英テレグラフ紙による、各世代を定義する言葉について書かれた記事「Groovy, geek, meh, selfie - which word defines your generation?」によると、ぼくらゆとり世代を象徴する最大の言葉は「セルフィー」らしい。
これはただ単に流行語というだけの話ではなくて、時代ごとの価値観や生活様式を表しているので、少しばかり日本とも見比べながら、自分の世代を考察し直す良い機会になるのではないかと思った。
日本でも、「流行語大賞」が発表されるとワイドショーでそこそこ大きく取り上げられるが、こと外国語のこととなると当然知らないわけだ。しかし最近は現実よりもネットで呼吸をしている方が多いので、ネット世界が先に温暖化しているのではないかといわれているくらいなので、たとえば「lol」や「bae」や「awesome」も、日本にいながらなぜか知っているという状況。いまでは中学生でも「fuck」という言葉を知っている。
・ギルデッド・ジェネレーション(1822-42生まれ)
Skedaddle(逃走する)
アメリカ南北戦争からはじまる言葉は多く、とりわけ気取った多音節英語が多い。「absquatulate(出発する)」や「hornswoggle(騙し取る)」、「shindig(宴会)」など。そして「skedaddle」だ。慌てて逃げるという意味で、1861年7月21日のブルランの戦いから始まった。敗北した北軍はワシントンまで退却させられ、南軍はそれを偉大なスケダドルと呼んだのだ。
この世代を代表するアメリカ作家といえばマーク・トゥエインだが、彼の本を読んでいると、彼以外誰も使っていないような英語が出てくるので困ってしまう。結局、われわれ日本人は折衷案として「南部のくろんぼの喋りは東北弁にする」ということで落ち着き、その伝統はいまだに受け継がれている。
この世代を代表するアメリカ作家といえばマーク・トゥエインだが、彼の本を読んでいると、彼以外誰も使っていないような英語が出てくるので困ってしまう。結局、われわれ日本人は折衷案として「南部のくろんぼの喋りは東北弁にする」ということで落ち着き、その伝統はいまだに受け継がれている。
・プログレッシブ・ジェネレーション(1843-59年生まれ)
Dude(しゃれ男)
この言葉の現在のニュアンスはよくわからない。おそらく、「おい」とか「あいつ」とかくらいの意味だろうと思う。
1882年にはアメリカでもdudeという言葉はほとんど知られていなかった。しかし1883年には、お洒落な若い男性をさす言葉としてアメリカのすべての新聞にのっていた。ニューヨーク市在住のロバート・セイル・ヒルは”The True Origin and History of ‘The Dude’(Dudeの真の起源と歴史)”の詩の中でそれを紹介した。日本では洒落男に近いニュアンスだったんだろうか。
1882年にはアメリカでもdudeという言葉はほとんど知られていなかった。しかし1883年には、お洒落な若い男性をさす言葉としてアメリカのすべての新聞にのっていた。ニューヨーク市在住のロバート・セイル・ヒルは”The True Origin and History of ‘The Dude’(Dudeの真の起源と歴史)”の詩の中でそれを紹介した。日本では洒落男に近いニュアンスだったんだろうか。
・ミッショナリー・ジェネレーション(1860-82年生まれ)
Hot Dog
「最も賢い犬の種類は?」
「降参だ」
「ホットドッグさ。餌をやるときに手を噛まないだけじゃなく、手に噛まれて餌までくれるんだからな 」
このジョークは1934年にアイオワの”The Weekly Tribune of Moulton”に掲載されたもの。アメリカでは、ホットドッグはソーセージ自体をさす言葉で、パンが有る無しは関係無い。
ソーセージはもともとウィンナー(ウィーン風)やフランクフルト(ドイツの街フランクフルト)として知られていた。ハンブルグを指すハンバーガーなど、なぜかそれ系のワードが多いのだ。そしてタルタルソースのタルタルはタタール人からきたんだとか。
「ドッグ」の部分は、1830年代の都市伝説というかただのジョークからきていて、ソーセージの肉は野良犬からできているというものだった。
