先日、久しぶりにバンドでライブをした。友人のバンドメンバーが結婚して、その二次会、三次会をライブハウスでやるということだった。
結婚した主催者は、当初ぼくに二次会にmacaroomで出てくれといったが、それは断った。メンバーの予定が合わず、なにより主催者がなぜmacaroomを選んだのかが曖昧だったからだ。
かわりに友人と三次会でブリリアント・グリーンというバンドのコピーバンドをやることになった。ほとんどきいたこともないバンドだが、曲は簡単だったので問題なかった。2曲やるうちの一曲は英語の曲だったが、それが酷い曲だった。歌詞カードをみれば英語が書いてあるのだが、歌は英語にきこえない。『Greenwood Diary』という曲。ネットで色んな人の批評を読んだが、そこでの結論はボーカルの発音が悪いということだった。確かにボーカルの発音は間違っているところもあるが、問題はそうじゃないとぼくは思った。問題は詞の作り方そのものだった。彼女は英語の歌詞を、日本語のリズムで切り刻んで歌っていた。具体的にいうと、音節(Syllable)という英語のリズムではなく、モーラという日本語の単位で詞をつくっていた。たとえば、「diary」という、その歌のキーワードとなる単語があるが、ブリリアント・グリーンはこの単語を4音符に当てはめて歌っている。「dai.a.ri.i」だ。最初の「dai」は音節をおもわせるが、後半はあきらかにモーラのリズムだ。英語であれば「diary」は3音節で、3音符ないし2音符に当てはめるのが普通だろう。アリシア・キーズの『Diary』、ブリトニー・スピアーズの『Dear Diary』もともに3音符だ。さらにこの2曲とも、前半の音節にアクセントがくるように、音程が下がっている。ブリリアント・グリーンの曲は4音符目が音程が高くなり、アクセントとは一致しない。
J-Popにも英語の歌詞は多いけど、とかくみんなボーカルの発音ばかり気にして、良いとかわるいとか言いたがるけど、歌詞の作りが英語的でなければ英語の発音はできない。
そういえば、阿久悠が対談の中で、カタカナで表記された『ウォンテッド』という曲についてこんなことをいっていた。
「だからこれ、英語でなきゃだめなんですよ。ところが、どうしてもこの時点まではね、通らなかったです。片仮名でウォンテッドと書いたものには一回もお目にかかってない。だから嫌これ、英語でなきゃだめなんだ、さんざん言ったんですけどね。」
阿久悠『A面B面』
彼は感覚的に、この曲はカタカナのウォンテッドではなく英語のwantedであると感じているが、本人はその理由まではわかっていない。なぜ「ウォンテッド」じゃなく英語の「Wanted」でないとダメなのか、というのは、簡単なことだ。
「ウォンテッド」をモーラで区切ると
「ウォ・ン・テ・ッ・ド」
となり、
英語の「wanted」を音節で区切ると、
「wan.ted」
となる。
これは曲の音符数と一致しているので、違和感なく歌唱できる。
さらにアクセントに注意してみると、両者は
「《ウォ》ンテッド」(《》がアクセント)
「WANted」(大文字がアクセント)
となり、これも英語が曲と一致しているといえる。
英語的なイメージで阿久悠はこの詞をつけたから、カタカナではどうしてもつじつまが合わなくなってしまう、ということ。
今日は短いけどそういう話。みんな、発音の話もいいけど詞はリズムとアクセントも大事だよ、という話。
なぜブリリアント・グリーンは英語にきこえないか
Reviewed by asahi
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21:46
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