるとか始めるとかいうものなのか?合うとか合わないとかいうものなのか?」ということを言っていた。
そういう意味でいえば、ぼくら三代の4名は、よほどいかれた遺伝子を受け継いでいることだろう。
芸術に携わる人が「何のためにつくるか」ということを自問自答するのは常だが、ぼくはそれに自信を持って「遺伝子のせいだ」とこたえることができる。
祖父が亡くなる一年ほど前に、一人暮らしのぼくのところへ母親から電話がきた。ちなみにそのときぼくは(本当に)カフェで小説をかいていた。
開口一番に母は
「歴史上最も強い侍ってだれかわかる?」
「は?」
「いや、歴史上最も強い……」
「は?」
「いや、じいちゃんが、がくならわかるっていうから」
なるほど、とぼくは独りごちた。
「ああ、男谷精一郎やわ」
「オタニセイイチロウ??」
その二人のシュルレアリスティックな通話からさること10年くらい前に、ぼくは祖父の家でその名前を初めてきいたのだ。
ぼくは祖父の家のこたつでごろごろしていて、祖父はこたつで(もちろん)文章を書いていた。
「がくぅ」と急に祖父がいう。本当に唐突に。
「えっ?」
「歴史上、一番、強かった、侍っちゅうのが、誰か、知らんやろう」
ぼくは当時から歴史小説が好きだったので(宮本武蔵かなあ)などと思いながらも、「知らん」と言った。
すると祖父は嬉しそうに口をひろげて笑い、
「男谷精一郎」と言った。
「オタニセイイチロウ??」
全く初耳であったし、会話はそれで終わったし、それ以降二度とその名をきくことはなかったのだが、なぜか、ぼくはそのときのことをはっきりと憶えていた。
そして祖父もそのときのことをなぜか憶えていて、なおかつぼくもそれを憶えているだろうと思ったのだ。
母親曰く、そのとき祖父はボケ始めていて、どうしてもその侍の名前を思い出せなかったらしい。そして「がくなら知っている」と言い、電話させたのだ。
そのときぼくは、カフェで小説を書きながら電話をしながら、ぼくと祖父がぴったりと重なったのを感じた。おそらくその瞬間も、祖父は何か文章を書いていたに違いない。文学者のいかれた遺伝子を持った祖父と孫が、よくわからない侍の名前でつながったのだ。
ほどなく祖父は自然死した。最後に書いた文章は一言、「サイダー」だったらしい。なんてクレイジーなんだ、おじいさん。
そんないかれた遺伝子を撒き散らした震源である祖父をよく言い表すには、彼の書いた俳句を引用する以外には方法がないだろう。
大初日
無神論者も
見て居たり
2012/05/06
少年よ、舌がなくても喋れ
どんなに興味のある内容を話していても、それがつまらない人間であれば「何言ってんだこいつ?」と思ってしまう。内容どうこうではなく、相手の言葉の奥にある魂のようなものを瞬時に感じ取って興ざめしてしまうのだ。これはおそらく誰にでもあることだと思う。話している素材が面白いにも関わらず会話の歯車が合わず、辟易してしまう。そんなときにぼくたちは「ああ、どうして私たち人間ってこうも孤独なんでしょう」と落ち込んでしまう。非常にしょうもないことだか、そういう風にできている。だからぼくたちは「魂の叫び」なるものを無意識に信仰する。人は記号やその活用法など細々した精密機械のような繊細さでもってコミュニケーションするのではなく、得体のしれない「魂の叫び」に突き動かされるのだ!というようなよくわからない信仰である。
この熱い男気のある、パワフルな言葉は同時にすごく寒くてダサい響きも持っているので、「もっと心から言いたいことを作品にしろよ!」なんていわれた日にゃもう赤面すること山のごとしなのだ。
このパワフル且つダサい「魂の叫び」というものは、どういうものなのだろう。
松本人志がラジオで、「音楽はモノラルで十分だ」というようなことを言っていた。彼によると、彼は綺麗な音やリアルな音の再現や音量などは全くどうでもよく、「良い音楽が聴きたい」という一言につきるのだった。彼は良い音楽が聞きたいのだ。それがモノラルだろうがステレオだろうがサラウンドだろうが簡易スピーカーだろうがイヤフォンだろうが関係ない。
ぼくは人々から魂が失われるかたちを、民主主義のようなものだと理解している。ニーチェという偉い人にいわせれば、民主主義とは、独裁者がいなくなって全員が奴隷になった状態なのらしい。
音楽における民主主義とは、十二音技法とよばれる作曲法に例えることができる。十二音技法とは、オクターブ内にあるすべての音、つまり十二音を平等に使用するという非常に理論的な作曲法である。それまでは調性音楽において「主音」とよばれる独裁者が楽曲の内政をコントロールしていたが、十二音技法においては独裁者は失われ、すべての音が平等になってしまった。こに技法を用いた代表的な作曲家にシェーンベルクがいる。思想家であり作曲家のアドルノは、シェーンベルクについて次のように言っている。
「無調の時代はあんなに自由だったのに!十二音技法を始めてからのシェーンベルクは技法に囚われている。自由になるつもりが逆に疎外されている!」
十二音技法にももちろん調性はない。しかし無調と十二音とはどう違うのだろうか。これまた例え話になるが、十二音技法は独裁者のいない完全法治国家だが、無調とは独裁者のいない無政府状態、スラム街のようなものだ。
ぼくらが英語の勉強をするとき、アメリカ人の発音の変化の法則に苦労させられる。「An apple」は「アン・アップル」ではなく「アナーポー」という風に理解するが、アメリカ人が「アン・アップル」に近い発音でいうときもあるし「アン・ナーポウ」みたいなときもある。一体どうなっている?どういうときにどう発音するのだ?どういう原理に基づいて?となる。
発音は、普通は「音声学」によって指導される。音声学とは、発音の発生原理を解明する学問で、口の中の器官の活用によってこういう発音が出る、というのである。普段LとRの発音の区別をしない日本人に、舌の形などを説明することによって理解させるのだ。
ところがどっこい、この音声学というものによって発音を指導するということは、根本から間違っている。
発音は、いくらその発生の原理をもとめても全く意味がない。そのことについて、言語学のロマーン・ヤーコブソンという人が次のように説明している。
「音声学はわれわれの言語の音を、口、蓋、歯、唇などのさまざまな接触形式から導き出そうとする。だが、こうした調音点が、それだけで、きわめて本質的、決定的であるとしたら、おうむは、われわれとほとんど似ていない音声器官をもつにもかかわらず、どうして数々の言語を忠実に再現できるのか?以上の事実はいずれも、実に簡単な、しかし大多数の音声学的研究によって無視されている結論にわれわれを導く。さまざまな調音を分類しうるためには、いや、正確に記述しうるためには、と言おう、たえず次の問を発しなければならないのだ。つまり、これこれの運動行為の音響的機能は何か?と。」
『舌のない娘について』によると、現在は音声学によって「舌音」と呼ばれ、その発出が、本質的に舌の動きをともなう音として定義されるあらゆる音を、ごく小さな舌しかないのに完璧に発音できる人々について詳細に記述している。
発音についての第一人者である医者のヘルマン・グッツマンによると、ぼくたちが発するほとんどすべての音は(必要であれば)、音響的事実を変えることなしに、全く別のやり方で産出が可能であるらしい。発声器官のひとつが欠けているときは、聞き手に気づかれることもなく、他の発声器官の働きによって代用することができるのである。それは腹話術師の巧みな技術をみたことがあれば、誰でも知っていることだ。
音声学によると「歯擦音」は必ず歯を用いた発音だが、門歯がない人間でも完璧に発音できるということが ウィーンの言語学者アルノルトによって報告されている。彼によると、歯の異常が発声の誤りを引き起こす場合は、決まって主体の聴力に欠陥が見られるらしい。
音声学はただ単に一般的な発生原理を解明しているにすぎない。しかし発音する段階では、その方法は自由なのだ。
このことをヤーコブソンは、「なぜ蛇はイヴに話すことが出来たのか?」という問いによって示している。
うん、つまり、蛇は、人間のような調音器官を持っていないが、「魂の叫び」によってイヴに話しかけたのだ!!
