自由現代社から出版された拙著
『はじめての〈脱〉音楽 やさしい現代音楽の作曲法』
が好評でありがたいのだが、
それ以上にぼくは怒っている。
出版社に対する怒りだ。
自由現代社という出版社は、ぼくの本が初めて刊行されて世に出た出版社なので、
心から感謝しているのだけど、
それでも、この出版社が本当に本を売る気があるのか、相当に疑問で、
この大変な出版不況の中で
ただただルーティンに毎日同じ仕事をこなしていくことしか考えていない
ように思えるので、ぼくの怒りは爆発寸前で、
ともかく、その良し悪しの判断は読者の方に任せるとして、
この本が出版にいたるまでの長い道のりを
ここに記したいと思ったわけだ。
この本は、ぼくの持ち込み企画によって始まった。
自由現代社は、教則本をつくる会社で、
本屋の音楽理論とかのコーナーによくある
「一週間でギターが弾ける本」とか、「怖くない♩作詞入門」とか、「ピアノで弾こう 映画音楽」
のような感じの本を出している。(タイトルは感覚で適当につけたのでご了承)
そこでぼくは、「初心者のための」「現代音楽の」「教則本」をつくりたい、という提案をした。
これは普通に無理だと言われたのだが、
そう言われることは百も承知。
1、現代音楽はそもそも初心者向けではない
2、現代音楽は人気がない
ということだ。
どちらも真っ当な意見で、だから初心者のための現代音楽の教則本が世の中に存在していないのだ。
しかし、初心者のための相対性理論や量子力学の本があるのに、
現代音楽がないのはどうしてだろう。
それに、本当に現代音楽は人気がないのだろうか?
ぼくはあらゆるデータを都合の良いように利用して、
言葉のマジックに次ぐマジック、
ソクラテスばりの反論とイリュージョン、
起業家風の洗脳トーク、心理学的な誘導、
売れる本だと想像させる技術、
などなどなどなど、
によって、編集者を口説き落としたのだ。
そして1週間ほどの社内会議を経て、見事出版が決定した。
●IRCAM騒動
付録には、OpenMusicというソフトの使い方を解説している。ボブ(秋山大知)が執筆してくれた。
ぼくはそもそも何か大きなことを成すときに、知り合いを使ってみんなで盛り上がりたいという欲求があるので、
ボブの参入は、すごく良いことだと思った。
そして出版社に提案して、
これにも紆余曲折があったのだが、
時間をかけて口説き落とした。
と思ったら、
「IRCAM(開発元)の許可がないと掲載できないので、掲載しないことになりました」
という連絡。
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まず、このフリーソフトの解説を載せることに、何の許可がいるのか?
それに、仮に(百歩譲って)許可が必要だとしたら、許可をとれば良いじゃないか。
そこで、ぼくはぴーんときた。
つまり、
第一の理由として、
「よくわからないが、何らかの許可がいるにちがいない。なにか複雑な理由によって訴えられたりしたら怖いからなあ」
という漠然とした超保守的な発想から、許可が必要だということになった、
そして、
第二の理由として、
「とはいえIRCAMはフランスの機関だ。我が社には英語もフランス語も話せる人はいない。」
よって、
「掲載しない」
ということになった。
そこで、まず「許可が必要だ」という幻想は百歩譲って、
ぼくが英語でIRCAM宛てのメールを書くことを提案した。
別にぼくも英語が得意じゃない。でも、努力すりゃいいんだ。知らない単語は調べればいい。もし完全に全く英語を喋れないのなら、英語が得意な人を探してお願いすれば良い。
なぜ、出版社は努力しない?
とにかく、出版社の人がメールを日本語で書き、
ぼくがそれを英文に翻訳する、
ということで決まった。
IRCAMからは連絡が返ってきた。
しかし、その返信内容は、
「許可します」or「許可しません」
と二項対立ではなく、
「ありがとう、うれしいです!で、ぼくは何をすれば良いんですか? 執筆すれば良いんですか、それとも何か資料を提供しましょうか?」
という、まるでこちらの意図が伝わっていない内容だった。
そこで出版社は負けじと返信する。
「そうではなくて、あの、許可が欲しいんです。許可をください!!」
そしてIRCAMからの返信はなくなった。
出版社の結論はこうだ。
「許可がもらえないので、やはり掲載は無しで」
ぼく「メールが返ってくるのを待ちましょうよ」
出版社「3日間もメールが返ってこないのは、国立機関としては考えられないので、もう無理でしょう」
そうなのか??
そこで、ぼくは知り合いの知り合いの、IRCAMと繋がりのある方に相談してみる。
IRCAMとのメールのやりとりをみせると、その方は、
「全くメールの意図がわかりません。これではIRCAMも困るでしょう。そもそも、何の許可がいるのですか?」
全くその通りだ。
一体、何の許可がいる?
