1980年代にアメリカの北カリフォルニア、メンドシーノ郡を中心に巻き起こった、文学界の騒動がある。
事件は『The Anderson Valley Advertiser(AVA)』というメンドシーノ郡のローカル新聞社宛てに、ワンダ・ティナスキーという謎の女から手紙が届いたことに始まる。女は自称ホームレスだった。彼女の文章は非常に優れていて、圧倒的な知識もさることながら、当時の様々なアーティストや政治や歴史やポップカルチャーなどについて、痛烈に批判したり嘲笑したりするものだった。とりわけ様々な俗語を交えたコミカルな文体が特徴的で、AVA編集長のブルース・アンダーソンがそれに食いついた。アンダーソンはティナスキーに挑発的な返信をして、彼女も隠喩に満ちた詩などで応戦したらしい。
しばらくそのやりとりが続き、ティナスキーが送った手紙などは80通にも及んだらしい。彼女の名はAVA内を駆け巡ったが、それはただの「天才的なおばちゃん」というくらいのものだったかもしれない。あるいは誰もティナスキーがホームレスだなどとは信じていなかったかもしれない。
ちなみにこのメンドシーノのという北カリフォルニア海岸沿いの地域は、レッドウッドなどの針葉樹林が有名で、カリフォルニアワインの名産地としても知られている。カリフォルニアで初めて非営利団体が森林を所有(保護)したのはこのメンドシーノなのである。
そんな中、1988年にポストモダンの巨人トマス・ピンチョンが『ヴァインランド』を出版した。
トマス・ピンチョンといえば、アメリカを代表する「謎の作家」であり、姿もわからなければ居所もわからないし、前作『重力の虹』というとんでもなく重量級で錯綜し尽くしたような作品が全米図書賞を受賞し、そこから17年も沈黙していた、半ば「伝説」のような作家だった。世間に姿を表さない彼の徹底ぶりはサリンジャーも及ばぬほどで、処女長編刊行のときにはすでに山奥に逃げていたらしい。
顔も(ほとんど)わからない伝説の作家が17年の沈黙を破って新作を出したのだ。
舞台は北カリフォルニアのヴァインランドという町。レッドウッドに囲まれたこの街でヒッピー二世代が繰り広げるドグマ劇……。
ちなみに刊行当時の状況は、アメリカ文学の山形浩生が次のように言っている。
「重力の虹」は「読みにくい」、と評判の小説だった。確かにその通りで、文章一つが一ページくらい続いていて、途中に関係代名詞がボコボコ入り、次々に脱線して、文章の最後までくる頃には、文の頭で何が書いてあったのかさっぱりわからなくなっているという案配だったのだが、この新作「ヴァインランド」では一つの文がせいぜいページの半分まででとどまっており、多少読みやすい。するとみんな、「ピンチョンもヤワになった」「軟弱だ」と悪口を言うのだから、勝手なもんである。
しかし、一応ピンチョンなので、この本もいろいろ話題にはなった。特にイギリス版の出版はかなりアレだったらしい。なんでも、版権を申請してきた出版社の代表が集められ、原稿が一つずつ手渡されてからカンズメにされて、感想文を書かされた後で入札になった、とかいう信じられないような話が伝わっている。むろんその原稿はあとですべて回収され、絶対に外にもれないよう細心の注意が払われた。その注意というのが、表紙の絵を担当した人物が、イメージをつかみたいから読ませろ、と要求したら、それすら拒絶されたというスゲーものだったらしい。
AVA編集長ブルース・アンダーソンはすぐに『ヴァインランド』を読んで、驚いた。数年前からワンダ・ティナスキーが書き送っていた手紙に、文体やテーマや言及される対象などまでが酷似していた。ヴァインランドという架空の街は、メンドシーノにそっくりだった(実際、その辺りの架空の町の話なのだ)。そして彼はすぐに確信した。
「ワンダ・ティナスキーはトマス・ピンチョンだ」と。
