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2018/12/31

都合の良い偽善ライブハウスよ、オサラバ! ノルマとかギャラとか考える2018年最後の投稿




2018年の最後に、こうしてブログを書いている。
ぼくは今、音楽活動をやっていて、それから音楽に関係した執筆活動もやっていて、まあだいたいそんなところ。
ぼくらの音楽はまだ十分には人に認知されていないし、ぼくが思っているほど評価されてもいないので、常に悶々としながらこれからどうやって広げていくかということを夜な夜な(本当に文字通り夜な夜な)考えているのだ。

2018年にあった出来事をざっとおさらいしてみると、

まずmacaroomの3rdアルバムが発売された。イラストレーターの中村佑介さんに推薦コメントを書いていただいたし、アルバムの中身は非常に満足のいくものだった。
それから、ぼくが執筆した『やさしい現代音楽の作曲法』が出版された。
そして、ぼくらがつくった手作りの雑誌『weiwei』が発売された。
そして発売刊行記念イベントも。

現代音楽本の方も、様々なイベントがあった。
ぼくと川島素晴先生と、作曲家の新垣隆さんの三人で本屋でのトークイベント。
そしてゲンロンカフェでの、上記三人+渋谷慶一郎さんとのイベント。
ゲンロンカフェはシリーズ化して、藤倉大さんを招いた。

これに伴って、批評家の東浩紀さんともはじめてお会いして、
それからこれはタイミングが良かったのだけど、
小説家の高橋源一郎さんに数年ぶりにお会いして、
東さん、高橋さんとともにお食事する機会があった。

ライブでは、今年から本格的に兄が東京移住とともにカンフー演武で参加し始めた。
以前はゲスト出演が何度かあったという感じだが、今年はもうスタンダードメンバーな感じで。

そして元たまの知久寿焼さんとのライブイベント。ツーマン。
知久さんとは急激に仲良くなって、一晩飲み明かしたり公園で遊んだり、
とてもお世話になった。
知久さんとのコラボレーションはこれからも続いていくだろう。

それから、ボツになった企画もある。
兄と二人でトーク番組をやるという企画は、何度か撮影したけど、
あまりうまくいかなかったのでお蔵入り。

それから、ぼくがユーチューバーになるという企画は、
emaruからの猛反対、兄は反対はしないけど、うーん、という感じ。
それでボツというか保留になった。

それから、クローバーメディアというところで、
アイドル発掘プロジェクトに関わるようになった。
アイドルの音楽プロデューサーに就任したわけだ。

細かいところでいうと、
macaroomのサブスクリプション完全対応や、
それから、まだ契約したばかりだからあまり公言できないけど、
macaroom楽曲を完全に誰でも利用できるようにシステム化したりだとかあった。


ざっと考えてみただけでもこれだけたくさん。
まだまだ他にもあったかもしれない。

なんだか、非常に緊張感のある1年間だった。


ここ一年ですごく強く思ったことは、
自分の態度を貫くことはすごく大事だが、それよりも、
「自分の態度を発信する」ということがそれ以上に大事だということだ。

ぼくは、たとえば出版社への文句をブログに書いたけど、これは業界関係者に非常に読まれていて、すごく反響があったし、
それ以外のこと、たとえば著作権に関する記事は、実際にアーティストの方から感想を言っていただいた。

別にこれは、ブログを書いたら読んでくれる人がいるとかそういうことを言っているわけではなくて、
ここに表明した態度というものが、実際にコミュニケーションを生産する、ということ。

たとえば、出版関係の文句でいえば、
それ以後、出版関係の人と非常に話しやすくなった。

ぼくが関わる出版関係の人がぼくのブログを読んでいるかは不明だけど、
少なくともぼくは自分に嘘をついてツイートしたりしないから、
変な誤解をされることはない。
でも、いくら自分に嘘をつかないとはいっても、
「正解」を発信しないことには、理解されないのだ。

だから、ぼくは自分が思うことをただ単に素直でいるっていうだけじゃなくて、
「あえて発信していく」ということを選んでいきたいのだ。
これは、ぼくの態度の表明によって、コミュニケーションが実際に生産される、とうぼくなりの考え方というか、
2018年を駆け巡ったぼくの総決算的な結論なのだ。

