そもそも、ウィリアム・T・ヴォルマンという、アメリカ人作家の小説『蝶の物語たち』を読んだ。この作家は以前『ハッピーガールズ、バッドガールズ』というふざけた邦題がついた短編小説集とみせかけた長編小説(と勝手に認識している)を読んで、凄まじく自分の好みだったから、一冊読んだだけにもかかわらず飛び級、飛び級で、最も好きな小説家の一人に相成ったのであります。それからこの作家の小説は『ライフルズ』というのが邦訳されているが、怒濤の何万字なのかとにかく長い二段組のものなので、もちろん値段も高く、未だ読むに至っていない。
そんな中、絶版状態にある『蝶の物語たち』を図書館で大発見し、借りたのだが、もちろん読み始めてすぐにこれもすごく趣味にあった小説だと気づいて安心した。
タイ、カンボジアを舞台にジャーナリストの男が娼婦たちと関係をもち、下衆くて素晴らしい文体に魅了される前半だったが、その背景にあるポル・トポ派の自国民大量虐殺が、冒頭から主題ではなっくうっすらと和音を奏でていて、クメール・ルージュときいてコレージュ・ド・フランスを一瞬思い描く程度のぼくはそれをすぐに調べざるをえなかったのだ。
人を殺すことは、通常では計り知れないにしても、理由はある。罪もない人間を殺すことには、政治的か思想か、なにかの理由があった。しかし、どうして子供から順番に殺し、親にそれを見せ、聞かせる理由があるんだろう。ゲームのように子宮をえぐり、首を切断してコマにみたてて楽しむ理由がどこにあるのだろう。
こういうことは、例えば被害者数に様々な論争があるにしても、知らないことは恥ずかしいことだし、お節介にも、知らないことが被害者に失礼だとさえ思えてしまう(嫌いな考え方だが)。恐ろしいことは「アイ・ハブ・ノー・アイディア」状態であり、「クメール・ルージュについてはわたしは何の意見も持ち合わせておりません」となることだと思う。強制的に重大なことを選択しなければならないことがある。それは3.11によって日本人が強制的に参加させられた無法の議論において露骨に出現した。震災時、選択すべきことが膨大にあった。逃げるか留まるか、正しいか正しくないか、安全か危険か。それをぼくたちは自分の力で強制的に選ばなければならなかった。
ぼくは原発のニュースをみて、3月12日に女と二人で大阪行きのバスに乗り込んだ。女は、原発からは逃げなくてもいいといった。危険ではないと言った。ぼくも安全か危険かわからなかった。いや決して安全ではないけど、関東脱出をするべきかどうかわからなかった。Twitterをみればチェルノブイリの前例が語られていたり、駅員の感動的なエピソードが語られていた。友人たちは誰も逃げようとしなかった。国民が一丸となるべきときに、地方に逃げようとする人間を非国民のように言う人もいた。母親は電話で放射性物質というのが取り返しのつかないことだという風に言ってきた。ともかくぼくは強制的に短時間で結論を出さねばならず、その結果、原発にあまり関心がない女を説得して、大阪行きのバスに乗り込んだのだ。バスの中はほとんど外国人だった。前の席のフランス人カップルは、バスが出発するやいなやディープキスをおっ始めた。なんてこった。
大阪についてから、原発問題について女と語ったが、女は驚くべきことに、原発というものをなにひとつ知らなかった。実際、原子力発電というものを、オランダにある風車かなにかのようなものだと思っていた。とんでもない無知な女だったのだ。しかし無知なことは全く仕方が無いことだ。何も悪くはない。3.11以後は誰もが原発を知っているが、それ以前は原発という言葉すらきいたこともないような(無知な)人は少なからずいたはずだ。誰もが、必ず何かを知らない。人は、誰もがしっていると思えるようなこと(首相の名前や電車の乗り方)のうちのいくつかを、奇跡的に知らないで生きているものだ。みんなそうだ。しかし、自力で答えを選び出さなければならないときがある。しかもそれが時には命に関わったりもする。実際、マイクロシーベルトなんか全くきいたことすらなかった。ばくは最近までワシントン州とワシントンD.C.が全く別のものであることを知らなかった。しかしそんなことはどうでもよろしい。関東の各県の位置関係も曖昧だがそんなことクソくらえだ。