ぼくら日本人は、日本語の発音以外の音は、基本的には「きいていない」のだ。フランス語には二種類の「え」という母音があるが、ぼくらにはほとんどその違いは聞き取れない。それは日本語では「え」は一種類だけであり、言いたいことはそれですべて伝わるからだ。この「言いたいこと」を音素という。正確に言えば、弁別的価値をもった音を音素というのだが、弁別的価値というのは、意味の区別というようなことであり、結局は意味に準ずる発音、ということなのだ。
発音がわるいやつは、耳もわるい。
うまく喋れないやつは言いたいこともない。
一方蛇やおうむは、喋ることに強い意味があった。だから喋れるのだ。
「魂の叫び」とかいうよくわからない言葉は、非常に大切だが、それはなにも得体のしれない幽霊のようなものではない。つまり弁別的価値を持った強い意思、なのだ。
「少年よ大志を抱け」という言葉がどこで誰がどんな経緯で言ったのかは知っているような知らないような感じで、「私には夢がある」や「人民による人民のための……」や「飛べない豚はただの……」や「黙れ小僧!!」のように言葉だけが濃霧のようにじーっと流れては現れる、なんとも思わない台詞になっている。がしかし、「少年よ大志を抱け」という言葉は「魂の叫び」なんかよりずっとしっくりくるし、上の牧師や豚や狼の発言にも同じような大志が感じられるのだ。
民主主義とは奴隷になることではない。奴隷になった人間は何を喋っても「何言ってんだこいつ?」ってなる。
だからモノラルだろうが無調だろうが舌がなかろうが歯がなかろうが、豚だろうが黒人だろうが、ぼくらは言いたいことがあればどうにか言う。
死に物狂いで言うのだ。
この熱い男気のある、パワフルな言葉は同時にすごく寒くてダサい響きも持っているので、「もっと心から言いたいことを作品にしろよ!」なんていわれた日にゃもう赤面すること山のごとしなのだ。
このパワフル且つダサい「魂の叫び」というものは、どういうものなのだろう。
松本人志がラジオで、「音楽はモノラルで十分だ」というようなことを言っていた。彼によると、彼は綺麗な音やリアルな音の再現や音量などは全くどうでもよく、「良い音楽が聴きたい」という一言につきるのだった。彼は良い音楽が聞きたいのだ。それがモノラルだろうがステレオだろうがサラウンドだろうが簡易スピーカーだろうがイヤフォンだろうが関係ない。
ぼくは人々から魂が失われるかたちを、民主主義のようなものだと理解している。ニーチェという偉い人にいわせれば、民主主義とは、独裁者がいなくなって全員が奴隷になった状態なのらしい。
音楽における民主主義とは、十二音技法とよばれる作曲法に例えることができる。十二音技法とは、オクターブ内にあるすべての音、つまり十二音を平等に使用するという非常に理論的な作曲法である。それまでは調性音楽において「主音」とよばれる独裁者が楽曲の内政をコントロールしていたが、十二音技法においては独裁者は失われ、すべての音が平等になってしまった。こに技法を用いた代表的な作曲家にシェーンベルクがいる。思想家であり作曲家のアドルノは、シェーンベルクについて次のように言っている。
「無調の時代はあんなに自由だったのに!十二音技法を始めてからのシェーンベルクは技法に囚われている。自由になるつもりが逆に疎外されている!」
十二音技法にももちろん調性はない。しかし無調と十二音とはどう違うのだろうか。これまた例え話になるが、十二音技法は独裁者のいない完全法治国家だが、無調とは独裁者のいない無政府状態、スラム街のようなものだ。
ぼくらが英語の勉強をするとき、アメリカ人の発音の変化の法則に苦労させられる。「An apple」は「アン・アップル」ではなく「アナーポー」という風に理解するが、アメリカ人が「アン・アップル」に近い発音でいうときもあるし「アン・ナーポウ」みたいなときもある。一体どうなっている?どういうときにどう発音するのだ?どういう原理に基づいて?となる。
発音は、普通は「音声学」によって指導される。音声学とは、発音の発生原理を解明する学問で、口の中の器官の活用によってこういう発音が出る、というのである。普段LとRの発音の区別をしない日本人に、舌の形などを説明することによって理解させるのだ。
ところがどっこい、この音声学というものによって発音を指導するということは、根本から間違っている。
発音は、いくらその発生の原理をもとめても全く意味がない。そのことについて、言語学のロマーン・ヤーコブソンという人が次のように説明している。
「音声学はわれわれの言語の音を、口、蓋、歯、唇などのさまざまな接触形式から導き出そうとする。だが、こうした調音点が、それだけで、きわめて本質的、決定的であるとしたら、おうむは、われわれとほとんど似ていない音声器官をもつにもかかわらず、どうして数々の言語を忠実に再現できるのか?以上の事実はいずれも、実に簡単な、しかし大多数の音声学的研究によって無視されている結論にわれわれを導く。さまざまな調音を分類しうるためには、いや、正確に記述しうるためには、と言おう、たえず次の問を発しなければならないのだ。つまり、これこれの運動行為の音響的機能は何か?と。」
『舌のない娘について』によると、現在は音声学によって「舌音」と呼ばれ、その発出が、本質的に舌の動きをともなう音として定義されるあらゆる音を、ごく小さな舌しかないのに完璧に発音できる人々について詳細に記述している。
発音についての第一人者である医者のヘルマン・グッツマンによると、ぼくたちが発するほとんどすべての音は(必要であれば)、音響的事実を変えることなしに、全く別のやり方で産出が可能であるらしい。発声器官のひとつが欠けているときは、聞き手に気づかれることもなく、他の発声器官の働きによって代用することができるのである。それは腹話術師の巧みな技術をみたことがあれば、誰でも知っていることだ。
音声学によると「歯擦音」は必ず歯を用いた発音だが、門歯がない人間でも完璧に発音できるということが ウィーンの言語学者アルノルトによって報告されている。彼によると、歯の異常が発声の誤りを引き起こす場合は、決まって主体の聴力に欠陥が見られるらしい。
音声学はただ単に一般的な発生原理を解明しているにすぎない。しかし発音する段階では、その方法は自由なのだ。
このことをヤーコブソンは、「なぜ蛇はイヴに話すことが出来たのか?」という問いによって示している。
うん、つまり、蛇は、人間のような調音器官を持っていないが、「魂の叫び」によってイヴに話しかけたのだ!!
ぼくら日本人は、日本語の発音以外の音は、基本的には「きいていない」のだ。フランス語には二種類の「え」という母音があるが、ぼくらにはほとんどその違いは聞き取れない。それは日本語では「え」は一種類だけであり、言いたいことはそれですべて伝わるからだ。この「言いたいこと」を音素という。正確に言えば、弁別的価値をもった音を音素というのだが、弁別的価値というのは、意味の区別というようなことであり、結局は意味に準ずる発音、ということなのだ。
発音がわるいやつは、耳もわるい。
うまく喋れないやつは言いたいこともない。
一方蛇やおうむは、喋ることに強い意味があった。だから喋れるのだ。
「魂の叫び」とかいうよくわからない言葉は、非常に大切だが、それはなにも得体のしれない幽霊のようなものではない。つまり弁別的価値を持った強い意思、なのだ。
「少年よ大志を抱け」という言葉がどこで誰がどんな経緯で言ったのかは知っているような知らないような感じで、「私には夢がある」や「人民による人民のための……」や「飛べない豚はただの……」や「黙れ小僧!!」のように言葉だけが濃霧のようにじーっと流れては現れる、なんとも思わない台詞になっている。がしかし、「少年よ大志を抱け」という言葉は「魂の叫び」なんかよりずっとしっくりくるし、上の牧師や豚や狼の発言にも同じような大志が感じられるのだ。
民主主義とは奴隷になることではない。奴隷になった人間は何を喋っても「何言ってんだこいつ?」ってなる。
だからモノラルだろうが無調だろうが舌がなかろうが歯がなかろうが、豚だろうが黒人だろうが、ぼくらは言いたいことがあればどうにか言う。
死に物狂いで言うのだ。
2012/04/18
ワンダ・ティナスキー事件
1980年代にアメリカの北カリフォルニア、メンドシーノ郡を中心に巻き起こった、文学界の騒動がある。
事件は『The Anderson Valley Advertiser(AVA)』というメンドシーノ郡のローカル新聞社宛てに、ワンダ・ティナスキーという謎の女から手紙が届いたことに始まる。女は自称ホームレスだった。彼女の文章は非常に優れていて、圧倒的な知識もさることながら、当時の様々なアーティストや政治や歴史やポップカルチャーなどについて、痛烈に批判したり嘲笑したりするものだった。とりわけ様々な俗語を交えたコミカルな文体が特徴的で、AVA編集長のブルース・アンダーソンがそれに食いついた。アンダーソンはティナスキーに挑発的な返信をして、彼女も隠喩に満ちた詩などで応戦したらしい。
しばらくそのやりとりが続き、ティナスキーが送った手紙などは80通にも及んだらしい。彼女の名はAVA内を駆け巡ったが、それはただの「天才的なおばちゃん」というくらいのものだったかもしれない。あるいは誰もティナスキーがホームレスだなどとは信じていなかったかもしれない。
ちなみにこのメンドシーノのという北カリフォルニア海岸沿いの地域は、レッドウッドなどの針葉樹林が有名で、カリフォルニアワインの名産地としても知られている。カリフォルニアで初めて非営利団体が森林を所有(保護)したのはこのメンドシーノなのである。
そんな中、1988年にポストモダンの巨人トマス・ピンチョンが『ヴァインランド』を出版した。
トマス・ピンチョンといえば、アメリカを代表する「謎の作家」であり、姿もわからなければ居所もわからないし、前作『重力の虹』というとんでもなく重量級で錯綜し尽くしたような作品が全米図書賞を受賞し、そこから17年も沈黙していた、半ば「伝説」のような作家だった。世間に姿を表さない彼の徹底ぶりはサリンジャーも及ばぬほどで、処女長編刊行のときにはすでに山奥に逃げていたらしい。
顔も(ほとんど)わからない伝説の作家が17年の沈黙を破って新作を出したのだ。
舞台は北カリフォルニアのヴァインランドという町。レッドウッドに囲まれたこの街でヒッピー二世代が繰り広げるドグマ劇……。
ちなみに刊行当時の状況は、アメリカ文学の山形浩生が次のように言っている。
