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2012/03/18

意見を持ち合わせておりません

自分が無知だということを恥じる瞬間はいろいろあって、人と話している時に漢字の読み間違いについて指摘されたり、みんなが国民年金について話しているときにひとり何も知らず「アイ・ハブ・ノー・アイディア」になったり、武田邦彦を福永武彦と間違えたりとか、大概は人前で生じる極刑だと思うのだけど、昨晩ぼくは部屋に一人で自分の無知を恥じていた。「クメール・ルージュ」をネットで調べていたのだが、ウィキペディアをみてぼくが「今までこんなことも知らなかったのか」と愕然とした。大量虐殺といえばホロコーストとか、南京の論争とかそういうイメージはあっても、クメール・ルージュにかんしては何の知識も持ち合わせておらず、従って何の意見も持ち合わせていないのだ。「それに関しては意見を言う立場にございません」

そもそも、ウィリアム・T・ヴォルマンという、アメリカ人作家の小説『蝶の物語たち』を読んだ。この作家は以前『ハッピーガールズ、バッドガールズ』というふざけた邦題がついた短編小説集とみせかけた長編小説(と勝手に認識している)を読んで、凄まじく自分の好みだったから、一冊読んだだけにもかかわらず飛び級、飛び級で、最も好きな小説家の一人に相成ったのであります。それからこの作家の小説は『ライフルズ』というのが邦訳されているが、怒濤の何万字なのかとにかく長い二段組のものなので、もちろん値段も高く、未だ読むに至っていない。
そんな中、絶版状態にある『蝶の物語たち』を図書館で大発見し、借りたのだが、もちろん読み始めてすぐにこれもすごく趣味にあった小説だと気づいて安心した。
タイ、カンボジアを舞台にジャーナリストの男が娼婦たちと関係をもち、下衆くて素晴らしい文体に魅了される前半だったが、その背景にあるポル・トポ派の自国民大量虐殺が、冒頭から主題ではなっくうっすらと和音を奏でていて、クメール・ルージュときいてコレージュ・ド・フランスを一瞬思い描く程度のぼくはそれをすぐに調べざるをえなかったのだ。

人を殺すことは、通常では計り知れないにしても、理由はある。罪もない人間を殺すことには、政治的か思想か、なにかの理由があった。しかし、どうして子供から順番に殺し、親にそれを見せ、聞かせる理由があるんだろう。ゲームのように子宮をえぐり、首を切断してコマにみたてて楽しむ理由がどこにあるのだろう。

こういうことは、例えば被害者数に様々な論争があるにしても、知らないことは恥ずかしいことだし、お節介にも、知らないことが被害者に失礼だとさえ思えてしまう(嫌いな考え方だが)。恐ろしいことは「アイ・ハブ・ノー・アイディア」状態であり、「クメール・ルージュについてはわたしは何の意見も持ち合わせておりません」となることだと思う。強制的に重大なことを選択しなければならないことがある。それは3.11によって日本人が強制的に参加させられた無法の議論において露骨に出現した。震災時、選択すべきことが膨大にあった。逃げるか留まるか、正しいか正しくないか、安全か危険か。それをぼくたちは自分の力で強制的に選ばなければならなかった。
ぼくは原発のニュースをみて、3月12日に女と二人で大阪行きのバスに乗り込んだ。女は、原発からは逃げなくてもいいといった。危険ではないと言った。ぼくも安全か危険かわからなかった。いや決して安全ではないけど、関東脱出をするべきかどうかわからなかった。Twitterをみればチェルノブイリの前例が語られていたり、駅員の感動的なエピソードが語られていた。友人たちは誰も逃げようとしなかった。国民が一丸となるべきときに、地方に逃げようとする人間を非国民のように言う人もいた。母親は電話で放射性物質というのが取り返しのつかないことだという風に言ってきた。ともかくぼくは強制的に短時間で結論を出さねばならず、その結果、原発にあまり関心がない女を説得して、大阪行きのバスに乗り込んだのだ。バスの中はほとんど外国人だった。前の席のフランス人カップルは、バスが出発するやいなやディープキスをおっ始めた。なんてこった。
大阪についてから、原発問題について女と語ったが、女は驚くべきことに、原発というものをなにひとつ知らなかった。実際、原子力発電というものを、オランダにある風車かなにかのようなものだと思っていた。とんでもない無知な女だったのだ。しかし無知なことは全く仕方が無いことだ。何も悪くはない。3.11以後は誰もが原発を知っているが、それ以前は原発という言葉すらきいたこともないような(無知な)人は少なからずいたはずだ。誰もが、必ず何かを知らない。人は、誰もがしっていると思えるようなこと(首相の名前や電車の乗り方)のうちのいくつかを、奇跡的に知らないで生きているものだ。みんなそうだ。しかし、自力で答えを選び出さなければならないときがある。しかもそれが時には命に関わったりもする。実際、マイクロシーベルトなんか全くきいたことすらなかった。ばくは最近までワシントン州とワシントンD.C.が全く別のものであることを知らなかった。しかしそんなことはどうでもよろしい。関東の各県の位置関係も曖昧だがそんなことクソくらえだ。
しかしなぜだか知らなくてはならないと思うものがあって、それはワシントンD.C.でもなく山梨の位置でもなく(昨日のぼくにとっては)クメール・ルージュなのだ。


以下引用。

 時に死刑執行人は、サトウヤシの木の剃刀並に鋭い葉で、かれらの腹や子宮を切り開く。時にはピッケルであれらの頭蓋骨を叩き潰す。これに特に熟練した執行人たちは、「コマ」と称する技を実行して楽しんだ。人の背後に立って、うまい具合に頭蓋骨を叩き潰すと、相手は倒れながらくるくる回って、しにゆく目でこちらを見上げるのだ。時には銃床で殴り殺した。時には崖から突き落とした。時には木にはりつけにした。時には皮をむいて、まだ悲鳴をあげている犠牲者の肝臓を喰った。時には濡れタオルで頭をくるんで、ゆっくり窒息させた。時には切り刻んだ。





 カフェの支配人がみんなの勘定書を持ってくる。クメール・ルージュはバタンバングの近くでかれの家族を働かせた。働きが遅かったので、かれの妻と子供三人を鉄棒で殴り殺した。かれは家族の頭蓋骨が砕けるのを見、聞いていた。一人ずつ、恐怖と苦悶がちょっと長引くように殺された。最初に赤ん坊の頭を叩き潰した。それから四歳の娘の蕾を散らした。次は七歳の息子が叫んでカボチャのようにひしゃげ、両親を血と骨まみれにする番だった。母親は、子供が死ぬところを見られるように、最後にとっておかれた。支配人はよい労働者だった。クメール・ルージュはかれに対しては何の恨みもなかった。でも、もしかれが泣けば、裏切り者とみなされるのを知っていた。それ以来、かれは決して泣かなかった。カフェの中を飛び回ってパンとお茶をお金に換える間、その目は見開かれて狂ったようだった。十一月の五月蝿のようだった。そしてジャーナリストは思った。ぼくの体験した苦しみなんて、かれのに比べれば何一つとして取るに足らないということは、つまりぼく自身がかれに比べて取るに足らないということなんだろうか。ーーそうだ。ーーでは、かれが勝ち取った悲惨な偉大さに対するぼくの認識を示すため、何かできること、あげられるものはあるだろうか。
でも、この男を助け、または幸せにするものとして、かれは死しか思いつかなかった。そしてこの男は、すでにそれを拒絶していた。
(ウィリアム・T・ヴォルマン『蝶の物語たち』山形浩生訳 / 白水社)



震災直後、別に知識人や芸能人でなくても、とくに何者でもない素人が、ぼくや友人が、知らない誰かが、誰でもいいけど、とにかく、TwitterにせよFacebookにせよ、何かしらを「責任を持って」発言しなければならない状況になっていた。義捐金は送るべきなのか、原発についてどう考えているか、食糧確保はしたか、助け合いがどうなのか、絆がこれこれこうだとか、昨日のリツイートは今日のツイートになり、気づけば勝手に、何らかの立場にいることを表明せざるをえなくなり、論争に強制参加させられた。それを回避するためにはTwitterを利用しないという手以外はありえなく、たとえ「さだまさしは言いたがりのお節介やな」という他愛もない関係のない発言にしても、深読みされることは必至だった。与えられたテーマについて運よく意見を持ち合わせていることなんかめったにないから、面接にしても文章問題にしてもでたらめで乗り切ることになるけど、そうでたらめばかりでいくわけにもいかない。まあとにかくワシントン条約とか州とかDCとか、そういうこともそれはそれでそうなのだけど、ぼくにとってはこれがそうだという、直観みたいなものがあって、それで「これは知っておかなければならん」という風になるわけです。だから近々、世界史についての勉強をしなければいけない。とにかく知らなすぎるんだから。ぼくは一番好きな、歴史上の事件は何かという質問には、「ボストン茶会事件」と答えることにしているが、そんな質問はされたこともない。そして何よりボストン茶会事件にしてもその詳しいことはほとんどしらない。英語でティーパーティーとよぶということぐらいしか。
とにかくそういう発言を今日はしてみた。
うまく考えがまとまっていなくても、発言しなければいけないときがある。
だからぼくはこういうぐだぐだした感じになっても、まるであたりまえのように(こういう文体を志していたかのように)投稿するのだ。

そういう意見を持ち合わせております。

2012/03/15

Gaku Kiishi (asahi)

Gaku Kiishi (asahi):




Gaku Kiishi or asahi (macaroom)
I am the principal songwriter of the electronica band "macaroom". mainly play the keyboard. In August 2010, we released our debut album, "room-103".

Everything reminds you of something.

2012/03/13

ビンロウの旅

檳榔というものを初めて聞いたのは、大阪なんばのバーでだった。
ぼくは中国武術の大会に出るために台湾に行く予定で、バーではその話で盛り上がっていたのだが、ぼくは恥ずかしいことに台湾のことは何ひとつ知らなかった。
マスターはぼくに「じゃあついにがっくんもビンロウの旅か」と言い、横に座る兄もうんうんと頷いている。
「どういうことですか?」ときくと、マスターは「実はね……」という新妙な面持ちで檳榔について語り始めたのだ。

檳榔とはヤシ科の植物で、興奮作用があるドラッグとして主にアジアで文化的に嗜まれる代物らしい。しかしこと台湾事情は少し違って、伝統的に「エロい女」が路上でそれを販売しているのだとか。檳榔を買うとお触りなどのオプションがつくのだとか。


【Wikipediaの供述】
檳榔子にはアレコリン(arecoline)というアルカロイドが含まれており、タバコのニコチンと同様の作用(興奮、刺激、食欲の抑制など)を引き起こすとされる。石灰はこのアルカロイドをよく抽出するために加える。
檳榔子には依存性があり、また国際がん研究機関(IARC)はヒトに対して発癌性(主に喉頭ガンの危険性)を示すことを認めている。
台湾では、露出度の高い服装をした若い女性(檳榔西施)が檳榔子を販売している光景が見られる。近年、台北市内では風紀上の問題からこれに対して規制が行われた。台湾では現在、道路にビンロウを噛んだ唾液を吐き捨てると罰金刑が課せられるため、中心街では路上に吐き出す習慣は無くなったが、少し離れると吐き捨てた跡や、噛み尽くしたカスが見られる。購入時にエチケット袋(紙コップとティッシュの場合が多い)が共に渡される。



兄はうんうん頷きながら「がくにもついにこの話をするときがきたか」といった表情で、「実はのう、今回の旅は、中国武術の旅じゃのうて、檳榔の旅なんじゃ」という告白をしてきた。
ぼくはこのサプライズに喜び驚き、
「いやあい!兄さんら、ずるいや!ぼくに内緒で!」と無邪気にバーボンをおかわりしたものだ。