だからぼくは、この年の瀬に、
最後にひとつだけぼくの態度を表明してこの年を終えようと思う。


というのも、以前に、兄と二人でツイキャスをやったことがあって、
その時に、話の流れでライブハウスの文句を言ったりしたのだけど、
それについて言葉でいうにはちょっと不十分だし、
しかもかなりウィスキーを飲みまくりの放送だったので、全然まともじゃなかったのだ。

だからここにしっかりと今の自分の意見を書いていこうと思う。

それは、ライブハウスのアーティストに対する態度とかそういうこと。
もっと具体的にいうと、ノルマ制とか、そういうお金の話。



バンドの知り合いの中には、
「ノルマ制」っていうシステムに反対するアーティストも結構いて、

「俺らはノルマ制なんてシステムではライブしません」

って言ってる知り合いのミュージシャンも結構いる。

クールなマニフェストにも、いや客が集まらんだけやろとも思えるこの宣言。

しかし実際のところ問題はノルマ制かどうかではなくて、ライブハウスがアーティストをどのように考えて扱っているか、というところがポイントなわけだ。

ライブハウスにとってみれば、アーティストはお店を利用してくれる「客」でもあるし、一緒にショーをつくっていく「仲間」でもあるし、またライブハウスがアーティストを育てるという意味では先生と生徒みたいな関係性だったりもする。

それに悲しいことに、我々アーティストは、みな対等ではない。
超VIPな扱いを受けるアーティストがいる横で、テキトーな扱いを受けているアーティストがいる。
そういう世界。

この世界を支配しているのは「集客力」っていう絶対的な数字であり、
素晴らしい音楽を奏でるとか、人が良いとか、見た目が可愛いとか、
そんなことは二の次三の次。

ぼくがimi/popというバンドやってた頃によく新宿のアンチノックというライブハウスに出てて、そこではライブが終わるたびにブッキング担当の人が「もっと○○な歌い方をしないとダメだ」とか「○○みたいな曲は作れるか?」的なアドバイスを言ってきたりして、そういうのをありがたがる人もいるだろうけど、ぼくらはそれが大嫌いだった。まあ、そのころのぼくは素直にそういうのが「嫌いです」っていうのを相手にも伝えていたから、アンチノックとぼくらはお互いに生意気な口のききあいみたいなことをしてて、別に彼らは悪い人じゃなくて、むしろ良い人たちばかりなのだけど、なんというか、個人的な趣味で言えば、全然合わないタイプだった。

そもそもぼくらは当時、両国にあるSUNSHINEというライブハウスで他のバンドと喧嘩になって、そのライブハウスを出禁になってライブ市場から締め出しをくらっているときに、「生意気なバンドがいるらしい」ってことで、生意気バンドのメッカともいえるアンチノックからお声がかかったのだから仕方がない。だからアンチノックの初ライブの時に「おお、おめえらが生意気なバンドか」ってフツーに言われたしね。んでぼくらは笑いながら「はい、生意気なバンドです(^-^)」って感じだった。

最終的にはウチのメンバーがアンチノックの人に殴られて、そこも出禁になったわけだけど、まあそれはいい。imi/popはそのあといろいろあって解散。

そういえば余談ついでに、
その頃、今では超有名になってしまったKEYTALKっていうバンドのドラムの八木くんがよくimi/popを観にきてくれてて、KEYTALKはまだ今ほど売れてなくて、「結構勢いがあって人気らしい」ってくらいな感じだった。
んで、KEYTALKと対バンしようってことになったんだけど、
ぼくらは他のライブハウスは基本的に出禁になってるから、アンチノックで対バンしようってことになって、八木くんも「アンチノック出たことないからいいね!」ってな感じだった。

しかし数日して八木くんから連絡あって
「ごめん、うちのプロダクションがアンチノックはNGだって。雰囲気が違うから」

それをきいたぼくらは、すっごく自分らがダサい気がして、めちゃめちゃ恥ずかしかった。
友人に断られるようなハコでうちらはライブしとったんかいな、と。

いや、別にアンチノックはハードコアやパンクの人たちにとってみれば聖地だし、全然恥ずかしくないハコなんだけど、
でも、そんときの、なんというか、KEYTALKという、めちゃめちゃメインストリームな雰囲気のバンドの、八木くんというめちゃめちゃ爽やかな青年に断られる感じが、すっごい恥ずいというか、
「すまんのう、うちらアングラじゃけえ」っていう感じで。

余談はこれくらいにして、
ライブハウスがアーティストをどのように扱うか、というお話。


あなたがもしワンマンで、そのハコを難なく満員にできるのであれば、
あまり意味がない。
その時点で、そのアーティストはライブハウスにとって重要な大事な顧客なんだから。