「重力の虹」は「読みにくい」、と評判の小説だった。確かにその通りで、文章一つが一ページくらい続いていて、途中に関係代名詞がボコボコ入り、次々に脱線して、文章の最後までくる頃には、文の頭で何が書いてあったのかさっぱりわからなくなっているという案配だったのだが、この新作「ヴァインランド」では一つの文がせいぜいページの半分まででとどまっており、多少読みやすい。するとみんな、「ピンチョンもヤワになった」「軟弱だ」と悪口を言うのだから、勝手なもんである。
しかし、一応ピンチョンなので、この本もいろいろ話題にはなった。特にイギリス版の出版はかなりアレだったらしい。なんでも、版権を申請してきた出版社の代表が集められ、原稿が一つずつ手渡されてからカンズメにされて、感想文を書かされた後で入札になった、とかいう信じられないような話が伝わっている。むろんその原稿はあとですべて回収され、絶対に外にもれないよう細心の注意が払われた。その注意というのが、表紙の絵を担当した人物が、イメージをつかみたいから読ませろ、と要求したら、それすら拒絶されたというスゲーものだったらしい。
AVA編集長ブルース・アンダーソンはすぐに『ヴァインランド』を読んで、驚いた。数年前からワンダ・ティナスキーが書き送っていた手紙に、文体やテーマや言及される対象などまでが酷似していた。ヴァインランドという架空の街は、メンドシーノにそっくりだった(実際、その辺りの架空の町の話なのだ)。そして彼はすぐに確信した。
「ワンダ・ティナスキーはトマス・ピンチョンだ」と。
このスキャンダルは一躍文学界を駆け巡り、メンドシーノ住民の町おこしも兼ね備わり(そしてもの好きの陰謀論者たちも加わり)一大センセーションを巻き起こす。
ワンダ・ティナスキーの手紙の数々はまとめて『The Letters of Wanda Tinasky』として出版されているらしい。
文学研究のスティーブン・ムーアはワンダ・ティナスキーとトマス・ピンチョン同一人物説を裏付ける証拠としてつぎのように言っている。(『無政府主義的奇跡の宇宙』より)
◎ティナスキーは、ある手紙の中で、60年代にボーイング社に勤めていたと書いている。
◎「エイティ・シックス」(「シカトする」の意)などの俗語、洒落、歌詞、語句や文を並列する表現法、文学的引用など、両者の文体的類似点が多い。
◎細かく両者を見比べると、『ヴァインランド』とティナスキーの文章に共通して登場する要素が多く見られる。「ブレント・マスバーガー」というスポーツ・キャスターへの言及、『キング・コング』、『ゴースト・バスターズ』などの映画やテレビ番組や漫画のキャラクターへの言及、CAMP(「マリファナ栽培撲滅運動」)に反発する発言など。
その後ティナスキーからの手紙はピタリと来なくなってしまった。
もちろん、ピンチョンも(エージェントを通して)疑惑を否定している。
そしてここからが、日本語版Wikipediaにも木原善彦『トマス・ピンチョン 無政府主義的奇跡の宇宙』にも(なぜだか)書かれていないお話なのだ。
1998年に、シェイクスピア研究者であり自称「文学探偵」らしいドン・フォスターという男の主張により、ワンダ・ティナスキーの新たな正体が浮上した。
トム・ホーキンズというビート詩人だ。
ホーキンズはメンドシーノ郡で生活のために盗みや詐欺を繰り返して暮らしていたらしいが、1988年に妻を殴り殺し、そして自分は崖から飛び降りて自殺している。
つまり、ワンダ・ティナスキーの正体は、人殺しだった。
この殺人者がティナスキーだという根拠はどこにあるか。
1963年にホーキンズが「タイガー・ティム」の名義で出版した「Eve, the Common Muse of Henry Miller & Lawrence Durrell 」という本の中で、彼は「ウィリアム・ギャディスとジャック・グリーン同一人物説」を主張している。ウィリアム・ギャディスはご存知ポストモダンの最重要人物であるが、ジャック・グリーンという人はギャディスの研究者として知られる人物である。
そして、同じ「ギャディス=グリーン説」が、ワンダ・ティナスキーの手紙の中にも出てくるのだ。さらにティナスキーは手紙の中で「ギャディス=ピンチョン説」まで主張していたのだ。つまり「ギャディス=グリーン=ピンチョン説」である。(どこまでマジかはさて置き)
もし仮にAVA編集長のブルース・アンダーソンの「ティナスキー=ピンチョン説」を加えることが可能なら、つまりはこうなる。
「ギャディス=グリーン=ピンチョン=ティナスキー説」
なんともややこしい。
とにかく、ティナスキーの主張と同じことを、トム・ホーキンズは言っていたのだ。さらにホーキンズもボーイング社に勤めていた経験がある。そしてAVAに手紙が来なくなったくらいに彼は妻を殺し、自殺した。
そこでトム・ホーキンズとワンダ・ティナスキーが同一人物ではないか、という話になるのだ。
どんな巡り合わせか、ホーキンズが死んですぐに、ピンチョンの『ヴァインランド』が出版されるのだ。おそらく少なくとも、ティナスキーがピンチョンを意識していたことは明白だ。ピンチョンは『ヴァインランド』執筆中に、実際に北カリフォルニアに住んでいたと言われているから、ティナスキーはひょっとするとどこかでピンチョンに遭遇し、議論を交わすうちに知的好奇心をくすぐられたか、もしくは超話題作家に激しい嫉妬でもしたのかもしれない。まあピンチョンがその正体を明かすわけがないにしても。
ワンダ・ティナスキーの書簡集はすでに出版されているが、それなのに未だ、ティナスキー本人が名乗り出てこない。本当にホームレスなら、印税がっぽりいただきたいと思いそうだが。
あるいは彼女は、もうこの世にはいないのかもしれない。
ちなみに、山形浩生も、東京でピンチョンらしき人物に会って山手線に乗ったりゴジラについて語ったりしたという都市伝説のようなジョークのような話を書いている。つまりは、ピンチョンという生きる伝説が、ありもしない様々な憶測と妄想でもって文学好きのロマンを掻き立てるような、格好の対象なのだろう。
まあピンチョンは、アメリカ人独特のパラノイア的性格(ぼくの世代だと9.11以後にそれを露骨に感じたと思う)をかいてきた人だから、それはそれでピンチョンらしい利用のされ方ではあると思う。
最後に、木原善彦がワンダ・ティナスキーの手紙の一部を訳しているので、引用して終わりたい。
正直言って、詩ってみんなにとって大事なものだと思います。きれいな空気や食べ物や水がみんなにとって大事なのと同じように。私だって馬鹿じゃありません。アメリカ人が三ポンド一ドルのバナナを買っている影で人々が殺されているのはわかっています。人類の大半がお腹をすかしたまま床に就いて、お腹をすかしたまま目を覚ましていることも知っています。地球の富の大半がこの国にやってきて、莫大なゴミに変わるのも知っています。アダムとともに生まれた種、私の仲間の生き物たちが、一時間ごとにこの世から消えているのも知っています。虚栄と恐怖と憎悪のために地球が汚染されて滅亡に向かっていることもわかっていますし、私自身にも虚栄や恐怖や憎悪の気持ちがあることは知っています。それに対する直接の答え、究極の答えが詩だと思うのです。詩は詩神(ミューズ)の言葉なのです。詩神は凝った比喩なんかとは全然違う場所に存在しているのです。
事件は『The Anderson Valley Advertiser(AVA)』というメンドシーノ郡のローカル新聞社宛てに、ワンダ・ティナスキーという謎の女から手紙が届いたことに始まる。女は自称ホームレスだった。彼女の文章は非常に優れていて、圧倒的な知識もさることながら、当時の様々なアーティストや政治や歴史やポップカルチャーなどについて、痛烈に批判したり嘲笑したりするものだった。とりわけ様々な俗語を交えたコミカルな文体が特徴的で、AVA編集長のブルース・アンダーソンがそれに食いついた。アンダーソンはティナスキーに挑発的な返信をして、彼女も隠喩に満ちた詩などで応戦したらしい。
しばらくそのやりとりが続き、ティナスキーが送った手紙などは80通にも及んだらしい。彼女の名はAVA内を駆け巡ったが、それはただの「天才的なおばちゃん」というくらいのものだったかもしれない。あるいは誰もティナスキーがホームレスだなどとは信じていなかったかもしれない。
ちなみにこのメンドシーノのという北カリフォルニア海岸沿いの地域は、レッドウッドなどの針葉樹林が有名で、カリフォルニアワインの名産地としても知られている。カリフォルニアで初めて非営利団体が森林を所有(保護)したのはこのメンドシーノなのである。
そんな中、1988年にポストモダンの巨人トマス・ピンチョンが『ヴァインランド』を出版した。
顔も(ほとんど)わからない伝説の作家が17年の沈黙を破って新作を出したのだ。
舞台は北カリフォルニアのヴァインランドという町。レッドウッドに囲まれたこの街でヒッピー二世代が繰り広げるドグマ劇……。
ちなみに刊行当時の状況は、アメリカ文学の山形浩生が次のように言っている。
「重力の虹」は「読みにくい」、と評判の小説だった。確かにその通りで、文章一つが一ページくらい続いていて、途中に関係代名詞がボコボコ入り、次々に脱線して、文章の最後までくる頃には、文の頭で何が書いてあったのかさっぱりわからなくなっているという案配だったのだが、この新作「ヴァインランド」では一つの文がせいぜいページの半分まででとどまっており、多少読みやすい。するとみんな、「ピンチョンもヤワになった」「軟弱だ」と悪口を言うのだから、勝手なもんである。
しかし、一応ピンチョンなので、この本もいろいろ話題にはなった。特にイギリス版の出版はかなりアレだったらしい。なんでも、版権を申請してきた出版社の代表が集められ、原稿が一つずつ手渡されてからカンズメにされて、感想文を書かされた後で入札になった、とかいう信じられないような話が伝わっている。むろんその原稿はあとですべて回収され、絶対に外にもれないよう細心の注意が払われた。その注意というのが、表紙の絵を担当した人物が、イメージをつかみたいから読ませろ、と要求したら、それすら拒絶されたというスゲーものだったらしい。
AVA編集長ブルース・アンダーソンはすぐに『ヴァインランド』を読んで、驚いた。数年前からワンダ・ティナスキーが書き送っていた手紙に、文体やテーマや言及される対象などまでが酷似していた。ヴァインランドという架空の街は、メンドシーノにそっくりだった(実際、その辺りの架空の町の話なのだ)。そして彼はすぐに確信した。
