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2018/09/26

JOURNAL180925




ラジオの収録で埼玉県立近代美術館へ。
こういった遠出しての収録は久々だった。

視覚障害者の音声ガイド鑑賞に関する座談会があって、
我らラジオチーム(坂本さん、ぼく、兄)と、
音声ガイドを導入しようと働きかけをしている団体の方と、
視覚障害者の方(坂本さんもこれにカウントできる)と、
音声ガイドをしている方と、
学芸員の方と、
美術館の施設担当の人、
総勢8人で収録。

普段は、こういった収録は坂本さんの運営する「コーヒータイム」から車が出るから、
ぼくらはそれに乗せてもらうだけなのだけど、
今回は車の都合がつかずに、各々が電車で向かうことに。

そして、腹立たしいことに交通費は出ず。

ぼくはこのラジオにはそもそも編集者として参加しており、
編集としてのギャラはもちろん発生するのだけど、
出演者にはギャラがない。

つまり、兄はギャラがなく、つまり電車代も自費。

ぼくも電車代は自費だけど、まあ編集としてのギャラに含まれると考えればまだ良い。

だから、ぼくは毎回兄に電車代を払ってラジオに参加してもらっているという感じ。
それでも出演料としては払っていないのだから、全然十分ではないけれど。

特にでも兄はいま何の仕事もしていないから、電車代が命取りになるわけだ。
ここはシビアな問題。

しかしコーヒータイムとしては、今回は電車代は出ないということなので、
ぼくが近代美術館までの往復の交通費を兄に支払うということになるのだ。
そもそもラジオの編集ギャラなんて安いので、こういうのが続くとやってられない。

まあ、今回だけは、きちんとした座談会が組まれるということで、まあいっか、という感じでしぶしぶ承諾。

そして収録がおわって、
みんなで飲みに。

飲みが終わって気づいたのだが、
普通だったら、こういうときは主催者が飲み代を払うっていうのが定石だと思うのだけど、
ぼくはうっかりしていた。

こういったNPOまわりのひとたちは、めちゃくちゃ支払いにシビアで、
ビール代の消費税分まできっちりと取られた。
いや、こっちが飲んだ分なんだから、取られたって表現は失礼だけど。

でもとにかく、これもぼくはまだ良いとして、
兄からしてみれば、
ギャラも出ないラジオ番組に、遠出して数時間も使って、
あげくの果てにビール代を払わされるわけだ。

だって、夕方からこんな風にお店で飲めるような身分じゃないわけだ。
コーヒー代だって、サンマルクやイタトマみたいななるべく安いチェーン店しか
めったに行かないんだから、
いや、いくら兄だって、
「ここぞ!」という時だったら、居酒屋でビールくらい飲むけど、
こんなたかだかラジオの収録くらいでなんとなくビール飲んで500円なくなるっていうのは解せないわけだ。

とはいえ、そういう流れになったのだから仕方がない。

それで、帰りの電車。

人身事故だか何かが原因で、電車がストップして、
ぼくと兄は途中の南浦和という駅で下車することに。

つまり、電車が再開するまで暇をつぶそうと。

しかし、喫煙できる喫茶店が全然ないし、
もういいやってことで、
別のルートを使って結局帰ることに。

兄の家の近くまで戻って、
そこでコーヒーを飲む。

いやあ、今日は大変だったねと。
痛い出費だったねと。

まあ、とはいえ電車代はぼくが払ったので、
たった500円のビール代でしかないのだけど、それでも痛い出費なのだ。
喫茶店で話した後は、いつもの通り、
路上でコーヒー飲みながらタバコを吸ってお話し。

いろいろ話したんだけど、簡単にいえば、
「兄弟仲良くやっていこうね」っていう、
はたから見れば気味悪い会話だった。

兄弟仲良くやっていこう、というのは、
随分と昔から父親から口すっぱくいわれていることで、
というのも、それは父は弟と喧嘩して別れたから。
そしてその時の現場にぼくら兄弟もいて、というか話せば長くなるから
ここには書かないけど、
まあとにかく、ぼくも兄も、昔から、「兄弟仲良くせんとだめやな」っていう意識が
普通の一般的な兄弟の100倍くらいあるので、
よくそういう会話をするのだ。