そうではなくて、
たとえば、ライブをしても数人しかお客さんが来ないようなアーティストや、
駆け出しのバンドでとりあえず大学の友人だけを呼んで客席埋めてる人たちとか、

そういうアーティストに対して、ライブハウスは「運営」という観点と「文化芸術の振興」という観点から、どのような制度をとらなくちゃいけなくなってくるのか、ということ。


んでもって、アーティストの方でも、徐々にライブハウスとウマが合わなくなって、
「俺らはノルマ制ではライブはしないんで。そこんとこ夜露死苦」
ってスタンスをとりはじめるわけだ。

しかし、ノルマ制っていうのが悪いわけじゃないし、
むしろありがたい部分もたくさんある。

じゃあ、何が悪いのか。
そしてどうすれば良いのか。

それを説明する前に、
そもそもノルマ制とは何か、っていうのを説明しましょう。
知らない人のために。

もちろん、ライブ経験のある人なら誰でも知ってる制度なんだけど。


◯ノルマ制というのは
ノルマ制っていうのは、
ライブハウスが、アーティストに対して、
「最低10人は集客してくださいね」とか
「最低5人は入れてくださいね」っていう
最低集客条件のことで、

たとえば、
「ノルマ10人」だった場合、
チケット代が1枚2,000円として、
2,000円×10=20,000円
が最低条件なわけ。

だから、そのバンドの名前で一人もお客さんが来なかったら、
アーティストはライブが終わった後で
2万円をライブハウスに支払うことになる。
逆に、10人お客さんが来れば、
支払いは0円。

あと、キャッシュバックというのもよくあって、

たとえば、
ぼくらがよく出るモナレコードというライブハウスでは、

ノルマ10枚、11枚目以後50パーセントバック

というような条件があったりする。
もちろん条件は毎回違うし、アーティストによっても違う。

この場合は、ノルマ10枚なので、
チケットが2,000円の場合、
一人も客が来なかったら
2万円をライブハウスに支払うことになり、
10人来れば、支払いは0円。
そして15人来れば、
11枚目以後、つまり5枚分のチケットの50パーセント、
つまり、
2,000円の半額の1,000円×5=5,000円が
もらえる、ということ。

だから、集客が15人だった場合は、5,000円のギャラをもらうような感覚なわけだ。

そして、この制度でもし40人の集客があった場合、
11枚目以後の20枚×1,000円=30,000円がもらえる。
だから、普段からだいたい40人くらい客が来るようなアーティストに対しては、
いちいち「ノルマ制」なんてことはせずに、
「ギャラは3万でお願いします」という感じでオファーがくる。
もしくは、
「ギャラは2万、集客によって増えます」という場合も。

◯ハードルは高い
しかしながら、
「普段から40人くらい客が来るようなアーティスト」
というのは、結構微妙な表現。
厳密な意味で言えば、彼らは必ずどこからのプロダクションに所属しているといって間違いない。
でももっと広い意味でいえばそうじゃなかったりする。
たとえば、
あるライブハウスでの企画イベントで、
たとえば50人くらい人が集まったとして、
それがスリーマンのライブだったとして、
3バンドで割ると、1バンドあたり平均17人。
もうひとつ例を出すと、
ワンマンライブで100人の人が集まったとしても、
「普段の」「平日の」イベントでは10人も集まらなかったりする。

普段のスタンダードな感覚で40人集まるバンド、っていうのは、
結構ハードルが高い。

というかむしろ、レーベルに所属していて、
いろんなニュースサイトにリリースのニュースが掲載されるアーティストでも、
このハードルはなかなか超えられない。

ということで、
集客力が十分でないバンドっていうのは、
彼らのようなレーベル所属のアーティストも含まれるわけだ

そういうアーティストにとってみれば、
ライブに出る度に、ライブハウスにお金を支払うことになる
しかも数万も。
ただしレーベルに所属すれば、たいして集客がなくても
無理やりギャラを請求することができるけど、
それは後述。

とにかく、普通は金を支払うわけだ。
数万を、バンドだったらメンバーで割って数千円だけど、
1人で活動してるアーティストなんかにとっては、結構痛い。

考えてもみたら、かなり悲しむべきことで、
良い音楽をつくり、
数ヶ月かけてイベントを企画して、
練習して、本番を迎えて、
数万の金を支払う、っていうのは、音楽活動としてそもそもどうなんだろう。


