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2014/02/13

道路について

ケルアックが路上を指差したときには、不満や不安がそこらじゅうにころがっていた
ウイリアム・バロウズ

道路について書きたい。

秋葉原駅を電気街方面に出ると、ちょっとしたロータリーがある。そこでタバコを吸っていると、なんだかよくわからんおじさんにやや強い口調で「ここは通路ですので、禁煙です」といわれる。通路だから禁煙だというのも意味不明だが、とりあえずここは禁煙なのだ。周りには喫煙を禁止する立て札がいくつもたっている。それに加えて千代田区は全域で路上喫煙が禁止なのだ。なんでも、2000円の罰金が発生するらしい。つまり、そんな場所でタバコを吸うぼくとなんだかよくわからんおじさんとでは、完全に後者が正しいわけだ。
しかしぼくはここで多くの人がタバコを吸っているのを知っている。現にぼくの周りで何人もタバコを吸っている。
この「通路」は、すぐ横にエクセルシオールというカフェがある。以前そこに入ったとき、「タバコ吸えますか?」ときいたら、「店内全席禁煙です。外でお吸いください」と言って灰皿を渡された。なのでぼくは外でタバコを吸いながらコーヒーを飲んでいると、通りすがりのサラリーマンやなんかが、すぐ横でタバコを吸いはじめ、ぼくの灰皿にタバコを押し付けて去っていった。
その時とは打って変わって、この度、喫煙を注意されたぼくは、コーヒーも灰皿も持っていない。しかし周りでコーヒー片手にタバコを吸う人は誰も喫煙を注意されたりはしない。
つまり、ここにコーヒー代という賄賂が成立しているのだ。コーヒー代さえ払えば、同じ場所でも堂々とタバコを吸える。
なぜか。
それは、どんな通路にもその管理者がいるからだ。ぼくが喫煙を注意された通路は、一見すると千代田区のものだが、実際はエクセルシオールというカフェが実権を持っているのだ。エクセルシオールに金を渡せば、千代田区は黙る。賄賂を渡した証明書がコーヒーというわけだ。

ぼくは毎朝丸ノ内線で御茶ノ水駅まで行き、そこから秋葉原方面へ歩いて行く。つまり、とりあえず今のところ、ぼくにとっての道路の問題は、千代田区から始まることになる。

まずはその御茶ノ水駅から歩いてみたい。右手に神田川を見下ろしながら、緩やかな坂を下ってゆく。するとすぐにアーチ上の大きなコンクリートが目の前に大股を開いて待ち構えるのに出くわすことになる。聖橋という厳かな名前を持ったその橋は、下をくぐってゆくと、ホームレスが必ず寝ている。
しかし、ホームレスたちが寝る橋の壁の部分には、一メートルおきくらいに立て札がかかっている。
この通路において、物品 の埵積及び寝泊まりを禁止する。 
東京都第六建設事務所
この全く機能していない言葉は何を意味しているのだろうか。それは、秋葉原のエクセルシオールと同じ、道路の管理者の問題だ。
ホームレスたちは、千代田区の警察が千代田区の道路にしか現れないことを知っている。つまり、東京都が管理する道路には、誰も注意する人が現れないのだ。東京都建設局の看板は、あたかもホームレスたちに住むことを禁止させるようにみえるが、ホームレスたちはその逆に、この看板があるからこそここに寝泊まりするのだ。
とはいえ、彼らがここに寝泊まりしているのが、完全に自由なことかどうかはわからない。ここは道路であり、彼らが所有する土地ではないからだ。

そこで、そもそも道路とは何か、ということが気になってくる。おそらく法的にある程度は解決できるものかもしれない。道路法、道路交通法、建築基準法、などなど。
そして最近、その答えのヒントになってくれるものに出会った。
高村光太郎の『道程』である。
学校の教科書に載っていたのだが、これは少し違う。
初出の時のものらしく、少し長い。
そして、どうして後に大幅に削って出版したのかと思ってしまうほど、衝撃的に名作だ。