まあそれはいい。それについて書くには体力がいるから、今は割愛。

それで、しばらくしてぼくらは別れて、帰路。

夜11時くらいに坂本さんから電話がかかる。

「おう、がくか。いま、どこにいるんだ」
泥酔している。ろれつがまわっていない。
「おい、がく、あのなあ、おれはな、モナリザってあるだろ、あの、モナリザってさ、モナリザの微笑みってさ、世間では評価されているだろ、でもなあ、おれはなあ、あのねえ、あの微笑みはね、なんか嫌な感じがするんですよ、なあ、がくはどう思う? ん? いやわかりますじゃないんだよ、白か黒かしかないんだよ、こういうのは。あのなあ、な、そうだろ? あの微笑みは、気味が悪い感じがするだろ? はっきりしろ。 やっぱりそうだろ? うん。あとなあ、あのな、今日は、収録、いろいろ迷惑かけてごめんよ。それじゃまた」

坂本さんは照れ屋だが、
どこか今日の収録のことが気がかりで電話したんだろう。

JOURNAL180924



ボンクリ・フェスにいってきた。
作曲家の藤倉大さんが監修するフェスで、基本的には現代音楽周辺の音楽を一日中色々やってて、最後にはコンサートもあるというイベント。

ワークショップには三つも参加した。
ひとつは、サウンドスケープ的な「音をじっくりきいてみよう」というワークショップで、
サウンド・メディテーションとかやってるポーリン・オリヴェロスの作品を使って、
子供達が日用品を叩いたりして、
それを録音したり、逆に何もしないで静かにしていたり、
そんな感じ。

それから、合唱のワークショップも。
マリー・シェーファーの合唱曲が聴きたくて参加したけど、
鶴見幸代さんの観客参加型の合唱曲で、やや恥ずかしい感じでぼくも参加。

そしてノルウェーのアーティストが集う即興音楽のミニコンサートにも。
これはかっこよかったね。

それ以外にも、電子音楽を1日きける部屋があったりして、
オリヴェロスや、ベルナルド・パルメジャーニ、ベアトリス・フェレイラの電子音楽がきけたり、

それから誰でも見れるコンサートもあって、
コントラバスで川島先生の曲が演奏されたり、

尺八で藤倉さんの曲が演奏されたり、

パーカッションでカーゲルやってたり、

いろいろ。

そして最後はコンサートホールでのコンサート。
コンサートは、メシアンの合唱曲とか
アルヴィン・ルシエの不思議な曲とか、
そして大友良英さんの室内楽が本人指揮であったりとか、
坂本龍一さんの合唱曲をライブレコーディングしてて、
それをすぐさまリミックスとしてノルウェー4人組+藤倉さんで即興演奏するとか、
まあとにかくいろいろあったな。

ワークショップは、他にも、ルシエの部屋っていうのもあって、
ルシエの有名な「i am sitting in a room」っていう録音を繰り返して行く曲の体験ができたりしたのだけど、
ぼくはそれを応募したけど、抽選にもれてしまった。

たぶんルシエの部屋が一番人気だったと思うな。


そのあとはいつもどおり、
みんな(えまる、ぼぶ、兄)で路上で乾杯。
別に何も成し遂げてないけど、乾杯。

みんなで十分に遊んだ、っていう感じの日だった。

もともとは、ぼくが個人的に行きたくて、
なんとなーくの雰囲気でみんなを誘ったのだけど、
みんな楽しんでくれたみたいで良かった。



2018/09/21

日高屋でレペゼンに絡まれた夜に女はやってくる



ラジオ収録おわりで、兄とカンフーの練習。
最近は意拳の立禅(座禅ではなく、立ってやるもの)をやったり、
八卦掌の走圏(ただ木の周りをぐるぐるまわるだけ)をやったりしていて、
なんか「思いっきり運動」っていう感じとは違うメニューが多かったけど、

今回は全然違う感じに。

というのも、TikTokでカンフーの動画を投稿しようということになったので、
なんらかの套路をしようということに。

兄は翻子拳、ぼくは八極拳を。

套路をしっかりやる、ということ自体、かなり久しぶりだったので、
変に健全な筋肉痛になった。こういう当たり前な普通の練習もいいね。
こういう練習が本来ならスタンダードなわけだけど、
最近のぼくらはやたら古武術の極意のようなところを集中的にトレーニングしていたから、
いまのぼくらにとっては、こうやってバンバン動き回る練習が斬新だった。

