【目次】
第9回:アムウェイ・ビジネスとやさしき心よ
アメリカの音楽家、スティーブン・フォスター(1826-1864)の話を少し
フォスターは19世紀中頃のアメリカの作曲家。音楽教育は受けておらず、ほとんど独学で音楽を作るようになった。
当時アメリカで人気のあったミンストレル・ショーと呼ばれる舞台の歌謡曲をたくさん書いて、人気になった。
ミンストレル・ショーは白人が黒塗りになって黒人に扮した演劇をするもので、差別的な内容も多く含むものだった。当時と同じように今ニューヨークで上演したら、劇場ごと爆破されてしまうだろう。
フォスターも最初は黒人訛りで歌詞を書いたりして、TheをDで書いたりしていた。
しかし彼はあまり侮蔑的な表現をする方じゃなく、むしろ黒人奴隷の苦しみを、共感するように描いている。
当時の白人作家としてはとても珍しかった。
大胆にいってしまえば、彼はアメリカで最初の黒人差別反対論者だったといえるもしれない。
奴隷解放宣言は彼が死ぬ二年前だし、南北戦争集結は1年後だ。
アメリカ文学において、黒人差別に対する怒りを最も最初期に爆発させた『ハックルベリー・フィンの冒険』だって、フォスターの死後20年ほどたっている。
私は不快な言葉ではなく洗練された表現を使い、黒人歌を上品な人々にも受け入れられるように努力してきました。(フォスターの手紙より)
フォスターの楽曲はいま聴いてみると、その後のカントリーソングや、ブルースを感じさせるものもあるが、なんといってもアメリカ歌謡とはこういうものだ! といいたくなる郷愁あふれるメロディーの素晴らしさだ。
ところで彼の曲は売れに売れたが、著作権法が確立していなかったせいで、お金持ちにはならなかった。
彼なりに考えて出版社と独自の契約をするようにはなったが、結局貧困のまま死ぬことになった。
彼は自宅で発熱し朦朧とした状態で倒れ、洗面器に頭をぶつけて出血多量で死亡した。たった一人で。
所持金はわずか38セントで、もうひとつの所持品が「親愛なる友人とやさしき心よ」と書かれたメモだった。
彼は当時とても人気だったにもかかわらず、貧困のうちに、そして孤独のうちに亡くなった。
それもこれも、著作権がきちんと確立されていなかったせいだろうか?
彼は「財政的に無能で独学の天才音楽家」と呼ばれるようになる。
彼が死ぬ直前に作った『夢見る人(Beautiful Dreamer)』は
死後2ヶ月後に発表され、彼の代表曲となる。
死後2ヶ月後に発表され、彼の代表曲となる。
彼は現代のように、著作権法によってまもられはしなかった。
しかし、彼はそれでも死ぬまで作り続けた。
サマセット・モームの有名な『月と6ペンス』におけるストリックランドの宣言を思い起こさせる。
なんのために描くのか、才能が果たしてあるのか、成功する見込みがあるのか、
そんなことはどうでも良い。
描かないではいられないのだ。
スティーブン・フォスターの名は、ひっそりと忘れ去られてしまった。
いや、確かにフォスターは存在していたが、語られなくなってしまった。
ミンストレル・ショーは南北戦争とともに姿を消した。
彼がつくった曲は所詮は大衆のための歌謡曲であって、偉大な芸術作品とはみなされていなかった。
偉大なガーシュインやコープランド、バーンスタイン、アイヴスやライヒ、ケージの話をするときに、フォスターの名前を口に出す人はいなくなった。
もちろん、ブルースやバップやブルースの話をするときも、ピート・シガーやボブ・ディランの話をするときも。
1998年になってフォスターの生涯を描いた『ドゥーダー!』の著者ケン・エマーソンは次のように書いている。
フォスターは、我々が吸う空気や口ずさむ鼻歌、血管や思考にあまりにも深く浸透しているために我々はそれに気づこうともしない。しかし、フォスター無しのアメリカなど考えられ ない。それはちょうど、ホイットマンやトウェイン、ルイ・アームストロングやジョージ・ガ ーシュウィン、ロックンロール、また人種偏見—それにつかの間とはいえ、我々が人種偏見 を超越しようとしたあの神の祝福なしにアメリカを考えられないのと 同じである。
彼のこうした人生をひとつの象徴的な例としてあげるならば、
著作権が必要だと思えてくるかもしれない。
ぼくは何も、無理やり知的財産を否定しようとしているわけではない。ただし実感として著作権の恩恵を受けるよりも、邪魔だと思うことの方が多いので、当然のように疑問に思ってくる、というだけのことだ。