このスキャンダルは一躍文学界を駆け巡り、メンドシーノ住民の町おこしも兼ね備わり(そしてもの好きの陰謀論者たちも加わり)一大センセーションを巻き起こす。
ワンダ・ティナスキーの手紙の数々はまとめて『The Letters of Wanda Tinasky』として出版されているらしい。
文学研究のスティーブン・ムーアはワンダ・ティナスキーとトマス・ピンチョン同一人物説を裏付ける証拠としてつぎのように言っている。(『無政府主義的奇跡の宇宙』より)
◎ティナスキーは、ある手紙の中で、60年代にボーイング社に勤めていたと書いている。
◎「エイティ・シックス」(「シカトする」の意)などの俗語、洒落、歌詞、語句や文を並列する表現法、文学的引用など、両者の文体的類似点が多い。
◎細かく両者を見比べると、『ヴァインランド』とティナスキーの文章に共通して登場する要素が多く見られる。「ブレント・マスバーガー」というスポーツ・キャスターへの言及、『キング・コング』、『ゴースト・バスターズ』などの映画やテレビ番組や漫画のキャラクターへの言及、CAMP(「マリファナ栽培撲滅運動」)に反発する発言など。
その後ティナスキーからの手紙はピタリと来なくなってしまった。
もちろん、ピンチョンも(エージェントを通して)疑惑を否定している。
そしてここからが、日本語版Wikipediaにも木原善彦『トマス・ピンチョン 無政府主義的奇跡の宇宙』にも(なぜだか)書かれていないお話なのだ。
1998年に、シェイクスピア研究者であり自称「文学探偵」らしいドン・フォスターという男の主張により、ワンダ・ティナスキーの新たな正体が浮上した。
トム・ホーキンズというビート詩人だ。
ホーキンズはメンドシーノ郡で生活のために盗みや詐欺を繰り返して暮らしていたらしいが、1988年に妻を殴り殺し、そして自分は崖から飛び降りて自殺している。
つまり、ワンダ・ティナスキーの正体は、人殺しだった。
この殺人者がティナスキーだという根拠はどこにあるか。
1963年にホーキンズが「タイガー・ティム」の名義で出版した「Eve, the Common Muse of Henry Miller & Lawrence Durrell 」という本の中で、彼は「ウィリアム・ギャディスとジャック・グリーン同一人物説」を主張している。ウィリアム・ギャディスはご存知ポストモダンの最重要人物であるが、ジャック・グリーンという人はギャディスの研究者として知られる人物である。
そして、同じ「ギャディス=グリーン説」が、ワンダ・ティナスキーの手紙の中にも出てくるのだ。さらにティナスキーは手紙の中で「ギャディス=ピンチョン説」まで主張していたのだ。つまり「ギャディス=グリーン=ピンチョン説」である。(どこまでマジかはさて置き)
もし仮にAVA編集長のブルース・アンダーソンの「ティナスキー=ピンチョン説」を加えることが可能なら、つまりはこうなる。
「ギャディス=グリーン=ピンチョン=ティナスキー説」
なんともややこしい。
とにかく、ティナスキーの主張と同じことを、トム・ホーキンズは言っていたのだ。さらにホーキンズもボーイング社に勤めていた経験がある。そしてAVAに手紙が来なくなったくらいに彼は妻を殺し、自殺した。
そこでトム・ホーキンズとワンダ・ティナスキーが同一人物ではないか、という話になるのだ。
どんな巡り合わせか、ホーキンズが死んですぐに、ピンチョンの『ヴァインランド』が出版されるのだ。おそらく少なくとも、ティナスキーがピンチョンを意識していたことは明白だ。ピンチョンは『ヴァインランド』執筆中に、実際に北カリフォルニアに住んでいたと言われているから、ティナスキーはひょっとするとどこかでピンチョンに遭遇し、議論を交わすうちに知的好奇心をくすぐられたか、もしくは超話題作家に激しい嫉妬でもしたのかもしれない。まあピンチョンがその正体を明かすわけがないにしても。
