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2018/10/16

JOURNAL181013



TikTokでMVを撮るぞ、という企画、の撮影2日目。

前回の撮影が、個人的にはあまりうまくいかなかったので、
兄に相談して、3人で再挑戦。

普段だったらMVは兄がだいたい監督しているので、
兄がいて当然、なのだが、

このTikTok企画はぼくが単独で思いついて、もう勝手にわがままに始める、というタイプの企画で、
似たような試みでいえば、「mizuiro」という曲で渋谷ハロウィンの映像を撮影したときも、
こんな感じだった。

とはいえ、mizuiroの時も、撮影に関してのアドバイスや、
こんな感じの編集にしたらどう、という感じのことは
事前に兄にきいたりしていたので、
共同作業といえば共同作業だったのだけれど。

しかし今回は本当に自分で勝手に始めたのだが、
結果的には思うようにいかなかった。

ということで、気を取り直して再挑戦。

兄も、実はこのTikTok企画には良さを感じていたらしく、
それだったら最初っから誘って欲しかったというような目で訴えられた。

ということで、
今回は、渋谷、六本木あたりを中心に、
いわばベタな場所(たとえば渋谷スクランブル交差点)ばかりを撮影。

とはいえ、これも実験に近い形での撮影だし、
きちんとしたMVというよりは、軽い気持ちの紹介ビデオというくらいの感じなので、
どうなるかはわからない。
いずれにしても、軽い軽い気持ちで取り組んでいることをお忘れなく。

ところで、
これとは全然別に、きちんとしたMVを撮影するという計画もあって、
それは来月くらいになりそうだけど、おそらくこっちはかなり良いものになるんじゃないかなと思う。


2018/10/13

神の子テイラー・スウィフトの失楽園とフォース覚醒

なんか気づいたら、テイラー・スウィフトがなんか選挙について発言したらしくて、
なんだ、そんなことでニュースになるの!って思ってたけど、
よくよく考えて見れば大統領の2倍、1億超えのフォロワー数、、、、
ああ、そりゃあニュースなるね。

で、以前も彼女についてはブログで書いたけど、
やっぱり彼女の見た目のことについてもう一度なんか書きたいな、と。
タイミング的にちょうどいいし。
テイラー・スウィフト好きだしね。


EDM的世界とカントリー的世界の対立軸において、
たとえばステレオタイプなイメージでもって、
EDMのLGBT擁護や、カントリーの右翼的なイメージが、
現実のところどうなのか、というのはあまり関係がない。
(たとえばカントリーを聴く人のうち、黒人はどのくらいいるかとか)
そうではなくて、イメージの問題だ。
だって、テイラー・スウィフトは、とっくに、何年も前から、アイコンになってしまったんだから。
カントリー世界だけじゃなくて、古き悪しきアメリカの差別的なイメージや、それから2012年以後は反人種差別のEDM世界との対立として、彼女は、それを体現するのにぴったりな見た目だった。

ブロンド、青い目、白人、スリムで身長178cm。
テキサス、それからナッシュビル、カントリー音楽。

テイラー・スウィフトはアイコンと呼ばれるにふさわしく、またギリシアの神々がその容姿について語られることが非常に多いのと同じように、彼女もまたその容貌が現実の人格を超えて神格化されるのだ。

テイラー・スウィフトについて語る時、彼女の容姿について語らないわけにはいかない。
なぜなら彼女の見た目は、彼女が属していると世間一般に思われているコミュニティを象徴しているからだ。

見た目というのは不思議なものだ。
淀川長治がウディ・アレンについて解説していたのをおぼえているけど、彼はアレンのことを
「ニューヨークのユダヤ人を象徴する顔」だといっていたなあ、と今さら思い出す。
ウディ・アレンの容姿は、ニューヨークのユダヤ人を象徴していたと。
ぼくら日本人は、『ニューヨーク』や『アニー・ホール』で、
主人公を演じるウディ・アレンがなぜあんなに華麗にモテ男になれるのかが理解できないでいる。
「あんなガリガリのハゲ爺さんがどうして」と。
それはまた、見るからにシャツから体臭が臭いそうなセルジュ・ゲンズブールが同じようにモテモテであることにもいえて、
異なる文化に生きる我々は単一のハリウッド的白人的クールなイメージから脱却することはできずに、
なぜウディ・アレンやゲンズブールがモテモテなのか不思議に思う。

