檳榔というものを初めて聞いたのは、大阪なんばのバーでだった。
ぼくは中国武術の大会に出るために台湾に行く予定で、バーではその話で盛り上がっていたのだが、ぼくは恥ずかしいことに台湾のことは何ひとつ知らなかった。
マスターはぼくに「じゃあついにがっくんもビンロウの旅か」と言い、横に座る兄もうんうんと頷いている。
「どういうことですか?」ときくと、マスターは「実はね……」という新妙な面持ちで檳榔について語り始めたのだ。
檳榔とはヤシ科の植物で、興奮作用があるドラッグとして主にアジアで文化的に嗜まれる代物らしい。しかしこと台湾事情は少し違って、伝統的に「エロい女」が路上でそれを販売しているのだとか。檳榔を買うとお触りなどのオプションがつくのだとか。
【Wikipediaの供述】
檳榔子にはアレコリン(arecoline)というアルカロイドが含まれており、タバコのニコチンと同様の作用(興奮、刺激、食欲の抑制など)を引き起こすとされる。石灰はこのアルカロイドをよく抽出するために加える。
檳榔子には依存性があり、また国際がん研究機関(IARC)はヒトに対して発癌性(主に喉頭ガンの危険性)を示すことを認めている。
台湾では、露出度の高い服装をした若い女性(檳榔西施)が檳榔子を販売している光景が見られる。近年、台北市内では風紀上の問題からこれに対して規制が行われた。台湾では現在、道路にビンロウを噛んだ唾液を吐き捨てると罰金刑が課せられるため、中心街では路上に吐き出す習慣は無くなったが、少し離れると吐き捨てた跡や、噛み尽くしたカスが見られる。購入時にエチケット袋(紙コップとティッシュの場合が多い)が共に渡される。
兄はうんうん頷きながら「がくにもついにこの話をするときがきたか」といった表情で、「実はのう、今回の旅は、中国武術の旅じゃのうて、檳榔の旅なんじゃ」という告白をしてきた。
ぼくはこのサプライズに喜び驚き、
「いやあい!兄さんら、ずるいや!ぼくに内緒で!」と無邪気にバーボンをおかわりしたものだ。
かくして2011年7月29日に台湾へ渡り、「中国武術W杯出場の旅」改め「檳榔とエロい女のオールナイト台湾旅行」が始まったのだ。
実際のところ、ぼくは檳榔が台湾で法的にどのような状態にあるのかは知らなかった。しかし通訳兼案内役の台湾人チャーミー・チャンというゲイの青年に「檳榔がほしい」というと、「あんたも物好きねえ」というようなクィアな笑みを浮かべて「ダイジョウブ」と言うから、それほど怪しいものじゃないんだろうなあ、というぐらいの認識だった。
ぼくと兄と親父は、チャーミーの車に乗り込んで、怪しいストリートに入り込んだ。
「あれ、」とチャーミーが指差した先には、大きめの電話ボックスのようなスケルトンのボックスが路肩に設置されてあって、テーブルと椅子、そして若い女が中にいる。車が止まると、女は中から出てきた。裸の上に一枚上着を羽織っただけのような状態でボタンもとめてないから、今にも乳首が露出しそうだった。これが、非常に美しい女だった。レースクイーンのように下衆い雰囲気の、いい女だった。ぼくらは固唾を呑んだ。
チャーミーが台湾語でその女と交渉している。しばらく会話してから、チャーミーはアクセルを踏んだ。車が進み、女はスケルトンボックスに帰ってゆく。僕らは全く事情がわからない。
「どうだった?」ときくと、「オッパイ、ダメ」とチャーミーは答えた。
しかしまたすぐ先に別のスケルトンボックスがあり、車を止めると中から女が出てきた。下着姿の女だった。スケルトンボックスはクリスマスのごとく派手な電飾がほどこされていて、すぐ手前の『檳榔』という看板にも夜の雰囲気たっぷりの古臭い電飾が囲っていた。
チャーミーは女と交渉し、そしてまた車をすすめた。
チャーミーはぼくらに「警察の規制が入って、お触りは禁止になった。檳榔は売ってくれるが、おっぱいはさわれない」というようなことを、片言で説明した。
兄が痺れをきらして、「チャーミー、いいか。おっぱいなんかどうでもいいんや。おれらは檳榔がほしい。とにかく檳榔が買いたいんや」と言った。チャーミーはその言葉に驚き、「ああ、そういうこと」と言って次のスケルトンボックスの前で停車した。
次のボックスは、ジーパンにTシャツ、ノーメイクの地味な女が出てきた。チャーミーはその女と会話し、しばらくして檳榔の入った小包が手渡された。
ぼくらは怒っていた。チャーミーはぼくらの心を何ひとつわかっていなかった。
ぼくらは檳榔が欲しかった。しかし、台湾独自の文化である「エロい女から檳榔を買う」という醍醐味も体験したかったのだ。檳榔を買うかわりにオッパイを触るという行為が違法なのはわかっていたが、そんなもの交渉次第でどうにでもなるもんだ。金なんかくれてやるわい!ドラッグなんか日本にいくらでもあるし女だっていくらでもいるが、檳榔と女という組み合わせは台湾にしかない。それを経験しなくて何が台湾旅行だ!それをゲイのチャーミーはぼくらがオッパイ目的ではないことを知るや否や地味な女から簡単に檳榔を買いやがって。
しかしぼくは同時に少し安心もしていた。
車の中でずっと黙りこくっていた親父が心配だったのだ。いざ檳榔の女が脱いでオッパイを触ることになったら、ぼくらは一体どんな会話をすることになるんだろうか?誰が最初に触るのか?何と言いながら?そもそも親父もオッパイを触っていただろうか?どんな顔つきで?