著作権が必要だと思えてくるかもしれない。
ぼくは何も、無理やり知的財産を否定しようとしているわけではない。ただし実感として著作権の恩恵を受けるよりも、邪魔だと思うことの方が多いので、当然のように疑問に思ってくる、というだけのことだ。
現に結局、ぼくが小説を書いたり音楽を作ったりするぶんには、著作権によって得られる経済的な効果やイノベーションの増加やインセンティブ(つまり、やる気)のようなものはほとんど関係がない。
小説を書いたり音楽を作ったりしはじめた人、つまりビギナー、初心者、ひよっこ、芸術家の卵たち、は、ほとんど誰一人そういったものを期待しているはずがないからだ。
会社をクビになり、家族を養う金がなくなってしまった人が、お金をかせぐために油絵を描くなんてことは絶対にないだろうから、そもそも芸術家にとってみれば著作権によって増加すると思われるインセンティブのようなものは土台しったこっちゃない。
問答無用で創作せざるをえない芸術作品とは対照的に、
問答無用で消費者から必要とされているものものが医薬品だ。
医薬品は、本当にそれを必要としている人がいるにもかかわらず、手に入れられないでいる状況が、様々な状況下で起こっている。たとえば医療保険制度の問題や、医薬品そのものの値段なんかのせいで。
医薬品は、本当にそれを必要としている人がいるにもかかわらず、手に入れられないでいる状況が、様々な状況下で起こっている。たとえば医療保険制度の問題や、医薬品そのものの値段なんかのせいで。
知的財産の話をするときに、医薬品の話はもっとも現実的に根拠があるように思える。
医薬品の新薬は開発にとんでもない資金がひつようなので、特許によって守られなければ誰も開発などしない、ということだ。
しかし同時に、そのおかげで医薬品はとんでもなく高い。しかし新薬を生産するのに必要な実費は数円だったりする。
新薬の開発にかかる費用は、約8億ドルほどだといわれている。
なぜそんなに高いのか。
たとえばファイザー製薬は新薬トルセトラピブの開発に10億ドル近く支出があった。
しかし10億ドルのうちの8億ドルが、臨床試験の費用だったそうだ。
ブリストル・マイヤー・スクウィブ社のピーター・リングローズはニューヨーク・タイムズに次のように発言している。
ヨーロッパが医薬品そのものを特許とするようになったのは、1970年代ごろからで、わりと最近のこと。
イギリスやアメリカは古くからあったが、スイスやドイツでは長らく全く医薬品に特許はなかった。
だったら、特許のある国でみんな新薬の開発をすれば良いじゃないか。
しかし実際にはそうはならない、むしろ逆だ。
フランスで染料に関する特許の裁判がおこなわれて、1864年に「ル・フクシン」という企業がほぼ独占企業の状態になった。特許に完全に保護されたのだ。それからというもの、独占状態のフランスでは競争が起こらなくなり、同業者は自由なスイスやドイツへと逃げ込んだ。まったく、この時期のスイスやドイツのイノベーションは凄まじい。
アスピリンを発明したドイツのバイエル社は、当然のことながら特許は取得していない。というか取得できなかったのだ。
ヨーロッパでは1970年ごろから少しずつ医薬品の特許が認められたが、それはほとんどアメリカからの圧力であって、決して良い結果を生むものじゃなかった。
また、ボルドリン&レヴァインの簡潔な言い方を引用すると、こんな感じだ。
医薬品の特許の話をするときに、やっぱり話の論点となるのは、格差だ。
HIVの薬を買うことができない貧しい国の人々と、大手製薬会社との戦い。
やっぱり知的財産の話をするときには、こういった格差が話の重要な部分をしめるのだと改めて感じさせる。
この連続ブログは著作権についてだが、ぼくがやや衝動的に響きのかっこよさから「芸術格差」と名付けたのも、案外間違いではなかったかもしれない。
さてさて、
20世紀中頃より少しずつ再評価され始めたスティーブン・フォスターに話を戻そう。
ぼくは最近、Beautiful Dreamerを久々にYouTubeできいて、とても感動した。
昔、おばあちゃんの家にいくと、その地区では夕方5時にきまってこの曲が流れていた。
哀れなフォスターは、著作権の恩恵を受けることができなかった。
しかし、9回も連続してこの記事を書いているぼくは、少し冷静だ。感情的になったりはしない。
以前、何回目かわすれたけど、この連続ブログでフォスターと同時代のチャールズ・ディケンズについて書いた。