だって、テイラー・スウィフトが可愛いことには我々は満場一致で同意。
でも、ニッキー・ミナージュのかっこよさについてはどう思う?
ニッキーをセクシーだと思う? これについては意見がわかれないだろうか?

ニッキー・ミナージュについて語る時も、
スウィフトと同様に、容姿について触れないわけにはいかない。
今をさること2年前の、
アリアナ=ハリセンボン議論においてこのことは非常に微妙な形で議論を巻き起こしたのだから。
さてここで、もう一人重要人物が出てきた。
アリアナ・グランデだ。

テイラー・スウィフト、ニッキー・ミナージュ、アリアナ・グランデ。

アリアナ=ハリセンボン議論というのは、この両者が争ったことを意味するのではなく、
この両者における絡みの中で生まれたひとつの議論のことだ。
お笑いコンビのハリセンボンの近藤春菜と、アリアナ・グランデが、
日本テレビ『スッキリ!!』で共演した時の話題。
以下『Wizzy』から引用。

 司会の加藤浩次(46)が、4月から同番組レギュラーのハリセンボン・近藤春菜(33)の容姿が「マイケル・ムーアやシュレックに似ている」という持ちネタで、アリアナのことも笑わせようとした。加藤がアリアナに「(近藤の顔をさして)会ったことあるんじゃない? 映画監督でさ」と定番のフリをやり、近藤が「マイケル・ムーア監督じゃねぇよ!」とツッコむ。近藤の十八番ネタであるが、このやり取りを見てもアリアナは笑わない。通訳が説明しても笑わない。加藤が近藤を指さしてもう一度「マイケル・ムーア監督(に似てる)」と言うが、アリアナは「今日初めて会いしました」と返答。シャレは通じない。続いて、加藤は「アニメの、緑色のね?」と「シュレックじゃねぇよ!」をやらせるが、アリアナはやはり笑わなかった。十八番でクスリとも笑わせられなかった近藤は落ち込んだ顔を見せ、再び「シュレックじゃないから!」とアピール。するとアリアナは、「シュレックだと思いませんでしたよ、すごくかわいい!」と発言したのだった。
 アリアナはCM中、近藤に「あなたは本当にマイケル・ムーアに似てないから。私が約束する」と声を掛けたそうだ。近藤がメイクや衣装などであからさまにマイケル・ムーアのモノマネをしていたらまた別なのかもしれないが、素の容姿がオジサンや緑色の怪物に似ていることをネタにして笑いをとろうというのは、アリアナには通じなかったのだ。
(中略)
 今の日本では、ブスやデブやハゲは笑いの対象であり、美形でスタイル抜群の男女を賞賛することが「当たり前」とされている。この「当たり前」を前提としてテレビをはじめとしたメディアコンテンツはつくられ、笑いの線引きがされてきた。しかしポリティカル・コレクトネスについては、日本でもこれから先そう遠くない未来に真剣に議論し、速やかに実行しなければならない日がくるだろう。そのころ、今の「当たり前」に沿った笑いのとりかたしか知らない芸人たちは頭を抱えるかもしれない。


以上。

この話題は、「ぽりてぃかる・これくとねす」という意味不明な外来語も相まって、
先進国の常識というものを我々野蛮人が叩きつけられるという、
幕末黒船以来の意識改革を迫られて、
よくわからないが「ブスなどをネタにしては恥ずかしいらしい」ということで、
右向け右で、
このアリアナ・グランデ発言の賛同者が声をあげていったのだ。
少したって、例えば「ガキの使い」における浜田さんのエディー・マーフィー仮装のような問題が、
続々と現れるのだ。他にも、たとえば欅坂46のナチス仮装、乃木坂の女性蔑視の歌詞など。

