政府転覆と憲法(架空読書003)



発禁本の中でも入手困難だといわれる本書は、今日の憲法解釈における議論では完全に無いものとされてしまっている。
いわゆる革命権と呼ばれるものが日本に存在しうるのかということについて述べているのだが、書き方がまず斬新で、今読んでも普通におもしろい。
まずもって日本国憲法は、アメリカから多分に影響を受けている。
そもそも、日本の法は、いわゆるドイツやフランスなどの大陸型と、イギリス・アメリカ型の双方に影響を受けて形作られたのだけど、本書では、アメリカの憲法と比較論においてとりわけ優れた論考を残している。
 たとえば幸福追求権。これは不思議な権利で、考えてみたら、ここに「幸福になる権利」は保証されてはいない。そうではなくて、「幸福を全力で追及せよ」という権利なのだ。日本国憲法においてはこれは「公共の福祉に反しない限り」という前提がある。この「公共の福祉」というものに日本国政府が含まれないことは当然で、なぜなら憲法はそもそも政府を監視するための役割を果たすものだからだ。
 なので、幸福の追求という言葉の中に、政府を転覆するための行動が含まれていたとしてもなんら不思議ではない。それが国民にとっての幸福の追求になりうるのだとしたら。
 しかし、本書はオウム真理教の悲惨な事件よりも前に書かれてあるが、こうしたテロと革命権の境界線についても独自の解釈を述べている。
 歴史上、ありとあらゆる革命について、それを「合法」とするだけの根拠がどこにあるのか。よく、こういう話をするときに、革命は単に結果論であって、「坂本龍馬だって成功しなかったらただのテロリストなんだから」というような話になる。しかし実際にはそれは違って、つまり革命は成功したから合法で失敗したらテロ行為だという結果論ではなくて、革命にも合法なものと違法なものとに分けられるのだ。
 著者は、歴史上合法的に革命を成功させた例は極めて少ないながらも、その例に中国の古代王朝や、日本の大政奉還が挙げられると述べている。
 ぼくらは、憲法改正の議論のときに、何かあれば開口一番に「安倍ファシズムが始まる」とか、「戦争まっしぐらだ」とかいうことになるのだけど、最後の最後には、ぼくらには革命権が残されているのだ、と保証されてさえいれば、また違った心持ちになるだろう。合法的な手続きを得た革命については、たとえその途中段階での失敗にしても、テロ行為とは全く違った対処がなされなければならない。



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