「ワンダ・ティナスキーはトマス・ピンチョンだ」と。
このスキャンダルは一躍文学界を駆け巡り、メンドシーノ住民の町おこしも兼ね備わり(そしてもの好きの陰謀論者たちも加わり)一大センセーションを巻き起こす。
ワンダ・ティナスキーの手紙の数々はまとめて『The Letters of Wanda Tinasky』として出版されているらしい。
文学研究のスティーブン・ムーアはワンダ・ティナスキーとトマス・ピンチョン同一人物説を裏付ける証拠としてつぎのように言っている。(『無政府主義的奇跡の宇宙』より)
◎ティナスキーは、ある手紙の中で、60年代にボーイング社に勤めていたと書いている。
◎「エイティ・シックス」(「シカトする」の意)などの俗語、洒落、歌詞、語句や文を並列する表現法、文学的引用など、両者の文体的類似点が多い。
◎細かく両者を見比べると、『ヴァインランド』とティナスキーの文章に共通して登場する要素が多く見られる。「ブレント・マスバーガー」というスポーツ・キャスターへの言及、『キング・コング』、『ゴースト・バスターズ』などの映画やテレビ番組や漫画のキャラクターへの言及、CAMP(「マリファナ栽培撲滅運動」)に反発する発言など。
その後ティナスキーからの手紙はピタリと来なくなってしまった。
もちろん、ピンチョンも(エージェントを通して)疑惑を否定している。
そしてここからが、日本語版Wikipediaにも木原善彦『トマス・ピンチョン 無政府主義的奇跡の宇宙』にも(なぜだか)書かれていないお話なのだ。
1998年に、シェイクスピア研究者であり自称「文学探偵」らしいドン・フォスターという男の主張により、ワンダ・ティナスキーの新たな正体が浮上した。
トム・ホーキンズというビート詩人だ。
ホーキンズはメンドシーノ郡で生活のために盗みや詐欺を繰り返して暮らしていたらしいが、1988年に妻を殴り殺し、そして自分は崖から飛び降りて自殺している。
つまり、ワンダ・ティナスキーの正体は、人殺しだった。
この殺人者がティナスキーだという根拠はどこにあるか。
1963年にホーキンズが「タイガー・ティム」の名義で出版した「Eve, the Common Muse of Henry Miller & Lawrence Durrell 」という本の中で、彼は「ウィリアム・ギャディスとジャック・グリーン同一人物説」を主張している。ウィリアム・ギャディスはご存知ポストモダンの最重要人物であるが、ジャック・グリーンという人はギャディスの研究者として知られる人物である。
そして、同じ「ギャディス=グリーン説」が、ワンダ・ティナスキーの手紙の中にも出てくるのだ。さらにティナスキーは手紙の中で「ギャディス=ピンチョン説」まで主張していたのだ。つまり「ギャディス=グリーン=ピンチョン説」である。(どこまでマジかはさて置き)
もし仮にAVA編集長のブルース・アンダーソンの「ティナスキー=ピンチョン説」を加えることが可能なら、つまりはこうなる。
「ギャディス=グリーン=ピンチョン=ティナスキー説」
なんともややこしい。
とにかく、ティナスキーの主張と同じことを、トム・ホーキンズは言っていたのだ。さらにホーキンズもボーイング社に勤めていた経験がある。そしてAVAに手紙が来なくなったくらいに彼は妻を殺し、自殺した。
そこでトム・ホーキンズとワンダ・ティナスキーが同一人物ではないか、という話になるのだ。
どんな巡り合わせか、ホーキンズが死んですぐに、ピンチョンの『ヴァインランド』が出版されるのだ。おそらく少なくとも、ティナスキーがピンチョンを意識していたことは明白だ。ピンチョンは『ヴァインランド』執筆中に、実際に北カリフォルニアに住んでいたと言われているから、ティナスキーはひょっとするとどこかでピンチョンに遭遇し、議論を交わすうちに知的好奇心をくすぐられたか、もしくは超話題作家に激しい嫉妬でもしたのかもしれない。まあピンチョンがその正体を明かすわけがないにしても。
ワンダ・ティナスキーの書簡集はすでに出版されているが、それなのに未だ、ティナスキー本人が名乗り出てこない。本当にホームレスなら、印税がっぽりいただきたいと思いそうだが。
あるいは彼女は、もうこの世にはいないのかもしれない。
ちなみに、山形浩生も、東京でピンチョンらしき人物に会って山手線に乗ったりゴジラについて語ったりしたという都市伝説のようなジョークのような話を書いている。つまりは、ピンチョンという生きる伝説が、ありもしない様々な憶測と妄想でもって文学好きのロマンを掻き立てるような、格好の対象なのだろう。
まあピンチョンは、アメリカ人独特のパラノイア的性格(ぼくの世代だと9.11以後にそれを露骨に感じたと思う)をかいてきた人だから、それはそれでピンチョンらしい利用のされ方ではあると思う。
最後に、木原善彦がワンダ・ティナスキーの手紙の一部を訳しているので、引用して終わりたい。
正直言って、詩ってみんなにとって大事なものだと思います。きれいな空気や食べ物や水がみんなにとって大事なのと同じように。私だって馬鹿じゃありません。アメリカ人が三ポンド一ドルのバナナを買っている影で人々が殺されているのはわかっています。人類の大半がお腹をすかしたまま床に就いて、お腹をすかしたまま目を覚ましていることも知っています。地球の富の大半がこの国にやってきて、莫大なゴミに変わるのも知っています。アダムとともに生まれた種、私の仲間の生き物たちが、一時間ごとにこの世から消えているのも知っています。虚栄と恐怖と憎悪のために地球が汚染されて滅亡に向かっていることもわかっていますし、私自身にも虚栄や恐怖や憎悪の気持ちがあることは知っています。それに対する直接の答え、究極の答えが詩だと思うのです。詩は詩神(ミューズ)の言葉なのです。詩神は凝った比喩なんかとは全然違う場所に存在しているのです。
ぼくはこのバージョンの表紙が結構好き。
レッドウッドと忍者とストラトとヘリと。
世界文学全集にも収録されてるから、現在本屋に置いてある『ヴァインランド』は三種類。
このバージョンはボブ・ディランとピンチョンについてかかれてある訳者解説が面白い。
2012/04/11
優先座席は爆破した方が良い。
友人がこんな体験談をきかせてくれた。
Mさんは、通勤するために電車に乗り、優先座席に座った。Mさんはまだ20代前半の、健康な女性だ。Mさんは、横の座席に座っていた中年男性からの強い視線を感じたが、無視していた。すると、中年男性は立ち上がり、すぐそばに立っていた女の子(小学生くらいか)に、「お嬢ちゃん、どうぞ座って」と言った。中年男性は立って、女の子は座る。駅に着くと女の子は立っている母親に「あのおじちゃんにお礼を言わないとね!」と言って立ち上がり、中年男性に「ありがとうございました!」と大声で言って電車をおりた。
この話をきいて、ぼくはMさんに「その男性は、これ見よがしに聖教新聞など読んでおられなかったか?」と聞いたが、どうも違うらしい。
この話をきいてにわかに沸騰してきた怒りをぼくはどういう風に説明すれば良いだろうか。
「そいつオカマ野郎やな」という一言でよろしいのだが、もう少し具体的に問題点を指摘してみたいとも思った。
ぼくは常々、優先座席の存在や車内の様々な暗黙のルール、暗黙の了解、良識、常識、マナー、というものに疑問を感じていたし、ブログにも何度も書いたことはあるのだが、もはやこの怒りはおさまらない。これを私は反逆行為とみなし、これより戦争状態に突入することを宣言する。
電車内では、お年寄りや体の不自由な方が乗車したときには、健康な若者は席を譲るというのがマナーである。譲るだけではなく、「どうぞ」と一声かけたりもする。
電車内では、健康な若者は、高齢化社会の日本において老人を敬う心を忘れてはならず、すぐさま彼らに敬意を表し、敬礼とともに「太平洋戦争はご苦労様でした」と頭の中で思いながら、席を譲るというのが、良識な行為だとされている。
電車内では、体の不自由な方は、立ったままにしておいては転倒などして危険であるばかりか、松葉杖などの凶器を持ち込む大変危ない存在であり、被害を被らない為に、その予防策として席を譲る、というのが経験上の得策である。
電車内では、体の不自由な方は「社会的弱者」であり、ほとんどの方が精神的にも臆病であり、他人に自ら声をかけて席を譲ってもらうなどという一人前の行為が出来ないので、普通は健康な若者が先に声をかけて席を譲る、というのが正当な順番である。
電車内では、すべてのお年寄りは体が弱いのである。生物学的には「死にもっとも近い人間」という根拠がある。
電車内では、すべての若者は健康状態である。
電車内では、かつてアメリカが白人専用の座席を設けていたように「人を外見で差別し、悪いことをする」という行為を恥ずべき行為であるとして、日本では逆に、「人を外見で差別し、良いことをする」という素晴らしい発想に至った。
電車内では、ただ席を譲るというだけではなく、「どうぞ」と大きい声で言うことにより、周りの乗客に対してのアピールとなり、優先座席という素晴らしい道徳を普及させることも重要だ。
電車内では、老人の意思には全く関係なく、もしくは老人の主義や健康状態など全く関係なく、一方的に席を譲るべきである。
電車内では、座席を譲った若者は、たとえ老人に「私はまだそんな歳じゃない」と叱られて断られたとしても、正義の行いをしたことは賞賛に値する。
電車内では、一般的に、座席を譲られた老人は、「ありがとうございます」と言わなければ「非常識」とされる。
電車内では、すべての席が良識的な席であり、老人や体の不自由な方が立ったままで良いというような車両は基本的には存在しない。
電車内では、とはいえ、なかなか声をかけることに勇気がいるし座席を譲るのが難しい場合もあるので、特別に「優先座席」もしくは「シルバーシート」という名前の、色の違う座席を「すみの方」に設けている。
電車内では、各車両のすみに特別に「優先座席」を設けているので、老人や体の不自由な方は、車両のすみに集中し、健常者は車両の中心に集まる。
電車内では、健常者が座る席と、老人や体の不自由な方が座る席は、色によって区別されている。
電車内では、老人が立っているにも関わらず、無視して座ったままでいる若者は、その若者の健康状態や主義や心理状態に全く関係なく、「非常識な若者」と認識される。
電車内では、老人とは、「見た目が年老いている人」のことである。