この、ぽりてぃかる・これくとねす、を体現するアーティストが、
ニッキー・ミナージュというわけだ。
アメリカのラッパーでありシンガーソングライターである彼女は、自身の体型についてのコンプレックスと、また逆に体型から受けた恩恵をよく理解していると思う。
彼女はトリニダード・トバゴ出身のアフリカ系アメリカ人で、不良で、どっぷりした体型で、派手な格好をしていて、もちろん、人種差別についての発言をよくする。

そんな彼女は、2015年のMTVのミュージックビデオ・アワードの時に、自身の体型についての発言をしたことがあった。
「私がスレンダーで別の人種だったらノミネートされていたのに」という内容のツイート。
ニッキーはこのとき、やたら乗りに乗っていて、『アナコンダ』は最優秀ヒップホップ・ビデオ賞を受賞している。しかしながら、最高賞の「ビデオ・オブ・ザ・イヤー」にはノミネートされていなかったのだ。

アリアナ=ハリセンボン議論によって今や我々は、ニッキー・ミナージュを見てそのアナコンダ級の体型を笑うことはできない。いやむしろ、この感じがかっこいいに違いないと思い込むところから開国が始まるのだ。

しかし実は問題はアメリカ国内にあって、ニッキーは自身のスタイルに自信を持ち、あの雰囲気をセクシーだと誰もが思っているという、壮大な倫理観と正義感による騙し合いの最中にいるのだ。
つまりは王様は裸で、誰も彼女の体型についていじることはしないし、むしろ「彼女はセクシーだ」って賞賛する、けれども、実際はどうだろう。スリムな女性とニッキーのような女性では、まるでメディアでの扱われ方が違うのだ。誰もが、ニッキーのことをセクシーだといいながら、実際の所、その全員がスリムな女性を求めている。そのことに、ニッキー自身は痛いほど気づいている。
「おいこら、どうかんがえてもノミネートされるべきちゃうんか」
いや、そのとおり、あの年のニッキーの勢いは誰もが認めるだろう。

「もしあのビデオにスリムな女性が出ていたら、ビデオ・オブ・ザ・イヤーにノミネートするだろうね」
と彼女は言った。

このことについては以前もブログで書いたけど、
一応もう一回書くと、
ツイッター上で彼女に対してテイラー・スウィフトがリプライを送ってきたのだ。

「私はあなたが好きだし、あなたの味方よ。女同士で喧嘩させるなんて、あなたらしくないじゃない」

テイラーはビデオ・オブ・ザ・イヤーにノミネートされていたし、ニッキーの発言が自分をさしていると思えるだけの自覚はあるのだ。テイラーは、まさにこのような点で、自分の容姿からくるシンボリックなイメージを一任されてきたのだ。
逆を言えば、アリアナ=ハリセンボン議論で提示されたテーゼを象徴するシンボルがニッキー・ミナージュであり、これは先進国の反人種差別的な態度を示す、いわば最先端のアイコンなわけだ。
そしてテイラー・スウィフトはその真逆にある、いわば前時代的な、古い、昔ながらの、悪しきアイコンであり、それは過去の人種差別を彷彿とさせ、南部の田舎町を思い起こさせ、リンチや人種差別ジョークを想起させるのだ。