1831年9月18日の”Boston Times”には、「編集者メシュエン・ガゼットは、犬肉ソーセージは食べ物の新種だと《断言》する。」とある。
・ロスト・ジェネレーション(1883-90年生まれ)
日本では「失われた世代」と訳されるこの世代は、フィツジェラルドやヘミングウェイなど文学ルネサンスだけあって、世代を表す言葉も多い。
Speakeasy(違法酒場)
日本ではモガ(モダンガール)が流行していたが、アメリカではフラッパー(1920年代に流行した型にはまらない服装、態度の女性)が流行していた。フラッパーたちは禁酒法の中でも堂々と「speakeasy」に集まるのだ。
それは酒を密売している場所のことで、実際にはこの言葉は19世紀の終わり頃から存在していた。しかし悪名高き禁酒法がはじまると、speakeasyは瞬く間にロスト・ジェネレーションを代表することばになってしまった。たしかに、この世代の文学に違法な酒が登場しないことはまずない。
1891年、まだこの言葉が珍しかった頃、ニューヨークタイムズはピッツバーグまでレポーターを派遣して、7月6日の記事にのせている。
「speakeasyという言葉はマッキーズポートに由来する。ケイト・ヘスター夫人はそこで酒場のオーナーをしていた。彼女はライセンスのなしでビールをハイ・ライセンスだと偽って売り続けていた。客はとても賑やかで、彼らの宴会がとてもうるさくなったとき、彼女は客に近づいて指を立てて、《お静かに、お静かに(Speak easy!)》と言っていた」
サタダイ・イヴニング・ポストのフラッパー
Sexy(セクシー)
テレグラフ誌によると、20世紀になるまで、セクシーな人はいなかったらしい。チャーミング(charming)だったり魅力的(seductive)だったり魅惑的(enticing)ではあったかもしれないが、セクシーではなかった(それどころか、19世紀までは誰も《セックスをする(have sex)》こともなかった)のだ。
そういう意味でいえば、明石家さんまがその表現を発明するまで「エッチする」日本人はいなかったということもいえるだろう。
ただの言葉のあやじゃなく、夏目漱石が「肩こり」という言葉を発明するまで日本人は誰一人肩こりなんか感じなかったし、その後も日本以外で肩こり現象はみられないという、この事実はそういうことなのだ。
つまり、第一次世界大戦で戦い、狂騒の20年代を煽ったこの世代は、最初にセクシーになった世代でもあるということだ。
Jazz
フィツジェラルドを筆頭に、ジャズとロスト・ジェネレーションの関係は深い。なにせジャズ・エイジなのだから。しかしこの言葉がもともと野球用語だったということをぼくは知らなかった。
ジャズはニューオーリンズのクラブで始まったのではなく、カリフォルニアの球場で始まったのだ。
最初にジャズが活字になったのは、1912年4月2日のロサンゼルス・タイムズのスポーツ欄でのことだ。
「今年は新たなカーブをつくりだした。明日はひとつかふたつ投げるつもりだ。ボールはぐらぐら揺れて、バッターは手も足も出ないので、私はそれをジャズボールと名付けた」
ジャズは日本では、「ズージャー」からはじまるさかさま業界用語に端を発して、森田さんはタモリさんと呼ばれるようになり、最終的にハナモゲラという最新言語まで作り上げてしまった。
・GIジェネレーション(1901-24年生まれ)
Gung Ho(熱心に)
これはもととも中国語で、漢字では「工合」と書く。「労働秩序」くらいの意味で使われ、中国工合国際委員会の略称だった。もちろんこれは共産党的なワードである。
そしてこれをアメリカに持ち込んだのがエヴァンズ・カールソン。日本からすれば憎き相手で、マキン奇襲の際の大隊長だ。
1930年代後半、彼は日中戦争での中国共産党の軍事顧問だった。カールソンはその時に、Gung Hoとは、「協力しろ!(Work together!)」という命令だというふうに理解した。そして彼は第二次世界大戦において、この言葉を海兵隊内でモットーとして使用するようになった。
カールは1943年の雑誌”Life”でこう語っている。
「私のモットーは理解され、彼らは自分たちのことをガン・ホー大隊と呼ぶようになった。私が扱いにくい作業着を新たにデザインしたとき、彼らはそれをガン・ホー・ジャケットと呼んだ。それ以来やつらは新しいものはなんでもガン・ホーと呼んだのさ」
