人に年齢をきくことは失礼だという誰でも知っている当たり前のことが、なぜ誰にもできないのか?
驚くべきことに毎日必ず、誰かに年齢をきかれるか年齢のことが話題になる。
毎日、必ず。
人に年齢をきかれる度にストレスをかかえることになる。おかげで肌荒れもひどくなる。
初対面で唐突に年齢をきいてくるゴミ屑もいれば、
会う度に「何歳になったんだっけ?」ときいてくる痴呆もいる。
一体全体、年齢がなんだというのだろう。
とかくこの国は年齢による差別意識が高いから、人々は年齢に怯えながら暮らすことを余儀無くされる。
テレビをつければ子供達が水着を着て歌っているし、
大きな企業の受付ほど未成年の女の子がぼうっと座っている。
年齢によってがんじがらめにされた彼らは、毎日毎日、思わぬところで年齢と対峙しなければならない。
就職には年齢制限があり、
「おっ、そろそろ結婚だな」といわれ、
全く関係ないように思えるスマホの契約ですら年齢を記入する欄があり、
年上には敬語を使わなくてはならないし、
アニメの主人公は全員子供で、
アイドルは全員子供で、
モデルは全員子供で、
そのくせ年齢によってはただの恋愛が法定義上レイプになるし、
恋愛対象によってはロリコンと呼ばれたり
熟女好きと呼ばれたりして気味悪がられ、
三十で未婚なら負け組呼ばわりされ、
男性が芸能界で成功するということはすなわち若い嫁をもらう、ということであり、
何歳に見える? と無意味な質問をして、
えええ、見えない! と無意味に気遣いをして、
子供には(まるで犬コロにでも話すように)甘ったれた言葉で話し、
女性に年齢をきくのは失礼だ、というけど、
なぜ男性には失礼でないのかわからないし、
時には結婚適齢期とかいう非科学的な言葉まで出てきたり、
時には出産適齢期というパーソナルなことまで突っ込まれたり、
こう考えると、年齢による差別意識というのは、
半分以上は性差別と結びついているのがよくわかる。
特に女性にとっては、年齢がイコールその人の価値のような錯覚すらしてしまう。
もちろん、儒教・論語的な文化的背景を持つ日本の伝統は素晴らしいと思うが、
個々人の自由な生活スタイルが重要視されるようになってしまった現代社会においては、
まったく足手まといだとしか言いようがない。
こんなちゃらんぽらんな生活をしているぼくだって、
言われることがよくある。
そろそろ腹をくくって結婚だな、とか、
そういうことを。
そもそも年齢と結婚・出産という非常にパーソナルなことを、
なぜ他人に口出しされるのかがわからないが、
それにしたって、よくよく冷静に考えてみれば、彼らが思っている以上に人生は多様なあり方がある。
成人女性の3人に一人は堕胎の経験があるし、
結婚経験者の3人に一人は離婚の経験があるし、
妊娠経験のある女性の3人に一人は流産の経験があるし、
男性の5人に一人は生涯未婚で、
女性の10人に一人は生涯未婚で、
女性の6人に一人は生涯出産経験がなく、
12人に一人は性的マイノリティー(LGBT)だと「自覚」しているし、
5人に一人は同性に魅力を感じた経験がある。
年齢と就職の関係も意味不明だ。
欧米の就職では年齢をきかれることはないし、
履歴書に年齢を記入することもなく、
アメリカでは面接で年齢をきくことは「違法」になる。
ぼくの年齢で就職をしようとしたら、
「この歳までどこをほっつき歩いてたんだ、このボンクラが」
という目で見られながら、言い訳を考えるハメになるし、
子供の頃は、学校で先生と議論する度に
「大人みたいなことを言うな」
としかりつけられていた。
子供をバカにする傾向も意味不明。
小学生なのにすごいね、と言うが、
小学生も大人も本質的には全く変わらないし、逆にいえば
おじいちゃんになったって、おっぱいは好きなままだ。
また、未成年の性的魅力についても隠蔽している。
日本では長らく初潮を迎えた段階で水揚げをし、
また小学生の高学年くらいで筆おろしを経験させていた。
中学生に対して性的興奮を覚えることは恥ずかしくないどころか、全く普通のことだ。
社会的な約束事として、未成年を守るという観点は重要なことだし、
未成年とセックスの問題は話し合わなければいけないけど、
とにかくロリコンを病気呼ばわりすることは彼らの人権に関わることだ。
逆に、
熟女好きというフェティシズムを大々的に捉えること自体が変態的な行為だと思うし、
それで驚いている人々は、色魔、ニンフォマニアックに他ならない。
多くの会社では年齢よりも経験が重視されるにもかかわらず、
さらに実年齢による差から関係は複雑になる。
バイト歴3年の大学生が、
バイトはじめたばっかりの中年にタメ口をきくハメになるし、
もちろん日々の会話においてステレオタイプな感覚がなければ笑いもうまれないし、おもしろくない。
「まるでおじいさんやな」と笑ったり、
「子供じゃないんだから」と叱りつけるのは良いのだけれど、
女子大生が日本酒を飲んでいるだけで