道程

どこかに通じている大道を僕は歩いているのじゃない

僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
道は僕のふみしだいて来た足あとだ
だから
道の最端にいつでも僕は立っている
何という曲がりくねり
迷い まよった道だろう
自堕落に消え 滅びかけたあの道
絶望に閉じ込められたあの道
幼い苦悩に もみつぶされたあの道
ふり返ってみると
自分の道は 戦慄に値する
支離滅裂な
また むざんなこの光景を見て
誰がこれを
生命の道と信ずるだろう
それだのに
やっぱり これが生命に導く道だった
そして僕は ここまで来てしまった
このさんたんたる自分の道を見て
僕は 自然の広大ないつくしみに涙を流すのだ
あのやくざに見えた道の中から
生命の意味を はっきりと見せてくれたのは自然だ
僕をひき廻しては 目をはじき
もう此処と思うところで
さめよ、さめよと叫んだのは自然だ
これこそ厳格な父の愛だ
子供になり切ったありがたさを 僕はしみじみと思った
どんな時にも 自然の手を離さなかった僕は
とうとう自分をつかまえたのだ
丁度そのとき 事態は一変した
にわかに眼前にあるものは 光を放射し
空も地面も 沸く様に動き出した
そのまに
自然は微笑をのこして 僕の手から
永遠の地平線へ姿をかくした
そしてその気魄が 宇宙に充ちみちた
驚いている僕の魂は
いきなり「歩け」という声につらぬかれた
僕は 武者ぶるいをした
僕は 子供の使命を全身に感じた
子供の使命!
僕の肩は重くなった
そして 僕はもう たよる手が無くなった
無意識に たよっていた手が無くなった
ただ この宇宙に充ちている父を信じて
自分の全身をなげうつのだ
僕は はじめ一歩も歩けない事を経験した
かなり長い間
冷たい油の汗を流しながら
一つところに立ちつくして居た
僕は 心を集めて父の胸にふれた
すると
僕の足は ひとりでに動き出した
不思議に僕は ある自憑の境を得た
僕は どう行こうとも思わない
どの道をとろうとも思わない
僕の前には広漠とした 岩疊な一面の風景がひろがっている
その間に花が咲き 水が流れている
石があり 絶壁がある
それがみないきいきとしている
僕はただ あの不思議な自憑の督促のままに歩いてゆく
しかし 四方は気味の悪いほど静かだ
恐ろしい世界の果てへ 行ってしまうのかと思うときもある
寂しさは つんぼのように苦しいものだ
僕は その時また父にいのる
父はその風景の間に わずかながら勇ましく同じ方へ歩いてゆく人間を 僕に見せてくれる
同属を喜ぶ人間の性に 僕はふるえ立つ
声をあげて祝福を伝える
そして あの永遠の地平線を前にして 胸のすくほど深い呼吸をするのだ
僕の眼が開けるに従って
四方の風景は その部分を明らかに僕に示す
生育のいい草の陰に 小さい人間のうじゃうじゃ はいまわって居るのもみえる
彼等も僕も
大きな人類というものの一部分だ
しかし人類は 無駄なものを棄て腐らしても惜しまない
人間は 鮭の卵だ
千萬人の中で百人も残れば
人類は永遠に絶えやしない
棄て腐らすのを見越して
自然は人類のため 人間を沢山つくるのだ
腐るものは腐れ
自然に背いたものは みな腐る
僕はいまのところ 彼等にかまっていられない
もっと この風景に養われ 育まれて
自分を自分らしく 伸ばさねばならぬ
子供は 父のいつくしみに報いた気を 燃やしているのだ
ああ
人類の道程は遠い
そしてその大道はない
自然の子供等が 全身の力で拓いて行かねばならないのだ
歩け、歩け
どんなものが出てきても 乗り越して歩け
この光り輝やく風景の中に 踏み込んでゆけ
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、父よ
僕を一人立ちさせた父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため

ややテーマは壮大だが、ぼくにはこれが、純粋な「道」の考え方であるように思える。獣道、というものにしろ、そこは通らなければならない何かがあるのだ。獲物を追うため、天敵から逃れるため、水場に行き着くため、様々な理由があって、通らなければならないということになる。その思いと行動の結果として、道というものが自然に出来る。
しかし道路はどうだろう。ぼくは道路が「ここを通らなければならない」という思いと行動の結果であるようには思わない。それどころか全く逆だろう。
道路は、まず最初に作られる。そしてぼくたちは、「そこを歩け」と言われる。
その極端な形が鉄道だ。
目的よりも先に鉄道が敷かれ、そこを通らざるを得なくなる。その後、それぞれの目的が決まる。
だから鉄道は獣道とは逆に、全員が同じ道を通るが、目的はバラバラである。
通勤する人もいれば、自殺する人もいる。

お茶の水の道路に突如現れる千代田区ではない道路ーー聖橋の下の道路。ここにある、ホームレスたちに警告する看板を出している東京都建設局とは何か。
関東大震災や東京大空襲からの復興に重要な役割を担ってきた局である。戦後すぐに自動車の普及を見越して放射状・環状の道路を骨格とした道路網を計画しているものの、いまだ完成には至っていない。 
wikipedia 
日本の道路は、少なくとも法的に機能しているものとしては、戦後に形作られた。GHQの旧道路法の解体、田中角栄議員らの議員立法。
田中角栄が初当選した1947年、GHQは内務省を廃止し、建設省をつくった。
1949年、国道と都道府県道あわせて13万1923キロメートルのうち、舗装されているものは2.1%だった。
そこで、道路特定財源というものが確保されることになる。
揮発油税を、道路にまわす、ということだ。
道路整備費の財源等に関する臨時措置法
この法は、今も名前と形を変えて生き残っている。
田中角栄は高速道路の父と呼ばれる。
彼は東京の家から、新潟の実家まで二回ハンドルをきれば帰ることができるらしい。
戦後GHQの引き上げ以降、日本復興のために形作られた道路周辺の様々な法律は、根本的には今も変わっていない。
ぼくは、日本が未だに復興を続けていると思っている。東京都建設局の計画は未だ完成していない。
バイパスのおかげで全国どこでも、都心まで数時間でいくことができるようになった。これによって、全国の至る所に都会が出来て、日本中が発展するという目論見だった。しかし結果はどうだろう。バイパスに吸収された地方は完全に過疎化し、ドーナツ化現象が起き、東京はますます人が増え、地方はますます人がいなくなる。これは鉄道にも同じことがいえるだろう。副都心線が埼玉を活性化させるだろうか。それは甚だ疑問だ。

連中はぼくらを車からおろして胸をなで下ろした。ぼくらの疲れたスーツケースがまたも歩道に積み重ねられた。前途は遠かった。しかしそんなことはどうでもよい。道路が人生なのだから。  
ジャック・ケルアック『オン・ザ・ロード』

都会 ━━━ 閉ざされた無限。けっして迷うことのない迷路。すべての区画に、そっくり同じ番地がふられた、君だけの地図。だから君は、道を見失っても、迷うことはできないのだ。

今日から少しずつ道路について考えていこうと思う。その理由はよくわからないのだが、とにかくぼくは毎日道路の上を歩く。毎日。だから道路のことについて少し考えてみてもよかろう。