「私のモットーは理解され、彼らは自分たちのことをガン・ホー大隊と呼ぶようになった。私が扱いにくい作業着を新たにデザインしたとき、彼らはそれをガン・ホー・ジャケットと呼んだ。それ以来やつらは新しいものはなんでもガン・ホーと呼んだのさ」
日本でも、「電気ブラン」のように、新しいものにはなんでも「電気」とつけていた時期があったのだし、ガン・ホー、それはそれで良い。
Doggie Bag(レストランの持ち帰り用の袋)
これは別に、高級な犬種を森からかっさらってくるための密猟者の道具ではない。
大戦中の食料不足から生まれた言葉で、レストランで余った料理を持ち帰るための袋のこと。人々は”victory gardens(勝利の庭)”と銘打ち、庭で野菜を育て、余った肉の切れ端は犬にやることを推奨した。
大戦中の食料不足から生まれた言葉で、レストランで余った料理を持ち帰るための袋のこと。人々は”victory gardens(勝利の庭)”と銘打ち、庭で野菜を育て、余った肉の切れ端は犬にやることを推奨した。
余った肉の切れ端の利用はレストランではじまる。飼い主が犬のために肉を持ち帰ったのだ。
その頃レストランで食べ物を持ち帰りすることは礼儀正しくはなかったから、客はナプキンに包んで隠して持って帰るようになる。すると、肉用のボール紙や蝋紙を提供するレストランも現れはじめた。
このアイデアがひろまり、50年代には”Pet Pakits”や”Bones for Bowner”などが登場したが、doggie bagという用語が一般的に受け入れられるようになった。
・サイレント・ジェネレーション(1925-42年生まれ)
Trick or Treat(おかしをくれなきゃいたずらするぞ!)
日本でもおなじみの"trick or treat”という言い回しは、アメリカかカナダの西部から持ち込まれた言葉だ。
1927年、”Lethbridge”というカナダはアルバータ州南部の新聞では、ブラッキーという小さな町でハロウィンの時期に起きた事件をこう取り上げている。
「悪質な若者たちが裏口や玄関で、”trick or treat(もてなすか、いたずらか)”といって食べ物を要求していた。住民はそれに悩まされていたが、やがて彼らは強盗を追い払うためにあえて喜んでそれに応じるようになった」
これが初めて活字になったtrick or treatだが、これは、この言葉が「本気の」冗談であることを示している。
日本人がアメリカでハロウィンのときに他人の家に侵入し、「Freeze!(とまれ!)」を「Please(どうぞ)」と勘違いして射殺されたというニュースは、もっぱら「狂った銃社会アメリカ」と「無知でバカな日本人」という対立するふたつのテーゼによって報道される。
『E.T.』でハロウィン文化に衝撃を受けた日本は、いまだにまともにそれを実現させることはできずに、渋谷や六本木で集団破廉恥を促進する運動に変貌しつつある。
・ブーム・ジェネレーション(1943-60年生まれ)
トマス・ピンチョンの『インヒアレント・ヴァイス』で百万回くらい登場するこのワードは、訳者の佐藤良明によると
「「カッコイイ」「キマッテル」から「了解」「賛成」まで広い意味で使われてあヒッピー時代の肯定語」
とある。
「「カッコイイ」「キマッテル」から「了解」「賛成」まで広い意味で使われてあヒッピー時代の肯定語」
とある。
ブーマーが現れる前は、groovyは「陽気に(in the groove)」という意味でジャズ用語として数十年使われていた。
1952年に出版されたラルフ・エリソンの『見えない人間』では、「ジュークボックスのグルーヴィな音楽は好きかい?」という文章がある。
1952年に出版されたラルフ・エリソンの『見えない人間』では、「ジュークボックスのグルーヴィな音楽は好きかい?」という文章がある。
60年代半ばにブーマーらが使い始めたgroovyという言葉は、単に陽気やかっこいいという以上の意味がある。それは新しいライフスタイルであり、サイモンとガーファンクルの”The 59th Street Bridge Song”における有名なフレーズをまさに体現したものだった。