ところでTikTokを使うこと自体は、まだよくわからないけど、まあなんとなくやっている。


それで、練習終わって日高屋でご飯。

メニューはおきまりの、フィッシュフライ定食。
メニュー頼んで、それから兄がトイレに行って戻って来たら、
横の席のおっさんに喧嘩売られてる。
「おい、気をつけろよ」と。
兄は、ああ、すいません、と謝る。
「"かちゃ"って言ってるじゃねえか」と。

何が起こったのかよくわからなかったが、つまり、
トイレから戻ってくる時に、兄が、
横のおっさんのテーブルの上の食器に体が当たってしまったらしい。

というのも、日高屋のテーブル席は非常狭く、
テーブルとテーブルの間もものすごく狭い。
だから、席につくときに、隣のテーブルとの間がぎりぎりの中、
体を横にしてすーーっと通って着席しなければいけない。

んで、兄が着席するときに、隣の席のおっさんのテーブルの上の食器に体が触れたみたいで
「かちゃ」って食器の音がなったらしい。

それにおっさんは怒って、
「おいてめえなめてんのか」的な雰囲気で、
ただこちらに注意するというよりは、なんかヤンキー的な口調と雰囲気で、
「まあまあ、そういう時もあるでしょう」と僕もいい、
「すみません、うっかりしてまして」と兄がいい、
「なんせ狭いですから、びっくりするくらい」とぼくが言う。

おっさんはヤンキー風の口調のまま、こちらに睨みをきかせていたが、
こちらの「驚くほど狭いですから、そういうこともありますよね」的な攻めに、
うんざりしたのか、まあ、とりあえずは一件落着で、喧嘩までには発展しなかった。


それで、そのあとフッシュフライが運ばれて来て、ぼくらはそれを食べるけど、
イライラして味がしないわけだ。

「ああいうレペゼンが増えてるのはなんでやろうね」と兄がいう。
レペゼン、つまり、
「おれはこの街の代表だ。文句あるやつはぶっとばすぞ」という意気込みで、
ヤンキー風に、絡んでくるやつらのことだが、
確かに、数週間前も、路上でタバコ吸ってて、別のレペゼンに絡まれたばっかりだった。
そんときは、「路上でタバコ吸うな」っていうことなのだけど、
「なめてんのか」とか、「喧嘩するならやってやっぞ」的なことをがんがん言われる感じだった。
「いや、まあねえ、喧嘩とかそういうのは違うじゃないですか、、、ねえ?」
とこっちは言うだけ。
喧嘩になりたくないので、下手に出るのだが、やっぱりそれはそれでイライラする。

「ああ、レペゼンねえ、確かに最近絡まれること多いね」とぼくはいう。

せっかくカンフー練習おわり、
フィッシュフライとキャベツの組み合わせと、白米のコラボレーションを楽しみたかったのに。

こうやって話している間も、おっさんは、連れのババアと楽しそうに話している。

「ああいうのは、すぐに警察に突き出したほうがいいかもねえ」とぼくらは話す。

そして、食事を終えたおっさんは、荷物を持って席から立ち上がる。

(あ!)
おっさんが立った瞬間に、全員が同じことをハッと考えた。
(このおっさんは、いまから、おれらのテーブルとおっさんのテーブルの間を通って出て行くわけだ)
(そして、テーブルとテーブルの間は、結構狭い)
(もし食器におっさんの体が触れてしまったらどうするつもりだろう)

たぶん、全員、同じことを考えていた。
そして、おっさんは、体を横向きにして、なるべく細く、
カニ歩きでゆっくりと、テーブルの間を通る。一歩ずつ。じりじりと。

ぼくも兄も、カニ歩きのおっさんを見つめる。
うん、すぐ横だから、もう本当に、ガン見。
すぐ横のカニ歩きのおっさんをめっちゃ凝視。

一歩ずつ。(なんだ、この二人、めちゃくちゃ見てくるじゃねえか)
一歩ずつ。(見てんじゃねえよ。いや、それより集中だ)
ゆっくり。(いいぞ、その調子だ)
じりじりと。(おや、案外狭いぞ、いや、かなり狭いぞ!)
カニ歩きで。(想像していたより随分せまい。こりゃ危ない)
ゆっくり。ゆっくり。(しかし、絶対に、"カチャ"はだめだ)
そして、あと少しで終わりという時に、(あと少しだ! あと一歩!)

「カチャ」

(あ!)(鳴った!)

