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2012/08/30

あの頃ぼくはオカマだった。



高校デビューとか、そういうものがあって、中学校から高校にあがるときに、人は悩みあぐねた末に自爆してしまうのだ。高校デビューで失敗した人間について、いままで色んなミュージシャンたちが「桜舞い散る」などというたとえで馬鹿にしてうたってきた。私たちは入学と共に舞い散るのだ。
ぼくの場合も真剣そのものだった。高校デビューの指南本など知らない。ノウハウ、メセッドなど知らないから、野生の勘でもって、髪を染めたりしたのだ。ぼくは入学式で金髪のままクイーンのボヘミアンラプソディを歌い、クラスで一番強そうな坊主を探し、金持ちそうなやつを探した。あの頃ぼくはオカマ野郎だったのだ。
ぼくはクイーンの影響で絶対にバンドをしなければならないと思っていたから、メンバーを探した。軽音楽部が存在しなかったから、使用されていないスペースを使って、勝手に「軽音楽部」という札をたてた。なめられてはいけないから、強そうなでかい坊主と仲良くなり、そいつと一緒に他のクラスに乗り込んだりした。乗り込んで教卓の上に立ち、またボヘミアンラプソディを歌った。拍手喝采で、アンコールがきて、慌てて逃げたりした。あとでわかったのだが、そのいかつい坊主はアメリカからの帰国子女で、身体はでかいが、人一倍気の小さい男だった。もう名前も忘れた。そいつは帰国子女で、ぼくはといえば前年に英語弁論大会で全国八位になっていたから、強制的に英語クラブに入部させられ、アメリカからレスリングの交流試合があったときなどに、ぼくら二人は無理やり通訳にまわされたのだ。
ぼくは英語クラブの先生と、音楽の話などをした。その先生は英語教師らしくイギリス音楽かぶれで、デヴィッド・ボウイのサインなどを持っていた。ぼくは清水義範の『イマジン』を先生にかした。ジョン・レノン暗殺にまつわる小説だった。
後にその先生が転勤するときに、お別れ会のようなものがあったが、華麗な高校デビューを遂げたぼくはもちろんそんなものには行かなかった。後日、担任から呼び出されて、転勤した英語の先生から手紙を預かっているといわれた。受け取った封筒の中には五千円の図書カードとともに、「ありがとう。楽しませてもらいました」という手紙、それから貸していた本が入っていた。あの頃ぼくはオカマ野郎だったのだ。

ぼくは高杉晋作に憧れていたから、彼の命日には学校を休んで墓参りにいった。
翌日に生徒指導の先生に呼び出され、言い合いになるのだ。そして言い合った最後に生徒指導の先生は「規律と義務」なる新書をぼくにくれた。
生徒指導室から出てきたぼくを、知らない女の先生が呼んだ。彼女は職員室にぼくを案内し、大量の高杉晋作関連の書籍をぼくにくれた。「あたしが持っていても意味がないから」と彼女はいう。ぼくはそのころオカマ野郎だったから、何も言わず、大量の本を抱えて職員室を出ていった。


そんなぼくの田舎の高校にも、ついに「カウンセリングルーム」なるものができた。カウンセラーがそこにいるらしい。カウンセリングルームができた初日に、担任から呼び出された。
「カウンセラーがお呼びだ。カウンセリングルームに行きなさい」
初日になぜ見ず知らずのカウンセラーがぼくを呼び出すのかはわからなかった。ぼくは友人をつれてカウンセリングルームにむかった。カウンセリングルームの扉を開けると、中には生徒指導と担任とカウンセラーの女がいた。ぼくはとっさに「騙された!」と思った。ぼくの指導に悩んでいた生徒指導と担任が、カウンセラーを利用してぼくを罠にはめたのだ。担任はぼくの友人を捕まえて外に出し、生徒指導はぼくを捕まえて中に入れる。このままでは友人と生き別れになってしまう。ぼくは生徒指導の手を振りほどき、「騙しやがったな!」と叫んで逃げていった。遠くで生徒指導の雄叫びがきこえる中、ぼくと友人は涙の再会を果たした。
翌日になって、ぼくはカウンセラーの不意をついてやろうと思いたち、急にカウンセリングルームを訪れた。
カウンセラーの女とぼくは心理学的談義をした。彼女は自分の仕事に自信がもてないといった。この仕事には意味がないかもしれないと言った。気づけばぼくが彼女をカウンセリングしていた。最後に彼女はぼくに本をくれた。「私には難しすぎるから」と彼女は言った。ユングの講義録だった。「でも、やっぱり、ユングは素晴らしいと思う」と彼女は言う。ぼくはやはりその頃オカマ野郎だったので、黙ってカウンセリングルームを後にした。

みな思春期の一時期にはオカマ野郎になるのだろう。そのころ患ったもののなかで何割かは大人になっても治らないのだろう。ぼくもその頃患ったうちのいくつかはいまだに治っていない。たとえば、いまだに髪を染めたりしている。もう10年ちかく黒髪にはなっていない。それから、いまだに本を読み、音楽を作ったりしている。いまだにボヘミアンラプソディのピアノを弾くことができる。ただなるべくオカマ野郎にはならないように心がけているつもりで、あの頃の自分を恥ずべきオカマ野郎だったと自覚している。