かくして2011年7月29日に台湾へ渡り、「中国武術W杯出場の旅」改め「檳榔とエロい女のオールナイト台湾旅行」が始まったのだ。




実際のところ、ぼくは檳榔が台湾で法的にどのような状態にあるのかは知らなかった。しかし通訳兼案内役の台湾人チャーミー・チャンというゲイの青年に「檳榔がほしい」というと、「あんたも物好きねえ」というようなクィアな笑みを浮かべて「ダイジョウブ」と言うから、それほど怪しいものじゃないんだろうなあ、というぐらいの認識だった。
ぼくと兄と親父は、チャーミーの車に乗り込んで、怪しいストリートに入り込んだ。
「あれ、」とチャーミーが指差した先には、大きめの電話ボックスのようなスケルトンのボックスが路肩に設置されてあって、テーブルと椅子、そして若い女が中にいる。車が止まると、女は中から出てきた。裸の上に一枚上着を羽織っただけのような状態でボタンもとめてないから、今にも乳首が露出しそうだった。これが、非常に美しい女だった。レースクイーンのように下衆い雰囲気の、いい女だった。ぼくらは固唾を呑んだ。
チャーミーが台湾語でその女と交渉している。しばらく会話してから、チャーミーはアクセルを踏んだ。車が進み、女はスケルトンボックスに帰ってゆく。僕らは全く事情がわからない。
「どうだった?」ときくと、「オッパイ、ダメ」とチャーミーは答えた。
しかしまたすぐ先に別のスケルトンボックスがあり、車を止めると中から女が出てきた。下着姿の女だった。スケルトンボックスはクリスマスのごとく派手な電飾がほどこされていて、すぐ手前の『檳榔』という看板にも夜の雰囲気たっぷりの古臭い電飾が囲っていた。
チャーミーは女と交渉し、そしてまた車をすすめた。
チャーミーはぼくらに「警察の規制が入って、お触りは禁止になった。檳榔は売ってくれるが、おっぱいはさわれない」というようなことを、片言で説明した。
兄が痺れをきらして、「チャーミー、いいか。おっぱいなんかどうでもいいんや。おれらは檳榔がほしい。とにかく檳榔が買いたいんや」と言った。チャーミーはその言葉に驚き、「ああ、そういうこと」と言って次のスケルトンボックスの前で停車した。
次のボックスは、ジーパンにTシャツ、ノーメイクの地味な女が出てきた。チャーミーはその女と会話し、しばらくして檳榔の入った小包が手渡された。

ぼくらは怒っていた。チャーミーはぼくらの心を何ひとつわかっていなかった。
ぼくらは檳榔が欲しかった。しかし、台湾独自の文化である「エロい女から檳榔を買う」という醍醐味も体験したかったのだ。檳榔を買うかわりにオッパイを触るという行為が違法なのはわかっていたが、そんなもの交渉次第でどうにでもなるもんだ。金なんかくれてやるわい!ドラッグなんか日本にいくらでもあるし女だっていくらでもいるが、檳榔と女という組み合わせは台湾にしかない。それを経験しなくて何が台湾旅行だ!それをゲイのチャーミーはぼくらがオッパイ目的ではないことを知るや否や地味な女から簡単に檳榔を買いやがって。

しかしぼくは同時に少し安心もしていた。
車の中でずっと黙りこくっていた親父が心配だったのだ。いざ檳榔の女が脱いでオッパイを触ることになったら、ぼくらは一体どんな会話をすることになるんだろうか?誰が最初に触るのか?何と言いながら?そもそも親父もオッパイを触っていただろうか?どんな顔つきで?

ともかくぼくらは檳榔を手に入れた。この木の実のようなものをガムのようにくちゃくちゃ噛むのだ。吐き出すための紙コップもセットだ。
ぼくらは噛んで、溢れる真っ赤な汁を吐き出した。クソ不味いが、気分はコカの葉を噛むインディアンだ。ネイティブ・アメリカンだ。じっと黙って噛み、吐き出し、街のネオンを眺めた。体がほんのり熱くなり、気分は悪くなかった。檳榔一個の効果は「ああ、こんなものか」という程度だった。

檳榔屋の写真は撮ってないけど、ネットで検索したら色々でてきた。ぼくらが買ったのはもっと狭い簡素なスケルトンボックスだったけど、まあだいたいこんな感じだ。








その三日後くらいに、ぼくと兄はもう一度檳榔を試してみたくなった。武術の大会は終わり、兄は一位、ぼくは三位という思ってもみなかった快挙だったので、もうどうなってもいい心境だったのだ。
ぼくらは深夜街を彷徨い歩いて、やっと一件のボロボロの檳榔屋を見つけた。スケルトンボックスではなく、駄菓子屋かなにかのような雰囲気だった。駄菓子屋と違うのは、やはり『檳榔』とかかれた看板にド派手な電飾が囲ってあるくらいだった。
中には中年の、やつれたような女が座っていて、見ぶり手ぶりで檳榔を買いたいと言うと、無愛想に売ってくれた。エロい要素など何ひとつなかった。
ぼくらは、一個ずつ頬張った。
吐きそうなほど不味いが、だんだんと慣れてきていた。溢れてくる汁を吐き捨てると、路上に赤い血反吐のような色がつく。一個噛み終わると吐き捨て、二個目を頬張る。ぼくらは合計10個の檳榔を二人ですべて噛み終えた。ぼくらの足元は真っ赤に染まっている。それが暗がりでどす黒く、車のライトに反射して光るのだ。
ぼくらは夜の誰もいない街を歩き、タバコを吸った。ネオンがとても綺麗だった。コンビニでお茶を買い、飲みながら歩いた。ときおりタクシーやバイクが通り過ぎ、ぼくらはギラギラした目つきでそのライトを眺めていた。ぼくらはインディアンだった。中国武術を操る、家なき武闘派インディアンだった。くたびれた若者だった。失われた世代のこどもたちだったのだ。
宿泊先の龍山寺という街まで帰ってきたが、ぼくらは非常に元気で、屋台の椅子に腰掛け、街の様々な写真を撮り合ったり、語り合ったりした。ぼくと兄は6歳の頃から中国武術をやっていたが、大会に出たこともなく、ぼくは高校生くらいからほとんど練習はしなくなってしまった。それが、5年以上のブランクを経て練習を再開し、台湾に兄弟で、たった二人で乗り込んだのだ。そして1位、3位という成績を残して心のなかでは「どんなもんじゃい!」と叫んでいた。ぼくらは龍山寺の夜市のテーブルにつき、ビールを飲んでタバコを吸い、そういった感動的な物語を語り合ったのだ。そして思いついてはお互いに写真を撮り合った。

ほどなく朝になり、ホテルに帰った。親父に帰ると告げていた時間より大幅に遅れていた。部屋をノックして中から親父が鍵を開けるという約束だったが、もうさすがに寝ているだろうと思った。受付をする玄関も、管理人のおばさんが開けたままにしてくれていた。
部屋に帰ると、ドアの鍵は空いていた。
中で親父が寝ていた。鍵は掛け忘れたらしい。
すぐに盗まれたものがないか確認した。





朝までこうして座っていた。














兄貴。

そうなのさ。

三島由紀夫の『音楽』という本は、大学の先生が授業中に勧めていたので、すぐに買って読んだ。この先生は、大学入試の面接のときに、ぼくが「安部公房が好き」だと言うと、そこから彼は興奮して「安部公房は戦後最大の作家だ」とぬかしたので、ぼくも負けじと「中学生のとき、箱を被って下校し、郵便局員にとめられました。郵便局員に職務質問をされたのは初めてです」というと彼はさらに興奮して「君には良い点数をつけておく」と言って、まわりの教授たちを苦笑いさせていたような先生だ。
この先生はぼくが大学に入って1年ほどで亡くなってしまった。前立腺癌だったそうな。死ぬ少し前に「もう少しでベートーヴェンと北野武の作品の構造を比較した画期的な論文が完成するんだ!」というよくわからないことを言っていたくらいだから、相当しんどかったんだろう。
ともかく生きていたころの授業中(楽式論という授業だった)に、三島由紀夫の『音楽』を生徒に向かって勧めてきたのだ。

『音楽』の主人公は精神分析医で、そこに美しい不感症の女性が診察にくる。
物語中、精神分析医の妻であり看護婦である女が、不感症の女に嫉妬する場面がある。
精神分析医の妻がなぜ不感症の女に嫉妬したのかというと、それは不感症の女が男を下に見ているかららしい。女はセックスで男に勝つことができない。どんなに男を手玉にとる悪女を演じていても、事が始まれば声を荒げ、快楽に負けてしまう。
しかしこの不感症の女を、どんな男も満足させてやる事はできない。あらゆる技法を駆使し、どれほど時間をかけても、声を一切荒げない不感の女の前で、男は哀しく射精するのだ。
不感症の女は、男女のレースから抜け駆けしていて、男はその女を求めるが決して満足させることはできずに敗北するのだ。

女は性的弱者であることに何らかのコンプレックスがあるのかもしれない。お姉キャラのテレビ進出は、そうした性のレースから逸脱した勝者としての希望を映し出しているように思える。
男女の駆け引きから解放された真の自由に、暗に憧れる節はある。
アンドロギュノスという両性具有は、プラトンにまで遡る。

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男女はもともと一つの体であったが、ゼウスの怒りにふれ、真っ二つにされてしまった。以降、彼らは自分の片割れを探し求めて旅をするのだ。
とすれば両性具有は人間の完全版であるから、自給自足の憧れにも似た自由なものを感じるのだ。

しかしお姉キャラが中性的なジェンダーを演じていないように、半陰陽者も、全く中性を演じることをのぞまない。
お姉キャラが中性的でないことは、ボードリヤールは、性倒錯者の、ジェンダーのステレオタイプのパロディーという風な感じで説明している。お姉キャラは口調も格好もまさに「女性のパロディ」というのが相応しく、リアルな女性とは全く違う。
半陰陽者はほとんどの人が「インターセックス」という第三の性の呼称を嫌い、女性もしくは男性として生きる。

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性分化疾患者

完全なものへの憧れにも不完全なものへの憧れにも、無い物ねだりの感は否めない。
ぼくはもちろん「極端な男」であり、「男の中の男」である。もちろん極端な女を欲するのさ。髪も今日ばっさり切った。武術もやっている。ぼくは男の中の男さ。そうなのさ。



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2. Re:こ、これは

高校時代に、サーカスきりんというバンドをやっていたが、そのホームページを久々に見てみた。


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今は亡きサーカスきりんのころのわたくし

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すっかり忘れていたが、ホームページで、ぼくはファンの人に対して、恋愛相談というものをやっていたのだ。
サーカスきりんHP

相談に対するぼくの回答の内容が、まさに、小さなぼくというか、「ペダンチック」+「はったり」のオンパレードで、ぼくは高校生のころからこんな素晴らしい詐欺師だったのかと、感動して涙が溢れてくる。ちなみにこれをぼくはペテンなペダンで、ペテンチックと呼んでいるのだが、一向に定着する見込みはない。
この恋愛相談の回答は、ペテンチックの宝庫ともいうべきもので、これを読む限り、ぼくがなぜ今結婚詐欺師になっていないか不思議なくらいだ。


きょうはその、若き日のぼくの恋愛指南詐欺のベスト盤をお送りしたい。

【恋の悩みと美容相談室】というページで、副題は【恋愛の神様(ガク)が恋の手解きをいたしましょう】というものだった。







■[詩紗]
[真剣]
大好きな人が居ます
ある日彼の家にいくと襲われました
しかし私ゎ彼が好きなので嬉しかったです
好きと言われました
でも恋愛とかの好きかゎ解らないそうです
なのに私を抱きました
それでも彼が好きです
何回か合ぃある日友達と4人で出掛けました
私に特別感情をそそぐ事無く過ごしました
私を抱いた彼ゎ私なんて何ともおもっていないのでしょうか
私ゎあの人なただの都合のぃぃ女なのでしょうか

■[ガク(管理人)]
Delete
詩紗さん投稿ありがとう。まず君はセックスに関する観念を取り違えているようだ。多くの場合君達が考える恋愛における行動や感情はセックスとは無関係だ。特に男性に本能的に植え付けられた不特定多数に対する性欲は、進化論的に見た唯一の存在意義であるし、本来とはべつの下属的な恋愛観は、種の本能には到底及ばない三次以降の欲望に過ぎない。もし相手に恋愛感情の有無を見出だすなら、それはセックスとは全く別の何かから探すべきだろう。




■[KAO]

私ゎ今同じバィト先に好きな人がぃるんです。でもその人にゎもぉすぐ付き合って1年とぃう彼女がぃるんです。でもその人ゎバィトが終わったぁとょくバィクで私を家まで送ってくれるんです。私的にゎすごぃ嬉∪ぃんです。でもなんか彼女さんがぉるのに乗ってイィのかなってゆぅ気持ちと嬉∪ぃ気持ちがぐちゃぐちゃになるんです。…なんか相談∪たぃ事がぁりすぎて上手く言えません。でもホントに好きなんです。もう5ヶ月くらぃ片思いなんです。叶わない恋なら諦めるべきですか??