おっさんは立ち止まり、テーブルの上の食器を見下ろす。
そして、開き直った顔をして、早歩きでレジへと歩いていく。

「えええええー!!」ぼくら二人が叫ぶ。
「いやいやいや、今、"かちゃ"っていったやん!」
「"かちゃ"いっとるやん!!」
おっさんは何もいわず早歩きで去って行く。
「おっさん何も言わんやん」
「ぜんぜんこっち見んやん。顔赤くなっとるやん!!」

ぼくら二人のヤジを、おっさんは完全無視。
全くこっちを見ようとせず、レジで会計をして、
最後までこっちを見ずに、帰って行った。

「なんやねんあいつ。よけいに腹たってきたわ」
「アドリブ全然きかんやつやん」
とぼくらは口々に文句をいう。
しかし後の祭り。ストレスはたまる一方。

そして、ぼくらもしばらくして会計をすませて、
日高屋を後にする。

別れる前に、
タバコ屋の横の喫煙所で一服。

「思ったんやけどさ、前にレペゼンから絡まれたときもさ、練習終わりじゃなかった?」
「んーああ、そうかも」
「カンフー終わりでさ、変な戦闘モード的なホルモン出とるんかな」
「ああ、それはある」と兄がいう。

「前から、カンフー終わりはよう絡まれることがあったから」

「ああそうなんや」とぼくはいう。

「でも、絡まれるうちは、まだまだやなあと思うよ」
「それはつまり、絡まれないくらいのオーラが出たら一流と、そういう意味?」
「うん、まあそうやね」

ぼくらは、まだ修行が足りないのだった。


「っていうことは、カンフー終わりは、女性からはモテるとかあるんかな」

「実を言うと、、それもある」

「な・る・ほ・ど、、、、なあ」

プラマイゼロ、谷ありゃ山あり、苦もありゃ楽もあり、女に持てれば男に絡まれる。

カンフーとは、人生であった。


2018/09/19

JOURNAL180918

兄と二人でパブリックスペースで飲みだった。

パブリックスペースというのは、
ぼくらおなじみのお楽しみ概念で、つまり、
居酒屋にいく金もないので、路上で飲もうやと、そういうことなのだけど、
ただそれだけの話が、ひろがりにひろがって、
雑誌でも特集くんだりして、なんか気づいたら坂口恭平もしくは山下陽光的な「意識改革」のような、
啓蒙っぽい「おれら、自由でしょ、本当に大事なものが何か見えてる兄弟でしょ!」っていう
雰囲気がでてきて、少し困るのだけど、
まあそれはそれで良いとして、
でも、パブリックスペース関連は、
兄と、大垣さんという大阪の鍼灸師の方(この方も雑誌に登場している)
の二人が作り上げて来たサークル活動的なものなので、
ぼくも楽しみつつ、二人の動向を見守っている感じ。
もちろん、路上で飲むという、パブリックスペース運動には積極的に参加しているけど。

んで、この日は兄と二人で、池袋の芸術劇場付近でのパブリック飲み。
雨上がりのコンクリートで、結構べちゃべちゃ。
それを避けて、比較的安全そうな場所を探す。

あの辺り、結構若者がはしゃいでいることが多くて、
この日も、5人くらいの団体が大声ではしゃぎまくっていて、
大声でわめくし、
なんかよくわからん最近流行っているのかなんなのかわからない芸人のネタのようなものをやりだすし、

それから別の3人組みたいなのも近くで飲みながら大声あげたりしていて、

結構、うるさい現場でした。
まあ、パブリック研究しているぼくらからしてみれば、
そいつらはただの初心者で、はしゃぎたいだけの年頃で、
やり場のないリビドーを、ナンパする勇気もなく、
ただ大声で「我は面白い若者なり」ってアピールしているだけなので、
ぼくらといえば、「鬼ころし」と「鬼ごろし」を飲みながら、
「ほっほっほ、若いのぉ。それで良い、それで良い」
ってな感じ。

ついでに、その日に気づいたのだけど、
「鬼ころし」と「鬼ごろし」は、全然別物の酒で、
味のコンセプトも違えば、販売元も製造元も全然違う、
いわば全く無関係の飲み物なのであった。
雨上がりの路上でぼくらは二つの、
名前は似ているけれども全く無関係の飲み物を飲み比べながら、
「あらま、こんなに味ちがうのね」
と楽しんでいた。
気分は日本酒バーだ。