架空の許可を求めたところで、それはどうにもならない。
その方は、元IRCAM研究者であり、日本の電子音楽における重鎮でおられるので、
そのアドバイスを出版社に伝えたところ、
「しかし、それでも、念のため、許可がなければ出版はできません」
という解答だった。
なんだ!?
念のため!?
そうこうしている間に、IRCAMから2週間ぶりにメールがきた。
「ごめんごめん、バカンスに行ってたから、メール見てなかったよ。
ところで、もしよかったら、開発元がIRCAMってわかるようなクレジットをつけてくれると嬉しいです!」
付録の掲載が、ようやく認められた瞬間だった。
●帯コメント騒動
この本には、新垣隆さん、渋谷慶一郎さん、富貴晴美さん、まとばゆうさん、からコメントをいただいた。
コメントをいただくというぼくの案を、川島先生が受け入れてくださり、
依頼したものだった。
しかし、想像を絶することだが、
出版社は、これらのコメントを「掲載できない」との結論を出したのだ。
なぜか。
つまり、自由現代社としては、コメント掲載なんてしたことがないからだ。
この会社の教則本はすべてペイパーバックで、帯はない。
だから、帯コメントなんて経験ないのだ。
なぜ、せっかくコメントをもらって、帯にしないのか。
ぼくはメール受信フォルダに向かって
「ばかものが!!」
と叫んだ。
直接会ってきいてみると、
「ホームページに掲載する、くらいならできます」といわれる始末。
馬鹿か。
この人は本屋に行ったことがないのか?
あらゆる新刊本に帯がついていることを知らないのか?
帯コメントによって売り上げが何倍も変わるという事実を知らないのか?
ぼくは、何度も編集者を説得した。
説得を繰り返し、
「ダメ元で」上司とかけあうということを約束させた。
そして、出版1ヶ月前になってようやく帯コメントが決まったのだ。
●デザイン騒動
デザインに関しては、まだ解決していない問題だ。
ぼくは、本書の装丁が、全然良いとは思わないからだ。
というのも、この本のデザインは、オングラフィクスというデザイン会社に依頼しており、
相当ひどいのだ。
オン・グラフィクスの装丁デザイン
というのも、自由現代社とオングラフィクスはがっつり繋がった関係で、
自由現代社のすべての書籍をこの会社がデザインしている。
ぜひオン・グラフィクスのHPをみてほしいのだけど、
超絶ド素人で、どこでどんなデザイン教育を受けたらこうなるのだろう、というものしかない。
そこでぼくは、大きな間違いが起きないように、
「水戸部功風のデザイン」を要求した。
参考用に送った水戸部功のデザイン
このデザインは、文字だけで構成されたデザインで、
最低限の技術があればかっこよくつくれるからだ。
しかも、今回の教科書的な内容とも合っている。
そしてラフが送られてきた。
ゲロが出るほどひどい装丁だった。
最初のラフ
最終版にくらべると文字のふところが広い
「素人がワードで作成したのか?」と思うようなデザインで、
ぼくは極めて論理的に、このデザインの欠点を指摘した。
そして、参考デザインを送って、
さらに、フォント調整などをして、参考に送った。
再度、参考用に送った画像
左がぼくが作成、右がオングラフィクスが作成
(新垣さんのコメントはまだ完成していなかったため未掲載)
結局、デザインは、
ぼくの最低限の要求(フォントのふところ調整)だけは飲んでくれたけど、
まあこんなもんか、という内容になった。
直接会って、
「いろいろデザインに口出ししてすみませんでした」というと、
出版社の方は
「
デザイナーにもプライドがあるんで」
といった。
それをきいた瞬間、
「もうこの出版社とはやっていけないな」と思った。
ダサいデザインを指摘して、プライドなんか持ち込まれたら仕事にならない。
結果的に、本書は、
発売一週間で増刷が決まり、
Amazonやジュンク堂、丸善などの「音楽理論」のジャンルで2位になった。
だが、怒りはここからだ。
●プロモーション騒動
せっかく、新垣さん、渋谷さん、富貴さん、まとばさん、という方々にコメントをいただいたのにも関わらず、
それを全くプロモーションに利用していないのだ。
自由現代社サイトの説明文
ここには新垣さんの「に」の字もない。
本の画像も、帯がついていない。
なぜか、
ときいたところで、特に理由はないのだろう。
淡々と、今まで通り、いつも通り、の仕事をする、そして17時に退社する、それだけだ。
Amazonに関しては、本の説明文は「一文も」なかった。
これじゃまずい。
だから、ぼくはもう出版社には期待せず、
自分で文章を作って、出版社に送った。
「この文章をAmazonに掲載してください。画像は帯付きに変更してください」
というメールで。
なので、Amaomに限っては帯付きの写真とともに、コメントくださったみなさんの名前が掲載されている。