■[ガク(管理人)]

KAOさん投稿ありがとう。簡単に言うけど、君はまだあきらめてはならない。新たに君に好きな人が現れるまで、その男に恋をする権利が君にはある。一旦火のついた恋を、彼女がいるという理由で消すことは君にとって本当に不条理な話だ。むしろ今すぐにでも想いを伝えるべきだ。後のことは心配するだけ無駄だろう。
僕の意見を率直に言うと、押し様によって、君の方にかなりの勝ち目があるようだ。




■[カズマサ]
[中学生です…]

ボクの彼女はド〇ミちゃん体型なんです…セーラー〇ーン体型を理想とするボクは不満を持っているわけなんですが彼女とは別れられません…どうすればいいですかガクさん?

■[ガク(管理人)]

��ズマサさん投稿ありがとう。彼女の体型が不満であるなら一刻も早く別れるべきだが、どういった理由で別れられないのだろうか。理想をあまり現実に押しつけるべきではないが、あまり早い年からの妥協もお勧めしない




■[ピンキーリング]

��年前に
海に行って一緒に遊んだこと、私が電車を間違えたら「ちゃんと送ってあげたら良かったね」といってくれたこと、かっこよくて笑わせてくれること良いところが沢山ありました。 恥ずかしがり屋であまのじゃくだけど大好きって言いたかったです。海沿いの道を通るとせつなくて、夜は眠れません。私はぐっすり眠りたいんです。

■[ガク(管理人)]

ピンキーリングさん投稿ありがとう。
平穏な生活から逆行したい心理が過去の不燃焼の記憶と合わさってフラッシュバックしているようだ。「状態」に過ぎない周期的な鬱屈だが、適当にあしらいもできない長期的な問題だろう。
君にとって捨て去るに惜しい記憶は無理に削除することは困難であるし、それを進めるのは学びを蔑ろにする連中だ。そうした過去を他の如何なる対象と比べることは不可能であるし、自分への好意を愛すべく点として思い起こしているのは子供じみていて傲慢だ。しかしそうした記憶から学び、自身を磨いているのは事実だ。
追いかけるべきは過去ではなく未開発の対象だ。それはどう解釈してもひとつの分類として存在している。君は不眠を訴える割には上手く思い出として昇華できているようだし、良い意味で狡賢い心理的な計算も垣間見える。合理的解決はそう遠くないはずだ。
成り行きや偶然性に委ねるのではなく、行動するべきだ。
新しい刺激を(芸術面において特に)多く受け入れ、発見するべきだ。
過ぎ去った時間を計算するのは得策ではない。
いずれ周期的なものである、高揚した状態と連動した精進は必ず訪れるだろう。




■[ドン底]

人を好きになるッていったい何だとおもいますか?
今一番好きッて思っても前の違う人のときも同じことを思っていた気がします。でも今大好きな人は自分のずっと探しあてた人物で私はこの人に出会ってしまったからもぅほかの人を好きになることはできなぃです。卒業してしまった相手。もしかしたら二度と会えないかもしれません。彼の特別な存在になれないことはわかっているけどずっと好きでいたいんです。

■[ガク(管理人)]

��゙ン底さん投稿ありがとう。君は相手に対する不安が具現化しているのを恐れているのだ。対策を練るのも悪くないが、純粋に流れに従った対応をしていくほうが正解だろう。余計な干渉は邪魔であるし、不安や恐怖から逃げ出すのも得策とはいえない。打ちひしがれた状態であっても君は冷静に順序を守っていくべきだし、友達からの慰みも悪影響だ。つまり、君は思想に耽りすぎるせいで単純な事を拡大して深刻化してしまっている。素直な目線で見守っていくべきだ。




■[なつ]

こんにちわ
好きな人ができました!
その人はいい私より
��つも年上の人です。。
恋愛対象にもみられて
いません
どう行動したら
その人に近づけるんで
しょうか。。

■[ガク(管理人)]

なつさん投稿ありがとう。まず君の身の丈を考えてみよう。君にできることやできないことを把握した上で、相手の意識を探って見ると、原因がさほど年齢差によるものではないことがわかるはずだ。君が奥手である原因は相手への配慮と、完璧主義者の性分だろう。何も相手が意識するまで君の恋愛の開始を見送ることはない。君が強引に自分の世界に引張ってやるべきだ。そういった一心な態度は相手にとって迷惑なものではない。




■[M]

がくくんは
今好きな人いますか?



がくくんって人を好きになったことぁるんですか?
教えて下さい

■[ガク(管理人)]

��さん投稿ありがとう。漠然とした疑問のせいで、根本的な問題に取りくめずにいるようだ。これについては多く論争の呼び起こされることだろうが、僕の場合は、まず第一にある進化論説を念頭におき、それから君達が待ち焦がれるような付属的な恋愛観を添えていくようだ。つまり、第一の作業として、対象に絶対的な感情を与えてやらない。第二に、多くを干渉せず、自分もさらけ出そうとはしない。
つまり、一般的な恋愛というのは確実的な『個人』の領域であるが、僕の場合相手の不在証明に愛の存在価値を見出だすタイプらしい。なかなか異端と正統に分けられるような問題ではないが、恐らくおよそ君達に参考になるようなものでないはずだ。




■[スイミー]

これまでカラダを使ってしか愛情表現できない、その方法しか知らなかったぁたしのカラダがそれを拒みます。
他に方法はぁるんですか。
どうやったら振り向いてくれるでしょうか。

教えてください。

■[ガク(管理人)]

��イミーさん投稿ありがとう。セックスでしか愛せないというのは、君はまだ愛のほんの一端しか目撃していないということだろう。確実的に言えるのは、愛するということは、つまり相手の仮面を剥がしていくものであるから、そうするとセックスもまた最高の表現体であるが、それも含め相手を知りたいと思うことがあるだろう。どれだけ相手の化けの皮を剥いでやるかが愛することの醍醐味だ。
つまり、君がセックスをして、相手の普段は見えない所にコンプレックスを発見したとしよう。それは例えば肌の問題であったり、体質の問題であったりだ。しかしそれは、相手にとっては「コンプレックス」であり「欠点」であるが、二人にとってはそれが二人だけの「愛」であるのだ。
化けの皮を剥がさない恋愛ほどつまらないものはないだろう。













番外編として、こういったものもあった。
ああ懐かしい


■[クリストファー]
[★メリークリスマス★]

お父さんです。やっと今年も後一週間となったな。ガクよ、この一年間本当に迷惑かけたと思っている。お父さんも、まさか告訴されるとは思いもしなかったよ。
裁判中ただ一つのことを考えてた。「派遣のアルバイトの登録に行こう。」と。そのお陰でクリスマスツリーも買えたし、偏頭痛も治ったと思っている。
それはそうと、お兄さんの南がブロンを毎日飲んでるらしいんだ。何気無く確かめてくれんか。


■[ガク(管理人)]

クリストファーさん投稿ありがとう。ブロン依存に関していえば、それほど深刻に考えることはないようだ。本人の意思とセッティングさえ合えば、やめることもそれほど困難ではない。禁断症状についても通常一週間ほどで健康状態に戻り、耐性も消えていく。それよりも気にかけるべきなのは、それを突破口とした麻薬常用の危険性だろう。しかしそうした管理を君がどこまで気を張っておくかは何とも言い難い。一見した教育的な意見だけであろう。そこから先はもはや他人の人生である。

女と息子と孫

これは実在する話です。
ある科学者がタイムマシンを発明し、それに乗ってルネサンス期やベルリンの壁崩壊などを見学した後、数十年過去の実家に飛んで、幼少期の父親と若い祖母に会いました。科学者は自分より年下の祖母を拘束した後に自分より年下の父親を殺害し、現在に戻ってきました。父親に恨みのあった科学者は、「やったぞ。完全犯罪じゃ」と言ったそうな。
そこで科学者はふと考えました。自分の父親が幼少期に死んだのに、なぜ自分はここに存在するのか?パラドックスだった。そこで冒頭の「実在する話です」という文句も気になってきた。「実際にあった話です」というのが普通ではないか。科学者は考えた結果、この話は物語としては実在するが、現実に起こった物語ではないという結論に至った。安心した科学者は、その夜ぐっすりと眠ることができました。





こういう話もある。
実際にあった話である。というか知り合いの話です。名前は仮にMちゃんとする。

Mはある日、間欠的な腹痛、38℃の発熱、腹部・手背・膝窩・両下腿・足背に掻痒感のない径1mm大の皮膚色の丘疹が散在性に出現し、寝込んでいた。翌日になって咽頭痛が悪化し、近医を受診した。溶連菌とインフルエンザウイルスの迅速検査を行ったが陰性であった。その後発熱は39~40℃と上昇したが丘疹は消失した。
翌日、再度受診し、セフカペンを処方された。
症状に多少の変化は見られるも回復はせず、4日目より、泥状から水様の下痢が1日1~2回程度出現した。5日目に解熱したが、咽頭痛・腹痛は悪化していた。近医受診し、アデノウイルス迅速検査が施行されたが陰性、血液検査ではWBC5000/μl、Hb12.6g/dl、血小板13.4万/μl、GOT264IU/l、GPT196IU/l、CRP3.05mg/dlと肝機能障害、軽度の炎症反応増加を認めた。腹痛に対しては浣腸が施行された。
6日目、精査加療を必要とし、都内内科に紹介された。来院時、体幹に紅斑出現し、腹痛は強くなく、WBC13500/μl、Hb12.8g/dl、血小板16.3万/μl、GOT98IU/l、GPT100IU/l、CRP1.65mg/dlの検査結果を認めた。
帰宅後、再び発熱が出現、腹痛はさらに増強し、翌日に入院となった。
生化学検査では、軽度の肝機能障害、LDHの増加、低Na血症、CRPの軽度上昇を認めた。血液一般検査では、WBCの上昇、分画では好中球の増加、単球の増加を認めた。赤沈は51mm/hrと亢進していた。尿検査では、ケトンが3+で、蛋白は1+であった。便検査では、塗抹では多核白血球は1視野5個未満と陰性であり、その他ロタウイルス、アデノウイルス、O157、Clostridium difficileの抗原検査も全て陰性であった。

入院当初は、川崎病も鑑別に考えられ、心エコーも施行したが、冠動脈を含め異常は認めなかった。入院時の問診で、Mは発症2日前にLSDを服用しており、その際に幻覚を体験していたことが判明した。幻覚の内容は、見知らぬ男性に拘束され、自分のまだ誕生していない息子が、目の前でその男性に撲殺されるというものだった。腹痛、再発熱、発疹、下痢を認め、画像検査より腸管膜リンパ節炎、回盲部中心に腸管壁肥厚を認められたので、エルシニア感染症が最も疑われた。入院翌日の第9病日に再度幻覚症状を訴えるようになり、架空の息子が科学者に殺害されたと訴えるようになる。発熱・腹痛持続、全身状態もやや不良であり、Albも2.7g/dlと低下、尿量低下、浮腫も認め、エルシニアの敗血症の可能性も考慮したため、カウンセリングは施行せずゲンタイマイシン5mg/kg/dayの投与を開始した。ゲンタマイシン投与翌日より解熱傾向を認め、全身状態・腹痛も徐々に軽快していった。
第11病日、入院時の便のエルシニア選択培地からエルシニアペスティスが検出され、エルシニア感染症と確定診断した。血液培養は陰性であった。 系統はオリエンタリスであると推測されるが、感染経路は不明である。
7日後のペスト菌解析の報告によると、系統はMedievalisと判明し、2011年ロンドンで発見された14世紀のペスト菌のゲノムと酷似していることが判明した。14世紀からほぼ進化を遂げていないMediavalisの感染報告は初である。