もちろん、それはカントリー音楽という不思議なジャンルの音楽を象徴するものだったし、カントリー音楽の対立軸として2012年以後台頭したEDMというジャンルから見ればそれは悪なのであった。
EDMというジャンルはつかみどころがないが、その中でもプログレッシブハウスと呼ばれるジャンルは最も商業的に成功をおさめており、このEDMを代表する雰囲気がある。その特徴は自己啓発な歌詞の内容で、強きアメリカをイメージする啓蒙応援ソングといったものが多いのだが、しかしながらそれは古き良きステレオタイプのアメリカではなく、多種多様な人種を受け入れる姿勢を持った新しいアメリカ、つまりオバマ大統領的な夢と希望を持ったアメリカであった。若くして亡くなったアヴィーチやゼッド、カルヴィン・ハリスやデイヴィッド・ゲッタといった超有名どころのDJが、ジェニファー・ロペスやセレナ・ゴメスやジャスティン・ビーバーのようなまたまた超有名な歌手たちに楽曲提供をして、またピットブルやニッキー・ミナージュなどのまたまた超イケイケラッパーとフューチャリングさせるという、ハリウッド超大作のごとく怒涛のコラボ、コラボ、コラボ、こりゃあ売れる! 国家ぐるみで取り掛かったEDMの経済戦略は大成功で、というのも、アメリカはこれまでクラブカルチャーの孤島だったのだから、ハウスやテクノ、ヒップホップを生み出した国が、今度は本当に世界にメインストリームな文化をEDMというひとまとめの商品として再構築したのだ。それはギャングスタラップのアップデート版のトラップ、シャッフルダンスの流行とナイキの光るスニーカーのバウンス、かつてのイビザ島のセレブ音楽を担うことになるトロピカル・テクノ、そしてシティポップの担い手となるフューチャーテクノ、大きなフェスのために開発されたビッグルーム、そしてプログレッシブハウス、それにK-popが乗っかった。MTVの第二世代が訪れた。ユーチューブとFancam、ダンスカバー動画の時代だ。
EDM台頭とともに、テイラーは第二の選択の必要に迫られたのだ。彼女はこれまで、アメリカ国内で1位をとったことがなかった。なぜなら彼女はカントリー歌手だからだ。彼女はカントリー部門において1位を受賞するという、いわばグローバルにみれば「ダサい」ミュージシャンだったのだ。
それが、2012年にすべての総合ジャンルにおいて1位をとることになる。あの有名な「ネヴァー・エヴァー」と歌うやつだ。
この曲で彼女は完全にカントリー歌手であることを世界に向けて隠蔽し、まるでアリアナ・グランデやケイティ・ペリーと同じ土俵にいるかのように見せかけたのだ。完全な隠蔽だ。そのくせ、国内、特に南部では、同曲の別アレンジをラジオで放送していたのだ。もちろん、カントリー風のアレンジ。そう、彼女はカントリー歌手とポップ歌手という完全なふたつの人格を、国内(南部)と海外で使い分けていたのだ。しかも、これは公式には好評されていない!
つまり、これまでのカントリーファンからみれば、今までと変わらぬテイラー、世界的にみればポップス化したテイラーが出てきたのだ。2012年以後のこの姿勢は、その後も継続することになる。

そして2015年のMTVビデオアワード。
「もしあのビデオにスリムな女性が出ていたら、ビデオ・オブ・ザ・イヤーにノミネートするだろうね」
という、ブラック系アナコンダ・ボディのニッキー・ミナージュ。
それに対して、ビデオ・オブ・ザ・イヤーにノミネートされて白人でスリムで身長178センチ、青い目にブロンド、カントリー歌手のテイラーが、
「私はあなたが好きだし、あなたの味方よ。女同士で喧嘩させるなんて、あなたらしくないじゃない」
という。
風刺画のような構図だ!
この騒動に、ケイティ・ペリーが参戦してきた。
「女性を侮辱して大金を稼いだ女が、女性同士の喧嘩はやめましょうなんて皮肉ね」
ケイティ・ペリーがいうのは、MTVの該当曲、「Bad Blood」のことで、
これはケイティ・ペリーのことを皮肉った曲だという噂。
しかしながら、ただそれだけのことじゃない。
「テキサスからきたカントリー女は黙ってろ」ということだ。