ぼくが書いたAmazonの説明文
結局、本当のところはわからないけど、
取次に出すプレスリリース文だって、似たような感じのものを出してるにちがいない。
つまり、全国の書店が、本を入荷するかしないか決めるための情報だ。
それを、おそらく上記の自由現代社HPにあるような文章で送っていて、帯コメントなんか全く触れていないのだろう。
●トークイベント騒動
これは短い。
ぼくは本を出版するという企画を立ち上げる段階ですでに、
「刊行記念イベントをしたい」
という計画をたてていた。
しかし、出版社の方は、
「本屋では無理ですよ」
ということだった。
理由はよくわからないが、本屋はイベントなどあまりやりたがらないらしい。
(??イベントやってる本屋たくさんあるけどな)と思いつつ、
もし本屋以外でトークイベントをやることになったら、
販売員として、出版社の方に来て欲しい、と頼んだ。
めちゃくちゃ嫌がられたが、それでもオーケイしてくれた。
結果どうなったか。
本屋でのトークイベントは、すんなり決まった。
下北沢のB&Bという老舗で、
トークイベントができる本屋の最高峰だといえるような場所だ。
本屋でのイベントなので、販売員を出版社から派遣する必要はなくなったわけだ。
それを出版社にメールで伝えた。
すると、出版社から返信がきた。
さてさて、
という、怒りのブログを書いてしまったのだが、
みなさん、どう思いますか?
出版社のやるべき仕事を、やってると思いますか?
ぼくは全くそうは思わない。
数ヶ月かけてぼくが書いた本、
ほとんど金にはならない(印税は出版業界の中では最低ランクの3%)けど、
書くべくして書いた本、
川島先生、ボブ、コメントくださったみなさん、などなど
様々な人が協力してくれた本、
これを、
きちんと売る、最大限売る、余すところなく売りつくす、
というのが、
出版契約の基本だとぼくは思うね。
とはいえ、
自由現代社という出版社には、とても感謝していることにはかわりない。
他の出版社には何のコネもないぼくの本が、こういう形で(無理やりとはいえ)出版できたことは
ありがたいことだ。
もうこの会社で執筆することはないかもしれないけど。
ということで、
6月13日におこなわれる、
本書の出版記念トークイベント、告知いたします。
木石岳×川島素晴×新垣隆 「もうすぐ消滅する作曲家という職業を考える」 『はじめての〈脱〉音楽 やさしい現代音楽の作曲法』刊行記念
出演 _
木石岳
川島素晴
新垣隆
時間 _
20:00~22:00 (19:30開場)
場所 _
本屋B&B
東京都世田谷区北沢2-5-2 ビッグベンB1F
入場料 _
■前売1,500yen +1 drink order
■当日店頭2,000yen + 1 drink order
木石岳さん著、川島素晴さん監修の『はじめての〈脱〉音楽 やさしい現代音楽の作曲法』(自由現代社)が刊行されました!
従来の作曲という考え方から程遠い方法論で音楽と向き合った現代音楽の20世紀を経て、サンプリング、パクリ、引用、オマージュ、果ては人工知能による代替まで、「作曲」という言葉の意味は著しく変化しています。
作曲は古いのか?作曲家は消滅するのか?
現代音楽という捉えがたいキーワードを軸に、作曲という行為や音楽という概念、教則本の意義などを考えます。
現代音楽という言葉をあまり知らない方も、作曲家を志す方も、今後の作品の捉え方について考えるきっかけになることでしょう!
ゲストには現代音楽というフィールドワークの周辺で、バラエティ番組での活躍や映画音楽などによって先端性と大衆性を併せ持つ作曲家新垣隆さんをお招きし、お三方に語っていただきます。
ぜひ、お越しください!
【出演者プロフィール】
木石岳(きいし・がく)
文筆家、作曲家。文学・中国武術・先端科学をドッキングするエレクトロ・ポップユニット「macaroom」代表。歌詞の音響的機能を独自に体系化し、ポップ作品として発表している。慣例化されたジョン・ケージ演奏に疑問を呈する試み『cage out』のリリースなど、現代音楽に関連した取り組みも行なっている。
川島素晴(かわしま・もとはる)
作曲家、国立音楽大学准教授。音楽を演奏行為の結果物ととらえる「演じる音楽」という方法論を「笑いの構造」に基づき構成する作品で知られ、現代音楽における諸問題への斬新な取り組みを続けている。ダルムシュタット夏季現代音楽講習会クラーニヒシュタイン音楽賞、芥川作曲賞、一柳慧コンテンポラリー賞など受賞多数。
新垣隆(にいがき・たかし)
日本の作曲家、ピアニスト。桐朋学園大学音楽学部作曲専攻非常勤講師。
HP:http://www.takashi-niigaki.com/
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