久しぶりにクイーンをきいたりしている。確か山田かまちが、クイーンのことを「たまに聴くとたまらなく良い」といっていた。山田かまちは思春期のオカマとの葛藤の最中に死んだ。彼の詩は素晴らしい。
Let Me Liveというクイーンの曲は、フレディが死んでから発表された。そのタイトルは皮肉すぎて、感動する。あの頃オカマ野郎だった自分を思い出すのにはうってつけの曲なのだ。





2012/08/26

勉強し、立派な大人になりなさい。



macaroomのボーカルemaruがぼくに連絡してきた。話は、ぼくらが参加した同人音楽サークルのCDについてで、その中に「パクリ曲」があるというのだった。
ぼくはパクリ曲など板野友美整形疑惑程度にしか興味はなかったが、とりあえずぼくの名前もクレジットされてるCDなので聴いてみた。
聴くとすぐにその曲がわかった。アレンジ曲なのだが、それはぼくがよく知っている曲に瓜二つだった。アレンジしたのはすみじゅんというぼくの友人で、emaruもぼくも、macaroomのみならずプライベートでも大変お世話になっている人だ。

すみじゅんがパクった曲はBritney Spearsの『I Wanna Go』という、わりと最近の有名な曲だった。
すぐにすみじゅんに電話してきいてみると、「うん参考にしたよ」という感じだった。きくと、彼はアルバムの構成を考える際に「こういう曲があったらいいなあ」と思ってこの曲を参考にしたらしい。「まあ、みんな同じようなことしてるしな」と彼は言う。なるほど、これほど瓜二つなパクリをするとは、なかなかの度胸だ。

しかし彼は重要なことをひとつ忘れていた。
それは、Britneyのその曲を選んだのは、すみじゅんではない、ということだ。

それは、ぼくなのだ。

遡ること一年前だ。ぼくは台湾に中国武術の大会に出て、台北のしょぼいスーパーの本屋でBritneyのCDを買ったのだ。
ぼくはBritneyのCDを買うのは中学生以来だったが、帰国して聴いてみると、そのサウンドの変化に驚いた。
興奮したぼくは様々な友人にこのアルバムのデータを送りつけ、すすめまくった。その一人がすみじゅんである。
ぼくはSkypeでのすみじゅんとの会話をおぼえている。
「いいか、すみじゅん、おれは今後お前がどういう活動をしていくかは知らん。同人CDを続けるのか、違うことに手を出す気なのか知らん。しかしな、少なくともポップスとクラブサウンドと密接に関連した音楽を作っているんだろう。このBritneyのアルバムをきいてみなさい。すべてが詰まっている。文字通り、すべてだ。このアルバムはポップスの未来だ。そして、クラブサウンドの未来だ。このアルバムを今きかないでどうする?確かに、今の時代、あまりにも音楽が溢れている。人が生まれるよりも多く曲が誕生している。人が死ぬよりも多くの曲が忘れ去られる。その中で名曲とそうでない曲を判断することは非常に難しいだろう。いや、そうすること自体意味はないのかもしれん。しかしな、このアルバムをきいてみなさい。これはポップスの未来であり、おまえの未来なんだ。おい、いいか?きいてるのか?ん、まあいい。とにかく、このBritneyのアルバムがお前の助けになるだろう。このアルバムに感謝するときがくるだろう。そのときがきたら、Britneyに感謝し、そして少しばかりぼくにも感謝しなさい。いや、感謝しなくてもいい。少しお金を貸しなさい。いや、ギャラを上げるだけでもいい。とにかくいまはこのアルバムをきいて、勉強しなさい。いいか、ちゃんと勉強するんだよ」


それから一年がたち、そのときがきたのだ。すみじゅんはBritneyのアルバムをぼくがあげたことや力説したこともすっかり忘れていて、自分の意思でパクリ曲の元を選んだと思っていた。しかしそれは違う。あの曲を選んだのはぼくなのだ。

ぼくは、ジョンという友人にも、一年前にBritneyのアルバムを送って「勉強しなさい」といっていたので、今回のパクリ騒動についてジョンと電話をした。
ジョンはすみじゅんのことを「ガリ勉か」と言った。
うん。そうだ。すみじゅんはガリ勉だった。少しばかり勉強しすぎたのだ。ぼくは勉強しろと言ったが、ここまで糞真面目に回答を丸暗記して試験を受けるとは思わなかった。試験と模擬試験とは回答が違うぞ、すみじゅん。回答を暗記するんじゃない、それを応用しなけりゃならん。
ぼくはヘミングウェイの小説を思い出した。それは、パクリ疑惑で訴えられた小説家と、それを真っ先に見抜いた父親の話だった。父親は息子に、お前の小説はすごくいい、お前の小説を読んでると昔の何かを思い出すようだ、と言う。すると息子は「父さんは何をみても何かを思い出すんだ」という。
そして父親は後に気がつく。息子がパクった小説は、自分が昔好きだった作家の小説だったことを。息子にパクり元の小説を選んだのは、自分だったのだ。


そしてすべてのことをemaruに伝えた。すると彼女は、「なんか、面白いね。なんかガクが書く小説を思い出すね」と言った。
違うぞemaru。
お前は何をみても何かを思い出すんだ。決してぼくの小説はパクリなんかじゃない。違うんだ。絶対に違うんだぞう!