電車でおっぱいをくっつけてきた女性



満員電車、とはいえないレベルの車内で、
女性がぼくのひじにおっぱいをくっつけてきた。

ぎゅうぎゅうではないにしてもそこそこ人が乗っていたので、
たまたま、な気もしたし、
たしかに違和感のあるくっつきかたにも思えた。

痩せ型の女性で、OL風、ぼくよりは一回りほど年上だろうか。
小さなおっぱいが、ぼくのひじを包み込む。

満員状態ではないので、
ぼくは、姿勢を変えておっぱいから回避することもできたが、
それはしなかった。

その女性は、ぼくの顔をすごく見てくる。なんというか、意味ありげな視線。
そして、ぼくのiPhoneの画面を覗き込んでいる。

ちょうどぼくはそのとき、iPhoneのキンドルでニーチェの『ツァラトゥストラ』を読んでいた。
光文社の新訳のやつだ。

連中がもっとも信じているものは、からだなのだ。連中のからだが、連中にとっては自分の物自体なのだ。

以前にも、電車で体を触られたことはある。
ぼくとしては、痴漢をされることは、
「自分は痴漢の対象になる程度の魅力はあるのだな」
という確認作業ができるし、
それに、相手が普通の女性であれば、おっさんに触られるのに比べて悪い気はしない。

からだを軽蔑する人に俺の考えを言おう。勉強しなおして、意見を変えろとはいわない。ただ、自分のからだに別れを告げてもらいたい。──つまり、黙ってもらいたいのだ。

女性は、ぼくが読んでいる『ツァラトゥストラ』を、読んでいる。
こういうときに、ぼくがキンドル読書をやめて、Twitterでもみはじめたりしたら、
ぼくのアカウント名を検索されたりして、ストーキングに発展するかもしれない、
などと空想しながら、
ぼくはひたすら女性のおっぱいの感触を感じながら、ニーチェを読み進める。
体の姿勢を動かすことはしない。根比べだ。

どこからどう見ても、私はからだなんです。からだ以外の何ものでもない。魂なんて、からだの付属物の代名詞にすぎません。
ぼくは昔から、電車の中で他人の体を触る、ということについて考えたりしていた。
ひとつめ、痴漢という行為自体はそれほど悪いものではない。
ふたつめ、それよりも、強い男性と弱い女性という強力な絶対的な関係性の恐怖が悪いのだ。
みっつめ、レベルの差こそあれ、誰でも痴漢の経験者だ。
よっつめ、いや、それは言い過ぎかもしれない。やはり撤回しよう。
いつつめ、痴漢の問題は、つまるところ、土地の問題だ。ぼくは、ミニスカートのギャルの足を触る男子中学生を電車でみたことがあるが、その男子中学生の目は、発狂寸前だった。そりゃそうだ。思春期真っ只中の男の子が、強制的に、毎朝、年上のエロい女性に囲まれて、パーソナルスペースなんか度外視したぎゅうぎゅうの車内で、それでも手は出してはいけないというルールを守らなければいけないのだから。

女性が、ふたたびぼくの顔をじっとみる。少し微笑んでいるようにみえる。

からだを軽蔑している人たちよ、俺は、君たちとは別の道を行く! 君たちは、超人への橋ではない!

そういえば、以前、女性に体をくっつけてこられたのも、同じ電車だった。
その時の女性は、おっぱいをぼくの腕にくっつける以外にも、
自分の股間をぼくの脚に密着させたり、
顔をぼくの胸のあたりにくっつけたり、
ほとんど抱き合っているような姿勢になった。
そのときも、そこそこ人が多いな、っていう程度で、満員電車というほどではなかった。

ふと、ぼくの中に永劫回帰がおこる。
もしかすると、いま、ぼくにおっぱいをくっつけてくる女性は、
以前に、あのときにおっぱいをくっつけてきた女性と同じなのではないか、と思ったのだ。
確かに、あの時の女性も、痩せ型で小さな胸をしていた。



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