すると、急にザーザー振りの雨がきて、
はしゃいでた若者たちは全員、やべえやべえ言って、すぐに帰っていった。


「そして、パブリックスペースの達人だけが残ったのであった」
と、思わず言ってしまう。

あんなに若者がいっぱいいてうるさかったのに、
今は、広大な芸術劇場近くの広場に、ぼくら二人だけ。

それからしばらくして場所移動。
今度は池袋の駅ビル付近の路上(というか入り口のような感じ)



「立ち入り禁止」の境界線で飲んだらどうなるか、という実験。
立ち入っているのか、それとも立ち入っていないのか。

しばらく飲んでいると、
警備員が現れる。
警備員は、無視して通り過ぎる。

ぼくらは顔を見合わせた。

ぼくらは、ぎりぎり立ち入らない男であった。
境界線というグレーゾーンでは、一応、許されるのだなと。

サンチョ・パンサが「論理でどうにもならない時は、慈悲深くあれ」的なことを
言ってたのを思い出す。

「ぼくら、マージナルマンやね」とぼくがいう。
「ん? なにそれ」と兄がいう。
「中学校で習わんかった? 境界線のひと」
「がくは、すごいレベルの教育を受けて来たんやね」
もちろん兄弟、同じ中学校に通っていたのだ。




2018/09/18

JOURNAL180915



兄とボブと集まってmacaroom会議。emaruは実家へ帰省中のため欠席。
これは意外と珍しい三人だ。

この日のテーマは、TikTok。
中高生に大人気だけど、これを使って色々したいと、そういう話をボブにする。

何事にも行動が早いボブは、
提案するや否やボブは大興奮で会員登録、そして投稿。

TikTokでやりたいことというのは、
カンフーの動画を練習の度に投稿していくっていうのと、
macaroomの映像を流したいのと、
あとはもう、遊びみたいなもので、

みんなできゃっきゃ言って、どうしたら中高生に認知されるのかということばかり
話し合っていた。

2018/09/11

デート・アポカリプスを超えて~TInderと出会い系アプリの文化について



現在目にすることができるいかなる形態のサービスも、究極的には出会うことを目的としているとしても、
いまからぼくが書きたいのはそんなことではない。
いわゆる、出会い系のことだ。

インターネットを通して知らない相手と出会ってセックスまでしたことがある人がどのくらいいるかわからないが、
もし、会社では彼氏想いの一途な女性を装っていて、いや事実そうだとして、
しかし内実は自身の性欲に抗うことができずにこっそりとデート・アプリを利用しているとしても、
決してそれを恥じることはない。

なぜなら、2018年現在、我々人類は1万5000年ぶり、2度目の大きな動物行動としての変化を目の当たりにしているのだし、それらを総称して「フックアップ・カルチャー」と呼んでいくことに、多くの若い世代(ミレニアル世代世代)は抵抗がないからだ。
セフレという言葉はすでに魅力を失っているし、かつての「出会い系サイト」は世代交代し、援助交際は流行らなくなった。
まだ課題は多いにせよ、性的多様性のグラデーションとその人権は少しずつでも認識されるようになった。

21世紀の話だ。SNS、SNS、毎日、SNSSNSSNS、、、、。

映画『バベル』の中で絶望的に再確認させられた「我々はいつまでも繋がることはできない」というテーゼが、その頃にはまだ実現されていなかったレベルでより濃密に感じるようになったのは、おそらくSNSが世を席巻するに至るタイムラインと重なっているに違いない。

2012年に、オンラインでのデートに革命が起きた。それはプロメテウスの逸話と重なり合うように、火の象徴を掲げて生まれたのだ。
この年に、婉曲表現として「マッチング・アプリ」と呼ばれるデート・アプリの「Tinder」は、5000万人をのアクティブユーザー獲得した。単なる会員数ではなく、アクティブユーザーを。
アメリカのウェブメディア「ヴァニティ・フェア」が「デート・アポカリプス」と呼ぶその現象は、人類史において二度目の大きな変化なのだ。一度目は1万5千年前におきた農業革命で、人類は移住生活から定住生活へと形を変えて、それが結婚という社会的な契約へと導いた。そして二度目が、インターネットによるフックアップ・カルチャーだ。

フックアップ・カルチャーの台頭を軽くおさらいしてみよう。
フックアップ(fook-up)とは、知らない相手と交際相手の有無に関わらずセックスを目的にして出会うこと。
1990年代にクレイグリストとAOLのチャットルームが始まると、すぐにマッチ・ドットコムやキス・ドットコムが続く。そして1998年にはメグ・ライアンの『ユー・ガット・メール』が公開されるが、映画の中ではすでに「サイバーセックス」という言葉が使われている。サイバーセックスという言葉自体はもしかするとウィリアム・ギャディスやその他のサイバーパンクと総称されるような人たちの作品ですでに知られていたのかもしれない。