キスの味

確かに、昔はがっついていた。キスは全力で唇を吸引するものだと思っていたから、終わった後、相手の女は焼きそばを全然すすれなかった。すすろうと思っても、口からすべてこぼれ落ちるのだ。「あせらないで」といなされたこともある。でもそういうことが経験値をあげていくのだから、仕方がない。キスをするとき目を閉じるのは、気まずいからではない。瞳が合わせ鏡になるからではない。相手が恐ろしい形相だからではない。恋は盲目だからでもない。情報の8割は視覚に頼っているのだから、それをシャットアウトして、残された感覚だけに頼るのだ。とりわけ味覚を存分に味わいたいから目を閉じて強制暗室になるのだ。そんなことはBjorkのAll Is Full Of Loveのアンドロイドでも知っているのだ。
ドイツで男女を3メートル四方の暗室と明るい部屋に閉じ込め、性的興奮を実験した結果は一目瞭然だったそうな。
しかし暗室効果は、別に暗室に入らなくても、目を閉じるだけでいいのだ。


ある作家が、ある恋愛小説の解説において、別れかけていたカップルが再度成就するまでの過程を、五感の情報によって段階わけしていた。(それはしょうもない恋愛小説についてだったが)


情報なし(音信不通。もうなにもできない。ただ指をくわえて耐えるしかない)

視覚的、言語情報(メールがくる。内容は「別れよう」だ。メールじゃらちがあかない。メールじゃどんどん勘違いが生まれる)

聴覚情報(電話する。やっと通じた。話せばなんとかなる。)

視覚情報(会う。こんなに可愛い子だったかと息を呑む)

嗅覚情報(近づく。甘い香りはウェルカムようこそツバキの香り)

触覚情報(手をつなぐ。抱き合う。お前を、腕に抱く)

味覚情報(キス。「君が前の彼氏としたキスの回数なんて、俺が三日で抜いてやるぜ」)




Facebookやツイッターなどをしていたら、よく
「この情報を共有(share)しますか?」
という表示を目にする。いつも全く意味がわからずに「share」のボタンを押しているが、クラブ、コミュニティ、共同体、人間関係というものは、おそらくどこでも、情報をshareするということにつきるのだろう。互いに有益な情報を共有して生存してゆくということが、へたれな人間が人間を欲する理由かもしれない。
ユダヤ人とか客家とかフリーメイソンとかいう最大のネットワークにいる人たちは、国を超えて色々とんでもないあられもない情報をshareしてるんだろう。

パーソナルスペースという、人間関係の距離感のようなものがあるらしいが、たぶん恋人が最も近いでしょう。近ければ近いほど感覚による情報はshareされる。だからこそニオイフェチだということを得意げに語る女が出てくる。ニオイフェチがどうした?
嗅覚は大脳辺縁系に直結しているのでとりわけ情動、記憶と結び付けられる。匂いを嗅いだ瞬間に記憶が蘇ってくるのはそういうことだ。テレビで、人はMHCという遺伝子の値が自分から遠い匂いを好むという話をきいたが、だったらなぜ自分の体臭はそれほど不快ではないのだろう……?

上の恋愛における五感の情報の段階は、しばしば順番が入れ替わるだろう。嗅覚から入る場合もあれば、視覚から入る場合もある。
しかし絶対に変わらない順番が一つだけある。
それは味覚情報だ。
人間関係の中で、相手を味覚情報で捉えるという機会はほとんどない。あるとしたら、大抵の場合、すでに恋愛関係に入っている相手だろう。

「キスまで持ち込めばあとはなんとかなるさ」

というハードボイルドな台詞をよく耳にするが、キス(味覚)までいった段階では、すべての感覚をShareしているということになるので、あたりまえになんとかなるさ。ゴールはセックスじゃなくてキッスなのさ。

とにかく人は、セックスに至るまでの五感の共有の段階で、味覚が最後に来るということを知っている。最終的には恋人を味わいたいのだ(その味はワインより美味いのだ)。
それではどうぞ
I dream of your first kiss, and then,
I feel upon my lips again,
A taste of honey... tasting much sweeter than wine.

ビートルズで、『A Taste Of Honey』


だからぼくはよく思う。最初に相手に味わわせてやればいいんだ。
最初に味覚を与えちまえばいいんだ。

相手が好意を持っているものを食べている時に。
ショートケーキを食べているときに、タピオカジュースを飲んでいるときに、いかしたケバブにかぶりついているときに、
好きだと言えばいい。

味覚と言語情報を合わせて、勘違いさせてやるのだ。
さらに、食べている時は心理的に、要求を受け入れやすいらしい。

こういう胡散臭い恋愛心理学は鵜呑みにするものじゃない。
けど女性は食べることか愛のことしか考えてないから、ぼくもこういう手段を思いついてしまうのだ。喫茶店にくればまず醜い面持ちでケーキを頼み、甘ったるい何らかのラテを飲み、男の話をして、たまに仕事の話もするがそれらが最後にはすべてセックスに集約されちまう。アイドルの整形や豊胸を話題ににするのは童貞のオタク野郎ではなく、「女子会」と偽証して集まり大食らいする四十路の女たちだ。彼女らは今まで自分が何人の人間と出会い、何人と連絡をとり、何人が友人になり、何人が親友になり、何人が恋人になったかということばかり計算し、おまけに仲良いにも関わらず性的関係を持たない異性を真の親友だと言って誇らしげに保有することも忘れない。楽園で最初に果実を手にしたのがイヴだったように、彼女らはまず食い、それから男に擦り寄る。

味覚を共有することに抵抗はないが、それがどれほど肉欲を湧かすのかをしらない人は、たとえ一晩の関係だったとしても、キスを何度も繰り返す。男は誰とでもセックスするが、女は誰とでもキスをする。しかし味覚を共有することが、つまり五感の中の最後の砦を相手に受け渡すことが、真の合体であることを知っている人は、無闇矢鱈にキスはしない。


男は狼だと言う。
主人は、自分より弱い忠実なメイドを震え上がらせてスパンキングし、こう言うのだ。
「お前を食べてやる」
もしくはロマンティックと苦悩に溢れるドイツの若い実業家なら、手紙にこう書くだろう。
「ああ、ハニー、君を味わえたならどんなに良いことだろう」

なんせハニーのその味は、どんな特別なワインよりも美味いのだから。
A taste of honey... tasting much sweeter than wine.

『重力の虹』より

 ちょっと酔っ払い、翌日の発射のことを考えて不安と昂奮が少しずつといった状態でかれが島から帰ってくると、部屋には誰もいなかった。イルゼも、花模様のバッグ、いつも寝台に脱ぎ捨てられていた洋服も、みな消えていた。残されていたのはみすぼらしい対数方眼紙が一枚だけ(それはペクラーの指数関数曲線の恐怖を和らげ、線型の、安全な恐怖にするのに役立った)。それと同じ種類の紙に彼女は月の家の絵を描いたものだったが、いまはこう書いてあった。「パパ、わたし戻るんだって。たぶん、また会わせてもらえるわ。そうだといいんだけど。愛してます。イルゼ」
クルト・モンダウゲンは、ペクラーが娘の寝台に横になり、枕に残ったイルゼの髪の匂いらしきものを嗅いでいる姿を見つけた。それから、しばらくの間、ペクラーはちょっと正気を失い、ヴァイスマンを殺してやるとか、ロケット計画を破壊してやるとか、仕事をやめてやるとか、イギリスの精神病院を探すとか口走っていた。

名シーンメモ

ちょっと長いけど、忘れない内に書いとこう。自分用に。
トマス•ピンチョン「重力の虹」(国書刊行会)より抜粋。









ケクレが夢で見たのは、自分の尾を口にくわえた〈巨大な蛇〉で、〈世界〉をぐるりと取り囲み、夢を見ている〈蛇〉だった。しかし、この夢は卑劣さと冷笑をもって利用されることになる。「〈世界〉は閉じたもので、循環し、共鳴し、永遠に回帰している」と告げる〈蛇〉は、〈循環〉を乱すことを唯一の目的とする(システム〉の中に受け渡されることになる。この〈システム〉は、〈生産性〉と〈利益〉は時とともに増加し続けると主張し、手に入れるだけで与えようとはせず、ほんの一握りの必死になっている輩が利益を得るように〈世界〉から厖大な量のエネルギーを奪ってゆく。人類の大半だけでなくーー〈世界〉の大半、動物、野菜、鉱物のその過程において浪費されてしまう。〈システム〉はそれをわかっているかもしれないし、わかってないかもしれないが、〈システム〉は時間を買っているだけなのだ。それに、時間はそもそも人工的資源であり、〈システム〉以外の誰にも、何に対しても価値がない。〈システム〉は遅かれ早かれ、そのエネルギー中毒に(世界〉からの供給が追いつかなくなったとき、生命の鎖でつながれた罪のない者を引きずりながら崩壊するに違いない。〈システム〉内で生きることは、自殺マニアの運転するバスに乗って国を横断するようなものだ……もっともその運転手は愛想がよく、拡声器で抱腹絶倒のジョークをとばし続ける。「みなさん、おはよう、次はハイデルベルグです。古い歌の一節をしっていますね。『ハイデルベルグで愛をなくし』です。私の友人はそこで両方の耳をなくしました!誤解しないでください、そこは本当に素敵な町です。人は暖かで素晴らしいーー決闘をしてなければね。まじめな話、とても良くもてなしてもらえます。町に入る鍵をくれるだけじゃなく、酒樽のくちあけをさせてくれます」等など。田舎をバスが行き、明るさが変わり続けーー城、岩山、いろいろな色や形の月が見えては消えてゆく。理由は告げられないま、朝の妙な時間に停車する。手足を伸ばしに外へ出る。ライムライトに照らされた中庭には、夜の暗がりの中その匂いが感じられる巨大なユーカリの樹々の下で、老人たちがテーブルを囲んで座り、手垢でベタつき、すりきれた古いカードを切り、チラチラ震える光の中で〈剣〉や〈杯〉 、大切礼を投げだしている。その背後では、バスが空ぶかしをしながら待っているーーいま乗客たちは再び座席につくだろう。どんなにここに留まりゲームを学び、この静かなテーブルで歳をとりたいと思っても、それは無駄なこと。アイロンのかかった制服を着た運転手が、バスのドアのところで待っている。〈夜の王〉たる運転手が、乗客の切符や身分証明書、旅行証を調べていて、今夜支配をふるうのは会社の指揮棒であり……運転手がうなずいて通してくれるとき、その顔、狂気の熱狂的な目がちらりと見え、そのとき、ほんのわずかな鼓動の内に思い出す、この旅が最後には乗客をパニックに陥れ、体面をわすれさせたまま流血の惨事を迎えるだろうということをーーだが、その間にも旅は続く……座席の上の、広告があるはずのところに、広告の代わりにリルケから引用した一節、「一度、ただ一度だけ……」がある。〈かれら〉の好きなスローガンの一つ。後戻りすることも、救済も、〈循環〉もないーーだが、それは、〈蛇〉に込めた意味ではない。違う。〈蛇〉が意味するのはーーこれだとどうだろうーーベンゼンの六つの炭素原子が実際は渦巻いて閉じた環になっているということだ。ちょうど、自分の尾を口にくわえたあの蛇のように。おわかりかな?










