新年早々に兄がうちで動画制作をする。兄は大学時代から映画制作をしていて、ぼくは思春期にそんな兄を見て育ったし、編集ソフトは何を使うのが良いかとか、そういうことを昔から相談してたのだけど、当時から彼はバリバリ自分で編集するタイプではないし、ここ最近はずっとmacaroomごとでも動画編集はすべてぼくがやっていたので、気づけば簡単な編集のノウハウをぼくが兄に教える、という逆転現象が起きている。
出来上がった動画は兄のYouTubeチャンネルで発表されてるので、チェックしてみてください。
知久さんとは劇伴制作の新春ミーティングと新春レコーディング。集まるや否やコンビニへ直行、ビールとウィスキーと氷とつまみを買い込む。それでも4曲もレコーディングする、さすがプロ。やることはきっちりやりつつ、あとは野となれ山となれ。
知久さん持参のシンセが中心の録音。
音高など関係のないタイプの音色を、知久さんが足で鍵盤を抑えながら手で様々なツマミをいじる。
音高が関係するもの(つまり、五線譜通りに弾かねばならないもの)は知久さんが音作りをして、それをぼくが弾く。
ぼくも一応シンセ弾きなのだけど、ハードのシンセとこれまできちんと向き合ってこなかったタイプの音楽家、つまりはVSTソフトシンセ世代のゆとり鍵盤弾きということで、一方の知久さんは90年代にこのBass Stationというアナログシンセに惚れ込んで2台購入、以後愛し続けているというタイプのアーティストですので、音作りは完全に任せっきり。
emaruはみーくんと樹海(きみ)ちゃんの2人をキャスティングしたトーク番組というか、すべらない話のようなものを開催したいと仕切りに申しており、ボブは電話で知久さんに重大発表を行う(これについてはボブがまだ解禁してないので秘密)、みーくんは次の映像作品の打診をし、知久さんは(コロナの流行で)しばらくタイに行けないからどうしようかなと言いつつ呑気に笑っており、ぼくが淹れたコーヒーを(普段知久さんはコーヒーを飲まない)一口だけ飲んで「うむ」とだけ言う。
ぼくは、自分自身のたのしみのための音楽ではなくて、外に発表することを前提とした仕事としての音楽において、人生で最初の音楽作品は劇伴だった。それは高校生の時で、当時大阪芸大の学生だった兄が映画制作をするので、その音楽をつけてくれ、という依頼だった。ぼくは兄の映画が大好きで憧れてさえいたし、しかもぼくの当時の音楽は知り合いのバーでちょっとジャズ風のピアノを披露するとか、組んだばかりのバンドで演奏をする程度のものだったので、この依頼はぼくの中でちょっとした挑戦だった。
というわけでぼくの音楽家としてのキャリアは劇伴制作から始まったといって過言ではない。
兄に言われるままに、エゴラッピン風のロック歌謡や、スーパーカー風のエレクトロな音楽(今思えばこれがmacaroomの原型になった)、当時ぶいぶいいわせてて無敵なオーラを放っていた中田ヤスタカのCapsuleのパクリソング、素朴なピアノの小品、などなどを制作した。ぼくは当時から清水義範のパスティースとよばれる、文体模倣のようなものが好きだったので、いわばパクリとパロディで成り立つ音楽制作というものは性に合っていた。
音楽はそもそもパクリで成り立っていて、オリジナリティみたいなものは幻想に過ぎないけれど、それでも映画やドラマの劇伴はそのパクリ度合いが強くなる現場だろうと思う。チームを組んで作品を制作する時点で、まだできていない音楽に対する見解の一致が必要となる。だから、「今回の音楽はゴッドファーザー風にしましょう」とかいう感じでスタートするわけだ。
それはわりと音楽家の間ではネガティヴな意味合いで語られることが多くて、たとえばある巨匠音楽家が映画の劇伴で「○○風でお願いします」と依頼されて、ブチギレる、というエピソードは事欠かない。
だけどぼくは音楽は多かれ少なかれそんなものだと思っているので、なんとも思わない。
そういえば今回の劇伴制作のレコーディング(昨年に極秘で行われた)では、知久さんのマネージャーのわたせさんから、macaroomの音楽に登場する「よく似たフレーズ」に関する指摘があった。それですぐさまぼくはそのフレーズの元ネタがクリント・イーストウッドから借用したものだと認めて、その時にいたベテランエンジニアの人もイーストウッド好きっぽくて、少しだけ話が盛り上がった。
で、今回の新春レコーディングでは、知久さんの声も少しだけ録音したのだけど、それもイーストウッド主演映画からのパクリで、それに関してはちょっとぼくの思いつきで録った感じがあるので、実際にそれが採用されるかどうかは今の所わからない。
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