8月18日に、自分たちでつくった雑誌を発売することになった。
「weiwei」って名前。
最初はこの雑誌、「土地雑誌」にしようと思っていた。
そんなジャンルがあるかは知らないけど。
なんでかというと、ここ数年来、土地の問題についてうっすーらと考えていたからで、
それを雑誌にしたいなあと思っていたから。
はじまりは道路の問題。
これは『土と壁』っていう小説にして、
一時期は渋谷のヴィレヴァンで売ったりしていた。
アスファルトの下に少女の死体がごろごろ埋まっているっていう話で、
道路作業員たちが、アスファルトひっぺがして道路を破壊しいくという話。
道路の下に少女の死体があるっていう発想は、
坂口安吾が桜の下に死体が埋まっていると書いたものや、
パリでの学生運動の際のスローガンとなった
「敷石の下はビーチ」とか、
そういう魔術的なものと近いかもしれなくて、
なんというか、普段ふと歩いている時に、
道路という綺麗に舗装された道がうざったらしく感じる時があって、
だってたとえば、獣道っていうのは、獣がなんどもなんども通っているうちにできる道だけど、
道路はその逆で、まず道路がつくられたあとに「ここを通ってください」となる。
だから、道路っていうのは「道」とは逆で、
目的が道路そのものになっている。
そういう意味では電車も「道路」の一種で、
みなそれぞれ行き先や目的は違うのに、同じ電車に乗る。
ある人は会社に行って、ある人は同じ場所で自殺する。
満員電車って、道路性の象徴だと思う。
もし獣道が満員になるとしたら、けものたちは別の道をいくだろうけど、
人はそうしない。
それから、
ぼくは昨年に開催した『世界未来音楽会議』っていうイベントで、
ジェントリフィケーションについて書いた。
ジェントリフィケーションは、土地の高級化をあらわす言葉で、
これには芸術がすごく関わっている。
芸術家たちが集まる場所っていうのは、
土地が安くて、喫茶店がたくさんあって、誰でも受け入れてくれうような街。
でも、芸術家があつまってアートや文化が発展して行くと、
土地そのものに価値がでてきて、
お金持ちが移り住んできたり、良い感じのお店が移店してきたりする。
そうすると土地が高騰して、
結果的に、芸術家はその街を去らないといけなくなる。
だから、芸術家がよく「ボヘミアン」や「ロマ」や「ノマド」とかっていう風に
形容されるのは、単にそのローリングストーンな風流ってだけじゃなくて、
都市経済の仕組みでもあるわけだ。
だから、芸術家は本質的に居場所がないか、居場所を探し求めるという構造の中にある。
そして、ぼくは芸術家の居場所を確保する場所を雑誌に求めようと思ったのだ。
だから、なるべく居場所がない人や、不安定なひとを取り上げたいと思った。
いずれ、土地についてはもっと真剣にどこかで書く機会があれば良いな、と思っている。
うまくまとまっていないけど、何か良いものがかける気がするから。
JOURNAL180726
Reviewed by asahi
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14:45
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