まさかこれを携帯で書いたと思わないでしょ

5000mi perfiction

いやーやっと、今書いてる小説のタイトルが決まりました。

「5000mi perfiction」

それで興奮しておかんに解説つきのメールを送って電話して、鼻息荒く語っていました。

もう書き始めてかれこれどんくらいになんのかしら。2年くらいかしら。



それから今日は、imi/popの曲を作って、それがなんというかダダイズムな詞なんやけど、それをメンバーに送ったら、つづりの間違いを指摘されて、それで新たな造語(カバン語)ができあがった。


そことは違うんやけど、自動書記でおもろい詞になったところがあった。


「spectomariser analyzer」
これって、たぶん、正式にかくと、

「Spectrum analyzer analyzer」
なんやと思う。

やから、計測器を、計測する機械


天竺鼠の川原の「おっぱいを取る機械、を取る機械」みたいな発想やな。



それで中原中也の話に一瞬なって、久しぶりに中也の詩をみてみて、ずばっずばに感動した。


自分で詞をかいて、それで思い出したように中也を読んで、感動したんやけど、中也を読んで感動したから詞をかいたってことにしようかね。


だからみんなには中也の詩なんかどうでもいいかもしらんけど、載せざるをえないから、のせます。



「頑是ない歌」

思えば遠く来たもんだ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気は今いずこ

雲の間に月はいて
それな汽笛を耳にすると
竦然として身をすくめ
月はその時空にいた

それから何年経ったことか
汽笛の湯気を茫然と
眼で追いかなしくなっていた
あの頃の俺はいまいずこ

今では女房子供持ち
思えば遠く来たもんだ
此の先まだまだ何時までか
生きてゆくのであろうけど

生きてゆくのであろうけど
遠く経て来た日や夜の
あんまりこんなにこいしゅうては
なんだか自信が持てないよ

さりとて生きてゆく限り
結局我ン張る僕の性質

と思えばなんだか我ながら
いたわしいよなものですよ

考えてみればそれはまあ
結局我ン張るのだとして
昔恋しい時もあり そして
どうにかやってはゆくのでしょう

考えてみれば簡単だ
畢竟意志の問題だ
なんとかやるより仕方もない
やりさえすればよいのだと

思うけれどもそれもそれ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気や今いずこ

連笑

一年ほど前の話。半年前だったかな。

父親と兄とぼくとで、先祖代々の墓へ、お墓参りにいった。
祖父や曾祖父らの遺骨が納められている墓とは違って、それはもっと遠い先祖のお墓らしく、名字なんか聞いたこともないもので、もちろんその場所に行くことすら1度か2度しかなかった。スピリチュアルな観点からなのか、なにかのロマンなのか、もっと違った理由だったかもしれないけど、とにかく、兄が急に、その墓参りに行きたいと言い出したのだ。
 それも兄が実家から大阪へ帰る当日の昼間くらいに急に言い出したものだから、大阪行きのフェリーが出る時間までに行かなくちゃいけなくて、父親はいらいらするし、ぼくもわけもわからずついていくし、とにかく車内のタバコの煙の量はひどいもんだった。
 飯を食う時間もないし、かといってこのまま空腹で墓参りなんかまっぴらなので、コンビにによって、おにぎりなんかを買って、それから缶コーヒーを買って、それでも父親のいらいらは納まらず、時間を気にしながら、墓場へと向かった。

思えば父親は、時間に追われるとすぐにいらいらする。予定が狂うといらいらする。おなかがすくといらいらする。
昔よく、急に「今日は温泉にいこう」なんて機嫌よく言い出して、ぼくと兄と父親の三人で車に乗り込むんだけど、温泉に着くまでの道のりで、ちょっとした渋滞でめちゃくちゃ切れてる。それで温泉あがって、帰る道中で、お腹が空いてだんだん機嫌が悪くなるのがわかる。帰ってから父親がご飯をつくるのだけど、つくりながら「えい!」「おりゃっ!」とか奇声をあげて、さらにものすごいでかい舌打ちなんかかましながら、あきらかにイライラして料理している。出来上がった料理はもう完璧で、ハーブの飾りつけも、オリジナルソースのかけ方もちょうどよく、メインディッシュのほかに小品がいくつかあって、それはすごくおいしかった。それで「いただきます」と言って食べ始めるときに、たいてい母親が帰ってきたりして、それで父親はまたイライラし始めるのだ。父親としては、せっかく母親が帰ってきたのだから、一緒にいただきますをして、一緒に食べはじめたい。だけども料理はどんどん冷め始めるから、今すぐ息子たちに食べさせてやりたい。そうして、親父が計画した最善のものが崩れ始めると、イライラするのだ。

 だから墓参りに行くときは、そういった要素が凝縮されていたようで、これはもうぼくら的には、非常に想定内のイライラだったのだ。
 車内は一切会話がない。
 それで墓場について、墓参りをする。2リットルのペットボトルに水を入れて、山道をのぼる。若干の険しい道を歩いて、その墓石はある。
 墓参り自体は、まぁ10分くらいで終わるのだ。そしてまた山をおりる。
 駐車場まで戻ったとき、父さんが、空になったペットボトルを、兄にわたした。後ろの座席においてほしいからだ。渡した、というか、軽く投げてパスした、という感じだった。
 それでたぶんなんとなくなんだろうけど、兄はそのペットボトルを、ぼくに投げてよこした。その次にぼくがそのペットボトルを父親にパスするときには、「ヘイ!」という掛け声が付属していた。
 もうこの瞬間には、3人の心の中は全く同じだったと思う。このよくわからないゲームを、絶対に大事にしなければならんと、思っていた。
 それで駐車場で大きな三角形ができあがり、親父は「ヘイ!」といってまっすぐな綺麗なパスを兄に投げて、それをうまくキャッチすると兄は、ぼくに、横回転のパスを投げる。ワンバウンドしてキャッチしたぼくは、それを上に高く投げて、父親が、それをジャンプしてキャッチする。

 実際問題時間はそんなになかったのに、なんで3人そろって、こんなふざけた遊びをおっぱじめたんだろう。
 それはとても一言じゃ言い表せない思いがあったからだと思う。それは、数年前の親族同士のトラブルが残した、後味の悪い事件が、きちんと終わりを迎えておらず、それが墓参りという行為の中でフィードバックされたからかもしれない。それは、ぼくら3人が、いわゆるキャッチボールという、もっとも父親と息子らしい遊びをしたことがなかったからかもしれない。それは、もうすぐ兄が大阪へ帰ってまたばらばらになることが寂しかったからという、一種の照れかもしれない。それは、親子だけがわかる「笑い」や「ノリ」というものが、何かのきっかけでストッパーから外れてしまったせいかもしれない。親父は、今までイライラしていたことへの照れや反省もあるかもしれない。兄は、単なる即興コントにのっただけかもしれない。でもとにかく、一瞬のうちに3人の中で電流が走って、打ち合わせ無しのキャッチボールが、始まったのだ。
 後にも先にも、3人でキャッチボールなんかしたのは、あのときだけだ。



 そして、とにかく、その父親が、明日東京にくる。
 数年前に交わした口約束のために。
 それは、スティーヴィー・ワンダーを一緒にみよう、という、まぁ単純明快なもので、まさかそれが今になって実現されるとはね。

小説のこと

ずっと書いてた小説のすべてのパートを書き終えた。完成させるにはもう少しかかるかもしれないけど。結局ここまで2年くらいかかってしまった。俺は読むのも遅ければ書くのも遅いんだろう。
この小説は、全体の50%がエロで、30%が洒落で、10%が引用というような感じで、原稿用紙170枚程度の短い話です。ザトウクジラのソングがキーワードになっている話なので、読んだことはないけど村上龍の「歌うクジラ」からインスピレーションを受けたということにしようと思います。
エロい小説を書いたということが、唯一日本文学的な流れを踏まえている部分かもしれない。日本文学はとにかくエロい。顕微鏡のように細かくエロスを書く。明治文学はほとんどがポルノじみている。アメリカ文学の性の解放はせいぜい50年代以降だろうけど、日本文学のエロス歴はながい。だから俺は昔「名作と呼ばれる作品はなぜエロスが多いんだろう」と疑問に思ったことがある。エロくて文学的というのは、中学生の俺からしてみれば異様な組み合わせだったのだ。しかし世界に目を向けると、エロい小説家なんていない。サドもバタイユもみなアングラ作家だった。
だから対向勢力の勢いは凄まじく、「ソフトマシーン」を初めて読んだときは衝撃だった。それは谷崎とも三島とも全然違うのだ。まず全然文学的じゃない。それから物語的じゃない。それからすごく下衆いエロ、そして全員ゲイだ。シャワールームでアナルに石鹸塗りたくって一発やるんだけど、なんともジャンクで下品でチープで、それでいてかっこ良かった。このかっこ良いテンポはなんだろうと思い、すぐにコミックだと思った。バロウズは長いながい意識の流れが錯綜として続き、なにがなんだかわからないけど、展開はすごく早い。パッパッパと物語が進行して、また意識の独白になる。
まあそれでこのジャンクなポルノを読んで、こんなポルノを日本文学で実践すべしと思って、なるべく官能小説にありがちなチープオノマトペを使うことにした。装飾はいらない。推敲もしない。

この物語には、カズハゴンドウが89頭、ザトウクジラが1頭、シロナガスの着ぐるみ着た女の子が1人、シロナガス級の潮吹き女優が1人出て来ます。あとはショーン・コネリーそっくりな爺さんとかシーシェパードとかサーフロッカーとか山本リンダとかでてきます。




さて寝よう

3. Re:Re:無題

学校のテストが終わった。大学生活最後のテストは「ポピュラー音楽特論」だった。ポピュラー音楽といっても映画音楽の授業で、映画みたり音楽聞いたりしている。学校に着いて喫煙室に入ると、ジョンが古澤さんに映画音楽について色々と質問し、メモしていた。ヘンリー・マンシーニ、バーナード・ハーマン、ニーノ・ロータ……それから俺もジョンにエンニオ・モリコーネ、ジョン・バリー、ジェームズ・ホーナーを教えて、それをジョンはメモしていった。しょうしょ君から授業プリントをもらった。だがテストはプリント持ち込み不可だった。問題は難しく、ぼくらは最後の記述問題にかけるしかなかった。書かなくても減点はされない任意の問題だが、素晴らしい文章には点数をくれるらしい。「あなたが好きな映画音楽について語りなさい」というような問題で、俺は「パルプフィクション」を書き、ジョンは「サスペリア」を書いた。テスト用紙の裏いっぱいに書いた。ジョンもそうらしい。4年生にもなって、任意で書くおまけ問題にしがみついているのだ。
このテストの前日くらいにジョン・バリーは亡くなっている。だからテストの次の日は喪に服すことに決め、地味な服着て、肉は食わずにざるそばばっかり食べていた。テストも終わり、小説も書き終えたので、ご褒美にウィスキーを買った。ターミネーター3をみながら酔っ払って、1人でアンビエントのDJをした。テレビを持ってないけど、ジョン・バリーの死はニュースになったんだろうか?
そういえば、10日ほど前に、トマス・ピンチョンが死ぬ夢をみた。ツイッターで「アメリカ文学作家のトマス・ピンチョンが誘拐もしくは死亡という説があがっています」というのを誰かがリツイートしていた。そのあとフォローしてる誰かが「なにっ!ピンチョン死亡???」というのを書いてた。世間に一切姿を現さない作家であるから、死亡か誘拐かもわからないというのはありえる話だった。そしてすぐ後に誰かが「米文学のトマス・ピンチョン氏が亡くなっています」という言葉とともにWikipediaのURLが貼りつけてあるのをリツイートしていた。Wikipediaはピンチョンのページだろう。恐らくそこにはしっかりと死亡した年月が書かれているにちがいない。「ああピンチョン死んだか。結局7作品しか出さなかったか。なんて惜しいことをしたんだ」と思い、「しかも二大ひきこもり作家のサリンジャーとピンチョンが同じ日に死ぬとは……」と思い、またしても「明日は喪に服そう。地味な服着て肉は食わないようにしよう」と思っていた。別に俺はサリンジャーの命日なんて知らないのに、なぜそんなことを思ったのか不思議だった。それで、さっきサリンジャーをWikipediaでみてみたら、俺がピンチョンの夢をみたのはサリンジャーの一回忌だった。「これは一体どうしたものか????」サリンジャーが死んだ日に、トマス・ピンチョンが死ぬ夢を見ちまった。これはどうしても、今日は喪に服さないといけない。地味な服着て、肉は食わないようにしよう。