電車内では、座席を譲る行為は義務ではないにも関わらず、様々な報告例があり、日本人は大変良識があるとされる。
電車内では、座席を譲る行為は「思いやり」に基づいており、「思いやり」は正義であるという大前提がある。
ぼくは電車内では、自分に何のルールも設けていない。基本的には、どんな場合でも座席に座るし、人には席など譲らない。先輩と一緒に乗車するときには先輩に席を譲ったりするし、彼女と乗る時は彼女に席をゆずったりする。なんとなくしんどい時には、彼女より先にぼくが座ったりもする。だが赤の他人に席を譲ることはない。
しかし、目の前に立つ人を見て、「この人は座った方がいいな」と思い、なおかつ座席が全く空いていないときには、ぼくは黙って立ってその場から消える。それはその相手に対する思いやりなどでは全くなく、自分が気が済まないからだ。だからぼくは黙って席を立ってその場から消える。その後、全く別の人がそこに割り込んで座ったとしても全く関係ない。誰が座ろうとかまわない。ぼくは黙って席をたつだけだ。「どうぞ」なんて一言は絶対にかけない。「どうぞ」なんて言うやつは死んだ方がましだ。どんな権利を持って他人に着席を強要できるというんだろう。満員電車で立つ多くの客の中で、一体どんな根拠を持ってその客を座らせるべきだと判断できるのか。どんな人間も、ときには不調であったり、ときには快調であったりする。快調なときでさえもどうしても座りたいときもある。他人から席を譲られることを恥じる人もいる。全員が乗車料を払って乗車している。なんの根拠があって、一方的に正義を押し付けるような権利があるのだろう。ぼくは絶対に席など譲らない。ただ席をたって消えるだけだ。後のことは知らない。基本的には、どんな時でも座る。他人のことなど知ったことではない。
正義があるとしたら、それは自分一人のものだ。他人にとやかく言うものじゃない。もし自分が座席に座っていることで猜疑心に悩まされるなら、黙ってその場から立ち去るべきだ。「どうぞ」なんて声をかけるくらいなら被曝するか射殺される方がいい。
電車内に、包丁を持った男性が乗車したとして、その男性に「包丁は危険ですよ」と声をかけたりはしないだろう。もし「正義」によって何かをするとしたら、黙って電車をおりて、車掌に知らせるだろう。それは自分が助かるだけではなく他の乗客にも助かって欲しいと思うからだ。誰でもわかることだ。
しかしなぜ電車内にババアが乗車したしたときには、黙っていられないのか。なぜ「どうぞ」などと言いたがるのか。
そればかりか、色の違う座席を用意して、「弱者」をそこに押し込めようとする。収容しようとする。これはアメリカの白人専用の座席とは真逆の差別だ。老人や体の不自由な方は奴隷なのか?いっそのこと【老人収容所】とでもかけばいい。老人は目障りだから、車両のすみに移動してくれと言えばいい。それが堂々たる差別行為だ。差別行為を「正義」の名の下に詐称しないでほしい。差別を「思いやり」という言葉で転換しないでほしい。差別するなら堂々たる態度で差別するべきだ。アメリカは堂々と差別したから、黒人は社会的には奴隷だったが、人間であることは一度もやめていない。しかし「思いやり」が老人を奴隷にするなら、そして老人自身がそれに疑問を抱かないなら、それは彼らは心の中まで奴隷になってしまう。
電車内には不思議な常識がたくさんある。通話を禁止する意味もわからないし、優先座席では電源すら切らなくてはならない。
ペースメーカーに障害をあたえるという話があるが、全くおかしな話だ。
これについては、総務省が2006年に800MHz帯の携帯端末を利用した調査報告をしている。
以下、『電波の医療機器への影響に関する調査結果』より引用。
(1) 植込み型心臓ペースメーカについては、ペーシング機能への影響(注1)を生じる場合があることが確認されました。この影響は、携帯電話端末を遠ざければ正常に復する可逆的なもので、最も遠く離れた位置でこの影響が確認されたときの距離(最大干渉距離)は3cmでした。
(2) 植込み型除細動器については、ペースメーカ機能及び除細動機能のいずれに対しても影響は確認されませんでした。
注1 ペーシング機能への影響:外部からの電波の影響により以下の状態が発生すること。
(1) 心臓ペースメーカ等が設定された周期でペーシングパルスを発生している状態において、外部からの電波の影響を受けたことによりペーシングパルスが抑圧され、又は、設定された周期からのずれが発生してしまった状態。
(2) 心臓ペースメーカ等のペーシングパルスが抑圧されている状態において、外部からの電波の影響を受けたことによりペーシングパルスが発生してしまった状態。
注2 本調査では、植込み型医療機器へ及ぼす影響が最大となるよう、携帯電話端末の送信出力を最大にするなどの厳しい条件で試験をしており、調査結果(最も遠く離れた位置で影響が確認された距離等)を通常の通信状態における携帯電話方式間の比較に用いることは適当ではありません。
以上引用。
端末の送信出力を最大にした「厳しい条件」で、「可逆的な」影響がある最大の距離が3cmだ。
もちろん、携帯端末が原因で死亡した報告例は一件もない。
電車内で大声で通話したりしないということは、ただのマナーであって、マナーとはただの文化だ。文化は科学によってとやかく言われるものではない。私たちは、「電車内ではあまりうるさくしてはいけない」という日本人独特の文化によって、気をつかったりするのだ。そこに根拠など必要ない。ただの文化でいいのだ。
こと間違った科学によってマナーが「ルール」になってしまったら、本末転倒もいいところだ。
2012/04/07
同調するなら金を出せ
われらがヒーロー、曙が相撲をやめて2003年にK-1デビューし、ボブ・サップ相手に1ラウンドKO負けしたとき、誰もが「むむむむ。まあ、そうか」と思っただろう。
勝つか負けるかはよくわからなかった。曙ほどの相撲の達人なら、いくら当時輝かしい野獣の名をほしいままにしていた魔人ボブ・サップ相手とはいえ、「こりゃ、もしかするとわからんぞ」ってな気分だった。
しかし、これはこれ、あれはあれだった。無関係なことなのだ。すぐ負けた。
「まあ、そうか」
しかし世の中どうもこれはこれ、あれはあれとは考えることができないときがある。一度人間に信頼を寄せてしまうと、関係ないものまで根拠なしに受け入れてしまうものだ。
エルメスのバーキンとジェーン・バーキンが「影響」という点でしか関係がなかったとしても、買う人にとってはあまり関係なかったりする。しかしそれはいい。
ボブディランの歌は、とりわけ歌詞が素晴らしいが、なぜノーベル文学賞の候補に毎年上がるのだろうか。歌詞はもちろん文学ではない。歌詞は旋律とともにあるから。でも、これも、歌詞が文学とごっちゃになって取り違えてしまう気持ちはそれほどわからないでもない。
しかしU2のボノがなぜノーベル平和賞の候補になるのかということはまったくおかしな話だ。ボノが作る曲は素晴らしいが、それが即ち彼の政治的発言の正しさを証明しているかのような手放しの称賛を受けている。グラサン野郎の主張の正当性を考えるよりも先に、音楽に魅了されるのだ。良い声良い髭のボノはファンに「この音楽に同調するなら金を出せ」と言っているように思えるが、まず音楽とは語るものではないし、論ずるものでもない。音楽は音楽だ。あれはあれ、これはこれ、だ。
良い髭のアイリッシュ野郎の行動が恐ろしいと感じるのは、彼の主張がすべて正義に基づいているからだ。彼は正しい。例え社会学や科学的に間違った発言をしたとしても、根本的には正義という倫理観が彼を支えている。寄付することで飢餓問題が解決しないとしても、寄付自体は正義なのだ。だからやれよ、ということなのだ。
作家の高橋源一郎はそういうようなことを「正しさへの同調圧力」と呼んだけど、これぞ言い得て妙だ。「一緒にシャブ買おう」と言われたら「ほっといてくれ」と言い返すことができるが、「シャブなんかやめろ!」と言われれば「ほっといてくれ」とは言えない。正義に基づいた主張だからだ。
しかし人はみな自分で考える。それが正義にしろ悪にしろ「同調圧力」になった途端「思考停止」してしまう。有無をも言わさず正義に参加させられちまう。それが正義かどうか考える暇もないうちに。正義のレイプ。サンデル教授の熱血レイプだ。血の日曜日だ。
人間の良し悪しがその政治的に良いイメージにつながるのなら、またその逆もある。ノーベル平和賞を受賞したアル・ゴアがその良い例だ。彼の主張が正しいという理由はただひとつ、「ノーベル平和賞を受賞したから」だ。こんな不都合な話もない。
内容ではなく人間を信用してしまえば、それは思考停止になってしまう。芸術に例えるなら、作品ではなく作者をみている状態だ。『KID A』が素晴らしければ、必ず次のアルバムも素晴らしい。それは「レディオヘッド」が素晴らしいからだ。そんなことってあるだろうか。
それは熱狂的なファンの心理だ。ファンは作品をみない。ファンは一人残らず頭の中すっからかんの奴隷野郎だ。ファンはアーティストが出した作品も、発言も、行動も賞賛する。
お気に入りのアパレルブランドがあれば、その系列店も素晴らしいと考えるのは妥当だろうか。
先日、Mさん一行と食事に行った。Mさんは「めちゃくちゃおいしいフォー」が食べられる店があるといって案内してくれた。しかし行き着いた場所は、韓国料理店になっていた。Mさんが店員に「ここベトナム料理屋だったよね」ときくと、店員は「この店にかわったんです。でも同じ系列店です」と言った。その発言に対してMさんは「同じ系列店かどうかは、知らん」と言ったが、ぼくも完全に同意だった。フォーが食いたいのだ。同じ系列店かどうかは知らん!あれはあれ、これはこれ、だ。
ボノの音楽が素晴らしければ彼の主張も正しいということを、どうやって証明すればいいだろう。
ルイス・キャロルの『亀がアキレスに言ったこと』という短い話がある。
これは『アキレスと亀』というパラドクスに基づいた話で、とてもポップでふざけた真面目な話で、ネットで閲覧できるのでぜひ読んでほしい。
簡単に要約すると、ある前提から結論を導き出すことは論理的に不可能だ、というパラドクスだ。
この短編を読むと、うん確かに不可能だな。と思うけど、どうにもまわりくどい。
これに関してピーター・ウィンチという哲学者はこう言っている。
「推論を身につけることは命題同士の論理的な関係を明らかにすることを教えれられればよいということでは全くない。それは何をするかを学ぶことなのだ」
何をするか、なんだと。なんだと!?