「落ち着いて。そんなに早く歩かずに。朝食も終えたし、石ころでも蹴って、楽しくグルーヴィにいこうよ」
(Slow down, you move too fast, you’ve got to make the morning last/ Just kickin’ down the cobblestones, lookin’ for fun and feelin’ groovy)
・ジェネレーション・エックス(1961-81年生まれ)
Hacker(ハッカー)
ジェネレーション・エックスの世代にはまだEメールもショートメールもインターネットもなかった。しかし90年代にネット革命がおきると、まだ若い彼らは食いついた。Hackerという言葉はMIT(マサチューセッツ工科大学)で50年代に機械、とくにコンピューターに詳しい人を指す言葉だった。
1972年(ジェネレーションエックスの最年長ですらティーンズになっていないころ)にスチュアート・ブランドはローリング・ストーン誌でこう説明した。
「真のハッカーは一晩中起きることを好み、コンピュータとは愛憎の関係にある」
この言葉はジェネレーションXの間にひろまり、インターネット上の非合法活動、そしてネット文化独特の思想を体現するようになった。
Geek(オタク) と Nerd(オタク)
geekという言葉もまた、この世代が発明したわけではない。
ぱっとしない男に対して使われるスラングとしてのgekeという用語は19世紀頃から使われてはいた。ネブラスカ大学の学生によって1911年に編纂されたワードリストが定義するgekeは、
ぱっとしない男に対して使われるスラングとしてのgekeという用語は19世紀頃から使われてはいた。ネブラスカ大学の学生によって1911年に編纂されたワードリストが定義するgekeは、
「不器用なやつ、男」
とあり、例文が
とあり、例文が
「あいつはおかまか狂ったgekeじゃないか?」
と続く。
1977年の”The Surfer’s Almanac”ではgeekを
「いつも熟練サーファーの邪魔をする初心者」
と定義している。
と定義している。
しかし、そのすぐ後にコンピュータ革命が起きる。
するとgeekはようやく素晴らしい居場所を見つけるのだ。
geekと同じように、nerdもまた褒め言葉ではなかった。
1993年の”The Oxford English Dictionary”ではこのふたつの言葉をはっきり区別している。
「geekはnerdの一種で、誇りを持っている。もしあなたが専門的な技術を持っていないとしたら、使うべきではない言葉だ」
nerdは日本の「ヲタク」に近いニュアンスがあって、geekはもうちょっとストイックな理系オタクという感じだ。例えば結構ほとんどのgeekがタトゥーを入れているけど、nerdは絶対にタトゥーはいれない。ぼくのなんとなくのイメージでいうと、geekは『マトリックス』のネオで、nerdは『キック・アス』の主人公だ。
しかしジュノ・ディアスの『オスカー・ワオの短す凄まじい人生』で登場したように、日本のアニメオタク的なものはやはり「otaku」と表記してnerdとは区別されているよう。
・ミレニアル・ジェネレーション(1982-2004年生まれ)
ようやくぼくの世代になった。日本では「ゆとり世代」と呼ばれるべき世代がこの中に入っている。
FOMO(チャンスを逃す恐怖)
指先からはじまるヴァーチャル世界の新たな病気。
FOMO、もしくはfear of missing out(チャンスを逃す恐怖)。
ソーシャルメディアの登場によって現在では友人や知り合いが楽しいことをしていることをコンスタントに便利に知る事が可能になった。しかしいつそれを逃してしまうかわからないので、我々はスマホにかじりつく以外に方法がないのだ。
Selfie(自撮り)
2013年になって突如としてミレニアルたちの真髄を描写する新たな言葉が生まれた。
この世界とデジタルな世界とを結びつけるたった二音節の言葉、selfieである。
アンセルフィー(unselfie)というあまり知られていないアンチテーゼや、シェルフィー(shelfie / 本の中の写真)や、シフティー(theftie / スマホを盗んだ人が最初にそれを使った時に自動で撮影されるというアプリによる写真)など多くの派生語も登場した。