殺人予告、ライブ告知

昨日は寝ながら色々なことを考えた。寝る時に急に湧き上がってくる時がある。そういうときに書きためればいいんだけど、あいにくiPhoneのディスプレイが眩しいくらい疲れてたから、考えるだけ考えて寝た。何を考えたかというと、ただ昔のこととかを思い出しただけだけど、それを分析してみたりするのが昨夜のテーマだった。例えば、中島みゆきの「空と君との間に」はなぜあんなにグロテスクな曲なんだろうと思った。中島みゆきの曲は好きなんだけど、なんかあの曲は気味が悪い。そしてそれは昔その曲がタイアップしたドラマ「家なき子」のせいだと思った。あのドラマは気味が悪い。ひたすら暗いくせに、みんなみてた。あの頃の安達祐実はダコタ・ファニングよりもハーリー・ジョエル・オスメントよりも脂が乗っていた。なんせ劇中の「同情するなら金をくれ」というセリフが流行語大賞をとるくらいにみんなみてたのだ。あんな救われない台詞を。俺は小学生で、今でもはっきりと覚えているが、ドラマが終わった後の次回予告で軍服をきた日本兵のような人が血だらけで倒れていて、それがものすごく恐ろしく、バックには「空と君との間に」が流れていた。本編はほとんど覚えていないし、なんであのドラマに日本兵が出てくるのかもわからなかったけど、とにかく俺の恐怖の発端はその次回予告で、俺が幽霊とかそういうものを過剰に怖がるようになったのは、その日からなのだ。確実にその日からだ、と断言できるくらいに覚えている。それで今でも夜道で恐ろしい妄想をするときなんかに、その日本兵がちらりと浮かぶことがある。これは所謂トラウマというものなんだな、と思った。「家なき子」はホラーではないけど、ともかく小学生の俺には恐ろしかった。そしてそこには必ず「空と君との間に」があったのだ。

臨床心理学では、トラウマの発見は重要らしい。ほとんどの人が、自分のトラウマを知らない。多くの性倒錯者が、幼少期の性的虐待を完全に忘れているように、人間はトラウマを抑制する。だから思い出せない。けれども無意識というものは常にあって、そこで抑制されたトラウマが思考を制御してしまう。だからトラウマを思い出す、というのがカウンセリングの目的だった。そして俺は昨日の夜に偶然にもトラウマと再会をしたのだ。
それから、自分の性格、主義のことも考えた。俺はほとんど他人に関与しない。誰がどんな性格でどんな行動をとろうが気にしない。恋人が浮気をしようが友達がドタキャンしようが何も思わない。ただ自分に不利益なことがあると怒るだけだ。でも多くの人はそうじゃなくて、おせっかいにも他人を説教したり、「この人のために」と言って忠告したり、泣いてる人に「君の気持ちもわかるけど」と言ったりする。これはぼくの兄も両親もそうだと思う。でも俺は違っていて、できれば他人を諭すなんてことはしたくない。すこぶる相対主義的で、ルールとか統一的なものとか絶対的なものを実践しない。そういう主義を貫いているわけじゃなくて、単にそういう性格なのだ。
んでそれは一体誰からの影響なんだろうかと考えた。中学生くらいから、つまりアイデンティティの探求が始まったあたりからその兆候はあって、でも完成されたのは大学に入ったあたりだ。恐らく読んできた本の影響なんだけど、それが何の本なのか思い出せない。中学高校と読んでいた安部公房だろうか?現代アメリカ文学だろうか?ニーチェだろうかウィトゲンシュタインだろうか。それとも映画かなにかだろうか?これは結局決着がつかないまま寝てしまった。よくわからない。
こういう性格だからだろうか、川上未映子がなんとかいう賞のスピーチで言っていた「相対ではなくて絶対をかく」という言葉をすごく疑問に思って、しかし明確に否定できない。これは川上未映子自信が決着のついていない問題なんだろうけど、ポストモダンへの壮大な挑戦だ。ポストモダンを全否定するかのようなそのスピーチの意味は、ただ単に仮定的な絶対なのだろうか?これはぐるぐるまわってしまう。そして眠くなって寝る。


さて明日はimi/popのライブです。久々の新宿JAM。

新宿JAM ギリギリシティー5周年祭

ギリギリシティーというバンドお笑いDJごった煮アングライベントの5周年祭です。飲み放題もあるしライブ終了後はアフターパーティもあるらしい。


タイムテーブル
16:30~16:50 DJ古澤彰
16:50~17:10 LIVE(東京ハムスターズ)
17:20~17:40 LIVE(ぐるん)
17:50~18:10 LIVE(ヒズファスト)
18:10~18:20 お笑い(ばってん多摩川、カズミファイブ)
18:20~18:40 LIVE(Shad kill weather)
18:40~18:50 お笑い(ジャン相見、ボクオオクボ)
18:50~19:10 LIVE(BIGスパゲティ)
19:10~19:20 お笑い(焙煎TAGAI、倉富益二郎)
19:20~19:40 LIVE(ロリエ)
19:40~19:45 お笑い(ウォンテッド古澤)
19:50~20:10 LIVE(imi/pop)
20:10~20:20 お笑い(GO!ヒロミ44')
20:25~20:50 LIVE(高品格)
21:05~21:30 LIVE(レコライド)
21:30~21:50 DJ掟ポルシェ
21:50~22:15 LIVE(テクマ!)
22:15~22:30 DJ掟ポルシェ
22:30~ラスト LIVE(ローボーンサウンドシステム)




さあ、今日は新宿で殺人予告があったらしいので、キャバ嬢は気をつけてね!

ライブの日

昨日はライブだった。早起きしたので「リロ&スティッチ」を観た。全然面白くなかった。昔どこかのバーで無音で流れていたのを5分くらい眺めていたときは面白かったんだけど。ライブハウスにつくと、タバコをどっかに落としたことに気づいた。カプチーノという銘柄で、ひろこしまさきにもらったものだった。それからクソみたいなカフェに入った。クソみたいなカフェというのは、綺麗な服を来た雑貨屋の店員なんかが楽しくお喋りして変わったスイーツを注文したりする、シャンデリアやらアンティーク風の内装の軽くて清楚なカフェのことで、こんなカフェに入るのは田舎からやってきた文系大卒のOLかオカマか潔癖かで、そんなクソみたいなカフェだと気付いたのは席についてからだった。「出ようか」と言ったけど、ベースのてつが杏仁豆腐がどうしても食べたいと言うから、出ずに、カフェラテを飲んだ。雨が降っていたので傘を二つパクってタバコ屋に行き、てつ曰く「スタンド・バイ・ミー」で少年が親父からパクって吸っていたというウィンストンを買った。ライブはすごく盛り上がった。それからカフェに行って話をした。相対性理論の話になり、光の速さを超えたときの視覚上の変化について語り合い、4人それぞれのおぼろげな知識を寄せ集めて結論を出そうとしたが、そうするにはあまりにも俺らは知らなさすぎた。ギターのよしろうとドラマーのカズはライブが終わってからもその話をずっとしてて、副都心線のエレベーターの中までそれは続いた。電車の中でまっつんが「音楽というものが幸せすぎて泣けてくる」と言って、俺もカズもジョンもなぜだか感動した。カズはあまりにも普通で、まっつんはあまりにも模範的で、ジョンはあまりにも受動的で、俺はあまりにもリディカルだったけど、4人集まると結構それなりに面白いのだ。友人ってそういうものでしょ。俺はカズともまっつんともジョンとも決して完全には分かり合えないけど、みんなが集まると、それなりに面白いのだ。帰って寝る前に「コンエアー」をみた。「ザ・ロック」でも「ダイ・ハード」でもなんでもよかったけど、ハデなアクションを観たかった。人がいっぱい死ぬやつ。

明日はアルバム用のジャケ写と、アー写を取りにいく。
だから今日はパーマをあてた。


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装丁オリンピック

駅の近くで偶然にも、友人のさとると会った。同じ大学で、同じく作曲を専攻しているさとるだが、話をするのは半年ぶりくらいだ。ミスドに入ってコーヒーを飲んで、さとるが「構造主義の話をして」と言った。さとるはやたらと議論がしたいのだ。ずいぶん前には実存主義にはまっていて、今は現象学に興味があるらしい。フーコーやデリダやハイデガーやクリステヴァやジジェクの名前が飛び交ったけど、二人とも受け売りの知識しかないので、とても議論といえるものにはならなかった。しかしともかくさとるは(そして俺も)自分の知ったことを試したかったし、インテリに振る舞いたかったから、とにかくリルケの引用などを駆使しながらそれっぽく語り合った。さとるは基本的に脳みそがすっからかんな男だから俺は彼が何をいわんとしているか理解するのに苦しんだ。
その後本屋に行き、第一回壮丁オリンピックを開催した。本屋の各ジャンルを巡って、俺とさとるの独断で装丁の素晴らしい本を選ぶのだ。
心理学、文学、インテリア、ファッション、マンガなど様々な分野をみてまわり、点数をつけていった。建築やデザインなどの優勝常連国はレベルが高く、特集が組まれていた絵本コーナーも決勝進出していった。
混戦のなか見事優勝したのは、哲学コーナーより、ウンベルト・エーコの「もうすぐ絶滅するという紙の書物について」だった。


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カバーがリバーシブルになっていて、裏返すと洋書風になる。
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電子書籍に対向すべく気合の入った装丁で見事優勝しました。

その場で簡単に授賞式をすませて、解散した。

macaroomライブお疲れさまです

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ジョン、おれ、emaru、ひろこし

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リハーサル中

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みんな集合





大学のお寒い発表会があったので、わたくしはmacaroomで出てやった。いろいろ交渉してギャラも頂いた。音響は(PAは)耳が腐っていたからどうにもならんかった。舞台スタッフも馬鹿真面目すぎて転換中に袖を封鎖されてステージに閉じ込められたりした。みんな阿呆みたいにパンツスーツなんか着て仕事の真似事をしていた。バンドのアーティストの控え室が閉鎖されてユダヤ人のように各地に散らばることになった。「オーケストラ(男性)」と書かれた控え室に居場所を求めると、ホルンやらもった連中が会話をやめてこっちを見た。演奏者なんかクソ食らえで、アーティストをもっと大事にしなくちゃいけない。こんなクソみたいなイベントにアーティストを呼んだりして申し訳なくなってくる。でもおれだって一応アーティストだから、接待なんかしたくないし気も使いたくない。だけども今回はおれは招待者なので、気を使わないといけないし、ギャラも出ない。でも作曲を専攻している学生の作品発表は、アーティストとしてやらなければならない。ステージの上ではアーティストなのだ。そしてmacaroomは初めて人前で演奏を見せたことになる。「ame」と「is it rain that you live in?」をやった。どっちも雨。ひろこしまさきとkazzという二人に手伝ってもらった。kazzはimi/popのドラム。最後にステージで作曲者の挨拶を求められたが、断った。打ち上げの時に鶴原先生に「なんで挨拶しなかったの」って聞かれたから「作曲者なんかクソ食らえです。テクスト以外は何もない」と海外ドラマの吹き替えのようにかっこよく答えると、向かいに座っていたさとる君が「--ロラン・バルト」と言ってにっこり笑った。そしてさとるは終電で帰り、FENDIのマフラーをなくした。しかし後から考えると、俺はロラン・バルトじゃなくてジャック・デリダのつもりだったけど、まあ似たようなもんか。大学行事も終わり、寂しくなるけど、まあどうせみんなシュルレアリスム展に行くんだろうからまたその時にでも色々と話せる。今回の発表会で、留学生のデボラさんが中国武術を習っていたことが判明し、急激に親しくなった。彼女は南拳をやってたらしい。俺が発表会のパンフレットの自己紹介文で八極拳や棍や扇子をやってたことを書いていたので、それで驚いて話しかけてきたのだ。彼女は俺とジョンの曲をマイスペースで聞いたことがあるらしい。何の曲かわからなかったが、二人の曲であれば、Psyphozoaだろうか??デボラさんに話しかけられる2時間くらい前にジョンと話し合って、「デボラさんをPsyphozoaに入れよう」と言っていて、デボラさんとはほとんど話したこともないのに、結局デボラさんの方から俺に話しかけてきた。一言目は「パンフレット読みました。あなた、カンフーやっていますか?」だった。結局Psyphozoaとデボラさんは、お互いに注目していたことになる。打ち上げの時に坂田先生に「コード進行の授業で唯一2セメスター満点をとって焼肉をおごってもらったような男が留年するなんて、この大学はおかしい」と言うと、「単位制だから仕方がない」と言われたから「うんだからこんな大学さっさとやめてコレージュ・ド・フランスにいこうと思いますよ」というと坂田先生は笑っていた。ほっほっほとサンタみたいに。彼は非常に優しい教授だ。いかにも歳をとってまるくなった組長のようだ。鶴原先生は昔からまるいんだろう。禿げた頭にいつもバンダナを巻いている。だからつい「ジミ・ヘンドリクスの影響ですか?」と聞いた。全然違うらしい。理由は「バンダナがないと髪が散らかるから」らしい。まさかのお掃除的な理由だった。



