ライブハウスを救おうってさ、hahaha(⌒-⌒



ライブハウスとアーティストの関係性はもともと排他的でベールに包まれている。ぼくらはライブに出る度に集客ノルマを要求され、精一杯知り合いを呼んだり、無様に自腹を切ったりしながら、その一方で毎日どこかでノルマが課されるどころかギャラを受け取るアーティストがいることを知っている。さあ、ぼくらも早くギャラを受け取るに相応しいアーティストになろう、と意気揚々に活動をしていくのは盲目的、借金とバイト、家賃は不払い、ミュージックビデオを撮るどころかPCはクラッシュ、ハードディスクはパンパン、wi-fiの通信料も払えない。ブッキングはジャンルも経験値もごちゃまぜの無意味なイベントばかり。客は増えない。
一人称だけど、これはぼく自身の話ではない。音楽文化の発展? 良い音楽に客は自然と集まるって? ライブハウスの店主がまさか浜崎あゆみの狂ったドラマを真に受けてるんじゃないだろう? 良い音楽はそこら中にある、けれどもライブハウスでは集客率を定規で測ってポイと振り分けるしか考えてない。ライブハウスのフロアが巨大な体重計になってて、そのkg数に応じてギャラが分配される寸法。それに、CDショップなんかクソ食らえだ。店員は誰もCDなんか聴いていない。バイヤーも同じ。いつも誰のリリースでも似たような販促。アーティストが来店すれば機械的にサインを書いてもらうルーティーン。
音楽家は、ライブハウスのシステムの中では完全に客商売であり、人気商売でしかない。これは創作活動やアート活動といえるだろうか? 音楽文化という全体の産業の発展に寄与しているといえるだろうか?
(「音楽文化の発展に貢献することこそがライブハウスの責務だ!」と言いたいわけじゃありません。むしろそうじゃない方が健全)

ぼくらは当然オンラインに逃げる。
ライブでなければ意味がない、という完全にデタラメな神話には耳を貸さない。
客席の熱気や真空管アンプの響きやフロアの振動を信仰しない。
LPの可聴領域以上の説明できないあたたかさという神話ではなく、適度に圧縮されたmp3を配信サイトにアップロードする。
iPhoneのスピーカーや1000円のイヤホンで聴くことを前提とした音楽発信。
ツイッターとインスタで宣伝して、YouTubeでライブ配信、ストリーミングもダウンロード販売も、一か八かTikTokだって。恥ずかしいけど自分たちのバンド名をハッシュタグにして投稿する。いつもクールでいたいが、そういうわけにはいかない。生活を切り売りする。
見習うべきなのはジョン・レノンやボブ・ディランではなくて、偉大なヒカキンやキングコング。
最大の市場調査の方法はエゴサ。慰みの場も落胆の場もエゴサ。

コロナ以前とコロナ以後で変わったことはあるか。
何も変わってない。
ライブハウスを救うために立ち上がる気高いアーティストはライブハウスを満員にするアーティストばかり。彼らはライブハウスにお世話になったという自覚がある。彼らはフロアを満員にしてとてつもないkgを叩き出す代わりに、ギャラを受け取り、公式ツイッターではべた褒めされ、お店では大展開。恩を感じているのだ。ライブハウスに育てられたという強い思いがある。だから、ライブハウスに恩返しをする、音楽産業に恩返しをする。みんなで協力して、ともに戦おうとする。素晴らしい。
この世界はコネクションが命だってみんな知ってる。コネクションがなければバトンもまわってこないし、誰かを救うことも救われることもない。取り残されたぼくらはオンラインなのにオフラインの気分。夜九時を過ぎると父親がぼくのすべてのツイートにいいねをする。

ライブハウスを満員にするアーティストは一方でインフルエンサーでもあるので、この暑苦しいムーブメントが大多数のアーティストの気持ちを代弁しているように思える。しかし実際にはこの流れから取り残されたアーティストが大勢いる。日本中の大多数のアーティストが、特に何もすることもなく、どこからも依頼も来ずバトンも渡って来ない中で、一連の現象がiPhoneの中のツイッターの中だけの出来事として「ライブハウスを救おう!」というツイートを眺めている。みんなニューズピックスの見過ぎ。「自粛期間中に忙しくない人はこの先あぶない!」だって、これはお笑い種、ただのフィクション。ウィズ・コロナ、とか、ニーテンゼロ、とか。「ライブハウスを救おうってさ、hahaha(⌒-⌒」

取り残されたアーティストたち、彼らはもともと無視されていたのだから、たとえコロナ騒動の最中であっても、それは変わらない。サーフボード持って砂浜で突っ立ってるだけ。洒落てる海パンは穿いてるけど波はやってこない。この波に彼らは関係ないのだ。大人しく、ツイートを読んでいいねを押したりリツイートするだけ。単に日焼けして脱水症状。ぼくらはフロアを満員にするアーティストじゃないし、ライブハウスからギャラをもらうこともない、アーティスト以前のアーティスト。もし何かで逮捕されてニュースになったとしたら「自称アーティスト」って冠がつく予備群。
非商業主義や超自由主義、実験主義の幽霊が、日本中にいる。ライブハウスはぼくらにとってもともと乗り越えるべく壁であって、敵ではない。関係性はいたってシンプル。良いイベントが組まれたり、有名なアーティストの前座として組んでもらえるように、いつも顔色を伺い、チェキやCD特典でアコギな客商売。かつて我々はそうして意欲的に次のステップを夢見て活動したが、ライブハウスがぼくらを繋ぎ止めるのは単に金でしかない。ノルマという完全に担保された最低保障金額がありながら、もしかすると後々この中の誰かがビッグネームになるかもしれない、という希望もある。それ以上も以下でもない、淡白な関係性。

リアルな現場やストリートが全否定されてステイホームの現在。ライブハウスがインターネットに参入する。みんなオンラインで繋がっているから上も下も関係ない、けれども1番のニュースは安倍晋三と星野源。どちらも違う世界で頂点を極めた者。クラブエイジアのクラウドファンディングには4000万円を超えるお金が集まる。1日ごとに100人が平均6,000円このクラブに支援している。大成功、おめでとう。ライブ配信だって、大盛況。

音楽の状況は何も変わってない。
その上、経済成長率は戦後最悪らしい。

つまりね、ぼくら幽霊たちはもともと音楽産業にウンザリしていたわけだ。
ただそれだけ。

ライブハウスを救おうってさ、hahaha(⌒-⌒ ライブハウスを救おうってさ、hahaha(⌒-⌒ Reviewed by asahi on 15:08 Rating: 5

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