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2013/09/11

旅路の果て

下関のアート・カフェの店長マキコさんは、「こっちにもアート系のイベントはあるけど、みんな腐っとる」とぼやきながら、注文したギネスを泡だらけにして流しに捨てた。マキコさんは、2011年にぼくらが彼女の店で「ああたいくつだ」という映像と音楽のイベントをさせていただいて以来、同じようなことを定期的にぼやいている。ぼくやぼくの兄が来店する度に「便器がアートなん?」と現代アートについてきいてきたり、「日本にはもう慣れてきましたか?」とコントをふっかけてきたり、彼女の言動のすべてが「ああたいくつだ」に尽きている。そこでぼくらは、まるで幕末の長州過激派が池田屋を拠り所としたように、下関に帰る度にマキコさんの店によって、地方のアートを嘆いているのだ。
とはいえぼくらも彼女も東京などの都会にかぶれているわけではなく、マキコさんにいたってはおそらく絶対に東京なんかで店をやりたくないのだという固い意思がある(と思う)。

今回のぼくの帰郷の目的は、両親の還暦祝いだった。母親には、彼女が書いた本を製本して装丁してプレゼントした。
そもそも、母は誰に頼まれたわけでもなく、小説を書いている。それは祖父も同じだった。そしてぼくも同じだ。
このよくわからないカルマは、その小説が出発されて大ヒットして、本屋大賞のようなよくわからん賞をもらえればあっぱれなのだが、なかなかそう結実するものではない。
だからぼくは母の小説を「まるで本物の本のように」製本したのだ。
一方で父親は毎日歌を歌っている。突如長年の教職を放棄してライブバーを経営し、毎日歌っている。父親には真っ赤なサロンエプロンをつくってプレゼントした。
この二つは、息子たちからの感謝の意だけど、一方で芸術功労賞でもある。「あなたはこの世知辛い世の中で、小汚い田舎町で、たくましく芸術に勤しみ、その発展に貢献しました。たとえこれで下関の文化が何も変わらなかったとしても、あなたの努力と戦い抜いた記憶を、ここに評します」

大阪のあるバーで、兄は「世知辛いですなあ」とつぶやいた。あまりにも小さな声でつぶやいたので客に何度か聞き返され、三回ぐらい繰り返して「世知辛いですなあ」と言うはめになった。このバーも我々は様々なアート関係の企画でお世話になっているのだ。
店長のジュンコさんは「あたしは南くん大好きで大ファンやねんけど、南くんもっと自分をアピールした方がいいと思うやよ。あたし間違ってるかな」とアドバイスとも説教ともとれる口調で兄に言った。兄はジュンコさんから半ば強制的に「来週までに名刺を作ってくること」を約束させられた。

今回の帰郷の二つ目の目的は、武術の練習だった。
兄は大阪で中国武術を指導しているのだが、ぼくもその練習に参加させてもらった。生徒たちはどういうわけか音楽家が多く、音楽の上では大先輩であるにも関わらず、武術では先輩であるぼくに丁寧な言葉遣いで接してくれるのだ。ぼくは武術では様々なアドバイスをしたが、本当は音楽について彼らに御教授願いたいこと山々なのだった。
ぼくは練習終わりに先輩ミュージシャンたちに囲まれて、西成の路上でワインを飲みながら武術についての様々な話をして楽しんだ。遠く道の向こうではパトカーのランプと怒鳴り合いが聞こえ、ホームレスが寝転がり、自転車で看板に激突する男性を尻目に、スラム街の真っ只中(すぐ近くの居酒屋の店長はここのスラム具合を「デトロイトとここだけや」といった)で、武術を真剣に学ぶ者たちと語り合うのだ。

音楽や文学や武術やなどそれぞれ小さなコミュニティの中で幸福な会話を交わしながら、なぜこれほど虐げられているのかと嘆かずにはいられない。「世知辛いですなあ」と兄はものすごい小さな声でいう。
武術の練習終わりに天下茶屋か西成かどちらで飲むかという話になり、兄が「どちらかといえば西成がいい」と言って、ぼくが「それは安いから?」ときいた。生徒たちは一斉に「それは言ったらだめです」というのだ。

夢にまっしぐらな人たちは、Facebookでライブ情報をどんどんアップする。新しく買った機材の写真をアップする。
ぼくは貧困にはこりごりなので、父親に電話で「しばらくは仕事に専念する」と言った。父親は「仕事もええけど音楽をやりいよ」という。

東京まで戻ってくるための青春十八切符が一枚余ったので、もったいないので鎌倉に行くことにした。臨済宗の寺をみたかったからだ。すると母からメールがきた。
「ミッション…鎌倉は外人多いからなるべく沢山の外人と話して知り合い、フランスのサイトを紹介する。またはキーワード抱えてでて音楽してくる。」
キーワードだろうがキーボードだろうが、母も父も、ぼくに劇的な何かを期待しているようだった。

「フランスのサイト」というのは、ぼくがやっているmacaroomというエレクトロニカユニットの曲がフランスのレーベルから配信されて、そのことを言っている。
Social Alianationというレーベルで、そこから送られてきた書類には、「我々は《絶対に》そのアーティストの知名度に関わらず、良いものをフランスに紹介していきます」と力強く太字で書かれていた。

旅から帰ってきて、ゴッホのドキュメンタリーをみた。貧困を肯定するための芸術家がゴッホを取り上げることは、劣等生がエジソンのエピソードを引用して自分を肯定する以上に寒いものがあるけど、とにかくこれに耐え抜くための覚せい剤的な強みにはなる。

とにかく、ひとつでも希望となることがあればそれでなんとかやっていけるものだ。希望のあるいい旅ができて、非常に満足した。

macaroomの曲は日本でもダウンロードできるので、みなさん聴いて下さい。

http://asian-sounds.net/


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