まったくもって、物語中のアキレスは思考停止状態だ。亀の背中からおりて一歩先に出れば、パラドクスは解決されるのだが、彼はそれをしない。考えない。行動しない。
信頼による極上の贅沢。クレジットカードのような関係は、思考停止のノックアウト野郎だ。
「あなたのサインを、みんなが欲しがる」(ダイナースクラブ宣伝文句)
まったく、ボノになったような気分だ。胸くそ悪いよ。
よく考えなくちゃいけない。
2012/04/06
レコーディング
氷青さんの曲をアレンジさせていただいた。そのボーカルレコーディングに、彼女の音楽ユニット、ミッレルーチのスタジオで、メンバーさんとともに参加させていただいた。
氷青さんからは「暗い、宇宙船のような」スタジオだと聞いてはいたが、いざ蓋をあけてみると、素晴らしく洒落たスタジオだった。
ぼくはレコーディングをただ見学していただけで、とくに技術的な力添えみたいなものは全くないのだけど、非常に落ちついた空間で優雅にコーヒーなどをいただいた。
リーダー松本浩一さん
松本俊行さん
氷青さん
木石岳さん
彼らの表情を見ていただけたらわかるだろうが、みな、何をしにきたんだと言わんばかりの優雅な面持ちで自然なポージングを決めている。ここは、macaroomレコーディングのときのような、ふざけた録音方法や、険悪な会話や、にらみ合いいがみ合うメンバーもいない。国境は争わない。ここには、和ラスクやオーストラリアチョコレートやディオスやゲーテの詩などがそろい、大人たちが優雅に微笑みあいながら、美しい曲を、美しいインテリアに囲まれ、歌い、踊るのだ。見事なティーパーティーなのだ。
2012/03/18
意見を持ち合わせておりません
自分が無知だということを恥じる瞬間はいろいろあって、人と話している時に漢字の読み間違いについて指摘されたり、みんなが国民年金について話しているときにひとり何も知らず「アイ・ハブ・ノー・アイディア」になったり、武田邦彦を福永武彦と間違えたりとか、大概は人前で生じる極刑だと思うのだけど、昨晩ぼくは部屋に一人で自分の無知を恥じていた。「クメール・ルージュ」をネットで調べていたのだが、ウィキペディアをみてぼくが「今までこんなことも知らなかったのか」と愕然とした。大量虐殺といえばホロコーストとか、南京の論争とかそういうイメージはあっても、クメール・ルージュにかんしては何の知識も持ち合わせておらず、従って何の意見も持ち合わせていないのだ。「それに関しては意見を言う立場にございません」
そもそも、ウィリアム・T・ヴォルマンという、アメリカ人作家の小説『蝶の物語たち』を読んだ。この作家は以前『ハッピーガールズ、バッドガールズ』というふざけた邦題がついた短編小説集とみせかけた長編小説(と勝手に認識している)を読んで、凄まじく自分の好みだったから、一冊読んだだけにもかかわらず飛び級、飛び級で、最も好きな小説家の一人に相成ったのであります。それからこの作家の小説は『ライフルズ』というのが邦訳されているが、怒濤の何万字なのかとにかく長い二段組のものなので、もちろん値段も高く、未だ読むに至っていない。
そんな中、絶版状態にある『蝶の物語たち』を図書館で大発見し、借りたのだが、もちろん読み始めてすぐにこれもすごく趣味にあった小説だと気づいて安心した。
タイ、カンボジアを舞台にジャーナリストの男が娼婦たちと関係をもち、下衆くて素晴らしい文体に魅了される前半だったが、その背景にあるポル・トポ派の自国民大量虐殺が、冒頭から主題ではなっくうっすらと和音を奏でていて、クメール・ルージュときいてコレージュ・ド・フランスを一瞬思い描く程度のぼくはそれをすぐに調べざるをえなかったのだ。
人を殺すことは、通常では計り知れないにしても、理由はある。罪もない人間を殺すことには、政治的か思想か、なにかの理由があった。しかし、どうして子供から順番に殺し、親にそれを見せ、聞かせる理由があるんだろう。ゲームのように子宮をえぐり、首を切断してコマにみたてて楽しむ理由がどこにあるのだろう。
こういうことは、例えば被害者数に様々な論争があるにしても、知らないことは恥ずかしいことだし、お節介にも、知らないことが被害者に失礼だとさえ思えてしまう(嫌いな考え方だが)。恐ろしいことは「アイ・ハブ・ノー・アイディア」状態であり、「クメール・ルージュについてはわたしは何の意見も持ち合わせておりません」となることだと思う。強制的に重大なことを選択しなければならないことがある。それは3.11によって日本人が強制的に参加させられた無法の議論において露骨に出現した。震災時、選択すべきことが膨大にあった。逃げるか留まるか、正しいか正しくないか、安全か危険か。それをぼくたちは自分の力で強制的に選ばなければならなかった。
ぼくは原発のニュースをみて、3月12日に女と二人で大阪行きのバスに乗り込んだ。女は、原発からは逃げなくてもいいといった。危険ではないと言った。ぼくも安全か危険かわからなかった。いや決して安全ではないけど、関東脱出をするべきかどうかわからなかった。Twitterをみればチェルノブイリの前例が語られていたり、駅員の感動的なエピソードが語られていた。友人たちは誰も逃げようとしなかった。国民が一丸となるべきときに、地方に逃げようとする人間を非国民のように言う人もいた。母親は電話で放射性物質というのが取り返しのつかないことだという風に言ってきた。ともかくぼくは強制的に短時間で結論を出さねばならず、その結果、原発にあまり関心がない女を説得して、大阪行きのバスに乗り込んだのだ。バスの中はほとんど外国人だった。前の席のフランス人カップルは、バスが出発するやいなやディープキスをおっ始めた。なんてこった。
大阪についてから、原発問題について女と語ったが、女は驚くべきことに、原発というものをなにひとつ知らなかった。実際、原子力発電というものを、オランダにある風車かなにかのようなものだと思っていた。とんでもない無知な女だったのだ。しかし無知なことは全く仕方が無いことだ。何も悪くはない。3.11以後は誰もが原発を知っているが、それ以前は原発という言葉すらきいたこともないような(無知な)人は少なからずいたはずだ。誰もが、必ず何かを知らない。人は、誰もがしっていると思えるようなこと(首相の名前や電車の乗り方)のうちのいくつかを、奇跡的に知らないで生きているものだ。みんなそうだ。しかし、自力で答えを選び出さなければならないときがある。しかもそれが時には命に関わったりもする。実際、マイクロシーベルトなんか全くきいたことすらなかった。ばくは最近までワシントン州とワシントンD.C.が全く別のものであることを知らなかった。しかしそんなことはどうでもよろしい。関東の各県の位置関係も曖昧だがそんなことクソくらえだ。
しかしなぜだか知らなくてはならないと思うものがあって、それはワシントンD.C.でもなく山梨の位置でもなく(昨日のぼくにとっては)クメール・ルージュなのだ。
以下引用。
時に死刑執行人は、サトウヤシの木の剃刀並に鋭い葉で、かれらの腹や子宮を切り開く。時にはピッケルであれらの頭蓋骨を叩き潰す。これに特に熟練した執行人たちは、「コマ」と称する技を実行して楽しんだ。人の背後に立って、うまい具合に頭蓋骨を叩き潰すと、相手は倒れながらくるくる回って、しにゆく目でこちらを見上げるのだ。時には銃床で殴り殺した。時には崖から突き落とした。時には木にはりつけにした。時には皮をむいて、まだ悲鳴をあげている犠牲者の肝臓を喰った。時には濡れタオルで頭をくるんで、ゆっくり窒息させた。時には切り刻んだ。
カフェの支配人がみんなの勘定書を持ってくる。クメール・ルージュはバタンバングの近くでかれの家族を働かせた。働きが遅かったので、かれの妻と子供三人を鉄棒で殴り殺した。かれは家族の頭蓋骨が砕けるのを見、聞いていた。一人ずつ、恐怖と苦悶がちょっと長引くように殺された。最初に赤ん坊の頭を叩き潰した。それから四歳の娘の蕾を散らした。次は七歳の息子が叫んでカボチャのようにひしゃげ、両親を血と骨まみれにする番だった。母親は、子供が死ぬところを見られるように、最後にとっておかれた。支配人はよい労働者だった。クメール・ルージュはかれに対しては何の恨みもなかった。でも、もしかれが泣けば、裏切り者とみなされるのを知っていた。それ以来、かれは決して泣かなかった。カフェの中を飛び回ってパンとお茶をお金に換える間、その目は見開かれて狂ったようだった。十一月の五月蝿のようだった。そしてジャーナリストは思った。ぼくの体験した苦しみなんて、かれのに比べれば何一つとして取るに足らないということは、つまりぼく自身がかれに比べて取るに足らないということなんだろうか。ーーそうだ。ーーでは、かれが勝ち取った悲惨な偉大さに対するぼくの認識を示すため、何かできること、あげられるものはあるだろうか。
でも、この男を助け、または幸せにするものとして、かれは死しか思いつかなかった。そしてこの男は、すでにそれを拒絶していた。
(ウィリアム・T・ヴォルマン『蝶の物語たち』山形浩生訳 / 白水社)
震災直後、別に知識人や芸能人でなくても、とくに何者でもない素人が、ぼくや友人が、知らない誰かが、誰でもいいけど、とにかく、TwitterにせよFacebookにせよ、何かしらを「責任を持って」発言しなければならない状況になっていた。義捐金は送るべきなのか、原発についてどう考えているか、食糧確保はしたか、助け合いがどうなのか、絆がこれこれこうだとか、昨日のリツイートは今日のツイートになり、気づけば勝手に、何らかの立場にいることを表明せざるをえなくなり、論争に強制参加させられた。それを回避するためにはTwitterを利用しないという手以外はありえなく、たとえ「さだまさしは言いたがりのお節介やな」という他愛もない関係のない発言にしても、深読みされることは必至だった。与えられたテーマについて運よく意見を持ち合わせていることなんかめったにないから、面接にしても文章問題にしてもでたらめで乗り切ることになるけど、そうでたらめばかりでいくわけにもいかない。まあとにかくワシントン条約とか州とかDCとか、そういうこともそれはそれでそうなのだけど、ぼくにとってはこれがそうだという、直観みたいなものがあって、それで「これは知っておかなければならん」という風になるわけです。だから近々、世界史についての勉強をしなければいけない。とにかく知らなすぎるんだから。ぼくは一番好きな、歴史上の事件は何かという質問には、「ボストン茶会事件」と答えることにしているが、そんな質問はされたこともない。そして何よりボストン茶会事件にしてもその詳しいことはほとんどしらない。英語でティーパーティーとよぶということぐらいしか。