テクノロジーとソーシャルメディアの中で、オンラインでの生活は実際のより(見せかけ上は)豊かになり、それにともなって写真がとてつもなく重要視されるようになった。
Abbrevs(略語)
これは日本での「2ちゃん用語」のように、ネットで独自に発展した表現だ。
これはほとんどツイッターの貢献度が高いので、ツイッター用語といっても良いかもしれない
。
abbreviations(省略語)は以前にも大流行したが、それは電報や通信での文字の削減が必要だったからだ。
たとえば1830年ボストンでののabbreviationsの流行の流行は、”OK”という略語を生み出した。
しかし今回は単にテキストだけの話ではない。
略語はミレニアルたちにとってそれはコミュニケーションそのものだ。
彼らはまた略語を”f2f(face-to-face / 面と向かって)”会話で使うようになり、それはつまり、ソーシャルメディアが主要な現実になったということを意味していた。
学者でありコラムニストのウィリアム・サファイアは2009年にこう述べている。
「今日、私のfave(favorite / お気に入り)な略語はobvi(Thank you, Captain Obviousの略 / どうでもいい嘘をついてきた相手に返す言葉)とbelig(ベリッジ / belligerentの略 / けんか腰)だ。バーで《the usual(ユージュアル / いつものやつ)》と頼む若者なんかいない。《yoozh(ユーズー)》と頼むんだ。私の兄弟の孫息子のジェシーは文をwhatevで締めくくるんだ。probs(probably / たぶん)それはwhatever(なんでも)の略だろう。略語のおかげで、文末はぐちゃぐちゃだ。Go fig(Go figure / 勘弁してよ)!」
Meh(はあ)
ミレニアルたちは興味がないものにはとことん興味がない。
そのための言葉が”meh(めっ)”だ。mehがどこから来たかという謎はまったくない。
それはこの世代の最大の崇拝対象であるテレビ番組『シンプソンズ』の中で登場した。
1992年にシンプソン家の娘リサによってほとんどささやくように発せられた言葉だが、その後何度も何度も使われるようになり、2001年のエピソードで、彼女はそれをついに文字にして、音だけではなく言葉として確固たるものにした。
ホーマー「子供たち、ブロックランドにいこうよ」
バートとリサ「Meh」
ホーマー「でも、テレビ見てその気になったから」
リサ「M-E-H. Meh」
・ホームランド・ジェネレーション(2005-)
Wait(あ、)
テレグラフが最後に紹介しているのは、よく知っている簡単な単語にまつわる小話だった。
2005年以後に生まれたポスト・ミレニアルは、9/11テロ後の最初の世代。
事件当時、彼らの半分はまだ生まれていなかったが、最年長は現在すでに11歳。
シカゴ郊外のオアク・パーク在住で2014年に8歳になったゴーラン・メトカルフは質問の前によく「待って(wait)」といった。
「待って、晩御飯はなに?」「待って、いまどこにむかってるの?」「待って、ぼくの誕生日パーティーはいつ?」
彼は意見をいう前にもそれを入れてくる。
「待って、テレビが見たいんだけど」「待って、隣の家を見に行ってくるよ」
彼の父はすべての前にそれを入れてくることに気がついた。
「あれが彼だけのものか、友達との間で流行っているのか確かではないが、おそらく彼だけではないと思う」
数年後、彼の父は同じような喋り方をする子供たちを多く見るようになったとさ。
これは「あ」とか「えっと」とかくらいの意味なんだと思う。
さてこの先この世代がどんな言葉を生み出していくのか。
我々は、ただじっと待つ(wait)以外にはないだろう。だとさ。
これは「あ」とか「えっと」とかくらいの意味なんだと思う。
さてこの先この世代がどんな言葉を生み出していくのか。
我々は、ただじっと待つ(wait)以外にはないだろう。だとさ。
ウディ・アレンの『ミッドナイト・イン・パリ』、おもしろかった。
黄金の時代を探し求めるが、結局そんな時代は存在しない。
そういうお話。
記事を書いていて思い出した。
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