ワンダ・ティナスキーの書簡集はすでに出版されているが、それなのに未だ、ティナスキー本人が名乗り出てこない。本当にホームレスなら、印税がっぽりいただきたいと思いそうだが。
あるいは彼女は、もうこの世にはいないのかもしれない。
ちなみに、山形浩生も、東京でピンチョンらしき人物に会って山手線に乗ったりゴジラについて語ったりしたという都市伝説のようなジョークのような話を書いている。つまりは、ピンチョンという生きる伝説が、ありもしない様々な憶測と妄想でもって文学好きのロマンを掻き立てるような、格好の対象なのだろう。
まあピンチョンは、アメリカ人独特のパラノイア的性格(ぼくの世代だと9.11以後にそれを露骨に感じたと思う)をかいてきた人だから、それはそれでピンチョンらしい利用のされ方ではあると思う。
最後に、木原善彦がワンダ・ティナスキーの手紙の一部を訳しているので、引用して終わりたい。
正直言って、詩ってみんなにとって大事なものだと思います。きれいな空気や食べ物や水がみんなにとって大事なのと同じように。私だって馬鹿じゃありません。アメリカ人が三ポンド一ドルのバナナを買っている影で人々が殺されているのはわかっています。人類の大半がお腹をすかしたまま床に就いて、お腹をすかしたまま目を覚ましていることも知っています。地球の富の大半がこの国にやってきて、莫大なゴミに変わるのも知っています。アダムとともに生まれた種、私の仲間の生き物たちが、一時間ごとにこの世から消えているのも知っています。虚栄と恐怖と憎悪のために地球が汚染されて滅亡に向かっていることもわかっていますし、私自身にも虚栄や恐怖や憎悪の気持ちがあることは知っています。それに対する直接の答え、究極の答えが詩だと思うのです。詩は詩神(ミューズ)の言葉なのです。詩神は凝った比喩なんかとは全然違う場所に存在しているのです。
事件は『The Anderson Valley Advertiser(AVA)』というメンドシーノ郡のローカル新聞社宛てに、ワンダ・ティナスキーという謎の女から手紙が届いたことに始まる。女は自称ホームレスだった。彼女の文章は非常に優れていて、圧倒的な知識もさることながら、当時の様々なアーティストや政治や歴史やポップカルチャーなどについて、痛烈に批判したり嘲笑したりするものだった。とりわけ様々な俗語を交えたコミカルな文体が特徴的で、AVA編集長のブルース・アンダーソンがそれに食いついた。アンダーソンはティナスキーに挑発的な返信をして、彼女も隠喩に満ちた詩などで応戦したらしい。
しばらくそのやりとりが続き、ティナスキーが送った手紙などは80通にも及んだらしい。彼女の名はAVA内を駆け巡ったが、それはただの「天才的なおばちゃん」というくらいのものだったかもしれない。あるいは誰もティナスキーがホームレスだなどとは信じていなかったかもしれない。
ちなみにこのメンドシーノのという北カリフォルニア海岸沿いの地域は、レッドウッドなどの針葉樹林が有名で、カリフォルニアワインの名産地としても知られている。カリフォルニアで初めて非営利団体が森林を所有(保護)したのはこのメンドシーノなのである。
そんな中、1988年にポストモダンの巨人トマス・ピンチョンが『ヴァインランド』を出版した。
顔も(ほとんど)わからない伝説の作家が17年の沈黙を破って新作を出したのだ。
舞台は北カリフォルニアのヴァインランドという町。レッドウッドに囲まれたこの街でヒッピー二世代が繰り広げるドグマ劇……。
ちなみに刊行当時の状況は、アメリカ文学の山形浩生が次のように言っている。