とにかくそういう発言を今日はしてみた。
うまく考えがまとまっていなくても、発言しなければいけないときがある。
だからぼくはこういうぐだぐだした感じになっても、まるであたりまえのように(こういう文体を志していたかのように)投稿するのだ。
そういう意見を持ち合わせております。
そもそも、ウィリアム・T・ヴォルマンという、アメリカ人作家の小説『蝶の物語たち』を読んだ。この作家は以前『ハッピーガールズ、バッドガールズ』というふざけた邦題がついた短編小説集とみせかけた長編小説(と勝手に認識している)を読んで、凄まじく自分の好みだったから、一冊読んだだけにもかかわらず飛び級、飛び級で、最も好きな小説家の一人に相成ったのであります。それからこの作家の小説は『ライフルズ』というのが邦訳されているが、怒濤の何万字なのかとにかく長い二段組のものなので、もちろん値段も高く、未だ読むに至っていない。
そんな中、絶版状態にある『蝶の物語たち』を図書館で大発見し、借りたのだが、もちろん読み始めてすぐにこれもすごく趣味にあった小説だと気づいて安心した。
タイ、カンボジアを舞台にジャーナリストの男が娼婦たちと関係をもち、下衆くて素晴らしい文体に魅了される前半だったが、その背景にあるポル・トポ派の自国民大量虐殺が、冒頭から主題ではなっくうっすらと和音を奏でていて、クメール・ルージュときいてコレージュ・ド・フランスを一瞬思い描く程度のぼくはそれをすぐに調べざるをえなかったのだ。
人を殺すことは、通常では計り知れないにしても、理由はある。罪もない人間を殺すことには、政治的か思想か、なにかの理由があった。しかし、どうして子供から順番に殺し、親にそれを見せ、聞かせる理由があるんだろう。ゲームのように子宮をえぐり、首を切断してコマにみたてて楽しむ理由がどこにあるのだろう。
こういうことは、例えば被害者数に様々な論争があるにしても、知らないことは恥ずかしいことだし、お節介にも、知らないことが被害者に失礼だとさえ思えてしまう(嫌いな考え方だが)。恐ろしいことは「アイ・ハブ・ノー・アイディア」状態であり、「クメール・ルージュについてはわたしは何の意見も持ち合わせておりません」となることだと思う。強制的に重大なことを選択しなければならないことがある。それは3.11によって日本人が強制的に参加させられた無法の議論において露骨に出現した。震災時、選択すべきことが膨大にあった。逃げるか留まるか、正しいか正しくないか、安全か危険か。それをぼくたちは自分の力で強制的に選ばなければならなかった。
ぼくは原発のニュースをみて、3月12日に女と二人で大阪行きのバスに乗り込んだ。女は、原発からは逃げなくてもいいといった。危険ではないと言った。ぼくも安全か危険かわからなかった。いや決して安全ではないけど、関東脱出をするべきかどうかわからなかった。Twitterをみればチェルノブイリの前例が語られていたり、駅員の感動的なエピソードが語られていた。友人たちは誰も逃げようとしなかった。国民が一丸となるべきときに、地方に逃げようとする人間を非国民のように言う人もいた。母親は電話で放射性物質というのが取り返しのつかないことだという風に言ってきた。ともかくぼくは強制的に短時間で結論を出さねばならず、その結果、原発にあまり関心がない女を説得して、大阪行きのバスに乗り込んだのだ。バスの中はほとんど外国人だった。前の席のフランス人カップルは、バスが出発するやいなやディープキスをおっ始めた。なんてこった。
大阪についてから、原発問題について女と語ったが、女は驚くべきことに、原発というものをなにひとつ知らなかった。実際、原子力発電というものを、オランダにある風車かなにかのようなものだと思っていた。とんでもない無知な女だったのだ。しかし無知なことは全く仕方が無いことだ。何も悪くはない。3.11以後は誰もが原発を知っているが、それ以前は原発という言葉すらきいたこともないような(無知な)人は少なからずいたはずだ。誰もが、必ず何かを知らない。人は、誰もがしっていると思えるようなこと(首相の名前や電車の乗り方)のうちのいくつかを、奇跡的に知らないで生きているものだ。みんなそうだ。しかし、自力で答えを選び出さなければならないときがある。しかもそれが時には命に関わったりもする。実際、マイクロシーベルトなんか全くきいたことすらなかった。ばくは最近までワシントン州とワシントンD.C.が全く別のものであることを知らなかった。しかしそんなことはどうでもよろしい。関東の各県の位置関係も曖昧だがそんなことクソくらえだ。
しかしなぜだか知らなくてはならないと思うものがあって、それはワシントンD.C.でもなく山梨の位置でもなく(昨日のぼくにとっては)クメール・ルージュなのだ。
以下引用。
時に死刑執行人は、サトウヤシの木の剃刀並に鋭い葉で、かれらの腹や子宮を切り開く。時にはピッケルであれらの頭蓋骨を叩き潰す。これに特に熟練した執行人たちは、「コマ」と称する技を実行して楽しんだ。人の背後に立って、うまい具合に頭蓋骨を叩き潰すと、相手は倒れながらくるくる回って、しにゆく目でこちらを見上げるのだ。時には銃床で殴り殺した。時には崖から突き落とした。時には木にはりつけにした。時には皮をむいて、まだ悲鳴をあげている犠牲者の肝臓を喰った。時には濡れタオルで頭をくるんで、ゆっくり窒息させた。時には切り刻んだ。
カフェの支配人がみんなの勘定書を持ってくる。クメール・ルージュはバタンバングの近くでかれの家族を働かせた。働きが遅かったので、かれの妻と子供三人を鉄棒で殴り殺した。かれは家族の頭蓋骨が砕けるのを見、聞いていた。一人ずつ、恐怖と苦悶がちょっと長引くように殺された。最初に赤ん坊の頭を叩き潰した。それから四歳の娘の蕾を散らした。次は七歳の息子が叫んでカボチャのようにひしゃげ、両親を血と骨まみれにする番だった。母親は、子供が死ぬところを見られるように、最後にとっておかれた。支配人はよい労働者だった。クメール・ルージュはかれに対しては何の恨みもなかった。でも、もしかれが泣けば、裏切り者とみなされるのを知っていた。それ以来、かれは決して泣かなかった。カフェの中を飛び回ってパンとお茶をお金に換える間、その目は見開かれて狂ったようだった。十一月の五月蝿のようだった。そしてジャーナリストは思った。ぼくの体験した苦しみなんて、かれのに比べれば何一つとして取るに足らないということは、つまりぼく自身がかれに比べて取るに足らないということなんだろうか。ーーそうだ。ーーでは、かれが勝ち取った悲惨な偉大さに対するぼくの認識を示すため、何かできること、あげられるものはあるだろうか。
でも、この男を助け、または幸せにするものとして、かれは死しか思いつかなかった。そしてこの男は、すでにそれを拒絶していた。
(ウィリアム・T・ヴォルマン『蝶の物語たち』山形浩生訳 / 白水社)
震災直後、別に知識人や芸能人でなくても、とくに何者でもない素人が、ぼくや友人が、知らない誰かが、誰でもいいけど、とにかく、TwitterにせよFacebookにせよ、何かしらを「責任を持って」発言しなければならない状況になっていた。義捐金は送るべきなのか、原発についてどう考えているか、食糧確保はしたか、助け合いがどうなのか、絆がこれこれこうだとか、昨日のリツイートは今日のツイートになり、気づけば勝手に、何らかの立場にいることを表明せざるをえなくなり、論争に強制参加させられた。それを回避するためにはTwitterを利用しないという手以外はありえなく、たとえ「さだまさしは言いたがりのお節介やな」という他愛もない関係のない発言にしても、深読みされることは必至だった。与えられたテーマについて運よく意見を持ち合わせていることなんかめったにないから、面接にしても文章問題にしてもでたらめで乗り切ることになるけど、そうでたらめばかりでいくわけにもいかない。まあとにかくワシントン条約とか州とかDCとか、そういうこともそれはそれでそうなのだけど、ぼくにとってはこれがそうだという、直観みたいなものがあって、それで「これは知っておかなければならん」という風になるわけです。だから近々、世界史についての勉強をしなければいけない。とにかく知らなすぎるんだから。ぼくは一番好きな、歴史上の事件は何かという質問には、「ボストン茶会事件」と答えることにしているが、そんな質問はされたこともない。そして何よりボストン茶会事件にしてもその詳しいことはほとんどしらない。英語でティーパーティーとよぶということぐらいしか。
とにかくそういう発言を今日はしてみた。
うまく考えがまとまっていなくても、発言しなければいけないときがある。
だからぼくはこういうぐだぐだした感じになっても、まるであたりまえのように(こういう文体を志していたかのように)投稿するのだ。
そういう意見を持ち合わせております。
2012/03/15
Gaku Kiishi (asahi)
Gaku Kiishi (asahi):
Gaku Kiishi or asahi (macaroom)
I am the principal songwriter of the electronica band "macaroom". mainly play the keyboard. In August 2010, we released our debut album, "room-103".