3/10
新宿ANTIKNOCK
でライブです!
imi/popの。
遊びに来てね。


4/8には我ら主催のライブもあるよ

対立しない

母親を探す少女の映像が映し出されている。宮城県の気仙沼の瓦礫となった町を見渡しながら、「おかあさん」と泣き叫ぶ少女。赤い防寒着をきてタオルを首に巻き、いかにも被災者である。この女の子が実際に母親と逸れて悲しみに暮れていることは明白だけれども、この映像の腹立たしさは一体なんだろう。この涙が、叫びが、この少女自身にもしくは母親に向けられたものではなくて、テレビを通した視聴者に向けられたものであるからだろうか。彼女は明らかにテレビに向けて泣き、演技をしている。もちろん、人が泣いたり怒ったりするというのはすべて他者に向けられたものであるし、演技でない涙というものは存在しない。それぞれがドラマの中で演技をして、一般的なよくできた物語の主人公となることで、自らの主体を感動させているのだ。だから人は涙を流すとき、まず最初に他人を泣かせて、それから自分が泣く。この気仙沼の映像が腹立たしいのは、この少女の演技(もちろん本人も演技であるなんてことは自覚していない)が、あまり上手でないというのみならず、おおくの視聴者、もしくはメディアの人間がそれを感じ取っていながら(どんなドラマだとしても彼女の演技が大根なのは誰が見てもわかる)、それを採用して演出しているところだ。つまり、彼女の不完全な素材を、「これは不完全ではない」と信じ込むように強要されているのだ。すなわち、「これは真実の物語です。感動しなさい」と。もちろん気仙沼の惨劇も、彼女の母親の不在も、彼女の涙も、真実であることに変わりはない。その真実の素材を無意識的に物語化している彼女も、メディアも、視聴者も、その偽装に気づかないふりをしている、もしくは強要されているのだ。この欺瞞には目を瞑っていないといけないのだ。これは巧妙な偽装だ。
みんな物語が好きだ。これこれの事実よりもそのストーリーに興味があるのだ。
何を見ても何かを思い出し、よくできた物語を創造する。
地震が起こった事実よりも、それがどういった複線を張って進行し決着がつくかに興味があるのだ。どこにクライマックスを持ってきて、どこでどんでん返しがあり、どこで悪が制裁され、誰がヒーローになるかに興味があるのだ。物語はどんどん作られる。勝手にどんどん作られる。それはよくできた嘘だ。

おれが経験したよくできた物語は、だいたい次のような感じだった。なぜかおれは千葉県にいて、しかも電車の中。電車が停車してアナウンスが流れた。「地震のため一旦停車いたします」なるほど確かにゆれている。小さい揺れだったから怖くはなかった。ななめ向かいに座る背の高い女の子は読んでいる本から顔を上げない。もこもこしたミニスカートをはいてニーソックス。パンプス黒髪ぱっつんツインテール、みるからにコスプレ趣味のオタク少女って感じ。読んでる本もどうせライトノベルだろう。目が細くて鼻は丸いけど、すごくいい足をしていた。太くてだらしない脂肪と、きれいな肌。「安全点検を行うのでしばらくそのままでお待ちください」とアナウンスが流れて、静かになった。するとすぐにまた小さなゆれが来て、それがだんだん大きくなった。細かくて強いゆれで、横に放り投げられる感じではなく、電車が貧乏ゆすりをしているみたいで、みんな黙っていたけど、すごく怖かった。みんな一人で、みんな孤独だった。俺は窓がない席に移動した。震度5はあると思った。強くて細かい揺れがとまると、今度は電車が大きく左右にゆれた。ぐわんぐわんぐわんぐわん振り子のように傾いて、そのまま電車が転がってしまいそうだった。「おお日本終わった!」と五人組の高校生の誰かが言った。「やばいやばい」窓の外では家から人が飛び出し、電信柱も木も家も車も動いていた。おばあさんは小さな声でずっとしゃべっている。揺れがおさまると、「地震のため安全点検を行うのでしばらくそのままでお待ちください」とさっきと同じアナウンス。その後何度も小さな揺れがあって、そのたびに同じアナウンスが流れた。iphoneでツイッターをみると宮城県で震度7だとわかった。6メートルの津波がくるらしい。ミニスカニーソの女はPSPをして暇をつぶしていた。30分ほどしてゆっくり電車が動き、みたこともきいたこともない駅に到着し、駅員が「降りてください」と言った。駅は騒然としている。「危ないのですぐに駅から離れて広場に行ってください」と叫んでいる。メールも電話も使えず、ツイッターですみじゅんと連絡をとった。近くの駅にいるのでタクシーでそこまで行くことになった。一時間ほど並んでタクシーに乗った。運転手は携帯で電話をしながら運転している。「そうだけどもよ、お客さんもいっぱい並んでるし、帰れねえんだよお」駅についてすみじゅんと知らないババアを拾って、おれら二人は途中で降りた。すぐに飲み物を買ってタバコを吸った。電車は全線運休だったから、すみじゅんの家に泊まることになった。
何もすることがないから終末系の映画でも借りてみようということになって、すみじゅんが選んだDVDは「マグニチュード8.2」という映画だった。
マグニチュード8.2 [DVD]/キップ・チャップマン,ニック・ダンパー,タンガロア・エミール

�5,040
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「未曾有の大地震による恐怖を描いたディザスターパニック。普段と変わりない日常が流れる街でマグニチュード8.2の大地震が発生。大地は裂け、ビルは倒壊し、平穏だった街は人々が逃げ惑う地獄絵図と化す。さらに壊滅状態に陥った街を二次災害が襲い…。」

しかし今回の地震はマグニチュード8.8と報道され、後に9.0と訂正された。
結局映画は借りず、スパークリングワインとウィスキーを買って、家に戻った。家の前の地面が割れて、中から水があふれ出ていた。
家の中でしばらくぼうっとしていたが、常にゆるい地震が続いていて、休まることはなかった。
なんか音楽聞きたいから色々と探しててためしにダークサイケ聞いてみたけど酷かった。だから結局ショパンとドビュッシーを流した。大きな地震がまたきて、その直後に兄からメールがきた。「長野で震度6らしいよ」そのメールをみて「よし避難しよう」といい、すみじゅんの両親を起こして、車で避難所に向かった。中学校の体育館で、着くとバナナが配給された。飲み物はなかった。コンビニに行って、バーボンとタバコを買った。校内でタバコを吸っているとおっさんが「もう少し遠くで吸ってくれますか。中学校なんだからそれくらいわかるでしょ」と行って去っていった。「来たくて来てんじゃねーんだよ」と言ってぼくらは移動した。ウィスキーを飲んで横になるとビンが転がってポケットから落ち、ガンッとでかい音がした。全員がこっちをみた。すみじゅんの母が「割れた?」と言った。「いや大丈夫です」と言って5分くらい寝て起きると、すみじゅんが母にツイッターの使い方を教えていた。「もしもぼくに何かあったらこれで確認を」と言っていた。母親はしきりにジョークを言って、最悪の事態から目を背けようとしていた。
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すみじゅんの母

おれは次の日に深夜バスで大阪に渡り、兄の家に一泊して、地元に帰ってきた。
おれが逃げてきた理由というのは、すごく単純なもので、まず最初に母親から電話がかかってきて、「放射能が怖いから今から新幹線で帰ってきなさい」といわれ、「うん」と即答して帰ってきたのだ。東京駅につくと一分前に最終の新幹線が発車していたので、深夜バスを使って帰った。
バンドのCD制作とか楽曲アレンジの仕事やら小説のこととか、いろいろ置いて帰ったけど。
真実か嘘か、という対立に身をゆだねる段階ではないと思ったから、ぼくは帰った。「安全/危険」「真実/嘘」「起こる/起こらない」という対立がまるで不安定な状態なら、その対立から抜け出す他ない。確定した情報はただ逃げるというだけで、放射能が確実にここまできているから逃げるとか、次の震源がここであるから逃げるとかいう次元のものではなかった。そういった二項対立に人生を預ける気は全くないし、ばかげている。だからただ逃げるという選択があるわけで、「○○という事態になったら逃げる/逃げない」といった次元のことははなから頭になかった。それぞれみんな自分の物語の中に生きているのだから、精一杯物語をつくっていけばいい。対立的な判断をして堅実に生きればいい。そうしないと社会がなりたたないじゃないか。これが社会だから。これが集団社会だから。でも、おれは、そういうものにうんざりしてしまったから。不安定な対立の中にいるのはまっぴらごめんになったわけだ。


まずは解体消滅再認識でも対立しないけど曖昧が文字で人で世界で認識で差異が遅れてくる向かってくる。(「無記名少女」)

4. Re:無題

LIVEのために東京に戻ってきた。LIVE以外にやることはないしすぐ実家に帰らないといけないから、なんかよくわからない不安定な日々を過ごしている。ネットもつながってないし、学校に行って友人に会うこともないし、その上まだ余震は来るし駅も店も節電のため暗いから、どんどん気分は暗くなってゆく。持ってるけど今までちゃんと見てこなかったDVDを観たりした。「ウェイキング・ライフ」という映画と、クジラのドキュメンタリーと、「ディープ・ブルー」を。「ウェイキング・ライフ」はおもしろかった。驚いたことに、この映画の音声サンプルを元ネタにした曲を3曲も知っていたのだ。しかも3曲ともサイケ。ひとつはshpongleの「Botanical Dimensions」で、もうひとつはDNAの「Kick Me Up」、そして同じくDNAの「Deamons In My Head」だ。それぞれ全く違う部分をサンプリングして曲に入れてるんだけど、ひとつの映画の中で3曲もサイケの元ネタを見つけたのは初めてだ。まあ映画自体もかなりサイケな感じだったんだけど。この映画は実写をアニメーション加工した映像が全編続き、アニメーションなんだけど動きや声はリアルだ。ある男が車にぶつかる夢から覚めて、様々な人と人間の生きる意味について語りながら、また夢から覚める。そしてそれもまた夢の中で、主人公は「夢から覚め続ける」のだ。生きる意味と夢が大きなテーマになっていて、哲学や分子生物学や脳科学や心理学など様々な分野の人の見解が映画の中で語られている。
夢とは奇妙だ。順序や空間がこの世とはかけ離れ過ぎている。そのくせ僕らはそれが虚構だとは(夢を見ている間は)思わない。
精神分析のジャック・ラカンは、人が夢から覚めることを、「あまりに現実的過ぎて、それに耐えきれずに夢から逃げ出す」と言った。人は夢に逃避するんではなくて、現実に逃避するのだ。いくら恐ろしい現実から目を背けても、いくら恐ろしい過去を忘れ去っても、無意識が支配する夢の世界では自分がコントロールすることはできない。そこでは捏造してきた過去や抑圧してきた恐怖が、隠されることなく現れるのだ。それは「あまりに現実的」だ。息子を死なせてしまった父親は、いくら「息子は幸せに死んでいった」と解釈しても、夢の中では「どうして僕が燃えていることに気づかないの?」と責められるのだ。いくら自分にかぎって突然死ぬようなことはないと安心していても、夢の中ではそうはいかない。検閲され、削除された現実を、夢は否応なく見せつけるのだ。
シュルレアリストたちは、夢が「あまりに現実的」だということを信じ、夢を詩や絵にした。おれもなぜだか震災後は津波の夢も原発の夢も、何度もみた。