ディケンズは著作権先進国イギリスから、著作権後進国アメリカに輸入されて大人気となったが、彼は出版社とうまく契約していたので、本国イギリスよりもお金をかせいでいた。
というわけで、結局のところ、フォスターが「財政的に無能で独学の天才音楽家」と呼ばれるのは正しかったのだ。彼は制度によって報われなかったのではない。彼はもっぱら商才がなく、もっぱら芸術家だったのだ。
まあ、もし著作権によって守られていたとしたら、これほどひどいことにはならなかったかもしれない。むしろ著作権がないおかげで、どこのどんな出版社でも彼の楽譜を得ることができた。知名度には確実に貢献しているのだ。まあ、それを差し引いても、もし彼に莫大な印税が入ってきたらと、もう少しは救われたかもしれないのだけど。
ぼくはいまたいへん感動してやさしき心になっているので、歴史上最も偉大な作曲家は誰か、ときかれたら、
間違いなく血迷って、ベートーヴェンでもワーグナーでもビートルズでもなく、フォスターと答えるだろう。
それに、フランス芸術界の偉大なる黒歴史であるゴッホの場合を考えてみよう。
黒歴史と呼んだのは、こういうことだ。
つまり、フランスは第二のゴッホを出すまいと躍起になっている。
「ゴッホを忘れるな」というわけだ。
ようするに、ゴッホが孤独と貧困のうちに死んだのは、フランス芸術界の象徴的な誤算で恥ずべきことだからだ。
さあ、ゴッホ。彼は、もちろん著作権の有無にかかわらず貧困のうちに亡くなっただろう。
著作権は格差をひろげることはあっても、それを狭めることはないのだから。
いや、ぼくはすでにフォスターの音楽に感動しすぎたせいで、誇大妄想にとりつかれてしまっている。
フォスターがたった38セントの財産とともに最後に書き残した言葉は、現代の格差を助長する知的財産権にとってもっとも見過ごされているものなのだ、という気がしてきた。
そうだ、そうにちがいない。
これこそは、トマ・ピケティでも解くことはできなかった、現代の格差社会の最も重要な問題なのだ。
それをフォスターは理解していた!!
親愛なる友人とやさしき心よ、だ。
親愛なる友人、そして、やさしき心、
ああなんと、現代において忘れ去られた単純明快な解答だろう。
最近、人生の岐路に立った末アムウェイに入会した知り合いから劇的に勧誘を受けた。
その時に彼はぼくをアムウェイに誘う理由を次のようにいった。
「がくちゃんは大事な友達だからさ」
!!
大事な友達! 親愛なる友人!
あとはやさしき心、だ!
ぼくはアムウェイに入会するかわりに、フォスターの楽曲を彼に送りたいと思う。
しかし同時に、そのおかげで医薬品はとんでもなく高い。しかし新薬を生産するのに必要な実費は数円だったりする。
新薬の開発にかかる費用は、約8億ドルほどだといわれている。
なぜそんなに高いのか。
たとえばファイザー製薬は新薬トルセトラピブの開発に10億ドル近く支出があった。
しかし10億ドルのうちの8億ドルが、臨床試験の費用だったそうだ。
ブリストル・マイヤー・スクウィブ社のピーター・リングローズはニューヨーク・タイムズに次のように発言している。
ガンに関わるかもしれないタンパク質のうち、特許保持者の許可が出なかったり、とんでもないロイヤリティを要求したりするために、同社が研究していないものが50種類以上ある
ヨーロッパが医薬品そのものを特許とするようになったのは、1970年代ごろからで、わりと最近のこと。
イギリスやアメリカは古くからあったが、スイスやドイツでは長らく全く医薬品に特許はなかった。
だったら、特許のある国でみんな新薬の開発をすれば良いじゃないか。
しかし実際にはそうはならない、むしろ逆だ。
フランスで染料に関する特許の裁判がおこなわれて、1864年に「ル・フクシン」という企業がほぼ独占企業の状態になった。特許に完全に保護されたのだ。それからというもの、独占状態のフランスでは競争が起こらなくなり、同業者は自由なスイスやドイツへと逃げ込んだ。まったく、この時期のスイスやドイツのイノベーションは凄まじい。
アスピリンを発明したドイツのバイエル社は、当然のことながら特許は取得していない。というか取得できなかったのだ。
ヨーロッパでは1970年ごろから少しずつ医薬品の特許が認められたが、それはほとんどアメリカからの圧力であって、決して良い結果を生むものじゃなかった。
イタリア最高裁が医薬製品特許の発行を命じてからの最初の10年で、革新的な薬の発見において目立つ増加を一切みせていない(Scherer)