Everything reminds you of something.
2012/03/13
ビンロウの旅
檳榔というものを初めて聞いたのは、大阪なんばのバーでだった。
ぼくは中国武術の大会に出るために台湾に行く予定で、バーではその話で盛り上がっていたのだが、ぼくは恥ずかしいことに台湾のことは何ひとつ知らなかった。
マスターはぼくに「じゃあついにがっくんもビンロウの旅か」と言い、横に座る兄もうんうんと頷いている。
「どういうことですか?」ときくと、マスターは「実はね……」という新妙な面持ちで檳榔について語り始めたのだ。
檳榔とはヤシ科の植物で、興奮作用があるドラッグとして主にアジアで文化的に嗜まれる代物らしい。しかしこと台湾事情は少し違って、伝統的に「エロい女」が路上でそれを販売しているのだとか。檳榔を買うとお触りなどのオプションがつくのだとか。
【Wikipediaの供述】
檳榔子にはアレコリン(arecoline)というアルカロイドが含まれており、タバコのニコチンと同様の作用(興奮、刺激、食欲の抑制など)を引き起こすとされる。石灰はこのアルカロイドをよく抽出するために加える。
檳榔子には依存性があり、また国際がん研究機関(IARC)はヒトに対して発癌性(主に喉頭ガンの危険性)を示すことを認めている。
台湾では、露出度の高い服装をした若い女性(檳榔西施)が檳榔子を販売している光景が見られる。近年、台北市内では風紀上の問題からこれに対して規制が行われた。台湾では現在、道路にビンロウを噛んだ唾液を吐き捨てると罰金刑が課せられるため、中心街では路上に吐き出す習慣は無くなったが、少し離れると吐き捨てた跡や、噛み尽くしたカスが見られる。購入時にエチケット袋(紙コップとティッシュの場合が多い)が共に渡される。
兄はうんうん頷きながら「がくにもついにこの話をするときがきたか」といった表情で、「実はのう、今回の旅は、中国武術の旅じゃのうて、檳榔の旅なんじゃ」という告白をしてきた。
ぼくはこのサプライズに喜び驚き、
「いやあい!兄さんら、ずるいや!ぼくに内緒で!」と無邪気にバーボンをおかわりしたものだ。
かくして2011年7月29日に台湾へ渡り、「中国武術W杯出場の旅」改め「檳榔とエロい女のオールナイト台湾旅行」が始まったのだ。
実際のところ、ぼくは檳榔が台湾で法的にどのような状態にあるのかは知らなかった。しかし通訳兼案内役の台湾人チャーミー・チャンというゲイの青年に「檳榔がほしい」というと、「あんたも物好きねえ」というようなクィアな笑みを浮かべて「ダイジョウブ」と言うから、それほど怪しいものじゃないんだろうなあ、というぐらいの認識だった。
ぼくと兄と親父は、チャーミーの車に乗り込んで、怪しいストリートに入り込んだ。
「あれ、」とチャーミーが指差した先には、大きめの電話ボックスのようなスケルトンのボックスが路肩に設置されてあって、テーブルと椅子、そして若い女が中にいる。車が止まると、女は中から出てきた。裸の上に一枚上着を羽織っただけのような状態でボタンもとめてないから、今にも乳首が露出しそうだった。これが、非常に美しい女だった。レースクイーンのように下衆い雰囲気の、いい女だった。ぼくらは固唾を呑んだ。
チャーミーが台湾語でその女と交渉している。しばらく会話してから、チャーミーはアクセルを踏んだ。車が進み、女はスケルトンボックスに帰ってゆく。僕らは全く事情がわからない。
「どうだった?」ときくと、「オッパイ、ダメ」とチャーミーは答えた。
しかしまたすぐ先に別のスケルトンボックスがあり、車を止めると中から女が出てきた。下着姿の女だった。スケルトンボックスはクリスマスのごとく派手な電飾がほどこされていて、すぐ手前の『檳榔』という看板にも夜の雰囲気たっぷりの古臭い電飾が囲っていた。
チャーミーは女と交渉し、そしてまた車をすすめた。
チャーミーはぼくらに「警察の規制が入って、お触りは禁止になった。檳榔は売ってくれるが、おっぱいはさわれない」というようなことを、片言で説明した。
兄が痺れをきらして、「チャーミー、いいか。おっぱいなんかどうでもいいんや。おれらは檳榔がほしい。とにかく檳榔が買いたいんや」と言った。チャーミーはその言葉に驚き、「ああ、そういうこと」と言って次のスケルトンボックスの前で停車した。
次のボックスは、ジーパンにTシャツ、ノーメイクの地味な女が出てきた。チャーミーはその女と会話し、しばらくして檳榔の入った小包が手渡された。
ぼくらは怒っていた。チャーミーはぼくらの心を何ひとつわかっていなかった。
ぼくらは檳榔が欲しかった。しかし、台湾独自の文化である「エロい女から檳榔を買う」という醍醐味も体験したかったのだ。檳榔を買うかわりにオッパイを触るという行為が違法なのはわかっていたが、そんなもの交渉次第でどうにでもなるもんだ。金なんかくれてやるわい!ドラッグなんか日本にいくらでもあるし女だっていくらでもいるが、檳榔と女という組み合わせは台湾にしかない。それを経験しなくて何が台湾旅行だ!それをゲイのチャーミーはぼくらがオッパイ目的ではないことを知るや否や地味な女から簡単に檳榔を買いやがって。
しかしぼくは同時に少し安心もしていた。
車の中でずっと黙りこくっていた親父が心配だったのだ。いざ檳榔の女が脱いでオッパイを触ることになったら、ぼくらは一体どんな会話をすることになるんだろうか?誰が最初に触るのか?何と言いながら?そもそも親父もオッパイを触っていただろうか?どんな顔つきで?
ともかくぼくらは檳榔を手に入れた。この木の実のようなものをガムのようにくちゃくちゃ噛むのだ。吐き出すための紙コップもセットだ。
ぼくらは噛んで、溢れる真っ赤な汁を吐き出した。クソ不味いが、気分はコカの葉を噛むインディアンだ。ネイティブ・アメリカンだ。じっと黙って噛み、吐き出し、街のネオンを眺めた。体がほんのり熱くなり、気分は悪くなかった。檳榔一個の効果は「ああ、こんなものか」という程度だった。
檳榔屋の写真は撮ってないけど、ネットで検索したら色々でてきた。ぼくらが買ったのはもっと狭い簡素なスケルトンボックスだったけど、まあだいたいこんな感じだ。
その三日後くらいに、ぼくと兄はもう一度檳榔を試してみたくなった。武術の大会は終わり、兄は一位、ぼくは三位という思ってもみなかった快挙だったので、もうどうなってもいい心境だったのだ。
ぼくらは深夜街を彷徨い歩いて、やっと一件のボロボロの檳榔屋を見つけた。スケルトンボックスではなく、駄菓子屋かなにかのような雰囲気だった。駄菓子屋と違うのは、やはり『檳榔』とかかれた看板にド派手な電飾が囲ってあるくらいだった。
中には中年の、やつれたような女が座っていて、見ぶり手ぶりで檳榔を買いたいと言うと、無愛想に売ってくれた。エロい要素など何ひとつなかった。
ぼくらは、一個ずつ頬張った。
吐きそうなほど不味いが、だんだんと慣れてきていた。溢れてくる汁を吐き捨てると、路上に赤い血反吐のような色がつく。一個噛み終わると吐き捨て、二個目を頬張る。ぼくらは合計10個の檳榔を二人ですべて噛み終えた。ぼくらの足元は真っ赤に染まっている。それが暗がりでどす黒く、車のライトに反射して光るのだ。
ぼくらは夜の誰もいない街を歩き、タバコを吸った。ネオンがとても綺麗だった。コンビニでお茶を買い、飲みながら歩いた。ときおりタクシーやバイクが通り過ぎ、ぼくらはギラギラした目つきでそのライトを眺めていた。ぼくらはインディアンだった。中国武術を操る、家なき武闘派インディアンだった。くたびれた若者だった。失われた世代のこどもたちだったのだ。
宿泊先の龍山寺という街まで帰ってきたが、ぼくらは非常に元気で、屋台の椅子に腰掛け、街の様々な写真を撮り合ったり、語り合ったりした。ぼくと兄は6歳の頃から中国武術をやっていたが、大会に出たこともなく、ぼくは高校生くらいからほとんど練習はしなくなってしまった。それが、5年以上のブランクを経て練習を再開し、台湾に兄弟で、たった二人で乗り込んだのだ。そして1位、3位という成績を残して心のなかでは「どんなもんじゃい!」と叫んでいた。ぼくらは龍山寺の夜市のテーブルにつき、ビールを飲んでタバコを吸い、そういった感動的な物語を語り合ったのだ。そして思いついてはお互いに写真を撮り合った。
ほどなく朝になり、ホテルに帰った。親父に帰ると告げていた時間より大幅に遅れていた。部屋をノックして中から親父が鍵を開けるという約束だったが、もうさすがに寝ているだろうと思った。受付をする玄関も、管理人のおばさんが開けたままにしてくれていた。
部屋に帰ると、ドアの鍵は空いていた。
中で親父が寝ていた。鍵は掛け忘れたらしい。
すぐに盗まれたものがないか確認した。
朝までこうして座っていた。
兄貴。