そしてまあ、ライブは平和に終わった。俺らのバンドが企画したLIVEだったので、読んだバンドはすべてメンバーの誰かの知り合いだ。

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LIVEをみてると、ふと不思議な気持ちになることがある。それはYouTubeでみる大物のLIVEでも、名前も知らない田舎からきた路上ミュージシャンでも同じで、みているとふと疑問に思うことがある。
ーーこいつら一体人前でなにしてんだ?ーーと。
エルトン・ジョンの曲は本当にいい曲が多いが、LIVE映像をみてると、ジョンはニコニコしていて、お客さんもニコニコしていて、かるく肩を揺らしていて、このふたつの需要と供給はいったいなんなんだ?と思う。それでトカトントンと冷めてしまうんだけど、それはどうもうまく言葉にできない違和感だ。LIVEというのは本来ならば、作品を誰かが作り、発表する場だから、それはアーティスト主体によるものじゃないかと思うんだけど、いやだからつまり、カンヌ映画祭なんかだと、その辺の意識がまだある方だと思うから、客はつまらなければ途中で帰るし、おもろければ手を叩いて笑うし、スタンディング・オベーションになったりする。でもエルトン・ジョンのLIVEはそういうことは決して無くて、客が踊りたくなればジョンはスイングして、客が泣きたくなればバラードする。だから演奏してんのは実は客で、エルトン・ジョンが一番楽しんでるんじゃないかって思う。
LIVEとかクラブとかで、同調意識で、みんなと一緒に踊らないといけなくなるときってあるでしょ?でも絶対自分はこんなクソみたいなハウスでは踊れないって思ってるんだけど、踊らなくちゃもっと居心地が悪くなって来る。あれは自分が演奏者になる行為だから、客のいない演奏会といった按配になると思う。
昔、ハードコアのLIVEに友人にといったとき、客たちは暴れ回っていて、音楽は全然好きじゃないんだけど暴れるのはなんか楽しいから暴れてると、友人が急に「わかった!」て叫んだのを覚えている。「わかった!こうやって暴れることで、自分が演奏してる気分になるんや!」と言っていたけど、まさにその通りだろう。客がモッシュしだすのは、その音楽にモッシュさせるだけの神秘的な力があったわけではない。客たちが能動的にモッシュを演奏し始め、演奏者はそれを聴いて、ノッているのだ。
だから俺がLIVEをみてて、こいつら一体人前でなにしてるんだ???って思う瞬間は、そういった受動体と能動体の本来の立ち位置が逆転してしまったときに思うんだろう。だから客を能動的な主体に強制参加させるような台詞ーー"Come on! Put your mother fucking hands up" とか"Make some nooooooise!!" みたいな台詞は大嫌いだ。
でもそれにしても人前で演奏することは馬鹿げている。能動体と受動体という関係性が一番しっかりしているのはクラシックコンサートだ。しかし拍手は強制されている。
そう思うとLIVEというのは、もともと客たちのものかもしれない。アーティストは「お客さんあってのぼくらです」とは言うけど、その実態は理解していないだろう。おそらくその言葉そのまんまに、「客が演奏し、アーティストが喜ぶ」というのが一般的なすべてのLIVEの図式だろう。この図式は、クラブで踊らなければいけないように、強制的である。
だからおれは、最近はLIVEそのものに違和感を感じていて、素直に演奏することができない。客が怖いんだろう。おれと他者の関係はいったいどんなもんなのか。

他人の目を気にしながら行動したりしている自分がすごく嫌になることがあるでしょ。何かをみたり感じたりしながら、他人に見せるためにそういうことをしている自分に虚しくなってくることがあるでしょう。誇れることとはおよそ遠いエピソード、例えば貧乏したことや親族の死や別れ話や自分の短所などを、自慢して聞かせている自分が恥ずかしくなってくることがあるでしょう。
芸術が好きな人なら誰でもそうかもしれないけど、あるときから、異端な音楽が好きになる時期がある。それは音楽でいうなら、調性よりも無調、綺麗な音よりもノイズ、歌モノよりもインスト、メジャーよりもインディーズという風に、難解だったり避けられたものが素晴らしいと思えてくる時期がある。そしてそれは新しい開拓の喜びでもあるんだけど、それは同時に受け手(読者、リスナー、試聴者、客)としての自分の渾沌にも出会うハメになる。それは、そういう音楽が好きであるということを他人に知られたいという欲求で、他人がいなければ成立しないかのように音楽を探して、本当に自分はこういう音楽が好きなんだろうか?とおもったりする。「俺は他人に見せつけるためだけに無調音楽を聴いているんだろうか?」と。
こういう音楽の聴き方を、おそらくほとんどの誠実な人なら「純粋な聴き方じゃない」とか「いやらしい」とか「ひねくれている」とか思って嫌い、恥ずかしく思うものだ。
しかし他人とは一体誰のことなのだろう。

例えばアンジョリーナ・ジョリーとセックス出来さえすれば、一生涯の主演女優賞にノミネートされることは間違いないし、人によっては一生分の運 気を使い果たしたと思って身を投げてしまうかもしれない。アンジョリー ナ・ジョリーとのセックスがどれほど貴重なことかということはいかなる男子にも明白だとしても、なぜ貴重かという理由は男子どもの趣味趣向とは関係がない。アンジョリーナ・ジョリーとセックスをした後に、男どもはただ一つの欲求に駆られるに違いない。それは「他人に話すこと」だ。「なあ、聞いてくれ、大事な話があるんだ。聞いてくれ……ああ、昨日のことは悪かった。連絡できなかった理由があるんだ。だから聞いてくれって、ジェシカ、ヒステリーはやめてくれ。わかったわかった、おれが全部悪い、すまなかった。これでいいだろ?いいかい、深呼吸するんだ。少しは俺の話を聞いてくれ。いや、浮気の話なんかどうでもいいんだ……いや愛がないわけじゃない。そんなはずないじゃないか。愛してる。もちろんだ。浮気なんかするわけない……いや、浮気というか、とにかく聞いてくれ。《17歳のカルテ》観ただろ?アンジェリーナ・ジョ……いや、違うんだ。聞いてくれ、聞いて、聞けって!!おい!聞けよ、聞け!(ガラガラガッシャーン!!!)いいか、俺はな、アンジェリーナ・ジョリーとヤッたんだ!!」
なにも交際相手に言わなくてもいい。親にも言う必要はない。我慢できるなら、信頼できる友人にも秘密にしていればいい。知っているのは自分ひとり(とアンジーだけ)だ。だがこれは勲章になる。おれらはもし仮にアンジーと寝たとして、誰にもそのことを言わなかったとしても、純粋な意味での他人にそのことを言わないでいることはできない。
なぜアンジーなのか?なぜミス東大ではないのか?交際相手ではないのか?今まで出会った女たちでないのか?勲章は常に審査される。その審査基準は自分の中だけで定めることはできない。他人が定め、他人が承認するような制度として通用するものでないとダメなのだ。確かに街中ですれ違った女たちは美しい。だがそれは他人が見て、他者が見て美しいとされている対象でないと意味がないのだ。まさしくアンジーは助演女優賞をとっている。アカデミー賞!だから多くの男たちがアンジーと寝ることで得る満足感は、他者への勝利宣言なのだ。
ん、なぜ他者への勝利宣言とアンジョリーナ・ジョリーと寝る話をしてるんだろう。
しかし内なる他者というものは存在する。そしてそれを常に外部に探し求めている。
安部公房は三島由紀夫との対談で、究極の理想の読者とは一体誰かという話をし、「突き詰めて行けば、それは自分だ」と言った。
しかし人はその鏡像を求めるのだ。
イタロ・カルヴィーノの「冬の夜一人の旅人が」では、小説家がある日望遠鏡で、読書をしている美しい女性を見つけ、「これが理想の読者だ!」と興奮して、その子が自分の本を読むために、作家は書き続ける。
僕も電車の中で背の高い、ツンと反った鼻を持つ美しい女性をみると、ああこの子だけはおれの小説を理解してくれる、と勝手に信じたりする。だがそういった女性は神がかっていて(おそらく八百万のひとりだろう)、目を合わせることもできない。
さてなんの話だっただろう。

そうだ、LIVEは無事に終わり、俺は早々と東京を後にして、富士山に中指を立てながら、新幹線の中でこの文章を書いているのでありました。


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さらば

映像音楽イベント「ああたいくつだ」

捕鯨推進の街、下関にて、映像と音楽のイベントをします。macaroomとして演奏も参加するので、ぜひ(遠いなと思っても)見にきてください。台湾から見にきてくれるお客さんもいるので。
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●4/30(SAT)
「ああたいくつだ」
あまりにも退屈でしかたがない青少年達が織り成す、音楽と映像のシンフォニー

●音楽
アサヒ
macaroom

●映像
磯部南

●場所
下関市入江町
マーブル食堂。
(083-235-0055)

OPEN: 21:00
START:22:00
CHARGE: 1000円

Presented by "asahi-records" and "Office 待ち惚け".



会場は非常に面白い空間を作り上げて、大自然の脅威と安らぎを体感できるインスタレーションのようになっていますので、ぜひアルコールを服用しながらご参加ください。

ああたいくつだ、全貌

2011年4月30日に、下関マーブル食堂。にて、イベントを開催しました。
東京から遠く離れた未開の地でのイベントだったので、残念ながら棄権したお客さんも多かったと思うので、少しだけ写真を載せときます。

ああ、たいくつだ
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●音楽
アサヒ
macaroom

●映像
磯部南

長年いろいろとコラボしてきたみーくんと、初めてライブイベントで共演を果たした。ぼくはDJとしてだけではなくて、macaroomとしても演奏した。


会場作りに先立って、小道具をかき集めることを始めて、その要となるベニテングダケを中心とする幻覚性毒キノコを制作することに時間を費やしたのです。


きのこ作り
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かたち作り

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着色

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着色

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着色

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推敲

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イルミナティ


完成
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当日はじめじめした小雨で、ぜっこうのきのこ日和でした。

入り
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アサヒ

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デザイン担当のLilyとマーブル食堂。のオーナー。

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コック。台湾人のCharmy Chang。この企画のためのコックなので、普段はいません。

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Charmy、Lily、姉さん




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様々な場所にきのこを生やしていく。

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あそこにも

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大麻も生やしていく

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イグアナとかバッタとかアリとかが歩いていたりする。

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emaruと暴れるイグアナ

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emaruとイグアナ




そしてリハーサル
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映像と合わせてみる

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映像にあわせてみる

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サイケデリック・emaru

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VJの磯部南

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VJのみーくんとバッド・トリッパー

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リハ終わった

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グッド・トリップ

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まだ昼間



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本番
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本番。写真ではわからないけど、人よりも動物の鳴き声の方がうるさい。虫、鳥類、哺乳類(とくに猿系)がつねにさわいでいた。






当日のmacaroomの演奏は、もしかしたらYOUTUBEにアップするかもしれないです。