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2013/03/09

オカマ考① オカマまでの距離

今日はオカマ理論について解説します。


●なにがオカマなのか。

一、翻訳
私たちは会話をしているときに知らず知らずのうちにそれを「翻訳」して発言します。言葉のそのままの意味だけで会話をしているのではなく、ある程度遠回しな言い方をあえてして「言いたいことわかるでしょ?」と相手に期待することで会話は成立します。そういえば、こんなCMが昔ありましたね。
家族の朝の食卓。父親と娘が食事をしています。父親は新聞を読みながら味噌汁をすすります。母親はいません。
「おい」と父親がいいます。
すると娘が醤油の瓶をとって父親の前に置き、
「《おい》じゃわかりません。お母さんじゃないんだから」と言います。
おそらく、娘の母親は離婚して出て行ったばかりなのでしょう。しかしこの娘と父のコミュニケーションは見事なものです。「あ・うん」の呼吸ならぬ「おい」の呼吸でしょう。父親が朝の食卓で奥さんに向かって「おい」というのは、「醤油をとってくれ」という意味であり、それ以外の会話が夫婦間にほとんどなかったことがわかります。
私たちは普段、このような方法で意思疎通を図ります。それは言葉というものの豊かさによって広がりを増して、文脈という横軸によって意味を理解します。

二、行きすぎた翻訳
しかし、この「翻訳」が行き過ぎる場合があります。それは、「本当に言いたいこと」が恥ずかしいことであったり、エゴによるものであったり、ナルシズムによるものであった場合などです。
例えば、喫茶店でこのような男女の会話を想像してください。
「ねえ、めっちゃおもろそうな映画あるんだけど、見に行かない?」
「どんな映画?」
「SFなんだけど。マトリックスの監督がつくったんだって。なんかいろんな時代の話でね……」
「ああ、ウォシャウスキー監督ね。それはおもしろいだろうね」
みなさんはこの会話の中の「いやらしさ」を感じたでしょうか?彼女が映画の雰囲気についてを語っているにもかかわらず、彼氏は「マトリックスの監督」という言葉を拾って、それが「ウォシャウスキー監督」だと補足しています。しかしこの補足はこの会話では全く意味を成しません。この場合の彼氏の「ああ、ウォシャウスキー監督ね。それはおもしろいだろうね」という言葉を「翻訳」すると、次のようになります。
「おれは映画には相当詳しくて、監督や脚本、ディレクターや配給会社などを常に意識しながら観ているんだ。まあ、インテリな見方ってことさ。おれはウォシャウスキーを非常に評価しているから、次の新作も相当なものになるだろうという自信があるね」
これをさらに翻訳すると、次のようになります。
「おれは文化人だ」
このように、彼の会話は非常に複雑な形で「翻訳」されています。そしてその原本となる「言いたかったこと」は、文脈とは全く関係のないナルシズムからきているものです。
このような「いやらしい瞬間」が「オカマ」です。その瞬間にどの程度オカマ度数があるかということは、会話の複雑化によってわかります。

(本心のいやらしさ+文脈との相違)×(翻訳の複雑度)=(オカマ度)

これはオカマ理論を学ぶ学生たちが最初に理解しなければならない《エルトンの定理》をわかりやすく譬えたものです。正しいエルトンの定理は以下のようになります。

(感情+環境)÷(オカマまでの距離)=(オカマ度)

三、オカマまでの距離
この《オカマまでの距離》は「どれほど翻訳を複雑化するか、ということです。恋愛の過程をみれば、そのような状態が多く観察できます。
女性が「大丈夫だよ」といえば「かまってほしい」という意味であり、「ばかばか!」といえば「好き好き」という意味であり、「微妙」といえば「特に何も考えていないが好きではない」という意味であり、「かわいい」といえば「特に何も考えていないが嫌いではない」という意味であり、「うけるー」といえば「特に何も考えていない」という意味であり、SNSで「朝から一人でワイン飲んでます♪」とかけば「大人な愉しみ方を満喫しています。セックスがしたいです」という意味であり、それらはすべて卑しさからくる「翻訳」であり、「ちゃんと意味をわかっていないといけない」という前提になっています。
「発言したもの」と「実際の意味」が、関連性がなくなればなくなるほどオカマまでの距離が短い状態になります。(ちなみにここでの《オカマまでの距離》が短いほど《オカマの直径》が長くなり、それによって《ポエトリック・フィールド》は距離の三乗で大きくなります)
つまり複雑化するほどオカマ度があがる、ということです。


距離と複雑化。このグラフでは複雑度を時間(Time)によって明記している。複雑度が増すごとにオカマまでの距離(OkmSv: オカマイクロシーベルト)が接近する。





複雑化の例。複雑化が進行するともう手におえない。中世ヨーロッパではオカマを「イタズラ好きの子供」に喩えていたのがわかる。中心に円形のポエトリック・フィールドが描かれている。







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