「重力の虹」は「読みにくい」、と評判の小説だった。確かにその通りで、文章一つが一ページくらい続いていて、途中に関係代名詞がボコボコ入り、次々に脱線して、文章の最後までくる頃には、文の頭で何が書いてあったのかさっぱりわからなくなっているという案配だったのだが、この新作「ヴァインランド」では一つの文がせいぜいページの半分まででとどまっており、多少読みやすい。するとみんな、「ピンチョンもヤワになった」「軟弱だ」と悪口を言うのだから、勝手なもんである。
しかし、一応ピンチョンなので、この本もいろいろ話題にはなった。特にイギリス版の出版はかなりアレだったらしい。なんでも、版権を申請してきた出版社の代表が集められ、原稿が一つずつ手渡されてからカンズメにされて、感想文を書かされた後で入札になった、とかいう信じられないような話が伝わっている。むろんその原稿はあとですべて回収され、絶対に外にもれないよう細心の注意が払われた。その注意というのが、表紙の絵を担当した人物が、イメージをつかみたいから読ませろ、と要求したら、それすら拒絶されたというスゲーものだったらしい。
AVA編集長ブルース・アンダーソンはすぐに『ヴァインランド』を読んで、驚いた。数年前からワンダ・ティナスキーが書き送っていた手紙に、文体やテーマや言及される対象などまでが酷似していた。ヴァインランドという架空の街は、メンドシーノにそっくりだった(実際、その辺りの架空の町の話なのだ)。そして彼はすぐに確信した。
「ワンダ・ティナスキーはトマス・ピンチョンだ」と。
このスキャンダルは一躍文学界を駆け巡り、メンドシーノ住民の町おこしも兼ね備わり(そしてもの好きの陰謀論者たちも加わり)一大センセーションを巻き起こす。
ワンダ・ティナスキーの手紙の数々はまとめて『The Letters of Wanda Tinasky』として出版されているらしい。
文学研究のスティーブン・ムーアはワンダ・ティナスキーとトマス・ピンチョン同一人物説を裏付ける証拠としてつぎのように言っている。(『無政府主義的奇跡の宇宙』より)
◎ティナスキーは、ある手紙の中で、60年代にボーイング社に勤めていたと書いている。
◎「エイティ・シックス」(「シカトする」の意)などの俗語、洒落、歌詞、語句や文を並列する表現法、文学的引用など、両者の文体的類似点が多い。
◎細かく両者を見比べると、『ヴァインランド』とティナスキーの文章に共通して登場する要素が多く見られる。「ブレント・マスバーガー」というスポーツ・キャスターへの言及、『キング・コング』、『ゴースト・バスターズ』などの映画やテレビ番組や漫画のキャラクターへの言及、CAMP(「マリファナ栽培撲滅運動」)に反発する発言など。
その後ティナスキーからの手紙はピタリと来なくなってしまった。
もちろん、ピンチョンも(エージェントを通して)疑惑を否定している。
そしてここからが、日本語版Wikipediaにも木原善彦『トマス・ピンチョン 無政府主義的奇跡の宇宙』にも(なぜだか)書かれていないお話なのだ。
1998年に、シェイクスピア研究者であり自称「文学探偵」らしいドン・フォスターという男の主張により、ワンダ・ティナスキーの新たな正体が浮上した。
トム・ホーキンズというビート詩人だ。
ホーキンズはメンドシーノ郡で生活のために盗みや詐欺を繰り返して暮らしていたらしいが、1988年に妻を殴り殺し、そして自分は崖から飛び降りて自殺している。
つまり、ワンダ・ティナスキーの正体は、人殺しだった。
この殺人者がティナスキーだという根拠はどこにあるか。
1963年にホーキンズが「タイガー・ティム」の名義で出版した「Eve, the Common Muse of Henry Miller & Lawrence Durrell 」という本の中で、彼は「ウィリアム・ギャディスとジャック・グリーン同一人物説」を主張している。ウィリアム・ギャディスはご存知ポストモダンの最重要人物であるが、ジャック・グリーンという人はギャディスの研究者として知られる人物である。