「おっさんか!」
と嬉しそうにヨダレを垂らしながら突っ込む中年男性の視野の狭さと下衆な態度にはもう我慢ならない。
いや、ぼくだってこういった差別的なツッコミというのはよく言うし、
一日に一回は「オバハンか」と大声で指摘するし、
これからも差別的ステレオタイプなツッコミはしていくだろう。
しかし、これらは常にリスクがあることを知っていなくてはいけないし、
差別的な発言であると自覚しなければならない。
黒人差別を積極的にネタにするアメリカのコメディアンの意識と同じようなものだ。
ぼくは大学生の頃に、
「今後一生、人に年齢をきくことをやめよう」と決めた。
それ以後、ぼくはその契りを守り続けてきた。
守り続けていると、周りがいかに毎日年齢についてあれやこれや語り合っているかがわかる。
ほんのすこし前の日本社会と比べてみても、
平均寿命は倍以上に伸びたのだ。
老人というイメージも、健康というイメージも、
ほんの数十年前の感覚とは程遠いものになっている。
プレイボーイの60歳をみたって別に驚きはしないし、
娼婦のような格好をした美しい中学生を見たって驚きはしないし、それを見て普通に興奮するもんだし、
30歳で白髪だらけでも、
40歳で肌にシミひとつ無くても、
15歳で飛び級で大学に行ったって、
50歳で出産したって、
70歳の夫婦に子供がいなくたって、
15歳で子供を産んで旦那がいなくたって、
40歳で大学に通い始めたって、
別になんてことはない。
個人的に、この人はすごいな、とか、
こいつみたいにはなりたくないな、とか、
それだけの話だ。
坂上忍のようなレイシストが、日本のオヤジ的感覚を代弁してくれるのは仕方ないが、
ドナルド・トランプを批判する資格はない。
と、ここまで話してくると、
「日本はだめよねえ。アメリカにならわなくちゃ」
と言い出す植民地奴隷根性丸出しの帰国子女タイプが割り込んでくるが、
こいつらはこいつらでなんの根拠があってそんなことを言うのだろうか。
アリアナ・グランデが日本のテレビで発言した内容をもとに、
好き勝手にまとめあげた記事がツイッターやフェイスブックでシェアされまくってるのを読んだけど、
かんたんにいうと、
日本は太っているという外見を笑いにしたりするけど、
アメリカではそんな低脳なことでは笑わないし、
それが差別だってきちんと理解しているのよ、
って言う感じだ。
日本で無自覚な差別が横行する傾向と芸人の意識の低さには同意するけれども、
アリアナ・グランデにそれを言われる筋合いはない。
ぼくは今年の初めにEDMに関する教則本を執筆して、
アリアナ・グランデをはじめとするプログレッシブ・ハウス周辺の曲を分析して行ったけど、
彼らが歌っている内容っていうのは、
簡単に言えばステレオタイプなアメリカを啓蒙的に示しているものばかりで、
つまり自己啓発ソングって感じ。
ジムで体を鍛えたり、自由に発言したり、
アメリカってかっこいいでしょ? ってなもんだ。
プログレッシブハウス系のアーティストは、大概、トランプ政権に反対しているし、
またLGBT問題について積極的に発言する傾向があるし、
要は、意識高い系の流行りにのっかった人たちなんだけど、
彼らもまたそうした新たなステレオタイプを作り出しているし、
それがある意味差別的であることに気づいてすらいない。
というよりもまず、
上記のような記事は、もちろんアリアナ・グランデの発言とは関係がなく、
執筆者が自分のいいたいことを都合よく解釈して押し付けたものに過ぎないけれど、
少なくとも、
日本では人種差別によって警官が一般人を射殺することはないし、
差別的な発言によってテロを誘発することもないし、
差別的な入国制限をすることもない。
だから、
あんたらには言われたくないわ、と思うわけだ。
差別に対する意識はアメリカに学ぶ必要があるかもしれないけど、
それはつまり、アメリカにそれだけ差別問題が色濃くあるから、という裏返しでもあるわけで、
アメリカには差別がない、なんて隠蔽はしないでほしいね。
ところで、
ある人に対して、
実際の年齢に見えない、とか、
年齢のわりに若い、とか、
年齢のわりに年取って見える、とかいうけど、
年齢相応の見た目をいうのはどういうものだろうか。
この女性が何歳にみえるか、考えてみよう。
15歳、20歳、30歳、40歳、
どうだろう。
何歳だと思う?
ぼくがよく思うのは、
誰にも、これに関して自信がない、ということだ。
血液型占いと一緒で、血液型をいわれて初めて、「やっぱり!」っとなるのだ。
何歳にだって見えるし、
何歳といわれたって、それより若くもみえるし、年取ってもみえる。
これぞ年齢相応の見た目である、というものが個々人の間に確固としてある、なんてことは
実際にはありえないし、あったとしてもそれは毎日のように更新され続けている。
なので、この女性の年齢が実際にはいくつか、
答えはここには書かない。
誰にも当てられないだろうから。