P・T・アンダーソン監督『インヒアレント・ヴァイス』観ました。キャスト、スタッフともにビッグネームが集結した傑作でした。
前作『ザ・マスター』と違い、ホアキン・フェニックスのアドリブはあまりないような感じがしました。演者が終始ふざけまくっているので抱腹絶倒なのですが、話が早すぎて観客はずっと「この人誰?」と必死で食らいつきながら観なければなりません。
映画の見どころを私なりにまとめてみましたので、観ようか迷っている方の参考になれば幸いです。
『インヒアレント・ヴァイス』(Inherent Vice)は、トマス・ピンチョンの小説『LAヴァイス』を原作に、ポール・トーマス・アンダーソンが映画化した2014年のアメリカ映画。主なキャストはホアキン・フェニックス、ジョシュ・ブローリン、オーウェン・ウィルソン、キャサリン・ウォーターストン、リース・ウィザースプーン、ベニチオ・デル・トロ、ジェナ・マローン、ジョアンナ・ニューサム、マーティン・ショート。
同作品はアカデミー賞とゴールデン・グローブ賞にノミネートされている。
あらすじ
1970年、ロサンゼルス。マリファナ常用者である私立探偵のドク(ホアキン・フェニックス)は元恋人のシャスタ(キャサリン・ウォーターストン)に不動産業界の大物ミッキー・ウルフマン(エリック・ロバーツ)にまつわる事件の調査を依頼される。(Wikipedia)
原作との違い
この映画は大抵「ポストモダン文学」という言葉とともに語られることの多い米文学者トマス・ピンチョンの長編小説『LAヴァイス(原題は同じくInherent Vice)』を原作としている。
ピンチョンは現代文学で最も難解な作家といわれていて、代表作『重力の虹』では、ピューリッツァー賞に推薦されながらも審査員全員一致で「理解不能」と却下されたという伝説がある。当時全米図書賞の審査員だったトルーマン・カポーティーが「《重力の虹》を理解しているのは世界でぼくだけ」と言っていた。ただ、『LAヴァイス』の方はピンチョン作品としては最も読みやすく、エンターテインメントな要素が強い。とはいえ、原作を読んでいなければ観客はほとんど意味不明かもしれない。登場人物が一体何者なのか追うだけでも一苦労だし、話はどんどん展開していく。主人公とヒロインのロマンスを期待していた人はがっかりするだろうし、ドタバタコメディとしては(相当笑えるけど)低脳なネタばかり。ミステリー風のどんでん返しは(少なくとも映画版では)ほとんどないし、社会的なメタファーのようなものを期待してもほとんど読み取れないだろう。つまり、ギャグシーンに笑いながら「インヒアレント・ヴァイスってどういう意味だ?」って思っているうちにエンドクレジットを迎える危険が十分だ。
もし、物語の進行についていくことが不安なら、次のことに気をつけて映画をみると良いかもしれない。
「ウルフマンという大富豪にどのような心境の変化があって、最終的に何を望んでいたか」
「最終的には誰が悪者だったのか」
映画の思想的なテーマとしては、端的にいって「アメリカという国固有の欠陥は修復可能か」という感じだった。
映画は《ほとんど》原作と一緒で、展開もセリフもぼくがおぼえているかぎりはだいたい一緒だった。だからピンチョン好きのぼくとしてはずっと興奮していることになる。正直、映画館で冒頭のシーンからずっと「きゃー」と黄色い声をあげるのを押し殺していた。
原作とは違う点ももちろんあって、とくにオチが違ったし、割愛されているキャラクターは多かった。
個人的に好きだった聖なるサーファーが出てこなかったのは残念。彼はオチにも関わってくるので、当然そのオチも割愛されていた。
原作からの変更点での最大の功績は、ナレーションだと思う。
原作では三人称で書かれていたが、映画では主人公のミステリアスな友人の語りで進行する。この妖しい語りがとても良くて、登場人物のごった煮感とサイケな演出に一役買っている。この女優はジョアンナ・ニュートンというハープ奏者で、映画に出るのは初めてだということ。
PTA
数年前に初めてPTアンダーソンがピンチョンを映画化すると聞いたとき、「どんぴしゃやがな」と思った。
ピンチョンの小説はやたらと登場人物が多く(『重力の虹』では優に400人を超える)、真面目で暗い話のくせに登場人物は漫画のように安っぽい。大抵ドタバタコメディのようなふざけた演出があって、小さなエピソードが幾重にも紡ぎあわされるようなものが多い。