2003年に始まったMyspaceが本来の目的とは違い、出会い系として多くの人に利用されたことはよく知られている。Myspaceはプロフィール欄のカスタマイズを非常に重視していて、出会うことが前提となる項目「Who I’d like to meet」などがあらかじめ設定されていた。しかしその後台頭することになるFacebookはその最初から出会い系サービスとして開発されたことは映画『ソーシャル・ネットワーク』に端的に描かれている。シングル、既婚、パートナーの有無やセクシュアリティの種類、興味のある項目を選択したり新規追加して編集したり、ここで出会った人は日本ではカタカナの「フレンド」と呼ばれるのだ。

こういった流れの中で、フックアップ・カルチャーは2012年に台頭する。その先駆けとなったのがTinderで、これは今ではあらゆるアプリで当たり前となっている「スワイプ」操作を導入した画期的なUIデザインをひっさげてデビューする。
Tinderは極めて洗練された操作性とデザインを併せ持っていた。TInder上にはGPS機能によって近くにいる相手がランダムに「一人だけ」表示され、気に入ったら右にスワイプ、気に入らなければ左にスワイプする。すると、また次の相手が現れる。右と左のスワイプ、これを、ただ繰り返していくだけなのだ。お互いが右にスワイプした時点で「マッチ」となり、マッチした相手とは自由にメッセージを交わすことができる。ここまでの操作で課金が必要なことは一切ない。(1日の右スワイプの上限は決まっている)Facebookやツイッターよりも単純な操作、広告はなく、自分のプロフィールと相手のプロフィールとチャット、この三つの画面を行き来するだけのアプリケーションに、5000万人のユーザーが毎日平均1時間半も利用しているのだ。

2014年にはパリで新たなサービス、Happnが登場する。これはすれ違った人のプロフィールがタイムラインに表示されるというもので、Happnの登場以後は、これと同じコンセプトで生み出されたサービスが乱立することになる。

2012年にはすでに1億人が毎日、デートアプリを使用している。OkCupid、Hinge、Happn……しかしTinderがその半数を独占しているといわれている。日本でもTInderやHappnが日本語対応を開始し、他にも競争は激化している。「出会い系サイト」と呼ばれる怪しいサイトが通常の生活では目に見えずにひっそりと存在していた2011年以前に比べ、そのアンダーグラウンドなイメージはなくなりつつある。
そう、フックアップ・カルチャーにおいては、アプリやネットサービスを利用して出会う、つまり(婚活ではなく)セックスする相手を探すことはそれほど恥ずべきことではなく、女性においても、これがニンフォマニアックとは見なされなくなったのだ。

日本のフックアップ系のアプリとしては最大級のペアーズは会員数800万人を超え、メンタリストDaiGoが監修するwith、サイバーエージェントが運営するタップル誕生、ゼクシイのブランドイメージを利用したゼクシイ縁結び、人気度によっていいねの消費ポイントが異なるomiaiなどがそれを代表する。
されにTinder Japanから独立し、女性主体で女性の地位向上を謳うHatchが誕生する。
Hatchは女性側からしか最初のメッセージを送ることはできず、さらに24間以上会話がなければ自動的にマッチングが消滅する。
この効果は思ったよりも大きい。
なぜかというと、男性側からの強い性的興味を押し出したメッセージは、
「女性から最初に話しかけられる」というただ単純な変化によって、消え失せるのだ。
つまり、女性から話しかけられるというだけで、余裕を持った紳士的な態度になる、というわけだ。

多くの出会い系アプリでは、男性側からの執拗なチャットに辟易した女性が、「No Hook-up」や「セフレ探してません」といった一言をプロフィールに付け加えなければ、やばいメッセージがあとをたたないのだが、Hatchにおいてはそれをする必要はない。


Tinderを始めとするフックアップ・カルチャーは性的なイメージを劇的に変えつつある。フランスでLGBTのパレードがあれば虹色に塗られたTinderバスが映し出され、性的な社会問題に関するプロモーションがこれに参入する。

国際人権NGO団体のアムネスティ・インターナショナルは女性の地位向上に関するプロモーションにTinderを利用した。
Tinder上でのスワイプの際に、次の文句がポップアップする。
「あなたは相手を選ぶことができますが、多くの女性はその選択肢がありません」