ここ数年のアメリカ政界での注目株といえば、
ヒラリーVSトランプの大統領選で、
これに関して、アーティストであれば発言しないということ自体が違和感があった。
事実、ほとんどのアーティストは何らかの意思を表明した。
そしていわゆるEDM周辺のポップは、トランプを批判して、ヒラリーを支持していたのだ。
ケイティ・ペリーやレディ・ガガ、アリアナ・グランデがそうしたツイートをして
世界中で拡散される中で、
テイラーただ一人が何もつぶやかないのは、非常に違和感があるのだ。
これは、アメリカ的アンガージュマン精神からいうと、
卑怯なやつだ、ということなのだ。
それを、なんだ今更、と。

もっといえば、2016年にテイラーは、少しだけ政治的な発言をして騒がれたことがあった。
そして今回のこと。
完全にフォース覚醒。

思うけど、テイラーは2500年前に生まれていたら、
たぶん神々のうちのひとつとして書物に残っていただろうね。
もしくは神の子か。

この構図って、彼女がうんぬんって話じゃないんだし。
それは、「ノーマ・ジーンとマリリン」とか、また「本当のジャクリーヌ・デュプレ」とか、
そういうもので散々見てきた。
デュプレはちょっと記憶違いかもしれないけど。

実は、今回の発言うんぬんについては、
あんまニュースもみてないし、発言の全文をみたわけではないので、
よくわからない。
まあ、なんか、それなりに良いことを言ったのだろう、と思っている。
たぶん。

2012年以後のグローバルな試みは、完全に成功しているのだから、
彼女はいつまでもカントリーのイメージに固執する必要はない。
それで失楽園になったって、かまわないだろう。
ルシファーと同じで、
カントリーのコミュニティに媚びへつらっているよりは、
楽園を追放されて自由でいる方が良いと判断したのかもしれない。

んで、それに対する対立軸側、フォース側の反応は、どうなのだろう。


それについてはまた調べてみようっと。


2018/10/10

JOURNAL181005




クローバーメディアのアイドル企画の収録。
クローバーメディアのスタジオ内で、トークした。
トークというか、ただの会議だけど、それを放送するというもの。

なんか、クローバー側はあまり本気で売り出す気がないようなのだが、
まあそんなことは最初からわかっていたこと。

どうにかしてこっちで盛り上げなけりゃいけないけど、
さてさて、どうするべきか。

オーディションには川島先生がきてくださるっていうのに。。。

2018/10/03

JOURNAL180930



今日はmacaroomのレコーディング
ということだったんだけど、
emaruの声の調子が悪いということで、中止に。
調子が悪い時に無理やりやっても意味ないので。

それで、macaroomの今後の計画について話し合うことに。
また変な企画をいろいろと画策する、ということではなく、
ただただ純粋に音楽の話。

macaroomは非常に変なユニットというか、メンバーも誰なのかもよくわからないので、
こういうときの話し合いというのは、場面によって全くかわってくる。

ボブとは基本的に、技術的な話とか、ライブの話をしていくし、
兄とは、よくわからないふざけた企画というか、全然音楽と関係ないことなどを話していく。

そしてemaruとは、音楽そのものの話。
今までもこれからも、macaoromの音楽面ではぼくとemaru以外にはない。
あ、まあもちろんボブも音楽的な要素の重要なひとつではあるけど、
また音楽的な方向性やら、具体的なリリースの形態やら、そういった話には加わることは少ない。