アンダーソンの最近の作品『ゼア・ウィルビー・ブラット』や『ザ・マスター』ではそれほどではないけど、以前の『ブギーナイツ』やとくに『マグノリア』は、割とピンチョン的だった。複数の登場人物がぱっぱぱっぱと入れ替わって、絶望的な物語だけどもふざけている、そういう感じだったから、ピンチョンを映画化するなら絶対にアンダーソンかタランティーノかテリー・ギリアムしかないだろうと思っていた。
サブリミナル
映画化にあたってチャンドラー原作の『三つ数えろ』を下敷きにしているとか衣装は『マペット』からインスパイアされてるとかいろいろきいたけど、もっとも気になったのは明らかにサブリミナル的な効果を演出している箇所。
画面に映る複数の人物がランダムに動いていて一瞬(本当に一瞬)「最後の晩餐」になる場面や、他にも様々な何らかの引用やオマージュがサブリミナル的に多用されていた。
これはたぶん、ピンチョンの原作の重厚で複雑に絡み合った文章を映像にするための工夫であろうと思う。たぶん見逃しているところがいっぱいあると思うけど。
キャサリン・ウォーターストンがとにかく美しい
とにかくヒロインに見惚れてしまう。どうしてこんなにも見惚れてしまうのか考えたが、つまりぼくはヒッピー女が好きだということだ。シャスタ・フェイ・ヘップワースという名で登場するこのヒロインは、めちゃくちゃにはしゃぎまくったヒッピー青春を経て、現在は落ち着いた大人の女性になっている。回想シーンで出てくる無造作な長髪と露出しまくったカリフォルニア・ヒッピーのファッションが可愛くて仕方がない。ほぼ下着で街へ出てヘロイン探し求める場面はそれでけで幸福に頓死だ。
ヒッピーたちの「あるある」
原作でもそうだが、映画の中にはヒッピーというかドラッグカルチャーの「あるある」がふんだんに盛り込まれている。神秘的な方法でヘロインを探し出す場面や、ジャンキーがパラレルなテレビドラマにはまるところや、(当時の)対ヒッピーのやっつけな取り締まりや、ファッションやインテリアやその他嗜好品など、サイケデリックに一度は足をつけたことのある人ならだれでも「ああ、こういうことよくあるわ」と頷き感動するにちがいない。原作ではこのあたりのヒッピーあるあるが1ページごとに無限に出てくるので、まわりの健全な観客とは違うポイントで涙してしまったジャンキーの方は原作も読むことをおすすめします。
『重力の虹』映画化は誤報
最後に、PTアンダーソンが『インヒアレント・ヴァイス』と同時に、ピンチョンの最難解小説『重力の虹』の映画化もすすめているという話が数年前からずっと出回っていたが、これは残念だが誤報だったよう。これは海外のニュースサイトの「『重力の虹』でおなじみの作家ピンチョンの小説をPTAが映画化」という記事を、日本人が誤読したのがきっかけみたい。個人的にはこの作品はテリー・ギリアムのような人が撮ってほしいと思うし、もちろんPTAも良いかもしれない。でもとにかく長いし複雑な話なので、映画化するとしても原作とは全く違ったかたちにするか、一部だけを映像化するという以外にはやりようがないと思う。もしきちんと原作通りに映画化するとすれば、『ハリー・ポッター』シリーズよりも長く、『8 1/2』よりも錯綜とし、『少林サッカー』よりもくだらない、興行収入はゼロに等しく、批評家たちからだけ絶賛されるような映画になること必至だろう。
複数の監督がそれぞれ気に入っている場面だけを映像化するようなオムニバス作品、というのが現実的かもしれない。
音楽はPTAの常連になりつつあるジョニー・グリーンウッド(レディオヘッド)がこの度も担当しているけど、今作はどちらかというと『ブギー・ナイツ』のように、懐かしのヒット曲がほとんどで、OSTはちょっとしか聞けない。
オープニングでCanの「Vitamin C」が流れるのがとてもかっこよかった。kとは無縁の曲だけどこんな使われ方するなんて素敵、と思いました。
ところで、作中にはRaioheadの未発表曲が使用されているということなのだが、全然どれかわからなかった。なぜなら後で知ったことだが、楽曲はRadioheadだけど、トム・ヨークは歌っていないし、メンバーも演奏はしていないらしい。なので、結果的に作中のどれがRadioheadの曲なのかわからなかった。まあこれはどうでも良い話。
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