この不思議な広告はもちろんTinderのCEO、ジャスティン・マーティンが絡んでいる。
「オーストラリアには何百人もの若い女性が人権侵害に直面しています。人権侵害の意識を高めるためにこのような団体とプロモーションができて光栄です」

イギリスでも国営医療サービス事業が、若年層の臓器提供者の意識を高めるための広告をTinder上で打ち出し、これについてもTinderヨーロッパのトップがコメントしている。

そう、フックアップ・カルチャーの只中で目にする広告は、エロ動画サイトや別のデート・アプリではないのだ。

南カリフォルニア大学の研究者カレン・ノース教授がポケモンGoを「よくできた出会い系アプリ」といっているように、またSNSを利用した性的犯罪がメディアで度々大きく取り上げられるように、オンラインでのアクションを必要とするアプリケーションのほとんどすべてに出会い系よしての側面があることは事実だろう。
しかし、デート・アプリがこれらと違うのは、デート・アプリは自らを「デート・アプリ」と認めていることだ。FacebookやLINEのユーザーは、自分たちが毎日デート・アプリを利用しているとは思っていないのだ。
かつてのMixiがデート・アプリとしての機能をふんだんに盛り込んでいた(たとえば、悪名高い”足あと機能”)のに反して、ついに最後までこれが出会い系サービスであることは認めなかった。マーク・ザッカーバーグはそうではなかったが。

つまり、デート・アプリは、デート・アプリであると自他共に認めるからこそ、
人権問題について考えさせるような広告が利用されたり、
ホーソーンの緋文字のような性的保守的な文化を完全に払拭するだけのパワーがLGBTのパレードとマッチングするのだ。
ニンフォマニアックな人々が、それに苦しんでいるんだとしたら、
TInderは、LGBTのパレードにおけるバスの標語と完全に一致した文句をいうだろう。

Ride with Pride
誇りを持って乗れ



参考記事

2018/09/10

JOURNAL180908



macaroomの、
サブスクリプション系の領収がきて、
領収書をキャプチャしてそのままツイッターに投稿したら、
思わぬ反響。



「あなたが音楽産業の代表みたいな言い方はやめてください」
「音楽業界は終わってない」
「このアーティストは単純に再生数が少ない」
などの貴重なご意見をたくさんいただいて、楽しかったね。

2018/09/06

JOURNAL180905



地域アイドル発掘プロジェクトのミーティング。
放送局長の人とふたりで、デニーズ。

そこで、まあオーディションまでどのような流れを作るか、
というのを簡潔に話し合う。
それから番組収録の日程や、キャスティングなど。


macaroomの明細がウルトラヴァイブから届いて、
そのうちのサブスクリプション系の明細を
ツイッターに掲載したら、結構な反響があった。
Feels Of Viewのボーカルの方も反応してくれて。

みんな、結構気になっているんだなと思った。
よくわからないが
「JASRACめ!!」みたいな人もいたし、
「音楽産業が終わったなどと言うな!」みたいな人もいたし、

まあ大変。

ところで、
CDの流通に関する明細などはもちろんネットにはのせてないんだけど、

ようやくmacaroomの3rdアルバムが黒字になって、
これですべての制作費が回収できたということになった。

んーようやく制作費を回収したレベルっていうのは、
まあ嬉しいんだけど、
「こんなもんか」という落胆もある。

どうにか頑張っていかないといけないけど、
まだきちんとしたヴィジョンはみえてはいない。

でも、やんわーりとは浮かんでいるんだな、これが。

2018/09/05

JOURNAL180902



イベントから1日がたったが、塚本さん、ジョン、そして兄とえまるとぼく、5人でイベントの打ち上げ。
ボブは別ユニットのリハがあるということで、残念ながら不参加。
イベント当日は時間がなかったので、この日に、ということになったのだった。

さて、みんなで集合して、今から打ち上げにいきましょう、というとき、
塚本さんが、
「じゃあ、おれは南くんの家で待っとこうかな」
と言い出した。
いや、打ち上げですよ、あなたがゲストで出たイベントの。