ノルマ制を設けてないライブハウスも結構あって、
集客力があろうとなかろうと、
「ノルマなし、機材費1,000円のみいただきます」とか、
「ノルマありません」だけとか、
むしろ、
「ギャラは○○円でお願いします」とか、
そういうハコは結構ある。
イメージ的には、小さいハコにそういうとこが多い気がする。
満席になったところで15人とか、そういうとこだと、
ハナからノルマにする意味がない。
だから、集客が難しいアーティストにとってみれば、
そういう場所を選びたいわけだ。


だからつまり、
「俺らはノルマ制でのイベントはやりません」
っていうのは、
「俺らは集客力ありません」
って言ってるようなもので、
こういった集客至上主義という現実から逃れたい人たちなのだ。

集客力があるバンドに対して、ノルマ制を設けるライブハウスなんていないからね。

◯ヒソミネについて
そこで、ぼくが常々ギモンを感じてるライブハウスがあって、
それが「ヒソミネ」というハコなんだけど、
そこについてちょっとお話しようと思う。

ヒソミネは以前、一度出演したことがあって、
スタッフはすごく優しかったし、対バンでもJobanshiさんという、
素晴らしいアーティストと知り合えたし、
それに関してはなんの文句もない。

ヒソミネは、自主レーベルを持っているということもあって、
なんとなく
「ヒソミネ界隈」といった雰囲気がある。
ぼくらがやってる「エレクトロニカ」と呼ばれるジャンルの
人たちが結構出演していて、
エレクトロニカ系のアーティストに
「ヒソミネとか出たことあります?」っていうのを
何度かきかれたことがある。

ぼくらも、そういう系のアーティストを見ると、
「ああ、ヒソミネに出てそうなアーティストだな」って感じで
みてしまう。
それが良いとか悪いとかじゃなく。

んで、
ヒソミネは、ノルマ制を設けていない。
どういう制度かというと、

ノルマなし機材費及び出演料としまして10,000円頂戴致します、ご了承下さい。
チケット6枚目以降チケット代より50%バック

という制度。

これはどういうことかというと、
チケット代が2,000円の場合だと、
集客が15人としたら、
[チケット代50%の1,000円]×[6枚目以後の10人]なので、
1,000×10=10,000円、
そして機材費及び出演料として10,000円支払うので、
結果的に、プラマイ0、ということ。

逆に集客が0の場合、
10,000円をライブハウスに支払いことになる

少し考えてみればわかるのは、
これはノルマ制とほとんどかわりない、ということ。
しかし何が違うのか。

さっきのモナレコードの例と比べて見ると、
モナレコの条件は

「ノルマ10枚、11枚目以後、50パーセントバック」

チケット代2,000円で考えてみよう。

集客が0の場合、
モナレコ出演だと、アーティストは2万円の負債、
ヒソミネ出演だと、アーティストは1万円の負債。

ヒソミネの方がお得だ。

では集客が10人の場合、
モナレコ出演だと、アーティストはプラマイ0
ヒソミネ出演だと、アーティストは5,000円の負債

モナレコは赤字がストップ。
ヒソミネは少しお金を支払う形に。

集客が20人の場合、
モナレコ出演だと、アーティストは10,000円の上がり
ヒソミネ出演だと、アーティストは5,000円の上がり

モナレコの方がお得だ。


つまりヒソミネの出演条件は、

集客が少ないことを前提とするアーティストが集う場所

ということだ。

ぼくが普段から、客が1人か2人しか集まらないとしたら、
モナレコに出るより、ヒソミネに出た方が借金が少なくてすむからね。

ところがどっこい、
モナレコは、たくさん集客があった場合にはたくさんギャラが入るのだ。

だから、
ヒソミネ界隈っていうのは、
なんとなく、
集客とは関係ない世界で音楽をやっている人たちが多くて、
しかも、これ以上集客を増やす気もない人たち、
そして、できるだけ借金を増やしたくない、という人たち、
という感じがするわけだ。

別にこれはヒソミネに出演している人たちを悪く言っているわけではなくて、

そもそもこういう制度ってどうなの?(怒)