また、ボルドリン&レヴァインの簡潔な言い方を引用すると、こんな感じだ。
歴史的には、医薬品の知的独占は、時と場所次第で大きくちがっていた。まとめると、特許が少なく弱い国のほうが急速に発展した。
医薬品の特許の話をするときに、やっぱり話の論点となるのは、格差だ。
HIVの薬を買うことができない貧しい国の人々と、大手製薬会社との戦い。
やっぱり知的財産の話をするときには、こういった格差が話の重要な部分をしめるのだと改めて感じさせる。
この連続ブログは著作権についてだが、ぼくがやや衝動的に響きのかっこよさから「芸術格差」と名付けたのも、案外間違いではなかったかもしれない。
さてさて、
20世紀中頃より少しずつ再評価され始めたスティーブン・フォスターに話を戻そう。
ぼくは最近、Beautiful Dreamerを久々にYouTubeできいて、とても感動した。
昔、おばあちゃんの家にいくと、その地区では夕方5時にきまってこの曲が流れていた。
哀れなフォスターは、著作権の恩恵を受けることができなかった。
しかし、9回も連続してこの記事を書いているぼくは、少し冷静だ。感情的になったりはしない。
以前、何回目かわすれたけど、この連続ブログでフォスターと同時代のチャールズ・ディケンズについて書いた。
ディケンズは著作権先進国イギリスから、著作権後進国アメリカに輸入されて大人気となったが、彼は出版社とうまく契約していたので、本国イギリスよりもお金をかせいでいた。
というわけで、結局のところ、フォスターが「財政的に無能で独学の天才音楽家」と呼ばれるのは正しかったのだ。彼は制度によって報われなかったのではない。彼はもっぱら商才がなく、もっぱら芸術家だったのだ。
まあ、もし著作権によって守られていたとしたら、これほどひどいことにはならなかったかもしれない。むしろ著作権がないおかげで、どこのどんな出版社でも彼の楽譜を得ることができた。知名度には確実に貢献しているのだ。まあ、それを差し引いても、もし彼に莫大な印税が入ってきたらと、もう少しは救われたかもしれないのだけど。
ぼくはいまたいへん感動してやさしき心になっているので、歴史上最も偉大な作曲家は誰か、ときかれたら、
間違いなく血迷って、ベートーヴェンでもワーグナーでもビートルズでもなく、フォスターと答えるだろう。
それに、フランス芸術界の偉大なる黒歴史であるゴッホの場合を考えてみよう。
黒歴史と呼んだのは、こういうことだ。
つまり、フランスは第二のゴッホを出すまいと躍起になっている。
「ゴッホを忘れるな」というわけだ。
ようするに、ゴッホが孤独と貧困のうちに死んだのは、フランス芸術界の象徴的な誤算で恥ずべきことだからだ。
さあ、ゴッホ。彼は、もちろん著作権の有無にかかわらず貧困のうちに亡くなっただろう。
著作権は格差をひろげることはあっても、それを狭めることはないのだから。
いや、ぼくはすでにフォスターの音楽に感動しすぎたせいで、誇大妄想にとりつかれてしまっている。
フォスターがたった38セントの財産とともに最後に書き残した言葉は、現代の格差を助長する知的財産権にとってもっとも見過ごされているものなのだ、という気がしてきた。
そうだ、そうにちがいない。
これこそは、トマ・ピケティでも解くことはできなかった、現代の格差社会の最も重要な問題なのだ。
それをフォスターは理解していた!!
親愛なる友人とやさしき心よ、だ。
親愛なる友人、そして、やさしき心、
ああなんと、現代において忘れ去られた単純明快な解答だろう。
最近、人生の岐路に立った末アムウェイに入会した知り合いから劇的に勧誘を受けた。
その時に彼はぼくをアムウェイに誘う理由を次のようにいった。
「がくちゃんは大事な友達だからさ」
!!
大事な友達! 親愛なる友人!
あとはやさしき心、だ!
ぼくはアムウェイに入会するかわりに、フォスターの楽曲を彼に送りたいと思う。
Beautiful dreamer, awake unto me!
美しきドリーマーよ、ぼくのために目覚めてくれ!!
芸術格差を考える(第9回:アムウェイ・ビジネスとやさしき心よ)
Reviewed by asahi
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21:14
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