少し体調がよろしくないということで、
近場のカレー屋に。

打ち上げはすごく良い雰囲気で、楽しかった。

その途中、突如として塚本さんがぼくにこう言った。
「頼む、目を見て言ってくれ。がくくん、本当にこれはおれを騙すためじゃないか?」


塚本さんは、本が出版されるまでの間、
ぼくらが彼を騙してるんじゃないか、と少しだけ疑っていたのだ。

というのも、塚本さんは、weiweiに特集を組むという話があがった時点から、
度々電話などで、
「そうやって持ち上げておいて後で落とす、というドッキリじゃないんやんな?」
と悲しそうな声でいうのだ。

「みんなでおれを笑い者にするんじゃないんよな?」

そのたびに、われらがKBE出版部は、
「いやいやいやいや、何を言うてるんですか、塚本さん、そんなドッキリのために本なんか出さないですよ!」
と焦って説得するのだ。

という感じで繰り返して繰り返して出版が実現したので、
塚本さんもようやくこれがドッキリではないということを理解しはじめてはいるんだが、

時折、少し不安がよぎるようだ。

そういうことがあって、
打ち上げの途中の
「頼む、目を見て言ってくれ。がくくん、本当にこれはおれを騙すためじゃないか?」
の会話に行き着くわけだ。
ぼくは目を絶対に見ないようにして、
「見るまでもありません、もういいでしょう」
と少しイラつきながら答えたのだった。

ジョンはこの偏執狂的誇大妄想の流れを知らないので、
笑いながら、
「とはいえ、ガクのことだから、さらにドンデン返しが、、、、」
という感じで乗っかって来る。

「もうええ、広げるな!」
と声をあげる。

ここで広げたら、せっかく少しずつ信頼を築いてきたのに台無しになってしまう。

みんなで、説得
「そんなことあるわけないやろ、イベントでもみんな拍手しとったやんか」と兄。

「......それも、そうやな。間違った発言をしてしまったわ。ごめんなさい」

しかし、このくだり、
何度繰り返して来ただろうか。

まあ、今後もまたそういう波がくるんだろう。


とはいえ、とても楽しい打ち上げでした。

2018/09/03

JOURNAL180901



weiwei刊行記念イベント『ぼくたちの失敗』

客入りはまあまあだった、
というか、まあ、こんなもんだろうな、という感じ。

だけど兄は、「このイベントに来なかったやつはクズだ」と言っていた。

まあ、そう思えるイベントというのはいいことだ。

良いイベントをすると、そういう風に思うよね。

そういうときに限って、
「イベント行けなくて残念!!涙」的なツイートしたりする人がいて、
やかましいわ、黙っとれ、と思うわけだ。

だいたい、こういうときは、
当日になって知り合いから
イベントに行けない理由がつらつらとメールで来るのだ。

知らんがな、と。


とはいえ、イベントはすごくおもしろかった。
というか、リハの時点で、もうやること多過ぎてパニック。

始まって気づいたんだけど、
この日のプログラムのすべてにぼくが参加することになっていて、
「あ、休憩できんやん」
とハッとしたわけだが、もう遅い。

それで、とにかく一日中出ずっぱりのイベントなんて、
初めてじゃないかな。


でも、すごくよかった。
塚本さんの詩に合わせて音響効果出したり、
Psyphozoaの事実上のはじめてのライブもすごくよかったし、

トークも、まあ、興味深くて笑える内容のお話しができたんじゃないかな。

疲れ切ったね。
確かに、こんだけ頑張って、
良いイベントしたという実感があると、
やっぱりお客さんがもっと来てくれないともったいない、と思う。

だから、もっと人が来てくれるようにならなきゃいけないなあと思うのよね。


JOURNAL180831


この数日で色々なことが決まった。
イベントに向けて。

まず、塚本さんのポエムリーディングでは、ぼくがバックで演奏して、ボブが塚本さんの声をリアムタイムでエフェクトかけるということに。
んで、ぼくはキーボードで演奏する予定だったんだけど、
結局PCを使って、アドリブで音響効果を出すことに。

さてこれが困った。
ぼくは普段リアルタイムな音響を出せるようなシステムを構築していないので、
用意が大変。

それからPsyphozoaも、
なんとか用意するサンプルを揃えることができた。
想定していたよりも、サイケトランスが前に出る感じになった。
ジョンもサンプラーを手にいれて、急いでサンプルを用意している模様。

そして、塚本さんの詩をお客さんに配るので、
そのコピー。

塚本さんは、今朝、東京に着いたようだ。

そして、ぼくはこんな忙しいときに、
朝から美容院でパーマをあてる。
自然過ぎて、誰にも気づかれない。


ああ大忙し。