ともかくぼくらは檳榔を手に入れた。この木の実のようなものをガムのようにくちゃくちゃ噛むのだ。吐き出すための紙コップもセットだ。
ぼくらは噛んで、溢れる真っ赤な汁を吐き出した。クソ不味いが、気分はコカの葉を噛むインディアンだ。ネイティブ・アメリカンだ。じっと黙って噛み、吐き出し、街のネオンを眺めた。体がほんのり熱くなり、気分は悪くなかった。檳榔一個の効果は「ああ、こんなものか」という程度だった。
檳榔屋の写真は撮ってないけど、ネットで検索したら色々でてきた。ぼくらが買ったのはもっと狭い簡素なスケルトンボックスだったけど、まあだいたいこんな感じだ。
その三日後くらいに、ぼくと兄はもう一度檳榔を試してみたくなった。武術の大会は終わり、兄は一位、ぼくは三位という思ってもみなかった快挙だったので、もうどうなってもいい心境だったのだ。
ぼくらは深夜街を彷徨い歩いて、やっと一件のボロボロの檳榔屋を見つけた。スケルトンボックスではなく、駄菓子屋かなにかのような雰囲気だった。駄菓子屋と違うのは、やはり『檳榔』とかかれた看板にド派手な電飾が囲ってあるくらいだった。
中には中年の、やつれたような女が座っていて、見ぶり手ぶりで檳榔を買いたいと言うと、無愛想に売ってくれた。エロい要素など何ひとつなかった。
ぼくらは、一個ずつ頬張った。
吐きそうなほど不味いが、だんだんと慣れてきていた。溢れてくる汁を吐き捨てると、路上に赤い血反吐のような色がつく。一個噛み終わると吐き捨て、二個目を頬張る。ぼくらは合計10個の檳榔を二人ですべて噛み終えた。ぼくらの足元は真っ赤に染まっている。それが暗がりでどす黒く、車のライトに反射して光るのだ。
ぼくらは夜の誰もいない街を歩き、タバコを吸った。ネオンがとても綺麗だった。コンビニでお茶を買い、飲みながら歩いた。ときおりタクシーやバイクが通り過ぎ、ぼくらはギラギラした目つきでそのライトを眺めていた。ぼくらはインディアンだった。中国武術を操る、家なき武闘派インディアンだった。くたびれた若者だった。失われた世代のこどもたちだったのだ。
宿泊先の龍山寺という街まで帰ってきたが、ぼくらは非常に元気で、屋台の椅子に腰掛け、街の様々な写真を撮り合ったり、語り合ったりした。ぼくと兄は6歳の頃から中国武術をやっていたが、大会に出たこともなく、ぼくは高校生くらいからほとんど練習はしなくなってしまった。それが、5年以上のブランクを経て練習を再開し、台湾に兄弟で、たった二人で乗り込んだのだ。そして1位、3位という成績を残して心のなかでは「どんなもんじゃい!」と叫んでいた。ぼくらは龍山寺の夜市のテーブルにつき、ビールを飲んでタバコを吸い、そういった感動的な物語を語り合ったのだ。そして思いついてはお互いに写真を撮り合った。
ほどなく朝になり、ホテルに帰った。親父に帰ると告げていた時間より大幅に遅れていた。部屋をノックして中から親父が鍵を開けるという約束だったが、もうさすがに寝ているだろうと思った。受付をする玄関も、管理人のおばさんが開けたままにしてくれていた。
部屋に帰ると、ドアの鍵は空いていた。
中で親父が寝ていた。鍵は掛け忘れたらしい。
すぐに盗まれたものがないか確認した。
朝までこうして座っていた。
兄貴。
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