いやーやっと、今書いてる小説のタイトルが決まりました。
「5000mi perfiction」
それで興奮しておかんに解説つきのメールを送って電話して、鼻息荒く語っていました。
もう書き始めてかれこれどんくらいになんのかしら。2年くらいかしら。
それから今日は、imi/popの曲を作って、それがなんというかダダイズムな詞なんやけど、それをメンバーに送ったら、つづりの間違いを指摘されて、それで新たな造語(カバン語)ができあがった。
そことは違うんやけど、自動書記でおもろい詞になったところがあった。
「spectomariser analyzer」
これって、たぶん、正式にかくと、
「Spectrum analyzer analyzer」
なんやと思う。
やから、計測器を、計測する機械
天竺鼠の川原の「おっぱいを取る機械、を取る機械」みたいな発想やな。
それで中原中也の話に一瞬なって、久しぶりに中也の詩をみてみて、ずばっずばに感動した。
自分で詞をかいて、それで思い出したように中也を読んで、感動したんやけど、中也を読んで感動したから詞をかいたってことにしようかね。
だからみんなには中也の詩なんかどうでもいいかもしらんけど、載せざるをえないから、のせます。
「頑是ない歌」
思えば遠く来たもんだ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気は今いずこ
雲の間に月はいて
それな汽笛を耳にすると
竦然として身をすくめ
月はその時空にいた
それから何年経ったことか
汽笛の湯気を茫然と
眼で追いかなしくなっていた
あの頃の俺はいまいずこ
今では女房子供持ち
思えば遠く来たもんだ
此の先まだまだ何時までか
生きてゆくのであろうけど
生きてゆくのであろうけど
遠く経て来た日や夜の
あんまりこんなにこいしゅうては
なんだか自信が持てないよ
さりとて生きてゆく限り
結局我ン張る僕の性質
と思えばなんだか我ながら
いたわしいよなものですよ
考えてみればそれはまあ
結局我ン張るのだとして
昔恋しい時もあり そして
どうにかやってはゆくのでしょう
考えてみれば簡単だ
畢竟意志の問題だ
なんとかやるより仕方もない
やりさえすればよいのだと
思うけれどもそれもそれ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気や今いずこ
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