しかしなぜだか知らなくてはならないと思うものがあって、それはワシントンD.C.でもなく山梨の位置でもなく(昨日のぼくにとっては)クメール・ルージュなのだ。
以下引用。
時に死刑執行人は、サトウヤシの木の剃刀並に鋭い葉で、かれらの腹や子宮を切り開く。時にはピッケルであれらの頭蓋骨を叩き潰す。これに特に熟練した執行人たちは、「コマ」と称する技を実行して楽しんだ。人の背後に立って、うまい具合に頭蓋骨を叩き潰すと、相手は倒れながらくるくる回って、しにゆく目でこちらを見上げるのだ。時には銃床で殴り殺した。時には崖から突き落とした。時には木にはりつけにした。時には皮をむいて、まだ悲鳴をあげている犠牲者の肝臓を喰った。時には濡れタオルで頭をくるんで、ゆっくり窒息させた。時には切り刻んだ。
カフェの支配人がみんなの勘定書を持ってくる。クメール・ルージュはバタンバングの近くでかれの家族を働かせた。働きが遅かったので、かれの妻と子供三人を鉄棒で殴り殺した。かれは家族の頭蓋骨が砕けるのを見、聞いていた。一人ずつ、恐怖と苦悶がちょっと長引くように殺された。最初に赤ん坊の頭を叩き潰した。それから四歳の娘の蕾を散らした。次は七歳の息子が叫んでカボチャのようにひしゃげ、両親を血と骨まみれにする番だった。母親は、子供が死ぬところを見られるように、最後にとっておかれた。支配人はよい労働者だった。クメール・ルージュはかれに対しては何の恨みもなかった。でも、もしかれが泣けば、裏切り者とみなされるのを知っていた。それ以来、かれは決して泣かなかった。カフェの中を飛び回ってパンとお茶をお金に換える間、その目は見開かれて狂ったようだった。十一月の五月蝿のようだった。そしてジャーナリストは思った。ぼくの体験した苦しみなんて、かれのに比べれば何一つとして取るに足らないということは、つまりぼく自身がかれに比べて取るに足らないということなんだろうか。ーーそうだ。ーーでは、かれが勝ち取った悲惨な偉大さに対するぼくの認識を示すため、何かできること、あげられるものはあるだろうか。
でも、この男を助け、または幸せにするものとして、かれは死しか思いつかなかった。そしてこの男は、すでにそれを拒絶していた。
(ウィリアム・T・ヴォルマン『蝶の物語たち』山形浩生訳 / 白水社)
震災直後、別に知識人や芸能人でなくても、とくに何者でもない素人が、ぼくや友人が、知らない誰かが、誰でもいいけど、とにかく、TwitterにせよFacebookにせよ、何かしらを「責任を持って」発言しなければならない状況になっていた。義捐金は送るべきなのか、原発についてどう考えているか、食糧確保はしたか、助け合いがどうなのか、絆がこれこれこうだとか、昨日のリツイートは今日のツイートになり、気づけば勝手に、何らかの立場にいることを表明せざるをえなくなり、論争に強制参加させられた。それを回避するためにはTwitterを利用しないという手以外はありえなく、たとえ「さだまさしは言いたがりのお節介やな」という他愛もない関係のない発言にしても、深読みされることは必至だった。与えられたテーマについて運よく意見を持ち合わせていることなんかめったにないから、面接にしても文章問題にしてもでたらめで乗り切ることになるけど、そうでたらめばかりでいくわけにもいかない。まあとにかくワシントン条約とか州とかDCとか、そういうこともそれはそれでそうなのだけど、ぼくにとってはこれがそうだという、直観みたいなものがあって、それで「これは知っておかなければならん」という風になるわけです。だから近々、世界史についての勉強をしなければいけない。とにかく知らなすぎるんだから。ぼくは一番好きな、歴史上の事件は何かという質問には、「ボストン茶会事件」と答えることにしているが、そんな質問はされたこともない。そして何よりボストン茶会事件にしてもその詳しいことはほとんどしらない。英語でティーパーティーとよぶということぐらいしか。
とにかくそういう発言を今日はしてみた。
うまく考えがまとまっていなくても、発言しなければいけないときがある。
だからぼくはこういうぐだぐだした感じになっても、まるであたりまえのように(こういう文体を志していたかのように)投稿するのだ。
そういう意見を持ち合わせております。
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