最近は、他人の曲の歌詞に腹が立つことが多い。もう腹たちすぎてめしもろくに食えない。寝ることもできない。見た目もやつれてしまった。
なのでぼくは、深い眠りから覚めたある朝に、トルティーヤと豆スープ、それからステーキをほおばり、コーヒーを飲んで一服した後、また少し寝て、起きたらシャワーを浴びて髪を乾かし、おろしたてのシャツを着て、じっくりと歌詞について考えてみることにした。
今日、日本の商業音楽において、作詞を学ぶ環境は整っていない。そもそも作詞家の存在すら重要視されなくなってきた。レコード会社とプロダクションが主導権を握っていた時代には、作曲家、作詞家、編曲家の分業が当たり前であったが、その後フォークソングやシンガーソングライターという言葉が認知され、作詞家が地位を奪還されるまでの間に、作詞という創作活動を指導しようと試みた人物はついに現れなかった。作詞家が覇権を握っていた時代には、弟子入りという形でのみそれは受け継がれていたのだ。
現在、私たちは素晴らしい詞に出会うことはあっても、それを学ぶことができない。専門的な機材や楽器のような練習もいらず、誰にでもいつでもつくれるものであるし、なにより詞は人に学ぶものではないという考えがあるからだ。芸術が究極的には人から教わるものではないように。しかし、果たして本当にそうだろうか?詞は誰にでも書けるものだろうか?そして、教わるようなものではないのだろうか?
日本の作詞が学問として成立せずにいる理由には大きく三つの原因があるように私は思う。
まず始めに、歌手という存在の不安定な立場に原因がある。歌手とは本来、クラシック音楽の流れを考えれば、演奏者であり技術者でもあるが、芸術家ではないのだ。楽譜を忠実に再現するマシンであるから、アーティストではない。現在、ボーカリストの育成を目指すボーカルスクールは多くあるが、そのほとんどが発声法やリズムなど、技術に関する指導が主なところで、アーティストの育成ではなく技術者の育成である。ボーカルに芸術家としての意見は必要すらされなかったのだ。ボーカル育成とはすなわち演奏者としての育成なのだ。クラシックにおいてはそれでいいだろう。しかし今日の歌手、とりわけシンガーソングライターはそうはいかない。演奏者であると同時に、アーティストであることが求められる。しかし現在のボーカルスクールではクラシック音楽から受け継がれた技術指導しか確立されていない。ここに、日本の商業音楽の歌詞育成が発展しない理由をみてとることができる。
ふたつ目は、まさに作詞家というものが、作曲家とは切り離された存在として独立していた点だろう。作詞家はプロフェッショナルであることをアピールするために、つまり素人との差別化をはかるために、その文学性を重視せざるをえなかった。文学的な物語や修辞、韻を強調することで、素人には作れない高尚な作詞家である必要があった。しかし実際、歌詞は文学とは違う。メロディーによってアクセントは変化し、コード進行や展開によって印象は歪められ、楽曲のテンポやリズムが詞そのものの緩急を決定するのだ。そういったことを無視してきた作詞家たちが築き上げた歌詞は、単に「歌謡」という音楽ジャンルに収束してしまう。歌謡は発展し、素晴らしい名曲を生み出してきたが、その構造があまりにも地盤を固めすぎたせいで、商業音楽における歌詞はその根強い影響下のもと、ながらく文学、詩学以外の重要な要素を見落としてきたように思う。
そして第三の原因は、「童謡」・「作詞家」と対立する形で現れた何人かのアーティストの台頭によるものだ。1970年代に入って、フォークソングが流行し、作詞・作曲・編曲・演奏がすべて同一の人物で完結するということを多くの人が知った。吉田拓郎は、韻を踏まず、口語体で字余りも気にせず、ただ思いの丈を長々と歌うことに成功した。上岡龍太郎の言うところの「素人芸」の天才の登場であるが、これこそが、作詞は誰でもつくれるものであるという認識を国民全体に植え付けた決定的な原因であるように思う。さらにこのころから「シンガーソングライター」という言葉も認知され始めた。荒井由美、中島みゆき、小坂明子らといった女性アーティストの登場だ。彼女らは歌手とはアーティストであるということを知らしめたが、同時に、歌詞というものの権威そのものを下げる要因になった。
以上三つの要素が、未だに歌詞を学問として確立するにいたっていない経緯であると私は思うのだが、シンガーソングライターの登場以降、そもそも歌詞を人に教えることが可能であるか、もしくは意味のあることなのか、というのは解決しないままである。
しかし私ははっきりと言い切ってしまいたい。歌詞は、人に教えることができると。歌詞は文学理論ではおさまりきらない様々な視点から分析することができる。すなわち心理学や社会学、哲学、言語学、そして音楽というように。
日本を代表する作詞家として思い浮かぶのは故、阿久悠、松本隆、そして秋元康だろう。これら三人はすべて歌謡の作詞を中実に実践しているだけにすぎない。その他多くの、作詞をするアーティストたちが決定的に歌謡の域を超えられないでいる。ヒップホップ、R&B、レゲエ、ロック、様々な海外輸入ジャンルで作られた日本語歌詞のほとんどが、歌謡の作り方から抜けきれずに、本場の音楽とのギャップに違和感を感じているのだ。70年代の「日本語ロック論争」がその最たる例だろう。日本語でロックを歌うことが可能かという論争だが、その中で日本語ロックの代表である松本隆自身が、自分が充分にロックを日本語に変換できていないことを告白している。彼らの楽曲はロックをつくったつもりであっても、結局は歌謡の範疇にすっぽりと収まっているということは、彼ら自身がよく知っている。
ではなぜ素晴らしい歌謡を書く作詞家が、ロックを、レゲエを、ラップを書くことができないのか。
それは音声学的な解釈を彼らができなかったせいだからと私は思う。調音音声学の発音のメカニズムを理解して英語の歌を分析すれば、その構造は日本語でも実践は可能だ。
どのような詞を書くべきか、もしくはどのような詞が最も素晴らしいのか、ということは、教えることができない。なぜなら、それはある社会やある目的やある心理状態によって常に変化していくものだからだ。しかし私は、詞とはこうあるべきだ、という考えもももちろん有している。
現在日本で、適切な指導を施せる専門家は存在しない、と私は思う。素晴らしい歌詞を書く作詞家はいるが、彼らは詞を論理的に指導する事はできない。
よって、私はここに宣言したい。日本語詞の新しい批評と実践を、多角的視点から論ずることが常識的になるであろうことを。作詞が大学の専門分野として設置される日がくることを。
そういうことをひっそりと考えていたりした。そしてぼくはそそくさと家を出て、力の限り速く歩き、思う存分大股になって、すれ違いざま勇敢に挨拶をして、無鉄砲にタバコに火をつけ、猜疑心に苛まれながらポイ捨てし、色欲と情念に駆られて美しい店員のいるカフェに入り、ツイストダンスを踊るような声色でコーヒーを注文し、席を立つように席に座った。横で男の人が大声で独り言を言っていたので、少し気になった。
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