と思うわけ。

客を増やすことを前提としない

という条件付きでアーティストにオファーする、
というのが、
なんか、
よろしくないとおもうわけ。

確かに、
集客が少ないアーティストに対してやさしい、
というのは良いのだけど、
現状ではなく、「今後も」客が増えないことを前提としている制度。

いや、たとえ普段の集客が少なかったって、
良い企画を組んだりとか色々していって、
将来的には客を増やしていこう、
っていう姿勢が全く微塵も感じられない、
というか、
もし仮に、奇跡的に、ヒソミネに出演しているアーティストが
通常で10人の固定客がつくようになったら、
ヒソミネを離れるべきだろう。
しかしそうはならない。

ヒソミネに出演している限り、
こうしたドグマからは逃れられないのだ。

だから、さっき言った
「ヒソミネ界隈」っていうのは、
そういう、アンダーグラウンドな香りというか、
「内輪でやってんなー」って感じがある。

というわけ。
だから、
ノルマが良いとか悪いとかいうわけではなくて、
その制度が何を前提として設定されているかを見極めるべきだと
思うわけだ。

だって、
「なぜノルマなんかあるんだ?」
って考えてみたところで、
「おめえらみたいな集客率じゃ、不安なので保険をかけざるを得ない」
っていう意味なわけで、
それに対して憤りを感じたところで、
現実にそんな集客力なわけだから、言い訳できない。
文句があれば、
初めから集客を望まずにヒソミネに出るか、
もしくは集客をなんとかするしかない。


◯ギャラをもらう
ギャラという制度がある。
これは、ノルマ制から格上げされた人々に与えられる、いわばゲスト扱いみたいなもの。
有名なアーティストはもちろんだけど、
それ以外にも、遠いところから遠征にきているアーティストにノルマを課すのは失礼なので、
普通はゲストという雰囲気で、ギャラを支払ったりする。
ツアーミュージシャンとかね。
レーベルに所属したアーティストは、ここらへんがシビアで、
ギャラによって自分たちの(一段上のプロとしての)立ち位置を担保しているのだ。
しかしながら、いくらレーベルに所属して、無料でMVをつくってもらって、
ナタリーに記事を書いてもらったところで、
ライブハウスにとって満足のいくレベルの客が集まるとは限らない。
たいして客が集まらないのに「ギャラください」って言われる。
レーベルも忙しいので、アーティストの宣伝なんかろくにしない。
「勝手にインスタとかで盛り上げてくださいね」って感じ。リツイートだけはしますよ、みたいな。
だからライブハウスからしてみたら、そんな中途半端なレーベル所属アーティストよりは、
元気一杯な大学生バンドが「地元の友人とか頑張ってめっちゃ呼びます!」ていう方がありがたいのだ。

◯ぼくらはどうか
とここまで書いて、ぼくらmacaroomはどうなのか。
条件なし(プラスもマイナスも無し)でライブに出ることもあるし、
ノルマ制の場合もあるし、ギャラ制の場合もある。
ぼくらのような立ち位置のアーティストが、一番微妙なところだと思う。
正直言うと、ノルマ制でも、ギャラ制でも、あまり変わりはない。
どうしてかというと、ノルマ制の場合は、キャッシュバックでいくらかお金が入り、
その額は、ぼくらくらいの知名度のアーティストが普通は受け取るであろうギャラと同じくらいだからだ。
だから、最初からギャラをもらうという前提でライブをしても良いし、
そういう場合も多いにある。
しかし、この水準にいるアーティストっていうのは、結構不安定なので、
ある日のライブには全然お客さんが来ない、というリスクもあったりする。
ライブハウスからしてみたら、
「んー、ギャラ制にしてもいいけど、ちょっと怖さもある」
っていうラインじゃないかな。
まあ、そのあたりはライブハウスのスタンス次第。

具体的な例でいうと、少し前に知久寿焼さんとライブをやったときなんかは、
ライブハウスからギャラをいただいたのだ。
それは知久さんが有名で集客もすごいので、そのバブルに乗って、ぼくらも恩恵を受けるわけだ。
しかしそのハコは、通常、ぼくらが出演するときはノルマ制を提案される。



2018年の最後に、それとなくふと思ったことを書いてみた。

(超有名ではない)アーティストのみなさん!
みなさんは、
このあたりの条件やなんやかんや、
独自の考えや哲学はありますか?
教えてください。


さて、2019年も私は非常にストイックに、過激に、アナーキーに駆け巡りますし、
そこそこのヒットというか大爆発は確実だと思われますので、
来年もまたmacaroomやぼく自身や、このブログもよろしくお願いいたします。

それではよいお年を!!!