そして、同じ「ギャディス=グリーン説」が、ワンダ・ティナスキーの手紙の中にも出てくるのだ。さらにティナスキーは手紙の中で「ギャディス=ピンチョン説」まで主張していたのだ。つまり「ギャディス=グリーン=ピンチョン説」である。(どこまでマジかはさて置き)
もし仮にAVA編集長のブルース・アンダーソンの「ティナスキー=ピンチョン説」を加えることが可能なら、つまりはこうなる。
「ギャディス=グリーン=ピンチョン=ティナスキー説」
なんともややこしい。
とにかく、ティナスキーの主張と同じことを、トム・ホーキンズは言っていたのだ。さらにホーキンズもボーイング社に勤めていた経験がある。そしてAVAに手紙が来なくなったくらいに彼は妻を殺し、自殺した。
そこでトム・ホーキンズとワンダ・ティナスキーが同一人物ではないか、という話になるのだ。
どんな巡り合わせか、ホーキンズが死んですぐに、ピンチョンの『ヴァインランド』が出版されるのだ。おそらく少なくとも、ティナスキーがピンチョンを意識していたことは明白だ。ピンチョンは『ヴァインランド』執筆中に、実際に北カリフォルニアに住んでいたと言われているから、ティナスキーはひょっとするとどこかでピンチョンに遭遇し、議論を交わすうちに知的好奇心をくすぐられたか、もしくは超話題作家に激しい嫉妬でもしたのかもしれない。まあピンチョンがその正体を明かすわけがないにしても。
ワンダ・ティナスキーの書簡集はすでに出版されているが、それなのに未だ、ティナスキー本人が名乗り出てこない。本当にホームレスなら、印税がっぽりいただきたいと思いそうだが。
あるいは彼女は、もうこの世にはいないのかもしれない。
ちなみに、山形浩生も、東京でピンチョンらしき人物に会って山手線に乗ったりゴジラについて語ったりしたという都市伝説のようなジョークのような話を書いている。つまりは、ピンチョンという生きる伝説が、ありもしない様々な憶測と妄想でもって文学好きのロマンを掻き立てるような、格好の対象なのだろう。
まあピンチョンは、アメリカ人独特のパラノイア的性格(ぼくの世代だと9.11以後にそれを露骨に感じたと思う)をかいてきた人だから、それはそれでピンチョンらしい利用のされ方ではあると思う。
最後に、木原善彦がワンダ・ティナスキーの手紙の一部を訳しているので、引用して終わりたい。
正直言って、詩ってみんなにとって大事なものだと思います。きれいな空気や食べ物や水がみんなにとって大事なのと同じように。私だって馬鹿じゃありません。アメリカ人が三ポンド一ドルのバナナを買っている影で人々が殺されているのはわかっています。人類の大半がお腹をすかしたまま床に就いて、お腹をすかしたまま目を覚ましていることも知っています。地球の富の大半がこの国にやってきて、莫大なゴミに変わるのも知っています。アダムとともに生まれた種、私の仲間の生き物たちが、一時間ごとにこの世から消えているのも知っています。虚栄と恐怖と憎悪のために地球が汚染されて滅亡に向かっていることもわかっていますし、私自身にも虚栄や恐怖や憎悪の気持ちがあることは知っています。それに対する直接の答え、究極の答えが詩だと思うのです。詩は詩神(ミューズ)の言葉なのです。詩神は凝った比喩なんかとは全然違う場所に存在しているのです。
ぼくはこのバージョンの表紙が結構好き。
レッドウッドと忍者とストラトとヘリと。
世界文学全集にも収録されてるから、現在本屋に置いてある『ヴァインランド』は三種類。
このバージョンはボブ・ディランとピンチョンについてかかれてある訳者解説が面白い。
ワンダ・ティナスキー事件
Reviewed by asahi
on
23:01
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