Pages

2013/12/19

死と隣り合わせdeath




ぼくと兄は毎日のように電話で、互いの近状や本についてや映画についてなどいろいろ話しているが、ぼくも兄も同時多発的に「そろそろビートな生活に一旦区切りを」というので意見が一致した。

そもそもビートな生活というのは好景気の時代にやるもので、かの有名なケルアックなどは、一ヶ月仕事をして三ヶ月旅に出る、という生活の中『オン・ザ・ロード』を書いた。
一方我ら兄弟のビートな生活というのは、始まりがまず2011年の大震災に端を発するから、いわば日本中が若干ビートになった時期に、率先してより一層ビートになった、という感じだ。
こんな時期にそういうことをしていて良いことなどなく、簡単に押し潰される危険性に怯えた二年間を過ごしてきたぼくらは、「そろそろ区切りを」という結論にいたったのだ。
秘密保護法が採決されたことがさらなる決定打となった、というのは結果的な話かもしれない。
みんながこの法によって戦争やファシズムやスターリン主義を連想してしまうのは仕方がなく、ぼくらは改めて、日本が対外的な問題を抱えていることに気づかされた。道端にやたら右翼が多くなり、汚染水の問題を水に流すかのようにオリンピックに一丸となったり、共産党員は地下活動のように深夜ひっそりと赤旗新聞をポスティングし、テレビの観光客インタビューは全員が白人で、ニューヨークタイムズは放射能の夕暮れの風刺画を載せ、テラスハウスという小綺麗な部屋におかま達が大集合し、やることといったら恋愛か部屋の掃除くらい、それがYouTubeのあなたへのお勧めになっているから知らずに見てしまう、ある朝満員電車の中で女二人が笑いながら言う、「こんなときに変態がいたら嫌だよね」その瞬間ぼくを含めたまわりの男たちの空気が一瞬で変わったのだが、それは普段の何気無い通勤の一風景とは打って変わって、自分の身の潔白を証明する白旗揚げ紛争の始まりだったのだ、私は決して変態ではない、なぜならこんな風にiPhoneのゲームに夢中ですから、ほら、両手はここにちゃんとありますよ、男たちがそれぞれの方法で無関心のピーアール、女はそれに関して無敵であるということを知っているのだ、ぼくらは白旗を必ずあげる、一度でも「それでもぼくはやってない」という映画をみたことがある男なら、悲しいかなそういう風に反応してしまうものなのだから、こういう女たち、こいつらが戦争をおっぱじめるのだし、こいつらが秘密保護法を採決したのだとそのときにわかったが、もうデモに参加するには十分すぎるほど立ちっぱなしで、そのときに男たちが「はて?なんでまた男性専用車両がないのだろうか?もしあったところで私は乗るだろうか?それに乗りたいと思うだろうか?」と思ったとしても、全員が考えるまでもなくそれに即答することができるだろう、つまり「乗るわけがない」と、さて道端にやたら右翼が多くなり、オリンピックに一丸となり、そこいらにヒントはありすぎるほどあふれていたのだ。毎日異常なほど道路工事をしまくっている日本は、これからもっと工事をするだろう。戦後六十年間「復興」を続けてきた日本はようやくこれからは復興ではなく、軍事的な道路工事を再開することができるのだから。
「おててのしわとしわをあわせてしあわせ、なーむー」という仏壇のCMをみて、しわとしわを合わせても決してしあわせにはならないことにずっと疑問を持っていたのだが、では何を合わせればしあわせになるとかと考えれば、答えはすぐにわかる、つまり「死」だ。この仏壇のCMが言いたいことというのはすなわちこういうことだ、「幸せは死と隣り合わせ」
幸か不幸かこれは死に関連したCMなので、両手を合わせる仕草は決して違和感がなく、こうしたサブリミナルには気づかずみんなが死かもしくは幸せまでまっしぐら。なーむー。