それで、
今日はemaruと音楽のことについて話す。

簡単にいうと、リリースを2つほど目指していて、
それもそれほど遠くない時期に出すつもり。

ただ具体的なパッケージングはまだまだで、
いまはとにかく中身(楽曲)の制作をすすめていくという感じ。

そのうちの一曲を、今日レコーディングする予定だったんだが、

まああそれは来週へと持ち越しになった。

いよいよmacaroomはいつ「どん詰まり」を感じてもおかしくないような時期に
さしかかっているので、
死に物狂いで動き続けなければいけないのだと再確認。

遊んでる暇なんかないんだよね。


2018/10/02

JOURNAL180929



ボブと、兄と、動画撮影をした。

ぼくと兄の二人でトークする、というだけの内容の動画撮影で、
5分程度の番組をコンスタントに発表していこうというもの。

特に大した中身もないものなので、
声を大にして「作品を発表します!」という雰囲気ではなくて、
単におもしろいからやっているという感じ。

当日は台風が近づいており雨という予報だったので、
「カラオケ店の部屋の中で撮影はどうか」
ということになった。

そして、ボブの都合上世田谷が良いということになり、
三軒茶屋駅前のビッグエコーに集合した。

そしてボブとぼくが先に着いて、しばらく遅れて兄が登場。
さて、カラオケに入ろうかというところで、
「カラオケは違うなあ」と兄が言い出す。
「どうして?」
「カラオケ代を払う金がないからなあ」
「いや何しに来たんや」いうぼく。

さて、金がないということなので、
別の場所を探すことに。

そして見つかったのがキャロットタワーの地下駐車場。
地下3階なので、あまり人の出入りもなく、
なかなか落ち着く。それほど騒音もない。

ここで撮影することに。

とはいえどうも兄はこういうものを発表することに
極度の抵抗がある人なので、
番組中なんども
「がくが考えたんやから」とか「がくがやりたいって言ったわけやから」
と言うわけだ。

つまり、この企画はがくがやりたいといって始めたので、
おれはそれに呼ばれているだけで、
なんら積極的に企画を考えたわけではない、という感じ。

これはただの逃げにしかみえないのだが、
まあそういう人なので
仕方がない。


撮影は無事終了。
結構楽しい瞬間もあって、割合に当初想定していたような雰囲気になったのではないかと思う。

そしてそこから、休憩をしようということになって、
喫茶店探し。

これが大変。
雨の中、タバコが吸える喫茶店を探すことに。

これに関してはボブが事前に「デニーズなら吸える」ということを教えてくくれていたのだが、
しぶる兄。もっと安い店にいきたいということ。
サンマルクなら、スタンプカードがたまったので無料で飲めるらしい。
ということでサンマルクへ行く。
が、喫煙席は満席。

ということで色々な場所をいったりきたり。
最終的にガストに入る。

結構空腹だったので、
お腹すいたねえ、という。
ボブは朝から何も食べていないらしい。
「もうずっとお腹が空いているよ」という。
兄も
「お腹すいたねえ」と。
じゃあ、なんかご飯も食べようか、ということになる。

そして店員を呼んで注文する。
「この、鯖の味噌煮の定食、それからドリンク」とぼくが注文。
「きのこ雑炊と、ドリンク」とボブが注文。
「ドリンクバーで」と兄が注文。

???????

そうだ、兄は金がないのだ。

しかし、どういうことなのか。
よくわからんぞ。

カラオケで撮影しようといい、集合してみるとカラオケ代がないといい、
お腹すいたから食べようといって注文すると、ドリンクしか頼まない。

結局、ぼくとボブの料理が運ばれて来たタイミングで、
ポテトフライを注文する兄。

まあ、こういう行き当たりばったりなのだ。
こういう人なのだ。

とはいえ、ぼくもボブも、そういう兄に嫌気がさしているわけだはなく、
割合にこの体たらくっぷりを楽しんでいるのだ。
「なんやねん」というツッコミとともに。

ご飯を食べ終えた三人がレジで会計をするときに、
レジの横にあるおもちゃ売り場に、1万円札のおもちゃがあって、
それを買うボブ。
そして、買うやいなや、兄にプレゼントする。

ボブの非常によくわからん行動だが、
とにかく、ありがとうと言っておもちゃの1万円を受け取る兄。
金ピカの一万円。
「いやあ、こういうおもちゃのお札だけでも持っていた方が良いですよ」とまたわけのわからんことを言うボブ。
「まあ、金ピカやし、金運あがりそうやね」となんとか合わせるぼく。
「,,,,あ、ありがとう」

これをボブなりの捻じ曲がった愛情表現なんだろう。
金がないのを悲しんでも哀れんでも仕方がないので、
ボブの此処一番のオオボケだったのだ。