『weiwei』の購入問い合わせがきたりして、一時的に対策する。
自分用に小さなペンケースを買う。
本当に小さくて、ペンが2本くらいしか入らない。
昔、弁論大会で全国大会に出た時に、
8位入賞してもらったバーバーリーの万年筆、
今でも使っていて、
それを入れるため。
最近は執筆業もあるので、
しかもトークイベントなども増えて、
もっとプロとして自覚せにゃいかん、
ということで、
執筆関係の道具をしっかりと揃えていっている。
少し前までは、鉛筆と鉛筆削りとマレーシア産の汚いノートだけを持って、
ガストで一日中(本当に丸一日)
文章を書いていたと思うと、不思議だ。
あの頃はお金がなくて、
でもお金がないことに屈することなく、
生活保護を受けながら、
喫茶店にモーニングの時間から閉店までいて、
その後は24時間のガストに移動して、
とんでもない時間執筆していた。マレーシア産の汚いノートに。
ある日、自分が1日どのくらい執筆しているんだろうと思って、
数えてみたら、
1日に3万字、原稿用紙でいうと75枚書いていた。
自分でもそれが狂っていると自覚していて、
ぼくの横には、よく、
一日中画用紙にペンでぐるぐるぐるぐると「まる」を書いているだけのおじさんがいて、
たぶん想像するに、知的障害か何かの類で、
ペンでぐるぐるぐるぐると描くのは何かの治療の一貫なのではないかと思う。
ああ、この人一日中こんなことして、頭おかしいな、仕事もしていないんだろうな、
と思っているうちに喫茶店が閉店時間になり、
ぼくはガストに移動する。
すると、しばらくしてそのおじさんもガストにきて、ぼくの隣に座る。
そこで、初めて、ぼくもそのおじさんと同じだということに気づくのだ。
なるほど、ぼくはハタから見ると、このようにおかしな人なのか。
その頃は、ぼくは、喫茶店でコーヒーを飲むことすら、「身の丈に合っていない」と思っていた。
そのことを当時、兄とよく電話していた、というのを最近思い出した。
ぼくらは、喫茶店でコーヒーを飲むことすら、
自分の身の丈に合っていなかった。つまり、コーヒー一杯すら飲む金がなかった。
しかし、絶対に、毎日、喫茶店にいっていた。
なぜなら、執筆があるからだ。
仕事ではない。
ただ、執筆するのだ。
そうして、
兄と電話で、
「今日も身の丈に合ってない執筆してきたわ」
というのだ。
兄も、
「ぼくも仕事してないけど、身の丈に合ってない短歌をつくってたわ」
というのだ。
そりゃそうだ。一日中、執筆するなんて、よほどの作家先生がやることだ。
お金がない青年が無理して、
病院に行く金や食費や家賃や市県民税のためにとっておかないといけないお金を
使って、生活保護を受給されながらやることじゃない。
普通はバンドマンでもなんでも、
死ぬほどバイトしながらツアーなんかをやるもんだ。
そうして、身の丈に合っていない創作活動を続けていた。
それが、今や、
本を出版して、紀伊国屋では「一番売れている音楽理論書」として売り出され、
トークベントをして、サインなんかをしたりしている。
そして手元には、
新品のペンケース、そして綺麗なノート、
そしてMacBook Air。
でもまだまだ。
まだまだ戦いは続く。