Pages

2012/03/13

連笑

一年ほど前の話。半年前だったかな。

父親と兄とぼくとで、先祖代々の墓へ、お墓参りにいった。
祖父や曾祖父らの遺骨が納められている墓とは違って、それはもっと遠い先祖のお墓らしく、名字なんか聞いたこともないもので、もちろんその場所に行くことすら1度か2度しかなかった。スピリチュアルな観点からなのか、なにかのロマンなのか、もっと違った理由だったかもしれないけど、とにかく、兄が急に、その墓参りに行きたいと言い出したのだ。
 それも兄が実家から大阪へ帰る当日の昼間くらいに急に言い出したものだから、大阪行きのフェリーが出る時間までに行かなくちゃいけなくて、父親はいらいらするし、ぼくもわけもわからずついていくし、とにかく車内のタバコの煙の量はひどいもんだった。
 飯を食う時間もないし、かといってこのまま空腹で墓参りなんかまっぴらなので、コンビにによって、おにぎりなんかを買って、それから缶コーヒーを買って、それでも父親のいらいらは納まらず、時間を気にしながら、墓場へと向かった。

思えば父親は、時間に追われるとすぐにいらいらする。予定が狂うといらいらする。おなかがすくといらいらする。
昔よく、急に「今日は温泉にいこう」なんて機嫌よく言い出して、ぼくと兄と父親の三人で車に乗り込むんだけど、温泉に着くまでの道のりで、ちょっとした渋滞でめちゃくちゃ切れてる。それで温泉あがって、帰る道中で、お腹が空いてだんだん機嫌が悪くなるのがわかる。帰ってから父親がご飯をつくるのだけど、つくりながら「えい!」「おりゃっ!」とか奇声をあげて、さらにものすごいでかい舌打ちなんかかましながら、あきらかにイライラして料理している。出来上がった料理はもう完璧で、ハーブの飾りつけも、オリジナルソースのかけ方もちょうどよく、メインディッシュのほかに小品がいくつかあって、それはすごくおいしかった。それで「いただきます」と言って食べ始めるときに、たいてい母親が帰ってきたりして、それで父親はまたイライラし始めるのだ。父親としては、せっかく母親が帰ってきたのだから、一緒にいただきますをして、一緒に食べはじめたい。だけども料理はどんどん冷め始めるから、今すぐ息子たちに食べさせてやりたい。そうして、親父が計画した最善のものが崩れ始めると、イライラするのだ。

 だから墓参りに行くときは、そういった要素が凝縮されていたようで、これはもうぼくら的には、非常に想定内のイライラだったのだ。
 車内は一切会話がない。
 それで墓場について、墓参りをする。2リットルのペットボトルに水を入れて、山道をのぼる。若干の険しい道を歩いて、その墓石はある。
 墓参り自体は、まぁ10分くらいで終わるのだ。そしてまた山をおりる。
 駐車場まで戻ったとき、父さんが、空になったペットボトルを、兄にわたした。後ろの座席においてほしいからだ。渡した、というか、軽く投げてパスした、という感じだった。
 それでたぶんなんとなくなんだろうけど、兄はそのペットボトルを、ぼくに投げてよこした。その次にぼくがそのペットボトルを父親にパスするときには、「ヘイ!」という掛け声が付属していた。
 もうこの瞬間には、3人の心の中は全く同じだったと思う。このよくわからないゲームを、絶対に大事にしなければならんと、思っていた。
 それで駐車場で大きな三角形ができあがり、親父は「ヘイ!」といってまっすぐな綺麗なパスを兄に投げて、それをうまくキャッチすると兄は、ぼくに、横回転のパスを投げる。ワンバウンドしてキャッチしたぼくは、それを上に高く投げて、父親が、それをジャンプしてキャッチする。

 実際問題時間はそんなになかったのに、なんで3人そろって、こんなふざけた遊びをおっぱじめたんだろう。
 それはとても一言じゃ言い表せない思いがあったからだと思う。それは、数年前の親族同士のトラブルが残した、後味の悪い事件が、きちんと終わりを迎えておらず、それが墓参りという行為の中でフィードバックされたからかもしれない。それは、ぼくら3人が、いわゆるキャッチボールという、もっとも父親と息子らしい遊びをしたことがなかったからかもしれない。それは、もうすぐ兄が大阪へ帰ってまたばらばらになることが寂しかったからという、一種の照れかもしれない。それは、親子だけがわかる「笑い」や「ノリ」というものが、何かのきっかけでストッパーから外れてしまったせいかもしれない。親父は、今までイライラしていたことへの照れや反省もあるかもしれない。兄は、単なる即興コントにのっただけかもしれない。でもとにかく、一瞬のうちに3人の中で電流が走って、打ち合わせ無しのキャッチボールが、始まったのだ。
 後にも先にも、3人でキャッチボールなんかしたのは、あのときだけだ。



 そして、とにかく、その父親が、明日東京にくる。
 数年前に交わした口約束のために。
 それは、スティーヴィー・ワンダーを一緒にみよう、という、まぁ単純明快なもので、まさかそれが今になって実現されるとはね。

0 件のコメント:

コメントを投稿